一番小さな海

 オンボロ寮の裏手は崖になっていて、海が見える。
 崖の脇の小道を下れば、浜に出られた。けれどフロイドは、そこまで脚を使うのも億劫で、崖の上に靴を脱ぎ捨てて、そこから直接海に跳んだ。
 下手が飛び込めば砂浜に頭から刺さるか海食台で頭を割る可能性もあるが、フロイドは難なく着水した。そして海中で、本来の長大な人魚の姿に戻る。小魚達は一斉に沖へと逃げていった。

 太く筋肉で満ち満ちた緑の尾を揺らして、フロイドは浅く穏やかな海を揺蕩う。
 フロイドは、この海が特に好きという訳ではない。
 彼の故郷の海はもっと、冷たく鋭利で、深く暗い危険で面白みのある生き物が居た。
 此処の海は温く、肌に絡むし、波は緩くて優し過ぎたし、これといって面白い生き物が居る訳ではない。退屈な海だ。気が乗らない授業に出る事と比較した時、此処で泳いだ方が幾分か気分が良いい。その程度だった。


 ふとフロイドは白浜に、自分以外の生き物の影を認めた。
 砂浜に、少女が蹲っていた。学園の敷地に居る女子は、オンボロ寮の監督生を除いて他には居ない。
 フロイドの中で彼女は、逃げていった魚達よりうんと面白い生き物としてカテゴライズされていた。ただでさえ非力で小さくて、陸に上がったばかりの人魚より世間知らずなのに、アズールを出し抜いてみせた生き物だからだ。散々やり合った後のアズールを努力家だの可愛いだのと言えてしまう大らかさも好ましかった。多分、趣味が合う。フロイドは勝手にそう評価していた。


 今日は監督生が蹲っている時間が嫌に長かったので、フロイドは浜に近付いた。
 けれどと話しかけようとする前に気が変って、彼女の顔に向けて水を跳ね上げた。
「……フロイド先輩」
勢い余って彼女に頭から水をかけてしまったフロイドは、特に悪びれる様子も無く挨拶した。監督生は覇気の無い声で挨拶し、フロイドの長い尾を眼で追った。
「折角だし小エビちゃんも泳ぐ?」
彼女の全体的に薄く淡い化粧の中で唯一濃い色が使われている眼の周りが、無様に滲んでいた。けれど監督生は、フロイドを相手に文句を言う事は無かった。いつもなら彼女の変わりに大仰にリアクションをする灰色の毛並みのモンスターは不在だった。
「いいえ、遠慮します。フロイド先輩はお昼には行かないんですか?」
もうそんな時間? と聞き返したフロイドだが、彼女が答えるより早く腹の虫が主張した。
「魔法史の時間って、教室だと長いのに、泳いでると短いんだよねぇ」
そこで漸く彼女が顔を上げた。水面に顔だけ出したフロイドと眼が合う。二人の間には、白い浜と緩慢な波があるだけだった。
「常習なんですか?」
「まだ二回目」
フロイドは人の姿に戻ってから岸に上がり、風の魔法の応用で身体を乾かすと、衣服を手元に転送させた。
「小エビちゃんも乾かす?」
「いいえ。私は暫くこのままで」
監督生は水の滴る髪を耳にかけ、海へと視線を戻した。彼女は焦点が合っているのか曖昧な瞳で、茫洋と波打ち際を見ていた。
 今日は活きが悪い小エビだな、と思ったフロイドはそれ以上話しかけるのをやめた。


 フロイドが大食堂に着いたのは、授業を終えた生徒達の群も流れが込んで来るタイミングよりもやや早かった。
 お陰で、デラックスメンチカツサンドを購入する事ができた。その会計の列に、一人分には多い量のパンと不相応に高品質な財布を持ったハイエナが並ぶ。大食堂には、フロイドの見知った顔も疎らに見え始めていた。
 フロイドは自分より低い位置で蠢く人々の群を見ながら、炭水化物と脂質の塊を頬張った。
 視界の端にバスケ部の後輩を認めて歯を見せたフロイドだが、相手は小動物じみたモンスターとパンを奪い合うのに忙しそうだった。
 後輩の寮生に会釈と共に道を譲られ、フロイドはジェイドの横に座る。ジェイドは先程までモストロ・ラウンジに寄っていたらしく、僅かに身体から食堂では使われないスパイスの匂いをさせていた。ジェイドはトマトパスタを器用に巻き上げながら報告した。
「アズールに昨日の摘み食いがバレましたよ」
売上の記録と在庫が一致しないと怒っていました、とジェイドが特に困ってもいない様子で眉を下げた。実際、その程度のフロイドの勝手は今に始まった事ではないので、アズールも呆れているだけで特に困ってはいなかった。
「あと、珍しく羽振りの良い客がいたそうです。僕は別にどうでもいいんですが」
フロイドが平時より半音下がった声で相槌を打った。フロイドもジェイドも、売上には特に関心が無い。アズールの下で動くのが楽しいから働いている。
 だから、楽しくないものの介入には、一等敏感だった。

.

 フロイドの拳に、温いぬめりを帯びた血が纏わり付く。
「ホント、どーでもいい雑魚」
植物園の裏手の雑木林は、木々が悲鳴を減音させる。私刑には最適な場所だった。
 木陰で土の上にしゃがみ込んだフロイドの股の下には、スカラビアの腕章をした男が仰向けに倒れている。フロイドの拳で人相の二文字をすり潰され、例えスカラビアの物覚えの良い副寮長が確認したところで誰かを判別できるかすら怪しい。
「店で使ったのが一万三千五百マドルでぇ、他は?」
一通り殴り飽きたフロイドは、平時と変らぬ声で男に尋ねた。
「ッヒュ……ホッ、フ」
男は切れて膨れ上がった唇を懸命に動かし、答えようとするが、簡素過ぎる咥内で舌が空回るだけだった。既にフロイドが魔法で歯を一本も残らず抜いた後だったからだ。
「何言ってんの分かんねーし」
フロイドは温度の無い声で切り捨て、男の衣服をまさぐった。ポケットというポケットに手を突っ込み、金目の物を出していく。腕時計も取って、ベルトも装飾が凝っていたのを認めて容赦無く引き抜いた。フロイドの靴に血が飛ぶ。
 フロイドの長い脚はしゃがんで二つ折りにされてもなお長く、地面に張りついた男を検める姿は蜘蛛の捕食を思わせた。

 男のジャケットの内側から、黒い革の財布が出た。モストロ・ラウンジのポイントカードが二枚入っていた。一枚目はポイントを貯め切っており、二枚目もあと三ポイントでコンプリートというところだった。ポイントスタンプにある最後の日付は昨日を示しており、九つ分が連続で押してあった。店で使われた値段と勘定が合う。フロイドは、財布にあった現金と身分証の類を自身のポケットに突っ込んで、抜け殻になった財布を地面に叩き付けた。
 そして男を引っくり返してスラックスのポケットを探れば、二つ目の財布が出た。
「……これ、どこで拾った?」
 小さめの水色の財布だった。華奢なファスナーは、男の手にはやや掴みづらい。
「ゲョエッ、ガッ、ァハッ」
「人語で話せよ」
フロイドは立ち上がって、男の顔を踏んだ。そこそこに気に入っていた靴だったが、男の血と汁で靴底も靴先もぬらぬらと気色悪く照るようになってしまった。
「ウグヌ、ブブヴヴ……」
フロイドの経験則では、こういう時に大抵の人間が言う事は三つだ。ごめんなさいか、助けてくださいか、許してください、だ。だから特に聞く必要は感じなかった。「後で靴代請求すっから」と宣言して、靴を男の口に突っ込むようにして顔面を蹴り上げる。湿った地面とフロイドのスラックスの裾に、血飛沫と唾液が点々と飛んだ。

 男を片足で踏んだまま、フロイドは水色の財布の中身を改めた。
 こちらにもモストロ・ラウンジのポイントカードが入っていたが、最初に一つスタンプが押されているだけだった。ポイント制度を導入したばかりの頃の日付だ。現金といえば、五百マドルに満たない貨幣しか入っておらず、紙幣はとうに無くなっており、マドル札の代わりに買い物のメモと、一昨日の日付が刻印されたレシートだけが挟まっていた。
 レシートには、サムのミステリーショップのロゴが入っていた。トイレットペーパーと文具とミドルスクール向けの参考書しか買っていない。それでも財布の中に入ったままなのは、購入金額が丁度ゾロ目だったからだろう。財布の主の小市民じみた感性を認めて、フロイドは場違いに笑った。

 笑うフロイドに怯えた男が不明瞭な声で呻いたので、フロイドはまた彼を蹴る。
 革靴の先端が、男の脇腹に鋭く減り込んだ。男は壁に叩き付けられた蛙と同じ声を出した。身体をくの字に折って痙攣に近い震え方をしていた。男の横面が、自らの吐瀉物で汚れていく。饐えた胃液と、脂臭い食品だったものの匂いがした。
 フロイドは、男を睥睨する。
 ジェイドが言うには、今まで一点ずつポイントを溜めていた客が、急に後輩を引き連れて奢りだの何だのと踏ん反り返って金をばら撒き始めたので注視したところ、女物の財布を持っていたと従業員から報告があったらしい。それがこのスカラビア生だ。
 ジェイドは客の持ち物に特に関心が無いのでそのまま会計をしたが、フロイドの為に金額と人相は覚えていた。
 多分フロイドにも、それはどうでも良い事の筈だった。砂浜で俯く彼女を見ていなければ、恐らくは一生どうでもいい事だった。

 「いいや、何か飽きてきたし」
テンションを露骨に下げたフロイドは、胸ポケットから出したマジカルペンを振った。杖を振る動きに合わせて、男の小指の関節があらぬ方向に曲がった。
 悲鳴があがるのと同時に、中指の第二関節、第三関節の順で折れた。男が失禁したが、そのままリズム良く、全ての指が蛇腹状になるまで折った。

.

 その夜、フロイドはオンボロ寮を訪ねた。
 監督生は直ぐに扉を開けたが、同居人と揉めていたようで、部屋が埃っぽく散らかっていた。彼女の足元でモンスターが「もうどこにもツナ缶が無いんだゾ」と喚いている。
「こんばんは、フロイド先輩。お昼はどうも」
監督生は、駄々を捏ねるグリムを抱き上げながら応対した。小型のモンスターとはいえ、そのあやし方は赤子を相手にしているような雰囲気で、フロイドはどうも落ち着かなかった。
「小エビちゃん昼食った?」
監督生が答える前に、素直過ぎるグリムが「コイツ財布落として食いっぱぐれてたんだゾ」と報告した。監督生は羞恥に俯いて、愛想笑いに成り損なった乾いた息を漏らした。けれど、玄関を陣取ったまま動かないフロイドに見詰められて、諦めたように白状した。
「その、丁度学園長から今月分の生活費をいただいたところだったんです……情けないですよね……」
彼女は昼にフロイドが見た時と同じ顔をしていた。不甲斐無さと不安で噴き上がる感情を押し殺して、泣くのを堪えている顔だ。水を被っていないと、眼の潤みがよく分かる。
「そうだね。まず小エビちゃんは、長椅子の講座は端に座るか知ってる人の隣しか座っちゃダメ」
落としたのではなく掏られたのだと、フロイドがグリムの言葉を訂正した。気付かなかった彼等の鈍さに、フロイドの大きな口から溜息が漏れる。

 フロイドは、回収した水色の財布を監督生に差し出した。
 直ぐに元々の被害額を返すのは難しかったので、金目の物は全部換金して財布に突っ込んで足しにした。魔法で洗えば、付着した血と泥は分からない。けれど監督生は、差し出したフロイドの手の甲が赤く腫れているのに気付いてしまった。
「痛くなかったですか」
自分が掏られた事には気付かないのに、他人の事となると妙に冴える女だった。彼女は暴力を好む人間ではないし、フロイドの凶暴性も多少は承知だが、当たり前のように聞いた。
「別にぃ。こんなん、返してよぉってお願いすりゃすぐだし」
別にフロイドは、殴る前に歯を抜いておけば拳が傷みづらいなどというライフハックを明かす気は無かった。ただ、あの男が彼女の財布を持っている事が気に食わないからやったのだ。だから、手段の正しさだとか、結果の正しさだとか、フロイドはそんなものに触れる気は無かった。
「ありがとうございます」
監督生が、フロイドの大振りな手を労わるように擦った。今日フロイドが圧し折ってきた手に比べても、うんと小さく柔い手だった。彼女の手は暖かい。人魚には戸惑う温度だった。恐らく常に手袋をしている兄弟は絶対に知らない事だろうと思うと、フロイドの掌が汗ばんだ。

 いつも清潔にしていた彼女の丸い爪は、今日は黒く汚れていた。財布の為に彼方此方を沢山捜して、色々な所に手を突っ込んで回ったのだとフロイドは悟った。もしも彼女が馬鹿な窃盗犯の顛末を知ることで癒される性質なら、フロイドは幾らでも自身の報復行為について語った。けれど、彼女にとっては決して有効ではないと知っていた為、フロイドは彼女にかけてやるべき言葉を見つけるのにうんと時間を要した。

 何も言わないままのフロイドの手の甲に、生暖かい雫が落ちた。監督生の涙だった。
「……また水かけてあげよっか?」
「い、いいえ、泣いてません」
咄嗟に手を引っ込めて半歩下がった監督生だが、涙が止められていなかった。
 生活が立ち行かなくなる不安から開放された安堵と、思わぬところから差し伸べられた救いに、監督生の涙腺が制御下から外れてしまったらしい。泣く監督生を初めて見るらしいグリムが、彼女の足元で動揺を露わにしていた。

 泣いてるよ、泣いてません、の問答を繰り返すが、それでもやはり彼女は泣いていた。
 あんまりにも大粒の涙が出るので、フロイドは監督生を担いでオンボロ寮を出た。


 向かうは寮舎の裏手。フロイドは彼女を抱いたまま、崖から飛び降りて海に落ちた。
 監督生は落下中に、これでもかと悲鳴をあげた。崖の上に取り残されたグリムが、唖然とした顔で二人の落下を見ていた。その様子に、フロイドはこれ以上無く笑っていた。
 着水寸前に人魚の姿に変わったフロイドは、小脇に監督生を抱えたまま海食台の擦れ擦れで方向転換して浮上した。夜とて、フロイドには浅く穏やかな温い海だった。
「し、死んでしまうかと」
額に張りついた前髪を掻き上げながら、監督生が震える声で批難した。フロイドは彼女の涙を海に溶かしてやりたかったが、落下のショック療法で既に涙は止まっていた。フロイドは、彼女が泣くのは好きではないが、彼女の涙は気に入っていた。フロイドが知るどの海より温く、小魚一匹とて泳げはしない小さなそれは、存外美しく滴るのだ。
「ひでぇの。オレまだ小エビちゃん殺したことねーのに」
そりゃそうでしょう、と言う監督生。一応フロイドには、これからもその予定は無かった。フロイドに言わせれば、危機管理能力が薄くて魔法も使えない非力で小さな女など、殺さないよう扱う方が難しい。フロイドにとって彼女は小エビなので、まだ面白可笑しく愛でていたいのだけれど。


 フロイドは、監督生の手を取って泳ぐ。夜はフロイドの虹彩異色症をはっきりと映し出した。
 最初は暗い海に浸る事にいい顔をしなかった監督生も、気分転換になると認めてからはなすがままになった。彼女は自分で浮く術は知っているようで、濡れた服が纏わり付いていても、フロイドが手を少し離したくらいでは溺れる様子も無かった。ただ流石に浜から離れ過ぎるのは恐ろしいようで、離岸流に逆らって浅い海を行ったり来たりした。
「ねえ小エビちゃん、オレさ、この海そんな好きじゃねえの」
故郷の海はもっと刺激的だったし、水温でいえばオクタヴィネルの中庭の方がマシ、とフロイド。
「私もそんなに好きじゃないです、この海は」
湿っぽくて静か過ぎるから、と監督生。だが、彼女は一人になる為に時々此処へ来ていた。そして泣いていた。
 見知らぬ土地で生きていく不安と、自分だけが当たり前の事が出来ない劣等感と、次から次へと積み上がるトラブルへの疲労で、ガス抜きが必要になる。けれど、彼女の友人は皆魔法士で、この世界の不思議そのものであるゴーストやグリムに打ち明ける事も憚られた。彼女を通過していく鬱屈は、言葉の形を得る前に涙として浜に消えていくのが常だった。


 フロイドがこの退屈の海に繰り出すのは、一人で遊泳できて、オンボロ寮が近くて、たまに監督生が浜に来るからだ。
 フロイドは、彼女が白浜に涙を吸わせていた事を知っていた。
 魔法史をサボタージュして海に入るのが二回目なだけで、この海での遊泳は常習だった。動物言語学と魔法薬学と飛行術で二回、美術と魔法解析学と飛行術で三回、その他の各教科で一回ずつは抜けている。昼休みや業後に海に来る事もある。海から白浜に蹲る彼女を見かけた事は、一度や二度では無かった。恐らくそれは、彼女の友人も同居人も見た事が無い光景だろう。
 フロイドは、湿っぽい人間が苦手だ。けれど、一通り泣いては気丈に立ち上がる彼女の事は嫌いではなかった。

 監督生は、フロイドの横で海を蹴った。人魚と比べるのは残酷だが、板に付いた立ち泳ぎだった。フロイドに手を引かれていれば脱力していたとしても溺れる事はないのに、彼女は自力で泳ぎたがった。
「でも、夏になったら此処でバーベキューしようって友人と話したんです。だから多分、私はもうすぐこの海を好きになります」
フロイドは、海を蹴り続ける監督生の細い脚を見ていた。
「好きになるって、そんな頑張ってなるもんなの」
フロイドは素直に疑問を呈した後で、この少女はこの世界の凡そに対して、そういった順応の為の努力をしてきたに違いないと気付いた。彼女は過ぎたお人好しだから、好意があれば大抵は看過できるのだ。彼女を爪弾きにして回ろうとする世界を、きっと彼女はそうやって容認する。気丈さへの感心と不納得が、フロイドの肺に蟠った。
「変なの」
フロイドは、未だに椎茸を好きになる努力をしないまま生きてきたし、わざわざ陸で暮らす為に陸の物を好きになろうどと思った事は無かった。好きになるのに動機が要ると思った事すら無い。気に食わないものは気に食わないし、好きなものは好きで事足りていた。
「私の理屈、おかしかったですか」
じゃあ小エビちゃんはオレが好きになってって言ったら好きになるワケ? という疑問が喉下まで出かかったフロイドは、尾で強かに水面を叩いた。この問いだと、答えられようが気に食わないからだ。無理して頑張って生み出された好意はきっと窮屈で、フロイドはきっとそれを好きになれない。
「変だよ。変だけど、小エビちゃんは好きにしたらいいよ」

 フロイドは監督生の手を引いて、浜に上がらせた。フロイドはまだ波打ち際にいる。
 監督生を風の魔法の応用で乾かしてやったところで、グリムが崖の脇の小道から駆け寄ってくる。夕飯がどうのと小煩く彼女の脚を登って訴えていた。
「オレはまだちょっと泳ぐから、バイバイ」


 監督生の居なくなった海は、相変わらず温くて、波は緩いし優し過ぎて、面白みの無いところだった。けれど、彼女がフロイドの他に誰にも見せなかった涙が溶け込んでいると思えば、決して嫌いにはなれなかった。
 フロイドはいずれ、勝手にこの海を気に入るだろう。恐らくは、監督生が頑張って海を好きになるより早くに。それはずっと理不尽な事に思えたし、そんな考え方が頭を過ぎる事自体が窮屈に感じた。
 小魚一匹泳げない温い水の為に、どうしてこんなにも広い海を窮屈に感じるのだろう。
 絡む生温さから逃げるように、フロイドは沖へ沖へと泳いだ。



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