死に逝くスピカをどうか、

 思えばあっという間だったなあ。

 卒業式をいよいよ明日に控えて、その予行練習の席で壇上に上がる天祥院を眺めながら、羽風薫は意外にも月並みな感慨に耽っていた。
 3-Aの普段は協調性が無いクラスメイトたちも、今日ばかりは一様にどこか厳かな面持ちで真っ直ぐ前を見つめている。あの守沢ですらきちんとパイプ椅子に座って黙っているのは、逆に不自然にすら思えるくらいだ。
 しかしきっと自分も周りから見ればおかしなものだろうと気がついて、羽風はくすぐったいような心地がした。以前の自分は、学校の(ましてや、男子校の)式典なんかでしんみりするような人間ではなかっただろうし、そもそも卒業式の予行練習なんてもの自体に参加しようとも思わなかった気がする。
 その場限りでへらへらとやり過ごして、誰にも腹の内は明かさずに。そんな風にしていたら、親しい人間なんて出来るはずがなかった。本当に自分が欲しかったのは、そういう繋がりだったはずなのに。その場限りのふわふわと不安定な愛情だけをつまみ食いしながら生きてきた。ここで、仲間たちにーーーそしてあの子に、出逢うまでは。

 羽風は遥か後方の2年の席にいるはずの、この学院でたった一人の『女の子』、そして『プロデューサー』のことを思い浮かべる。その、結構好きだった、自分にとっては貴重なやわらかい笑顔のことも。

――――――

 放課後下駄箱を開けると、一枚の紙切れが宙に舞ってひらりと落ちた。
 何だろうと思いつつ拾い上げる。それはルーズリーフの切れ端で、真ん中にちいさな丸っこい文字で、『海』とだけ書いてあった。

「ん? どうした羽風!」

 下駄箱で一人突っ立っている羽風を怪訝に思ったのか、守沢が声をかけてきた。そして手元の紙切れに気がつくと、ますます不審そうな顔つきになる。

「なんだ、それは?」
「いやあ、なんか下駄箱に入ってたんだよね」
「う〜む……差出人も書いていないようだし、誰かのイタズラか?」

 妙なことをする奴がいるな、と首を捻りながらも、守沢は急いでいたらしく爽やかな笑顔を一つ残してそのまま帰っていった。
 守沢を見送ってから、羽風は手元の紙切れについて考えてみる。
 イタズラの線は羽風も真っ先に疑った。しかしこの字はイタズラと断定するにはどうも丁寧過ぎるような気がする。それになんだか、『彼女』の字に似ているような。
(な〜んて、俺が未練を残してるせいでそう見えちゃうだけかもしれないけどさ)
 それでも期待を持ってしまう程度には、羽風は『男の子』だった。紙切れはポケットに滑り込ませて下駄箱から靴を取り出すと、羽風は学院裏手の海に足を向けた。

――――――

 暦の上では既に春になっていると言えども、まだまだ海風は身を裂くように鋭利でつめたい。その上既に夜の入り口に片足をかけたような時間帯だ。上着を持ってくればよかったなあと後悔しながら腕をさすって暖を取ろうとしていると、視界の端を何かがひらりと翻ったのでそちらに目を向ける。
 羽風の目を奪ったのは、風にたなびくスカートだった。その少女が纏っているのは上に夢ノ咲学院指定のブレザー、下にスカート。そして学院においてスカートをはいている人物は、一人しか考えられない。少女は砂浜と海水のぎりぎりの際に立ち、海をぼうっと眺めているようだった。

「あーんずちゃん」
 
 後ろから近づいて声をかけると、彼女はこちらを振り返る。海風があんずの髪を舞い上げて、彼女はそっとそれを手で抑えた。羽風は、絵になる風景とはこんなものかもしれないとぼんやり考えていた。

「羽風先輩、来ちゃったんですね」
「ダメだった?」
「来てほしかったし、来てほしくなかったです。あれは、賭けだったので」

 確かにあの紙切れを見て羽風が海に来る確率は低かっただろう。ゴミだと判断して、ポイしておしまいだった可能性もある。

「それで? 君は賭けに勝てたのかな?」

 するとあんずはふにゃりと笑う。なんだか、どうしようもない子どもを見るような表情だった。

「さあ、どうでしょうね」

 彼女は再び海を見つめた。波の音だけが二人の間を満たして、それから、あんずは徐ろに口を開く。

「今から私を、振ってください」
「え……」

 話の展開についていけない羽風をそのままに、彼女は凛と言い放った。

「羽風先輩、あなたのことが好きです。……結構、本気で」

 ずっと欲しかったものをようやく掌中に収めたような充足感。それにどっぷりと浸かった羽風はしかし、むに、とあんずの人差し指が唇に押し付けられたことで我に返る。彼女は困ったように羽風を見上げていた。

「だめですよ。ちゃんと、振ってくれないと」
「……酷いなあ。これから先の未来で、君を想うことすら許してくれないの?」
「……あなたの未来に、私が居ちゃいけない」

 あんずの表情が陰りを見せた。

「わたしは羽風先輩のことが好きです。でも、アイドルの羽風薫だって同じくらいに好きだから」
「……本当にひどいなあ、あんずちゃん」

 羽風は、なんだか泣いてしまいそうだった。最近涙腺が弱い気がするなあ、歳かなあなどと頭の端で思う。

「君を好きでいることを、許してくれないんだね」
「私はプロデューサーだから、それを許しちゃいけないんです」

 『プロデューサー』。彼女はそう言った。
 しかし羽風にはその言葉が初めて忌々しい響きを持って伝わってきた。『プロデューサー』が、『あんず』を隠してしまうような。そんな焦燥を隠さず彼女に詰め寄る。

「じゃあ、君の心は? 『ただの女の子』のあんずちゃんの気持ちはどうなるの?」

 その言葉は、あんずに何らかの衝撃を与えたようだった。彼女が黙ってしまうと、再び波の音が潮風に乗って通り過ぎるのを待つだけの時間がやってくる。

 いつもなら心地よい潮風がやけに沁みるような、そんな感覚がして。彼女は躊躇いがちに口を開く。

「私はとうとうこの気持ちに気づいてしまったんです。プロデューサーのあんずはこんなものを許さない。だから私は、ただの『あんず』を切り捨てなくちゃいけない。……でも、このまま殺されちゃうのは嫌だから。どうせ死ぬなら、あなたの手で殺されたいから」

 彼女の瞳が真っ直ぐに貫いてくる。
 
「だからどうかお願いします、私を拒絶してください」
「無理だよ」

 そう言った瞬間の、あんずの悲嘆に暮れたような顔が羽風の目に焼き付いた。
 
「羽風先輩、お願いですからっ……!」

「俺には君を殺せない。ようやく隣に来てくれた、ただのあんずちゃんを二度と離さない。もちろん、プロデューサーのあんずちゃんにだって殺させやしない」
「羽風先輩!」
「君が死ぬときは、俺も一緒だ」

 そして丁寧にリボンを掛けるように、鎖で縛りつけるように、あんずの耳元でちいさく囁く。

「あいしてる」

 月光に照らされたうつくしい彼女の涙が、真珠のように淡く燦めいて墜ちた。

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