誰も知らない貴方の事5

 謎の本は炎と煙に巻かれて消え失せた。焼け落ちたパブの跡に残ったのは、宙を舞う灰と煤だけだ。
 僅かな間でそこまでの火力を誇るクー・フーリンの宝具だが、ウィッカーマンを放った彼の感覚では、奇怪な本は燃やしきれず取り逃がしたらしい。三人は被害の大きさとは釣り合いの取れない成果に肩を落とした。
「というか、派手に建物が燃えたのに、こんなに静かなのも変だと思わない?」
メイは閑散とした街を見渡して、疑問を呈した。魔霧や異形達を恐れて外に出るのを憚っても、室内から窓の外を覗いて何が起こってのかを確認しようとする者すら確認できないのは不自然だ。まるで街全体が眠ってるみたいに静かで、メイは寒気を感じた。
「確かに、ここら辺は無人になってる家屋は多いが、昨日の段階じゃあ真っ当に籠城してる奴等も多少は居た筈だがな」
クー・フーリンは昨日の街をの様子を語った。寛げる場所を探す為に、霊体で探索をしたらしい。
「あの変な本といい、確実に異変が増えてる。急ぎましょう」
もう生きているのは自分達だけではないだろうかという不安がメイの胸に過るが、それはあまりに不吉で口には出せなかった。荷を背負ったまま、チャールズ・バベッジの所在を訪ねるべく、一行は歩き出す。
 ヴィクター邸で仕入れたメモによれば、彼の科学者が居るのはウォルワースだ。若干霧が薄いとされているシティを経由してからテムズ川を渡るのが無難だとメイは英霊達に説明する。
 金融街のシティはメイの自宅周辺より少々上品で、普段のソーホーなら売春婦や酔っ払いが彷徨いているところを紳士淑女がしゃなりと歩いているのが常だった。とは言え、魔霧に侵された状況下では、やはり何処も彼処も似たような薄ら寒いゴーストタウンと化していた。人々の足音にとって変わって聞こえるようになった怪機械達の駆動音に、メイの感傷が刺激された。


 不意に、襟首を引かれ、メイは後方に引き摺られた。
 首が締まって呻き声が出る。同時に、彼女の眼前を銀の刃が一閃した。
 サーヴァントの敵襲だ。そうメイの頭が処理するにはあまりに唐突だった。何の気配も予兆も無く、霧の中から突如現れたかのような攻撃だった。サーヴァントが強引にメイを下がらせていなかったら、今頃彼女は切り裂かれていたに違いない。
「……おかあ、さん」
その鋭い攻撃の主は、まだ幼い幼女の姿をしていた。霧の都の灰色の空気に溶け込んでしまいそうな白銀のショートヘアに、十を超える齢なのかすら怪しい背丈。けれど、攻撃の直前までサーヴァントすらも存在を察知できなかった気配遮断能力は紛れも無く、暗殺者のそれだ。彼女の水浅葱の瞳は、獲物を見付けた猫のように爛々と輝いていた。一瞬世界そのものが動きを止めたのではと錯覚するような、強烈な凝視。何一つ分からない混乱の最中でも感じ取れる、狂おしい程の執着がメイに向いていた。

 「コイツが御袋に見える歳かっての!」
クー・フーリンがすかさず応戦して、炎を放つ。その声で漸くメイの時間間隔が現実に引き戻された。炎が敵性サーヴァントと彼等を隔てた隙に、ロビンフッドはメイの手を引いて撤退を促す。
 しかし、敵性サーヴァントはそのあどけない姿からは想像すらできない俊敏性で彼女達の前に踊り出てきた。勢い良く距離を詰められては、矢が当たっても毒が回るより遥かに早く自分たちが斬りつけられる。目前に迫るナイフの煌めきに、彼女はそう悟った。本来ならば誰よりも冷静さを保ちサーヴァントに指示を出していくべき立場でありながら、襲撃への驚きと恐怖に竦んでいた。
「させるか!」
その直後、聞き慣れない少女の声と共に、メイの目の前で敵性サーヴァントが横に吹っ飛んだ。高所からの位置エネルギーを伴って、少女の姿をした新手のサーヴァントが敵性サーヴァントに身体ごと突撃したのだ。土埃の匂いのする衝撃風に前髪を煽られて、メイはやっと悲鳴を上げる。彼女の動体視力では、衝突の瞬間は目に追えず、まるで何かが爆ぜたかのような衝撃に感じていた。
「二度とさせるものか……」
「じゃま、しないで!」
地面に転がった敵性サーヴァントが落としたナイフを拾い、土煙の中から立ち上がる。少女のサーヴァントも、それに応じて素早く立ち上がり、腰に下げていた刀を構える。そして二度目の衝突。金属同士のぶつかり合う音をさせて、ナイフと太刀が鎬を削る。太刀を手にした少女のサーヴァントの履く厚底の下駄が石畳に削られて不吉な音を奏でる。傍目から見ても均衡を保っていられる時間は短そうだった。少女の英霊の足元には、血が滴っていた。メイを庇う前に既に深手を負っているようであった。
 クー・フーリンがメイに退却するよう叫んで、敵性サーヴァントの足止めに加勢する。それと同時に、敵性サーヴァントは少女の英霊に脚蹴りを食らわせて均衡を崩し、ナイフを構え直した。ロビンフッドに手を引かれて遁走するメイの姿に気付くや、彼女はまた幼い子供の口調で「おかあさん」と呟いた。
 おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん。迷子になって癇癪を起す子供のように連呼する。それしか頭に無いと言わんばかりの苛烈な妄執が狂気を感じさせた。けれどその攻撃は直情的とは程遠く、俊敏性を生かして攻撃を躱しつつ確実に急所を狙う動きでクー・フーリンと少女の英霊を突破しようと立ち回る。治癒か医療のスキルでもあるのか、クー・フーリンが負わせた筈の火傷も回復されていた。

 狭い路地裏にメイを逃げ込ませたロビンフッドは、彼女に外套を被せて大人しく隠れているように言い含める。彼の宝具の一つであるそれは、彼女の姿を完璧に隠した。
「これは貴方が被っているべきよ」
けれど敵性サーヴァントとの戦闘へと戻ろうとするロビンフッドをメイは引き留める。
「狙われてるのはオタクだろ。大人しくソレ被って待っててくださいよ」
既に一度宝具を放ったクー・フーリンと手負いの英霊では、持久戦は厳しい。加えて、相手の動きが早すぎる。ロビンフッドも戦闘に加わって早く決着を付ける事が望ましいのだとメイも分かっていた。
「だから貴方が使うべきなの。矢を外していられる余裕も無いでしょう。私を囮に使いなさい」
メイが外套を脱いで、ロビンフッドに返す。彼女の脳裏には、彼と最初に出会った時のヘルタースケルターを射った強かな矢の軌跡が焼き付いていた。出来ると信じて疑う必要すら感じていない眼差しに、ロビンフッドは皮肉も謙遜も引っ込めた。
 メイがロビンフッドの手を取る。正確無比な矢を射る熟練の技術を持つ弓兵の指を掌で包むように握った。彼女とて、自身がいかに危い行為を提案しているのか理解していない訳ではない。冷ややかな汗を伴って、死のイメージが背骨を扱かれるような不快感と共に肚に居座るのを感じていた。芋づる式に呼び起こすのは、両親の今際の際の声とヴィクター博士の日記だ。もの言わぬ肉の塊、その冷たさ。死んだ者の匂い。そして今も、深手を負っている身にも関わらずメイを庇い戦闘に身を投じた者が居る。
「誰かが傷付けられている時に息を潜めて隠れてるのも、その所為で誰かを失うのも、私はもう嫌」

 メイとロビンフッドが戦闘に戻ると、少女の英霊は息も絶え絶えで、彼等の足元に広がる血の面積は相当大きくなっていた。何で戻って来たと言いたげなクー・フーリンだが、作戦を伝えるタイミングも無い。
「おいで、おチビさん! お母さんがいい物をあげる」
メイは、先込め式ライフルを構えて啖呵を切った。メイを視認した敵性サーヴァントの目の色が変わり、咆哮とも歓喜ともつかぬ声を上げる。
「おかあさん!」
スイッチの入った敵性サーヴァントは、手負いの少女の英霊を庇いつつほぼ独りで応戦していたクー・フーリンを容易く引き離す。そしてメイへとまっしぐらに駆けて出した。
 その足元に銃口を向け、メイはライフルの引き金を引く。火薬の爆ぜる音と同時に、敵性サーヴァントが地面を蹴って跳び上がる。
「……解体するね」
跳躍しながら、敵性サーヴァントは彼女を落下点に定めてナイフを構える。メイの膝が笑い、喉がヒクと鳴った。
 ライフルは空砲だ。マスケットよりは精度が向上した作りの銃ではあるが、彼女がサーヴァントを相手に弾を当てられるなどとは微塵も期待していないからだ。彼女等の狙いは、跳躍した時の俊敏性が損なわれる一瞬だった。方向転換の自由が利かない空中で、敵性サーヴァントの胸に向かって毒を伴う一条線が閃く。
「おか、あさ……、やだ、いたい、いたいよ……」
胸に向かった矢はナイフで弾かれたが、二本目の隠し矢は胸を庇ってナイフを振った腕に刺さった。敵性サーヴァントはバランスを崩して肩から地面に落ちた。追い付いたクー・フーリンがそこへ追撃する。

 「……回避も持ってやがったか」
クー・フーリンが舌打ちする。敵性サーヴァントは、追撃を凌いで、ロンドンの霧に紛れるように撤退した。敵性サーヴァントのものと思われる血液が石畳の上に点々と続いていた。一難去ったが、追いかけてとどめを刺す必要は誰もが感じていた。回復し次第また襲ってくるかもしれない執着ぶりを考えると、今ここで野放しにするのはあまりに危険だった。
「貴方、大丈夫なの?」
メイは手負いの少女の英霊の様態を確かめに駆け寄った。メイ達があの敵性サーヴァントを認める前から怪我を負っていた彼女の傷はすっかり開いていた。太刀を支えにして立っているだけでも精神力を要する状態である。
「追わなくては……また、人が襲われる……」
その前に貴方が消えてしまいそうだと言って、メイは彼女を介抱する。ロビンフッドが煙草の為に持っていたマッチで鏃を熱し、出血する傷口を焼いて応急処置を試みる。
「アレは何者なの? 知ってる事を話して頂戴。追いかけるのは此方に任せて」
クー・フーリンとロビンフッドが請け負うと頷く。出血と毒で戦闘力も大幅に削がれている今が叩き時である。防戦を強いられるばかりで思うように戦えず不完全燃焼気味だったクー・フーリンに至っては、追撃が待ち遠しいという顔である。
「……アレは……魔霧と共に現れた、連続殺人鬼の正体……ジャック・ザ・リッパー。クラスはアサシン……」
眉間に皺を寄せたまま荒い吐息を吐き出しながら彼女は途切れ途切れに答えた。
「女性を狙って解体する手口は確かに……通りであの子、あら、子? 子供だった、かしら……?」
メイは自身の記憶がぼんやりと霞んでいる事に気付いた。あれほどの執着を向けられ、危機に晒されたというのに、その姿形が思い出せないのだ。
「それが奴の能力……私自身、クラスを思い出すだけで精いっぱい……済みませ……」
少女の英霊は呻くように言った。
「じゃあ、お前さん方はここに残ってな。俺一人で行く」
クー・フーリンが提案する。手負いの彼女とメイには戦闘力を期待できないどころか足手纏いだ。戦闘に参加せず別行動を取るのが望ましいのは事実だった。そして、この二人には護衛が必要である事を鑑みれば、クー・フーリン一人が敵性サーヴァントを追う他に無い。
 口惜しそうに呻いた少女の英霊に反論を許さず、クー・フーリンは彼女にルーンを刻んだ。アルファベットのBに似た形のそれは回復や治癒を指すものだった。
「じゃあパブ、いいえヴィクター邸で落ち合いましょう」
「セント・ポール大聖堂をお使いください……避難所として、開放されています故……」
燃えたパブを思い出して拠点をヴィクター邸に変更しようとしたメイだったが、市民達に避難所が出来ていた事を知った。少女の英霊は魔霧によってマスター不在の状態で召喚され、避難所に集まった市民達の用心棒や物資の調達としてロンドン生活を営んできたらしい。

 集合場所を決めるが早いか、クー・フーリンは敵性サーヴァントを追って走っていった。その背を見送ったメイは少女の英霊に尋ねた。
「貴方、私と契約してみない?」
避難所には、彼女を頼りにしている人々が居るのだ。異常な状況下で、人間の見方をしてくれる英霊に出会えた心強さをメイは身をもって知っている。避難所には彼女の存在が支えとなっている人間も多いのだろうと想像が付いた。だからだろう、クー・フーリンと出会った時には考えもしなかった事を、メイは真名も知らない英霊相手に口にしていた。
「仮契約でいい。私に貴方の使用する魔力を負担させてほしいの」
ロビンフッドも少女の英霊も驚いた顔で彼女を見遣る。
「貴方にも悪い話じゃないでしょう? まあ、取り敢えずは回復に専念しましょうか」
そう言ってメイは自身の親指の腹を噛み切って、少女の英霊に血を与え直接的に魔力を供給した。彼女の潤沢なオドが、英霊を癒していく。
「私はメイ、こっちがロビンフッド。さっきのドルイドはクー・フーリンね。貴方は……アマゾネスのサーヴァントかしら?」
乳房を露出しかねないイキゾチックな衣装と好戦的な赤を基調とした化粧から、メイが雑な推理をした。ヒッポリュテ?と特に根拠も無く有名なアマゾネスの名を出す彼女に、ロビンフッドが呆れを隠しもしない眼差しを向ける。
「いやいや、どう見ても日本刀持ってるじゃないですか」
「確かにそれもそうね、もっと技術が発展した時代の装備だし……」
緊張感が抜けた遣り取りを展開されて、少女の英霊も肩から力が抜ける。
「見ての通りの日本の武士、牛若丸と申します。この度はお見苦しい所をお見せしてしまいましたが、メイ殿のご厚意に甘えさせていただきたくございます」
仮の契約を了承し、少女の英霊は真名を口にした。クー・フーリンのルーンの後押しもあるのか、彼女は緩やかかつ着実に回復を見せていた。既に喋っても息が途中で途切れることが無くなっている。人間では考えられない回復速度である。
「剣の腕には覚えがあります故、傷が塞がり次第、必ずやお役に立って見せましょう」
「よろしく、牛若丸」


 牛若丸がメイの肩を借りて歩ける程度に回復を見せると、三人はシティのセント・ポール大聖堂に向かった。傷には障るが、いつまでも外に居ては怪機械達に狙われかねないからだ。
 そもそも、彼女が外に出ていたのは、この大聖堂に避難している市民の叔母を捜索し保護する為だったという。その目的も、既に叔母がジャック・ザ・リッパーの餌食になっていた為に達成されなかったのだとも、牛若丸は話した。
「大聖堂には沢山の人が集まっているの?」
避難所にしている場所があると知らされた時、メイはもう生きているのは自分達だけではないだろうかという不安から解放されて酷く安堵した。その分、静か過ぎる街に対する悍ましさが消えて口数も増える。
「ええ。シティだけでなく、川の向こうのサザークからも集まっています」
「じゃあ、ヘンリー・ジキルとかチャールズ・バベッジなんて名前の人に心当たりが有ったりしない?」
「いえ……、避難者全員の名前を憶えている訳ではないので……」
彼女は避難者達の為に動いていたが、避難者という群体としての認識が強く個人個人を覚えている訳ではないようだった。メイは大聖堂に着いたら確かめさせてほしいと牛若丸に仲介を頼んだ。


 魔霧が薄く怪機械に遭遇する頻度も少ないシティは、今まで濃霧のソーホーで右往左往していた彼女たちにとっては非常に歩き易い場所だった。小型のヘルタースケルターも彼等は此処で初めて見た。
「メイ殿たちは今日の私の唯一の収穫です。大聖堂で待っている人達もきっと歓迎しますよ」
牛若丸が人懐こい笑顔で言った。けれど、ロビンフッドはそういうのは苦手だと首を振った。歓迎を受けること自体、彼は不慣れなのだ。
「まあサーヴァントが増えたら喜ぶでしょうね。尤も、大聖堂には立ち寄らせてもらうけど、私達はそんなに長居するつもりは無いのよ」
「そう仰らずに。メイ殿も魔霧に侵されない場所で暫し休憩を取った方がよろしいかと」
メイは楽しみであるとは言い難い顔で、苦みを滲ませた笑みを作った。

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