誰も知らない貴方の事4

 ヴィクター邸はメイにとって忌々しいまでに覚えのある匂いが漂っていた。血と臓物と火の匂いだ。それに博士の好んでいた元素魔術の触媒の匂いが混じって、屋敷の主の死が二人の鼻腔から伝わった。
「きっと、昨日の段階で伺っていたら……こんな事には……」
客間の床に散らばった無残な成人男性の遺体を前にしたメイが悔しさに震える声で呟いた。彼女の家とは違い、まだ火の匂いは新しく、客間の絨毯に染みた血は黒く変色しきっていない部分も残っていた。もし、自分がドルイドの英霊との敵対を恐れて無駄な時間を使うような真似をしていなければ、昨日のうちにこの屋敷に来ていたならば、と考えるとメイは自身の行動選択を後悔せずにはいられなかった。亡くなる前の博士に会えたかもしれない。博士と両親を手にかけた英霊と対峙できたかもしれない。或いは、博士が殺されるのを阻止できたかもしれない。
 メイは自身の臆病を呪った。後手に回ってばかりいる自身が歯痒かった。

 小さな掌は何もかも取り零していくようで情けなく、メイは拳を握り締めた。そして、関節が白く浮き出るほど握りしめた拳に不甲斐無い自身と懺悔で動けなくなりそうな弱音を隠して、後方で控えていたロビンフッドに指示を出す。
「何か手掛かりが残ってないか探しましょう。魔術協会の名簿か連絡先でも手に入れば良いんだけど」
時計塔の時のように何の収穫も無く帰る事は憚られた。無残な姿の家主を横目に屋敷を漁ろうとする不道徳に眼を瞑って、情報の収集をしなくてはと自身に言い聞かせた。


 客間で所謂現場検証をしていたメイをロビンフッドが書斎に呼んだのは、それからすぐの事だった。
「こりゃ既に漁られてますよ、マスター。オレは物取りには詳しかないが、ほれ、ちょっと見てみな」
壁一面の本棚にあらゆる書物が詰まった書斎で、メイは書き物机に置かれたメモ紙の束を見せられた。一枚目から一番下の紙に至るまで、全て白紙だった。彼女がこれがどうかしたかと問う前に、ロビンフッドは鉛筆の芯の腹で紙を擦って、メモ紙の表面の凹凸を擦り取った。
『計画主導者は「P」「B」「M」の三名。
いずれも人智を超えた魔術を操る、恐らくは英霊だ』
擦り出された文章を確認して、二人が顔を見合わせる。この文を見付けた誰かが本来一番上にあった筈のメモを持ち去ったと考えるのが妥当だろう。
「博士を殺した犯人の工作、だとしては中途半端じゃない?」
メモ紙も束ごと持って行った方が確実に証拠を隠滅できたのに、あまりに軽率ではないか。とメイは違和感を感じた。博士と両親を手にかけた男の愉快犯ぶりを思い出せば、紙を一枚だけ盗っていくという動作も似合わない気がしていた。
「奥の部屋には胡散臭い棺がありましたがね、それも開けられて中身が抜かれてましたよ。その中身がまた胡散臭えの何のって」
まだ取られた物があるらしく、ロビンフッドは続ける。棺には丁寧に説明書きが付いていて、それも処分される事なく残されていた。
「この説明書きが正しきゃ、電動の人造人間があの棺で寝てたって事になる」
鼻で笑おうとしたロビンフッドだが、メイが真面目に言った。
「正しいんじゃないかしら。ヴィクター博士のお爺さんが人造人間を制作してたって話は、魔術師の界隈じゃ割と知られている事だし。尤も、主人を襲った失敗作と聞いているから、彼の家に置いてあった事には吃驚するけど」
そこまで喋ると、二人は沈黙した。ロビンフッドの脳裏には魔霧の中を彷徨う異形達の姿が過っていた。既に人の形の殺戮機械や、二足歩行の人造生命体がロンドンに彷徨いている。
「人を襲う人造人間って、ヤバかないですかね」
フランケンシュタインの生み出した怪物も、人を襲う人の形をした人工生命だ。魔霧計画を推進する者達が気に入らない訳が無い。彼等がフランケンシュタインの技術を新たに吸収した事で、より厄介な異形達を生み出さないとも限らない。
「ヤバいわね」
メイがロビンフッドの口調に釣られたまま相槌を打った。
 しかし、彼女は口を噤んだ理由は他にあった。
「私、もう一人人造人間を作ったと言われてる人を思い出したの」
人造の生命体と言えばフラスコの中の小人のイメージが先行していた彼女に、フランケンシュタインの怪物という創造主を襲った人工生命の存在が刺激となってシナプス回路を繋ぎ合わせた。
「ドイツの錬金術師、ヨハン・ゲオルク・ファウストよ。彼は錬金術の研究中、さしたる危険物質も無いというのに爆発して五体散り散りになって亡くなった。彼の作り出したホムンクルスに反逆されたのだと言われてるの」
それは民衆本にもなった十六世紀の伝説だ。メイは思考を整理しながら、書斎の壁を埋める本棚に並ぶ本の背表紙を指先でなぞる。メイが思い起こすのは、一昨日の記憶だ。両親を殺めた英霊の芝居がかった口調が脳内で反芻される。
『……どうして貴方に声をかけたかでしたっけ? そりゃあ、平々凡々とした魔術師だからです。ヨハンよのうに』
ヨハンなどという名前の人間はキリスト教圏であれば掃いて捨てる程居るだろうが、人体を爆発させた英霊が口にする魔術師のヨハンであれば、彼に間違いないだろう。尤も、実際のファウスト博士の死因は当時は存在が認知されていなかったニトログリセリンによるものだという説を唱える者も居る。しかし、真実がどうであったかよりも人々の認知と信仰が英霊の存在を作る場合は多い。
「そのエピソードに刺激を受けて書かれた戯曲が実際の話より遥かに有名なの。ゲーテの戯曲『ファウスト』よ。英霊になり得る知名度でしょ」
ヨハン・ゲオルク・ファウストを葬ったホムンクルスは、戯曲の中でファウストと契約する悪魔として描かれ直された。そうして、その名も世界中で知られるようになる。

 「魔術師達を殺した英霊の真名は、メフィストフェレス」
メモの痕跡にある頭文字Mとも一致するその名前。
「その名の由来はラテン語の悪臭を愛す者。或いは、ギリシャ語で光を嫌う者」

 「へえ、嬢ちゃん意外とやるんだな」
メイの推理が終わると、書斎の入り口に男が立っていた。青いローブを纏い木製の杖を携えた、あのドルイドの英霊だった。メイは驚いて、不意を突かれた猫のような悲鳴をあげた。
「驚き過ぎだろ。そちらさんが飯に誘ったクセにパブに居ねえで何かやってっから見に来ただけだっつうの」
ドルイドの英霊は頭を掻いて、書き物机を囲む二人の傍まで歩み寄った。ロビンフッドも警戒態勢に入っていたが、害意は無いと見て弓を降ろした。
「サーヴァントに担がれてるだけの人形さんみてえな嬢ちゃんかと思ったら、意外とやるもんだ」
見どころのあるガキは嫌いじゃない、と男は八重歯を見せて笑う。
 ひょいと軽い手付きで手掛かりが残るメモ紙を取り上げて、暫くしげしげと眺めた彼だが、心当たりは無いらしく、直ぐに興味を失った。そうして次はメイに興味を示す。気紛れと言うよりも、野生の動物のような感性の男だった。
「客間の爺さんの匂いかと思ったが、嬢ちゃんに染みついてる死臭は別の奴だな」
「ええ。こっちにも色々あるの」
鼻が利くらしく、もっと時間が経った死体の匂いだと男は言い当てた。一体匂いで何処まで分かるのかと、嫌に鋭い分析にメイは戸惑った。知識と理屈で推理した自分とは全く違う種類のものを見る目を持つ男に、畏怖を抱かない訳が無かった。赤い瞳の色は深く、何処までも人を見透かすかのような強い光を湛えていた。
「仇討ってヤツか」
ずっと死体の傍に居たのだと看破した男は、遺体と彼女の関係性にまで踏み込んで聞いてきた。
「そういう訳じゃ、ないけど」
恨みが無い訳ではない。けれど復讐の為に動いているのかと言えば違う気がして、メイは言い淀む。遺された者として使命感を抱いていたのは事実だが、強い憎悪に支配を受けていたというのは不適切だからだ。動機を表す適した言葉が見つからないまま男に見つめられ続け、思わずメイは本棚を背に半歩下がった。
「でも、この現状をどうにかしたいって考えるのは普通の事よ」
そりゃそうだ、と男は雑な相槌を打つ。

 「お取込み中に申し訳無いんですがね、ヴィクターの爺さんが魔術協会を通してヘンリー・ジキルって奴に保護を依頼してた事が分かりましたよ、嬢ちゃん」
ドルイドの英霊とメイの遣り取りを横目に書斎を漁っていたロビンフッドが二人の間に割って入った。
「貴方まで嬢ちゃんって言わないでよ」
反射的に言い返したメイだが、ドルイドの英霊との会話に居心地の悪さを覚えていた彼女は彼の介入に一抹の安堵を覚えた。
 ロビンフッドが彼女に見せたのは博士の日記だった。今日の朝ヘンリー・ジキルという男の使いが彼を保護しに来る予定だったらしい。日記は昨日の日付で止まっていて、彼が昨日まで存命だったことを窺わせた。
「そんでもう一人、こっちには魔術師じゃないが魔術師と親交の深い科学者の所在も書いてある」
ロビンフッドは日誌のページを捲って、少し昔の記録を出した。チャールズ・バベッジという博士の祖父の代からの知人だと記された碩学の現住所について、走り書きのメモが挟まっていた。
「まあ、確かに永久機関云々はそういう科学者を当たってみるのが良いのかも」
周り続ける歯車の存在を思い出したメイは頷いた。博士の祖父の代からの付き合いならば、フランケンシュタインの怪物並びに人造人間についても知っているだろうという期待が持てた。

 「さて、どっちから当たる?」
魔霧計画の首謀者の頭文字の並んだメモ紙の裏にヘンリー・ジキルとチャールズ・バベッジの住所を写し取ったメイはロビンフッドに意見を仰いだ。
「俺ならバベッジの方を当たるね。ヘンリー・ジキルってヤツが保護を請け負ってこの様って事は、ソイツも共倒れしたんじゃねえのか」
答えたのはドルイドの英霊だ。
「なあに、俺も暇してんだ。釣りでもしようかと思ってたテムズ川はきったねえし、魚の一匹もいやしねえし、絡んでくるのは数ばっかり多い雑魚だけで、鬱陶しいわつまんねえわだし。でもお前らは少なくとも三人のサーヴァントを探す訳だろ? 混ぜろよ」
思う程充実した生活が送れなかったらしい彼は、好戦的な眼差しで訴えた。ドルイドには似つかわしくない態度に胡散臭さは募るものの、二人にとって都合の良い申し出ではある。
「そうね。じゃあまずは真名を教え合いましょう。こっちがロビンフッド。見ての通りアーチャー。ついでに私はメイ」
申し出を受けるにあたって取りあえず弱みを握っておきたいと考えたメイは真名を要求した。教え合うとは言っても、これ以上無く分かり易い格好をしているロビンフッドの真名など最初から開示しているようなものだったので、彼等にとっては痛手ではなかった。そのアンフェアを感じさせまいという勢いで、ズイと右手を突き出しメイは握手を強請った。
「俺はクー・フーリン。キャスターのクラスで呼ばれちまったが、ま、よろしく頼む」
気安いドルイドがアルスターの英雄であった事に、ロビンフッドは絶句する。思わぬ大物への動揺も大きいが、現界した姿と真名とのギャップにメイも混乱を隠せずにいた。
「ていうか、ドルイドじゃないですよね、貴方……」
聞けば、生前の職とは関係なく、自らに課した役割によって仮初のそれとして現界したのだという。英霊の在り方は本人にとって不自由な割にあまりに多様である。
「……どうしましょう、メフィストフェレスも本当に合ってるのか不安になってきたわ」


 ヴィクター邸から必要な情報をメモとして纏め、ついでにを食料品を頂戴したメイは約束通りパブでクー・フーリンと食事を取った。
 博士の家で物取りの真似をするのは心が引けたが、ロンドンの都市機能が麻痺した今、水と食料は貴重だった。ロビンフッドは主人から魔力が供給される分、摂食には無頓着でいられたが、その分メイは体力的にも精神的にも負担を強いられる。更に言えば、マスターが居ない状態で現界したクー・フーリンは魔霧に混じる魔力と食事によってエネルギーを摂取しなくてはならない状態だった。
 ついでに衛生用品や棺の横に置かれていた少々古い先込め式のライフル銃も拝借した。特に救急用品は非常時にこそ必要だ。それにヘルタースケルターに切りつけられたメイの傷も、まだ閉じ切っていないのだ。人間の魔術師が魔霧計画に加担している可能性を考えれば、銃も全くの役立たずではない筈だ。結局のところ、彼等は今後の活動において有用そうなものは殆ど博士の家から持ち出していた。
「貴方が英霊になっても犬を食べないよう誓っているっていう事は、他のゲッシュも有効なのよね? 例えば、詩人に逆らえなかったり」
黒パンを齧りながらメイがクー・フーリンに聞いた。前回の食事と違うのは、干し肉がある所だ。食料自体が貴重な現状だが、もとより急激な産業革命で数多の農村が崩壊した十九世紀イギリスでは肉自体が貴重なのだ。
「さっきからお前、積極的に俺の弱点を聞き出そうとしてねえか?」
「あら、気にしないで。ただ詩人のサーヴァントが相手だったらどうするのかしらと思って。そういえばボードレールって頭文字がBね。バイロン卿も」
メイが適当な詩人の名をあげる。特に意味の無い会話だった。強いて言うなら、貴重な肉を片端から食べていくクー・フーリンへの意趣返しのようなものだ。
 その後もメイは暫く思い付く限りのPかBが頭文字になり得る詩人の名を上げて、アルスターの英雄を辟易させた。
「随分読書家なこって。その本もアンタが拝借してきたのか?」
カウンターに出ている本をクー・フーリンが顎で示す。
「いいえ。本の類は嵩張るから必要な情報だけメモを取って紙一枚に収めた筈よ。ロビンフッド、貴方が何か持ち出したの?」
メイは本自体持ち出していないと否定し、ロビンフッドに話を振った。
「まさか。ていうかコレ、子供向けのでしょ。オレにそんな趣味あると思ってんですかアンタ」
本の表紙を確認したロビンフッドが冷笑する。けれど、それでは誰にも心当たりがないという事になる。三人は手を止めて不可思議な本の存在を訝しんだ。

 その答えはすぐに出た。本は宙に浮かび、風の無い室内だというのに表紙が開き、ページが捲れていく。超常的な現象に、メイは眼を剥く。
「屋内には入って来ねえんじゃなかったのかよ!」
「こんなの知らない!」
魔霧に紛れて蠢く怪機械達の仲間か、英霊の宝具かスキルによるものか、とんと判別が付かないが兎角不気味な光景だった。紙の捲れていく音は、まるで内緒話をして笑う少女の声のよう。一見無害なようで、それは彼等に本能的な恐怖を与えた。
 黒板を引っ掻いた時のように耳がゾワリとして、身体が勝手に警戒を促し始める。そんな強い不快感が三人を襲った。
「アンサズ!」
やられる前にやれと言わんばかりのクー・フーリンによる先制攻撃が浮遊する本に向かって放たれた。炎のルーンの力を帯びた熱が、音を立てて本に直撃する。
「てんで効いてねえんですけど!?」
しかし、本は焦げもしなかった。ロビンフッドも矢を射ってみるが、これも効かなかった。確かに攻撃の軌道上にあったというのに、何も無かったかのようにダメージ一つ無いのだ。
 本が店のカウンターに置かれた酒瓶を落としながら、彼等に接近する。ページが捲れる音が早くなっていく。それは人の喋り声に似ていて、ずっと聞いていると気を病んでしまいそうな音だった。本が不意に表紙を閉ざしたかと思えば、勢いよく開く。鎌鼬のような細い傷が一条、クー・フーリンの皮膚を切った。
「逃げましょ!」
クー・フーリンの傷は肉にすら到達していない程度の浅いものだったが、此方の攻撃が全く有効でない以上は余りに不利だ。そう判断したメイが、奇怪な本を相手にする事を諦めるよう促した。言うが早いか彼女はヴィクター邸から持ってきた物を背負うと、パブのドアから転げるように飛び出していた。ロビンフッドも直ぐにその後に続く。外には怪機械達が彷徨いているが、対処法が分かっているだけそちらの方が優しいに違いない。
「ウィッカーマン!オラ、紙なら紙らしく灰になんな――!」
最後に酒場から脱出したクー・フーリンが、最後っ屁に宝具を展開した。炎を纏った木々の巨人が召喚され、贄を求めて荒れ狂う。
 しかし場所は酒場だ。引火しない訳が無い。
 店内のあらゆる酒が、ロビンフッドが昨日から拵えていた火炎瓶が、一斉に引火して酒場を炎の海へと一瞬で変えた。メイはそれをあんぐりと口を開けて見る他に無かった。英霊とは、規格外の存在なのだとあらためて思い知る。やっちまった、というアルスターの英雄の呟きが彼女の耳に入ったが、ただの人間にフォローできるものではなかった。


 その後、すぐにクー・フーリンが水のルーンで鎮火に努め、有人家屋に引火する前に火を消し止めたが、彼等は宿と酒を失った。

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