他人の地獄

 マザーが死んだ。
 マザーは、夕焼けの草原のスラムに掃いて捨てる程居た親も宿も無い子供達を拾っては育て、教育を施している聖人めいた女だった。

 喪服に身を包んだラギーは、空の棺と若過ぎる遺影を背にして、弔問客に挨拶を繰り返す。ラギーはマザーの慈善事業の世話になった覚えもなければ然して親しくも無かったが、喪主としての仕事の多さと辛気臭い弔問客達の雰囲気に中てられ、日頃の軽快さをすっかり失っていた。身体と思考が、泥を纏ったように重いのだ。
 ラギーに喪主を務めろと命じたのはレオナで、彼は葬儀場の隅に座していた。チョコレートブラウンの髪を品良く纏め上げ黒衣を纏ったレオナは、嘗てカレッジの植物園でだらしなく横たわっていたモラトリウムの日々が嘘のようだった。決然とした王族の品格を帯びた彼は、映画から抜け出してきたかのように様になっている。瞼を縦断する傷すら計算されて描かれたもののように美しい。
 しかしレオナ自身には、ラギーと比べるのも躊躇われるような著しい疲弊が見られた。
 人生を無気力に憂う眼の下をよく見れば、化粧で誤魔化しきれなかった隈が鎮座しているのだ。参列した嘗ての同窓生や恩師との再会に会釈程度の挨拶はこなしてはいたが、彼の表情は常に険しく、サマーグリーンの瞳は誰より苦々しい憂いを帯びていた。
 何よりレオナを滅入らせているのは、彼女に育てられた子供達の啜り泣く声だろう。明日を憂う子の声は、人を堪らなく悲しくさせる。死という現象を理解できているかも怪しい幼子の無垢な嗚咽が、胸に刺さる。

 その中でラギーは、いっそ場違いにも感じる程に冷めた感情で突っ立っていた。
 マザーの死を悼む気持ちもあったし、彼女と顔を付き合わせた回数に関してはレオナより多い筈だった。しかし、ラギーの涙腺は湿ってはくれない。涙では洗い流せそうも無い草臥れた失望感と虚しさが、渇いた心に堆積していく気がした。

 遺体の無い葬儀も若過ぎる死も、スラムの住人には別段珍しくないことであるからだ。
 夕焼けの草原のスラムとは、そういう場所なのだ。それはチェカ・キングスカラーが王座に就く頃になっても恐らくは何ひとつ変らないであろう、過酷な草原の国の宿命である。
 寧ろ異質と言えば、スラムの住人の死を悼んで真っ当な葬儀場が用意され、上等な喪服を着た弔問客が大勢集った事である。集まった香典にラギーが手をつけるどころか真面目に喪主を務めているのも、恐らくはこの先一度あるかないかであろう。


 マザーは、多くの国民から敬愛されていた。
 彼女は魔法の仕えぬ身一つで、国から打ち捨てられたに等しいスラムを再興させようとしていたからだ。軌道に乗り始めてからは、慈善事業として認められて国からの多少の援助と各所からの寄付を貰ってはいたが、貧困に蝕まれて死を待つ筈だった子供達をほぼ一人で養っていた。大した偉業だと、誰もが口を揃えた。その内に教科書に載るだろうとスラムの外ですら噂されていた程である。少なくとも、近々政治のアイコンにされるだろうという確信は誰もが抱いていた。この国の王族であるレオナがスラムの住人で溢れる葬儀に堂々と顔を出せているのもこの為だ。

 ラギーは、スラムに打ち立てられたマザーの養育施設を思い返して、主を喪った事業の行く末に思いを馳せた。既にそこを巣立っていった者も多いが、未だ庇護を必要とする子も大勢居た筈である。
 これを機に完全な国営事業にするとレオナは非公式に宣言したが、子供達の感情は直ぐにはついていかないだろう。

 マザーとは、彼等にとって母親そのものだ。無二の存在であり、居場所の象徴なのだ。
 彼女は毎日大勢の子の飯を三食欠かさず作り、読み書きと算術に加えて魔法の知識を授けた。一人でも生きて生けるよう、職業を斡旋するところまで面倒を見ていた。
 それも、スラムの人口比率的からして、彼女が拾ってくる子の九割は嫌われ者のハイエナの獣人である上、魔法が使える者と使えない者も雑多に交じり合っていた。そんな彼等を分け隔てなく受け入れ、一つ屋根の下で纏め上げるのは容易ではなかろう。彼女に育てられた子達は、大人と変らぬ背丈になっても、彼女には決して頭が上がらない。故にマザーなのである。一朝一夕で他人が取って代われる役ではなかった。

 ラギーは、彼女がスラムの子等に慕われていると実感すればする程、胃の腑が重く感じた。

 過酷な環境と悪意に順応したラギーは、所謂善人や善行に苦手意識がある。荒んだ経験則は、動機の分からない善行を見れば詐欺か辱めではなかろうかと警鐘を鳴らしにかかるからだ。何より、善人も善行も自分には縁遠いものだと思っているのだ。
 けれどマザーに関しては、善悪を抜きにした上で苦手だった。ずっと意識的に距離を取ったまま、敬愛も嫌悪も抱かず、無関心でいたかった。

 マザーが、変わり者の上、自身の事を多くは語らない女だったからだ。
 スラムの誰も、マザーに育てられた子供ですら、彼女の本名を知らない。スラムの子供達は誰も彼も、親しみと敬意を込めてマザーと呼んでいた。皆それが普通だと思っていた。
 そも、ラギーが彼女の名を知らない事に気付いたのは、葬儀の手続きを始めてからだ。
 それまではただ、監督生と呼んでいた。


 ラギーは、学生時代から知っている年下の女の顔を思い出そうとして、やめた。
 思い浮かぶのは、無邪気で活発なモンスターと、彼女の同級生ばかりだったからだ。当の監督生個人がどんな顔で笑うのか、とっくに忘れていた。
 真面目な子だったように思う。それでいて程よく狡猾で、雑草のように強かだった。
 そうでなくては、何の後ろ楯も無い彼等がナイトレイブンカレッジを卒業できまい。
 誰も知らぬ世界から現れ、学園長からあらゆる雑務を押し付けられて、いつも四苦八苦していた気がする。トラブルの中心には決まってオンボロ寮の彼等がいた。彼女に纏わる思い出は沢山ある筈だった。
 それなのにラギーは、彼女について殆ど何も知らない。

 ラギー自身が深入りを避ける性格であった所為もあるが、それを差し引いても彼女の存在は遠かった。ラギーが一歩引いていた以上に、監督生は浮世と隔たっていた。

 彼女が時折口遊む歌の言語も、郷愁の双眸が何を映していたのかも、誰も何も知らない。
 空の棺は、監督生が最初からこの世界の何処にもいなかったかのようで、ラギーを意味も無く不安にさせた。
 彼女が何処から来て何処に行ったのか、誰にも分からない。死も実在性も酷く虚ろで、嫌に背筋が寒くなる。葬儀場の各所で響く子供達の追悼の嗚咽だけが、彼女が存在した証だった。しかしその子供達も、彼女の名を呼びはしない。彼女が誰にも名を教えなかったからだ。


 マザー、マザー。僕達のマザー。
 きっと天国に行って、雲の上から見守ってくれるんだ。
 マザー、マザー。私達のマザー。
 きっと星になって、私達を照らしてくれるのね。

 遺された子供達の無垢な追悼に、ラギーは物心がつく前に売り払った筈の良心が痛んだ気がした。

 親の無い子供達にとって、彼女は間違いなく偉大な存在だった。この国に伝わる伝説に寄れば、偉大な先人は星となって我々を導く。
 けれど、きっとあの女は星にならない。恒星なんてガスの塊だと嘲笑う、学生時代のレオナがラギーの頭を過っていた。
 それに、彼等が思う程、監督生は善人でもない事をラギーは知っている。

 何より、ラギーにはどうも、あの女が天国に行けるとは思えなかった。
 いつかサバナクローと手を組んでオクタヴィネルの契約書を砂に変えたからだとか、妖精から冠を盗んだからだとか、そんな理屈ではない。
 強いて理屈を挙げるなら、入学式で彼女を見た所為だ。
 誰も知らない別の世界から来た彼女に居場所が無い事を告げる闇の鏡の冷たい声を、ラギーは覚えていた。

 ラギー自身は傍観者でしかなかったにも関わらず、騒動の直後であった所為か記憶が鮮烈なのだ。
 嫌な夢のように、あの日の光景が心の深くに蟠って離れない。
 無関心を世間体で包んだだけの大人達の溜息。悪趣味で下世話な好奇心で構成された男子生徒達の視線。冷たい鏡の煌めき。怯える少女の青褪めた唇。所在無く丸まった背中。絶望の色をした孤独の影。

 果たしてあの異邦の女の魂は、死後もこの世界に留まれるのだろうか。
 そも、彼女は留まりたいと思えるのだろうか。
 仮に行く先が天国であっても、彼女の焦がれた場所には程遠いだろうに。


 式を終えても空の棺を見下ろし続けるラギーに、嘗ての後輩であり監督生とは同期生だったジャックが声をかけた。
「俺が監督生に夕焼けの草原に住むように勧めたんです」
ジャックは、ラギーの知る学生時代より更に背が伸びていた。けれど哀しみに耳を伏せて尻尾を垂れた彼は、寮で見ていた時よりも幾分か矮小に見える。余所の国で生まれ育った彼には、監督生の顛末がラギーやレオナよりも特別惨く感じているのかもしれない。彼女を過酷な国へ行かせる原因となった責任を感じているのか、ジャックは眉間に深く皺を寄せて不条理への怒りを露わにしていた。
「百獣の王はどんなに小さな草食動物にも差別せず、嫌われ者とだって獲物を平等に分け合ったと、草原のグレートセブンの話をした事がありました。その時、アイツは聞いたんです……異世界人でも仲間になれるのかって」
だから彼女は百獣の王の伝統が色濃く残る草原に行ったのだと、ジャックは打ち明けた。レオナが王であったサバナクローは、正に百獣の王の理想を継いでいた。しかし、夕焼けの草原の王は彼ではないし、現実の王国は理想と程遠い。豊かなのは一部だけで、ハイエナの獣人達を始めとする貧困層を日の当たらないスラムに押し込めたまま改善される見込みは無い。そも、政治如何の問題ではなく、国民全員が豊かな暮らしをするには資源が圧倒的に足りないのだから、余所から土地や資源を簒奪でもしない限りは永久に解決の兆しも無い。
 確かに、この実情に詳しい国民であれば、確かに百獣の王の理念に共感したからといって、草原の暮らしを勧めはしなかっただろう。

 しかし、ラギーはジャックに自責には首を振った。
 実際の監督生の思考はどうあれ、不毛な罪悪感を後輩に背負わせたくなかったのだ。
「アンタの所為じゃないでしょ。監督生くんはスラムの現状を目の当たりにしても、ずっと此処で暮らしてた」
ラギーとジャックは、彼女が遺していった子供達に視線を移した。年端もいかないハイエナの子供も居れば、もうこの世界に来たばかりの監督生と同じくらいの歳になった子も出席していた。渇いた貧しい土地でこれだけの歳月を過ごしたのは、紛れも無く彼女の選択だ。ジャックとの問答など、ほんの切欠に過ぎないのだろう。
「そうっすね。番は作らなかったが、あんなに家族を作った」
きっと幸せもあったのだ。そう納得しようとするジャックに、ラギーは曖昧に頷く。
 ジャックの為にはその結論が最適だと分かっているが、ラギーの納得には程遠かった。

 彼女がスラムに来て親の無い子等に母と呼ばせて養い始めた時、ラギーも彼女が遂に家族を作ってこの世界を故郷とする覚悟を決めたのだと思っていた。
 けれど、彼女が拾う子供を増やす度、聖人になっていく度、個人ではなく記号になっていく気がして薄ら寒かった。

 彼女の無欲そうな聖人の顔は、世界と一枚壁を隔た諦観から生まれている気がするのだ。
 それは、ラギーが元の世界への帰還を願っても許されなかった彼女の学生時代を知っている所為だろう。異世界への到達手段の調査と引き換えに、彼女は常に学園の為に奔走していた。魔法も使えない貧弱な身一つで危ない橋を何度も渡った。オーバーブロットした魔法士に対峙したのも、片手の指の数を越える。
 その結果が、異世界の存在の隠匿だった。
 学園長は大魔法士としての知恵を絞って彼女の世界へ到達手段を発見したが、もっと上の存在がその成果を許さなかったのだ。魔法の使えない、獣人や人魚といった身体能力の発達した存在もいない、そんな世界が存在する事が万一でも世間知られれば、新大陸発見以上の歴史的瞬間になる。あんなに侵略しやすそうな土地も無いからだ。新たな領土と資源を奪い合う国家間抗争の幕開けになる。そんな世界規模の倫理や道徳が、たった一人の少女の帰郷を阻んだのだ。

 この世界の犠牲になってしまった彼女は、ただの家無しの子になった。
 この世界にさぞ失望しただろう。彼女は暴れて抗う事も忘れて、暫く蒼白な顔で大人達を仰ぎ見ていた。
 思えば、あれが彼女が最後に見せたあどけない顔だった。それから誰もが咎める事の出来なかった数日の無断欠席を経て、彼女は聖人の顔になっていった。あの無欲極まる、凪の顔だ。
 彼女の自己主張を欠いた静かで穏やかな態度は、この世に期待する事を辞めたが故の無感動なのだ。慈悲や善良などとは無縁の、諦観の塊だ。あれはこの世の何処にも居場所を得られない者の眼差しだった。彼女はこの世界に希望を抱かない。ハッピーエンドを信じない。

 彼女は家に帰れないまま学び舎を卒業して、迷子のまま大人になってしまった。
 そんな女が、子供を率いて家族ごっこなど、傷口に塩を塗るだけではないのか。

 あれが家族を求めているとは、どうも思えない。彼女はこの世界で、監督生あるいはマザーという記号で画一化された面しか開示しない。得体の知れないものに思えた。
 今思えば、彼女の名を呼んでくれていた者達の記憶を、上書きしないようにしていたのだと分かる。彼女の心は、この世界に拠り所など作ってはいなかった。


 「きっと彼女は星になどなりはしないでしょうね」

 ラギーの耳が、聞き覚えのある声を拾った。声を方を見れば、一等上等な喪服に身を包んだアズールがレオナの隣に腰掛けているところだった。
 真っ黒な仕立ての良い喪服は、オクタヴィネルの寮服を纏っていた頃と印象を大きく変えず、アズールを抜け目無い男に見せていた。
「そりゃ、本来は王族の魂の話だからな」
レオナは顔を上げずにシニカルな笑みだけ作って、アズールに返事をした。
「それに地上から見える星なんて、何億光年と遠くで燃えてるガスの塊か、その反射に過ぎねえんだ。なりたいとも思わねえさ」
学生時代と変らない皮肉屋達の遣り取りに、ラギーが眼を眇めた。彼女が引き取った子等や彼女の事業の出資者達を除けば、葬儀場の面子はほぼ同窓会と変らない。その所為か、彼女の数少ない友人達は体面を気にして妙に強がって、泣くに泣けずにいる者ばかりだった。
 しかしアズールが普段通り綽々としているのは、ただの強がりではなく、草原同様に弱肉強食を地でいく過酷な北海の育ちだからだろう。弱い生き物は跡形も無く散るのが世の習いだと良く知っている彼には、動揺も少なかろう。寧ろ、いつかこうなると思っていたとでも言いそうな表情だった。

 学生の時分より幾分か厚みの増した眼鏡のレンズ越しに、アズールの冬の海のような淡い青を湛える眼は静かに葬儀を見つめていた。彼女の暮らした土地を観察するような、レオナを推し量るような、冷徹にして緊張感で張り詰めた双眸だ。
「して、監督生さんの死因についてお伺いしても?」
世間話のような口調を崩さないアズールだが、話題は如何にも剣呑だった。喪主のラギーではなくレオナに聞くあたり、露骨に含みがあった。
 そも、アズールとレオナはお悔やみを申し上げる為だけに口を聞くような間柄でもなければ、喪失の悲しみを分かち合うことで癒えんとする性格でもないのだ。わざわざアズールがレオナの横に腰掛けたあたりから、冷ややかな腹の探り合いは始まっていた。
「弔辞で散々言ってたろ」
レオナは形の良い眉を器用に片方だけ吊り上げ、芝居がかっていると思える程に不機嫌な態度を見せた。
「死因も糞もねえ。この国のスラムじゃよくある不幸だ」
スラムでは、拐かされたら骨も出てこない。身体の尽くに値段を付けられて売り払われれば遺体の回収も望めないからだ。若い女なら生されたまま何処で使われているかもしれないが、大方それは死と同義であったし、やはり身柄の回収も望めまい。ラギーも、優しかった姉貴分が遺体も見付からないまま弔われていくのを何度か体験した。ホリデーで帰省する度に見知った顔が減っているのも、彼にとっては決して特別な事ではなかった。

 けれど、アズールはその説明では納得しなかった。それもアズールが余所者だからではなく、彼なりに何らかの確信を得ている顔だった。
「いつから安楽椅子探偵になったんだ?」
質問を重ねようとしたアズールを、レオナが皮肉たっぷりに窘める。
「下手人についちゃ、ウチの奴等に全力で探させてる。手前の出る幕はねえ」
レオナの吊り上げられた唇の端から、鋭い犬歯が覗いていた。ウチの、とはつまりレオナの息のかかった人員という意味だろう。
 この露悪的にすら聞える台詞が吐かれても、マザーを慕う若いハイエナや常識と正義感を持ち合わせたジャックの耳がピクリとも反応しなかった事から、ラギーは彼等が防音あるいは認識を阻害する魔法を既に展開しているのだと確信した。そして、この話を聞けてしまっているラギーもまた、彼等にとっては共犯の扱いなのだとも悟った。尤も、ラギーに喪主を命じたあたり、レオナは最初からそのつもりでいたに違いないが。

 ラギーは口止め料さえ貰えばレオナの意のままに振舞う所存であったが、アズールはそうではないだろう。アズールを草原の砂になる事が恐ろしくないのか、レオナの嫌悪する探偵じみた振る舞いを止めようとはしなかった。
「それはまた随分と雑、いえ、大胆なことで。マレウスさんにも、同じように説明するおつもりですか?」
「何でアイツが出てくる」
「監督生さんのご学友でしょう。在学中は、大変仲が良ろしかった」
レオナとアズールは、今になって初めて眼を合わせた。

 協調や友情とは縁遠い校風の染み付いたナイトレイブンカレッジにおいて、明らかにイレギュラーな穏やかさを纏っていたあの女を、彼等は静かに懐古する。
 何も出来ないようでいて、あらゆる難題を次々片付けていった不思議な生徒だった。プライドの高い個人主義の学生達を横目に、人に頼る事も躊躇わない彼女は明らかに異質だった。それを面白がる者や心地良く感じる者も少なからず居ただろう。マレウスは正しく、その筆頭だった。少なくとも、彼女がまだあどけない眼をしていた時分は。
「ご学友、ねえ」
レオナがしみじみと、母校に不似合いな単語を反芻する。

 ラギーはといえば、監督生の泥臭さに一目置きながらも、それを妙に恐ろしく思っていた。
 なにぶん、彼女は次期妖精王の手を煩わせる事も畏れなければ、つい数週間前に殺されかけた相手の手を取る事も厭わない。手段を選べない彼女の行動は、不屈と無謀の区別が曖昧になっているように感じたのだ。
 遠目で見ている分には愉快かもしれないが、ラギーのような一銭の得にもならないトラブルに魅力を感じない真っ当な学生には厄介な存在だった。

 レオナはといえば、ついぞ彼女をどう思っているかなど一介の寮生には悟らせぬまま卒業していった。
 女性を尊重する育ちであるから、彼女に甘い部分は確かにあったが、それ以上の懇意さは無かった気もする。植物園で挨拶を交わす程度の間柄と言えばそれまでだ。
 しかしレオナは、ただそれだけの女の為に死因を秘匿したり腹の探り合いを興じたりするような面倒な事はしないだろう。この葬儀に携わるレオナの態度を見た今、よくよく思い出してみれば彼女を眼で追うレオナの双眸は、稀にただの他人を見る眼付きではない時があったような気がしなくもない。
 それは無知蒙昧のまま突き進むしかできない小娘への軽侮か、帰り道すら奪われた少女への同情か、世界へ失望せざるを得なかった者同士のシンパシーか。どれであっても不思議ではないような気がした。

 深く息を吐いたレオナが、低い声で断言する。
「アイツに学友なんておめでてえもんは居ねえ」
アズールは、いつものマレウスに対する憎まれ口だと思ったらしく、平べったい眼をした。けれどラギーには、レオナの言うアイツは監督生の方を指しているのだと直ぐに分かった。レオナの忌々しそうに歪んだ口元には、地位を約束された者への嫉妬でもなければ、強者への憎悪も宿ってはいなかったからだ。それどころか、例の稀に見せる何とも言えない哀しげな双眸であった。
「アイツにとっちゃ、俺達は全員敵だろう」
忘れたのか、と問いかけられて、漸くアズールはレオナの主語が監督生である事に気付いたらしい。ばつの悪そうな顔で、彼等は学生時代の陰鬱な記憶を回顧する。
「あの日、俺達の誰もがアイツを見捨てて、この世界の平穏を取る事に同意した」

 あの日、つまり監督生の元居た世界の存在が見付かったと知らされた日は、彼女が進級する直前だった。行き来する事が理論上可能だとも判明していた。
 しかし、責任ある大魔法士達は、各寮長と彼女を会議室に呼び出し、異世界の隠匿を提言したのだ。当時三年生だったレオナ達ににとっては、それが最後の寮長会議だった。

 学内には彼女を良く思わない者も多かったけれど、寮長達に関しては皆、監督生に少なからず恩あるいは借りと呼べそうな縁があった。あの場では、誰もない彼女の不幸を望んではいなかった。
 しかし、決定は覆せなかった。どうしようもならない事が世の中にはあるのだと、聡明な彼等はよく知っていた。

 彼女から寮生のように慕われていたリドルは涙を呑んで、秩序を説く側に回っていた。
 身分を越えた友情を育んでいたマレウスもまた、一族が治める国を思えば、異邦の娘一人を切り捨てざるを得なかった。
 レオナとて、王座に届かなくとも学舎を出れば為政者の身分だ。天秤に掛けるまでもない決断だったに違いない。

 ラギーはここで漸く、レオナの映っているのが自責あるいは自嘲の類だと理解した。

 寮長会議に出ていたアズールもまた、レオナにしてみれば共犯の咎人なのだろう。
 アズールは僅かに眼を見開いたが、黒手袋に包まれた指で眼鏡を押し上げるだけに留まった。在学中はモストロ・ラウンジで彼女に働き口を与えていたアズールは、レオナより余程監督生と近しいように思われたが、レオナの主張を覆そうとはしなかった。寧ろ、思い当たる節を見つけたのか、肯うように瞼を伏せた。
「そうでしょう。卒業前、彼女が就職で躓くのが目に見えていたので、僕のところで働き続けないかと声をかけたんですが」
ラギーには初耳であったが、アズールの行動には一抹の納得を覚えた。アズールは使えると思った者には優しいのだ。彼の価値基準は一般のそれとはややずれてはいるが、彼女の勤勉さと度胸を買っていたのだという事は察せられた。
 しかし、そのアズールが差し出した手を拒んだからこそ、監督生は夕焼けの草原にやってきたのだ。誰の手でも構わず借りていた一年次の彼女を知る者からすれば、彼女の変貌は明らかだった。

 ラギーは、今まで何となく眼を背けていた監督生の就職事情に思いを馳せた。
 どうにか元の世界に帰れるだろうと楽観していた日々が強制終了した監督生は、将来に向けて貯蓄する為にアルバイトを幾つも掛け持つようになった。モストロラウンジもその一つだが、校内の掲示板で募集される短期バイトにも積極的に応募していた。それは大抵、ラギーと競合した。そして、そうなれば必ずラギーの方が選ばれた。
 無理も無い事だった。嫌われ者のハイエナの獣人にして住所不定にも等しいスラム出身と比べても、脆弱で非力なヒトの身体に魔法の使えぬ魂を宿した女など採用するに値しないのだ。「お前の需要があるのは性産業の方だ」と辛辣な助言を貰うのも、彼女にとっては珍しくない事に違いない。そしてその助言のふりをした言葉の後には「別に人から求められるようなルックスじゃないけど」とストレートな暴言が続くのも、カレッジでは特別な事ではなかった。そんな値踏みがされる度、ラギーは他人行儀に彼女の人生を哀れんだ。
 勿論、世の中には魔法を使わない人でも就ける職は存在する。しかし、魔法士に比べて低賃金なのは否めない上、魔法士養成学校にわざわざ正規雇用枠の求人を寄越す筈も無い。それはつまり、彼女が必死に教科書に齧りついて得た学歴も、無意味だという事だ。
 そんな彼女が卒業後もアズールの下で働けるなら、これ以上旨い話もあるまい。アズールは一度失敗した経験もあるが、それを補って有り余る才と強かさを備えた魔法士だ。彼女の事情にも理解があり、彼女の強みを良く知っている。

 魅力に満ちたアズールの誘いを断ったのは、監督生の矜持か。失望の深さ故か。
 ラギーには見当が付かなかったが、レオナは合点した声を漏らした。
「アイツの国で信じられてる御釈迦様とやらには、水掻きがあるんだと。一昨日聞いた」
脈絡の無い会話に、アズールが眼を瞬かせる。しかし、一昨日と言えば監督生が最後に目撃された日、つまるところ暫定的な命日であった。その為、アズールは口を挟む事無くレオナの話に耳を欹てた。
「お前等人魚も水掻きが付いてんだってな。御釈迦様とやらが居るなら、お前みてえな奴だろうって、草食動物が言ったんだ。その意味が漸く分かった」
「僕が?」
思わずアズールが聞き返す。釈迦といえば、衆生の一切を救済する慈悲深い存在の筈である。
 珊瑚の海に如何なる宗教が伝わっているかは不明だが、一般教養としての釈迦くらいなら誰もが知っている。ちなみに彼等は、監督生が運任せとなれば「神様、仏様、御釈迦様」と並列して縋るような神仏習合の手合いである事も承知だった。
「確かに僕は慈悲深くはありますが」
アズールの冗談とも謙遜ともつかない申告を、レオナが無愛想に遮った。
「アイツはテメエの本性もよく知ってる」

 慈悲が万人に降り注ぎはしない事も、彼女はよく知っている。水掻きの付いた大きな掌からも、取り溢されるものがある事も。その不平等さも、悪辣さも。
 何より彼女は、世の無情をよく知っている。救われなかった側だから。


 アズールは僅かに顔色を悪くして、自身の掌を見遣った。
 明確な拒絶を示しながらも、監督生は神様や仏様に並ぶ存在をその手に重ねていた。その事実が、妙に喉に引っ掛かる君の悪さを呈していた。
「アイツにとっちゃ、そういうモンなんだろう」
仇敵なのだ。レオナは苦々しい声音で、そう総括した。

 衆生も慈悲も倫理も、彼女に牙を剥く。
 だから差し伸べられた救いの手を取らず、世界を軽侮して生きる。
 ならば、慈善家めいた彼女の事業は何なのか。

 失望と怨恨だけならラギーも理解はできたが、疑問は残った。最も非合理にして薄ら寒い部分が、未だに引っ掛かっていた。
 同時に、これ以上は知るべきでないとラギーの賢い部分が囁いてもいた。他人の、それも死人に深入りしても良い事は無い。過酷で無情な経験則が、そう告げているのだ。


 しかし、アズールは答え合わせをしてしまった。
 彼は、数日前に監督生と商談をしたと明かす。
「彼女は、僕等に事業へ出資しないかと持ちかけたんです。結局はお断りさせていただきましたが、その折に帳簿を拝見しました」
そも、アズールは投資はしても利益の回収が見込めない寄付などしない性質だ。それは、彼と学生時代を共にした監督生にだってよく分かっている筈であった。裏を返せば、援助者になれば何かしらの見返りがあるという事だろう。子供を養育するだけの事業では、本来ありえない話だが。
「彼女の事業の規模と人員に対して、収入は大き過ぎる額でした。そしてパトロンには、多くの名がありました」

 ラギーの頭の中で、帰らぬ人となったマザーを呼ぶ子供達の声が反響する。
 やはり、あの女は星になどなる筈が無かった。

 端から善人が善意で行っているなどと思える程ラギーは善良な思想の持ち主ではなかったが、具体的に同胞を食い物にせんとする悪事を聞くのは相応に胃が重い。
「学園長に口止め料をいくらか貰っていたり、匿名での真っ当な寄付を受け付けていたりもしましたが、彼女のパトロンは主にこの国の、現政権に抵抗を示す貴族や政治家が中心のようでした」
滔滔と語るアズールは、本当に探偵のようだった。
「彼女が育てた獣人の子は、多くが軍事に携わるようになると聞いています。寝食の面倒が見てもらえる軍は、家が無い者にも優しいですからね。当然の選択だと誰もが思います。しかし、どうでしょう。彼女が教育を施し、国の中枢に送り込んだ者は、一体どれだけ居るのでしょう。一体どれだけ、軍事を掌握するつもりだったのでしょう」

 ここまで開示されれば、後は点と点が勝手に繋がる。
 あの女は世界の秩序を壊す種を蒔いていた。それも、手前を母と慕う子等で世界を引っ繰り返そうなどという、とんでもない悪党の所業で。
 彼女の居た世界が認知されれば、新たな領土と資源を奪い合う国家間抗争の幕開けになる。そう釘を挿された彼女は、故郷を諦めるどころか、故郷を取り戻す準備を始めてしまったのだ。

 ジャックに異世界人でも仲間になれるのかと聞いた学生時代の彼女は、どんな答えを期待していたのだろうか。ラギーには知る由も無い事だ。けれど確かなのは、彼女はずっと元の世界を恋しがっていたという事だ。
 迷子のまま大人になってしまった彼女は、ずっと帰るべき所を探していたのだ。

 手段を選ばないにも程がある、不屈と無謀の区別が曖昧になった愚行だ。狂気と称されるべきものだ。

 けれどラギーは、漸く監督生の事業が腑に落ちていた。
 監督生の事業が全く善行ではなかった事に、性悪説に染まった人間不信の性根が安堵を感じた。同時に、聖人視されていた監督生に人間らしい血腥い執着が確かに存在していた事に、温い親近感を覚えていた。

 やはりあの女は、天国に行く権利も星になる栄誉も端から欲してはいなかったのだ。
 あの女は聖人でも善人でもなかった。ラギーの理解を越えた縁遠い存在になど、なっていなかった。
 彼女は最後まで、ラギーの学生時代からよく知る草食動物だった。手段を選べない愚かで哀れな弱い生き物でありながら、不屈と無謀の区別すら曖昧にして一縷の望みを追いかける、泥臭い強かさと狡猾さで出来ていた。不利益な秩序を押し付ける世界を底辺から恨む、生態系の最下層。
 寧ろ、糞っ垂れの世界を引っくり返そうと夢見たあの頃のラギーと同類ではないか。

 冷えて乾いたラギーの涙腺が、今頃になって漸く熱を持ち始めた。


 何よりラギーが共感を覚えたのは、彼女の動機が郷愁であった事だ。
 ラギーにも、故郷に愛着がある。
 余所の国の言語を幾つも覚えたラギーは、草原以外でも仕事が出来る。世界で二番目に権威ある学び舎で培った魔法は、キャリアの幅をうんと広げた。何処でもやっていける能力と逞しさを自覚していながら、生まれ育ったスラムとの縁を断ち切らなかったのはラギー自身だ。
 カレッジで贅沢を覚え、多様な国々の文化に触れたラギーは、この己の生まれ育ったスラムが如何に祝福されない場所か知っている。危険で不衛生で最悪な場所だと嫌と言う程実感している。貧困故の余裕の無さが常に付き纏い、蔓延る悪徳は弱いものを平然と食い物にする。時に、学校にも生けなかった同胞の妬みが向けられる事もある。それでもなお、生まれた土地を、育ててくれた者達を、ラギーは好いている。
 魂の落ち着く場所がそこだと、知っているからだ。

 恐らくはレオナもそうだ。
 政から離れて学者になれと、彼に助言した教員は数多い。元来、頭の良い人だ。生まれ順番で決まるような王座に拘らなければ、何にでもなれただろう。それでも、彼の魂の在るべき場所は王宮なのだ。
 小間使いにすら侮蔑の眼を向けられる屈辱の暮らしを嫌い、不合理な文化と制約を憎み、それでもなおレオナが夕焼けの草原に拘るのは彼の居場所がそこだからだ。

 爪弾きにされても、虐げられても、己の居場所を恋しく思う気持ちに嘘は吐けない。ラギーは、その事を良く知っている。
 まして、闇の鏡に在るべき場所はこの世界の何処にも無いと告げられた監督生だ。かの世界にどれ程焦がれたか、測り知る由も無い。

 
 彼女の所業は、この世界に争いの火種を落とすだけではなく、彼女の世界を地獄に変える事は必至の愚行だ。二親にすら恨まれる。
 彼女も、それが分からない程の楽観主義者ではないだろう。たとえ、産みの親から蔑まれる事になろうが育った場所が植民地の名を冠する地獄に変わろうが、彼女が思い留まる理由になり得なかっただけの話だ。何故なら彼女にとって、この世界は既に地獄だから。
 同じ地獄の日々を送るなら、魂が求める場所が欲しいに決まっている。
 彼岸も彼岸も地獄なら、自分の咎で堕ちる地獄が良いに決まっている。


 俯いたラギーを、何も知らないジャックが慰める。
 大きな掌で背を擦ってくれる気の良い後輩の心遣いに反して、ラギーは身体を強張らせたままでいた。ラギーは、監督生の真実を墓まで持っていく覚悟を固めたばかりだった。
 監督生の邪悪な姦計が露呈した時点で、彼女に育てられた子等は、心の故郷も家族も失ってしまう。彼女を慕う彼等まで、世界に裏切られる痛みを負うのだ。
 それでは本当に救いが無さ過ぎる。


 アズールはレオナの沈黙を肯定と取って、推察の答え合わせを完了させた。
「僕は探偵ではないので、監督生さんの所業を公にしようとは思いません」
「そうか、賢いな」
アズールの意趣返しめいた台詞に、レオナは無感情に相槌を打った。元より、この場で正義感を剥き出しにした態度で告発を仄めかすような奴は、ただの命知らずでしかないが。
「僕が気になったのは、彼女の帳簿に貴方の名が無かった事です」
現政権に最も嫌悪を示しているレオナに、監督生は声をかけない筈が無い。

 もし監督生の姦計が実現したら。もし彼女の故郷をこの国の土地としたなら、もし彼女の世界の資源をこの国が搾取する事が叶ったら。草原の陰を余所者に押し付けて、この国のスラムは豊かになれるかもしれない。
 それはこの国の王座を狙う者にとって都合の良い絵図の筈だと、アズールがレオナに問う。
 確かにレオナも、この世界を引っくり返す事を夢見た男だった。その野望も、未だ燻ぶったままの筈である。
「ただ僕は知りたいんです。貴方がどうして心変わりしたのか」
アズールは、帳簿にレオナの名が無かったから彼女の計画には乗らなかったのだと明かした。アズールは商人だ。情報も武器も売る彼にとって、戦争も福祉も商機か否かが問題なのだ。
「彼女の計画は、現政権側にも露呈しているのですね?」
レオナが視線の動きだけで肯った。
 あの狂気じみた望郷を動機とする哀れな姦計は、既に失敗が決まっていたのだと。

 「だから俺が殺した」

 レオナは息を深く吐いて、気怠げに白状した。
「お前の事だ。証拠も抑えてるんだろう。あの施設のフローリングにこの辺の地質とは合致しない砂が落ちていた、とか」

 脅迫の材料足り得る決定的な言葉が、レオナの口から飛び出した。
 失敗と分かっている計画だから彼女を利用しなかったというだけなら、難なく理解の及ぶ話であった。しかし、この男が自らの手を汚す理由も、証拠を掴ませる行為も、全くの説明不足である。
 ラギーはあと少しで流れ落ちそうだった涙を引っ込めて、レオナを見遣った。この賢い男が、単に後始末が手抜きだった所為で尻尾を掴ませる事はまず無いだろう。つまるところ、彼女を殺害したという事実が露呈してもレオナにとっては痛手ではないか、自身の身体に関心が無いかだ。
 後者だ、とラギーは無根拠に確信した。
 思い出すのは、彼が最後に指揮した寮対抗マジフト試合だった。寮ぐるみで行われた傷害事件をレオナ一人の罪にせんとした、彼の最後の悪足掻き。今のレオナが見せる露悪的な態度には、その嘗てと似た自虐の色があった気がしたのだ。

 案の定、レオナは罪を罪で糊塗せんとした。
「聖人めいた女が一人、国賊に殺された。それで結構じゃねえか」

 ラギーの脳裏には、彼女を慕う子等の顔があった。ラギーも監督生の計画を知っていれば、この結末を選ぶに違いなかった。監督生と彼女の育てたスラムの子等を天秤に掛けて、監督生を切り捨てる事を選ぶのは自然な事だった。
 けれどレオナは、ラギーを共犯にしながらもラギーの手を汚させなかった。
 怠惰を絵に描いたような男が、わざわざ。

 
 放っておいてもあの女の首には刃が掛かる。
 テロリストとして、あるいは口封じの為に。
 どのタイミングであっても、レオナが手を汚す必要は生じないのだ。生じるとすれば、レオナ自身が彼女を手にかける事を望んだ時だ。


 レオナは、渇いた掌を虚ろな眼で見ていた。
「元々、一等欲しいもんは何も手に入らない星の生まれでな」

 他の誰かに壊されるなら、自分の手で終わらせたかったのだ。
 そう白状する男は、焦がれた故郷を自ら壊そうとした女と同じ壊れ方をしていた。

 元より地獄に生まれたのだから、地獄行きの罪科を負っても同じこと。この世界は既に地獄だから。
 同じ地獄の日々を送るなら、自分の咎で堕ちる地獄が良いに決まっている。




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