クソゲー以下の人生より愛を込めて

 アズールは白手袋に包まれた指で、卓上の小型ルーレットを回した。
 ルーレットで示された数字に従って、桃色の小舟を模したアズールの駒が進んでいく。六。友人の結婚式に出席。祝儀に五万マドレーヌ払う。駒の止まったマスに書かれた文言を読んだアズールは、眉間に深い皺を寄せた。
「七度目……、前半だけで七つも他人の結婚式があるのは異常では?」
「その七つのマス全てに引っかかるアズール氏の引きも異常では」
イデアの反論に、アズールは渋い顔で五枚の紙幣を支払った。ここでは、マドレーヌとは菓子そのものではなく、通貨の単位を指すのである。

 今日のボードゲーム部は、薔薇の王国の地域色が強い人生ゲームに興じていた。
 ボードは至る所に花の意匠が散りばめられ、貨幣や資本は菓子に由来するモチーフで固められていた。内容も結婚や茶会、園芸等が異様に多く、如何にも少女趣味。ハーツラビュル生ならいざ知らず、そういったモチーフとはまるで無縁の男二人が弄り回すにはやや気恥ずかしさが伴うデザインだった。

 しかし今、そんなことを気にする必要はなかった。
 部活と言えど、部室に顔を出しているはイデアとアズールのみであったからだ。幽霊部員が多い部なのである。どれくらい部員の参加率が低いかと言えば、ラウンジの経営とオクタヴィネル寮の運営で多忙なアズールが一番の出席率を誇る程だ。イデアもタブレットによるリモート参加を除くと出席率は後ろから数えた方が早い部類である。
 この度イデアが生身で部室に居るのも、事前にアズールが出席の旨を連絡してきたからだ。そうでなかったら今頃は自室でソーシャルゲームに興じているところだった。来週にはイデアの推しが新コスチュームで期間限定実装されるので、今のうちに強化素材を潤沢に集めておきたいのだ。

 七。友人の茶会に呼ばれる。十万マドレーヌでドレスを新調する。
「いや、本当にクソゲーっすわ」
イデアは、繊細なロココ調の飾り文字で記されたボードに向かって嘆いた。イデアもイデアで出目が悪く、茶会のマスを五連続で踏んでおり、高額な席料や遊行費やを徴収され続けていたのだった。
「お茶会に五回も招待されるってどういう状態? 拒否権とかは? せめて平服でオナシャス」

 アズールがルーレットを回す。五。配偶者がいる場合、相手の浮気により離婚。慰謝料を三百マドレーヌ貰う。
「ここにきて独身を貫いたことが徒になるとは……」
アズールは高額の配当のあるマスに止まったが、彼は配偶者を作る選択をせずにゲームを進めていた。基本的に配偶者の職業は選べない為、然して経済力に期待できないなら足手纏いは居ない方が良いという何ともドライな方針の為だった。

 アズールはやたらと真剣な眼差しで「もう少しで狙った目を出せるコツを掴めそうなのに」と悔しがっていた。
 サイコロでも結構な確率で狙った目を出せるよう訓練を積んでしまった彼の事であるから、いずれはそうなるだろうとイデアも予測はしていた。だが、技量を見るにとても今日中に習得できそうではなかったので、イデアは「そん時はルーレットアプリでも使わせてもらいますわ」と暢気に答えた。正直、この負けず嫌いの努力家があと何日でアナログのルーレットを攻略したと報告してくるか楽しみにすらしている。

 八。配偶者がいる場合、双子が生まれる。全プレイヤーから祝い金として五マドレーヌを受け取る。
 イデアが小舟を模した駒にピンを二つ追加し、アズールから紙幣を受け取った。
「くっ……貴方、リアルなら絶対に結婚はしないし反出生主義でしょうに……!」
「酷い言われようで草」
ヒヒ、とイデアが青い唇を歪めて笑う。悔しがる後輩の姿に、心底愉快になっていた。

 リアルじゃないからリアルではやらないイベントをこなすのが楽しいのだと、イデアは主張する。
 イデアはその辺のカップルを恋愛主義者だのお花畑だのと馬鹿にするくせに、恋愛シミュレーションゲームは嫌いではなかったし、年中部屋に籠っていたいと公言して憚らないくせにゲームのイベント行事にはかなり力を入れて取り組むタチだった。
「でも、ま、リアルならそう。何ならお茶会なんて生涯無縁ですし、友人とやらの結婚式にも出ないよ僕は」

 そう会話をしながらも、アズールの駒はまたも友人の結婚式に出席するマスに止まっていた。
 八度目の招待で、ついにアズールの資金は底をつき、家を抵当に入れる運びとなった。
「そんなこと言ってると、僕の結婚式で友人代表のスピーチさせますよ」
八つ当たりである。イデアにしか通じない脅し方だが、相手はイデアなので覿面であった。
「実質公開処刑。勘弁してクレメンス。そういうのは得意そうなジェイド氏の役目じゃないの。てか、え? 待って、君、結婚する気あるの? しないでしょ、大抵の人はアズール氏より年収低いし足手纏いでしょ」
らしくなさ過ぎて鳥肌立ってきたんでござるが、とイデアが拒否反応を示す。イデアは、アズールに根の明るくない者同士のシンパシーを勝手に感じていたのである。しかしアズールは、子どもに足し算を説明するかのように当たり前の顔で告げる。
「リアルなら話は別です。コネクションにも期待できますし、結婚しているだけで社会的信用が得やすくなる。融資が受けやすくなり、一般的には好感度も稼げます」
「うーわ、効率厨。たった今好感度ダダ下がりになったでござるが。これ祝辞で言っていい? 電報打つんで」
挙式後即離婚コースにしよう、とイデア。好感度が下がったと言う割に、イデアの表情は緩い。寧ろ、この後輩から真っ当な恋愛観が出てこなかったことに安堵してすらいた。
「せめて友人席には座ってくださいよ。ゴーストマリッジの時の服着てていいですから」
「エ、拙者この話題不利過ぎん? 泣いていい?」


 転職マスに止まって、イデアは選択肢を逡巡した後に庭師になった。
 薔薇の王国のゲームであるので、庭師の待遇は一般的なイメージよりも遥かに良かった。屋外に出ずっぱりの如何にもな肉体労働はイデアの趣味ではなかったが、そこもやはり、リアルでないからこその楽しみ方である。
 そも、職業選択の自由そのものが、現実のイデアには無いに等しいものである。非現実はイデアに優しい。たとえ、クソゲーと呼んだゲームですらも。

 一方、アズールは茶会マスで更に出費を余儀なくされ、借金を膨らませていた。
「このゲーム、副業や起業ができないのがそもそもおかしいんですよ」
「アズール氏がこのゲームの世界で起業するなら?」
「茶会の出席代行。格安ウェディング」
「ダハハハ」
絶対需要ある、と手を叩いたイデアも、また茶会マスの餌食になった。
 もしや薔薇の王国の民にとっても茶会って罰ゲームなのでは? と呟くイデア。茶会を常習とするハーツラビュル生が聞いたなら、極一部は文化の侮辱だと激昂するだろうが、毎度準備に追われている下級生達なら概ね頷いたことだろう。



 紆余曲折を経て、イデアが出費を繰り返しながらもゴールへと辿り着いた。所持金僅か三マドレーヌであった。
「あんまりなゲームだ……」
ゲーム終盤だったというのに針の穴に糸を通すような確率で振り出しに戻ることを余儀なくされてスタート付近に駒を置いていたアズールが、机に突っ伏したまま嘆く。その無様を様式美として一通り煽ってから、イデアはふとゲームへの根本的な疑問を口にする。
「毎度思うんだけどさ、人生のゴールって何? 死?」
「富、名声、力です」
「ワンピース?」

 やや冷静になった二人は、仮に富がゴールなら借金負った状態でゴールできる仕組みにはしないだろうと自説を切り捨てた。
 だが、アズールの人生のゴールは概ねそれなのだろう、とイデアは無言の内に思った。
 アズールの上昇志向は、イデアには無いものだ。
「やっぱワンピースって海底にあると思う?」
「空島説と月面説と海底沈没説があるんでしたっけ」
「ソレどこ情報?」
「フロイドです。バスケ部では空島が有力だと」
「うわ陽キャ達の無根拠な自信。どうせ考察動画とかいうインプレ稼ぎの受け売りでしょ」

 イデアは、陽キャとは漫画を買わずに無断転載で読んだり、名作の名を出して試聴数を稼ぎたいだけの薄っぺらな考察動画を嗜んでいたりするものだという偏見を持っていた。公式の邪魔になっているコンテンツを憎んでいる為に、考察とは名ばかりの突飛な妄想にも狭量だった。
「僕は月にワンピースがある説を推しています。最高の宝はまだ見ぬところにあるべきだ」
寛容とは言い難いイデアの態度を欠片も気にせず、アズールは宣った。視点がメタと言うべきか、冒険者に読者を投影し過ぎていないかとイデアが苦言を呈するが、アズールは何処吹く風。簡単には主張を曲げない男である。
「探し求めていた宝が足元の海に沈んでいるなんて以ての外です。そんなオチなら、遥々冒険する意味がない」
「いや、海底を灯台下暗しみたいに言えるのは人魚だけなんすわ」

 つくづく、アズールは人魚だった。陸に、遥か遠い所に可能性を信じている。
 それを何処までも追う覚悟と胆力があった。

 アズールは、喋りながらずっとルーレットを回していた。
 次第に、出る目が五に偏っていく。
 次は勝つつもりでいるのだ。次があると、健気に信じているのだ。


 アズールは、幾度負けようと何度だって挑んでくる男だった。
 彼の本性が社交的な場を苦手としていようと、それはイデアと同類という意味にはなり得ない。彼はその性質を克己し、常に自身が納得できる己であろうと奔走している。運命を、自分で作るものだと疑わない。
 職業を選ぶどころか創る側で、遠い所に価値ある物があると聞けば、躊躇い無く追いかけられることができた。それが許される能力と境遇にあった。
 イデアの方が余程、昏い海に縛られて生きている。

 それがイデアにはどうも、憎くて、羨ましくて、眩しかった。
 ただ妬ましいだけなら距離を取れたのに、この後輩が何処まで行くのか見て見たい気持ちの方が大きく育ってしまったのだから儘ならない。


 案の定、アズールは再戦を要求してくる。次回までにルーレットを攻略してくるので、その時は勝つ、と。
 受けない理由はない。将来というものが殆ど閉ざされたイデアにとって、未来を約束するというのは限られた経験だ。学生の期間におけるこのくだらないやりとりだけが、彼に許されたモラトリウムだった。
 だから今だけ、もう少しだげ、同類でいてほしい。
 ささやかな祈りは、大気を震わせることなくイデアの胸の中にだけ落ちていく。代わりに、自身に対して言い聞かせるように、小さな約束を課す。

 「君がゴールしたらさ、きっと祝うよ」



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