誰も知らない貴方の事3

 饐えた匂いにロビンフッドは顔を顰めた。
 メイのアパルトメントは血と臓物と火の匂いに満ちていた。悪臭の原因は彼女の両親の遺体だ。細切れになり表面積が大きくなった為に、傷み具合が酷い。肉片は転がったままで、絨毯には乾いた血の染みが黒く主張している。
「私は暫く父様の蔵書を調べるけど、貴方はパブに帰って良いわ。明日の朝、また迎えに来て」
この惨状の中で一晩過ごしたという彼女は、まるでそこが普通の家であるかのように振る舞った。けれど、それは神経が図太いからでもなければ気が触れているからでもない。その証拠に、彼女はロビンフッドにとってその環境は悍ましいものだと承知していた。
 ただ、彼等を弔って部屋の整理をするには悲壮が大き過ぎて手を付けられないでいるのだ。呆気無い死への恐怖と怒りと、独り遺されてしまった絶望と孤独が一気に噴き出せば、もう二度と前を向けなってしまいそうな気がして関われなくなってしまっているのだ。だから臭い物に蓋をするように、何でも無いように振る舞う事で己の心を守る事を選ぶ他に無かった。彼女は気丈ではあるが、決して強い訳ではなかった。

 脚を庇って壁伝いに移動しながら書斎へ向かう彼女の背を玄関から見送り、ロビンフッドは肩を竦めた。

 夜まで大分時間があった。ロンドンは文化的にも栄えた街だ。魔霧によって都市機能が途絶えてさえいなかったら良い観光の機会だっただろう。魔霧による縁で呼ばれた身でありながら、ロビンフッドは魔霧が発生する前のロンドンに思いを馳せていた。
 ロンドンの文化的価値など、彼にとっては現界した際に得た知識でしかないが、その華々しさとはかけ離れた現状は快いものではなかった。橋も塔も大聖堂も焼いた四日に渡る大火事も、国会が停止する程のテムズ川の大悪臭も、インフラを整備する事で乗り越えて更に発展してきた活気こそが、この都市の魅力ではなかったのか。大火の反省によって生まれた煉瓦造や石造の家々は趣に満ちているが、人が居なくてはただの空の入れ物だ。
 シャーウッドの森で密やかに生きてきたロビンフッドにとって街は猥雑で窮屈なものだが、そこで暮らす人々の幸福の尊さを彼はよく知っていた。ゴーストタウンと化した都市も、遺体が転がったままの家も、彼の知る幸福には程遠い。


 その夜更け、ロビンフッドは夢を見た。
 オークの木々が生い茂る深い森。硬い石畳に、枯れ果てた街路樹。神聖なイチイの樹。懐かしいシャーウッドの景色に、時折淀んだロンドンの繁華街の街並みが混線する。都会と森の風景が深い霧に境界を曖昧にされて交錯する。
『孤児だなんて。また厄介な』
離れた所から戯れる人々を見ている幼い子供。自分がその輪の中に入る事は出来ないと知ったのは遠い記憶。幼い頃に亡くしたきり最早朧気な父の顔。
『あの緑の眼。きっと災いを呼ぶ』
誰に言われたのか覚えていない。けれど幾度も聞いた言葉。森の深くから彼等を見る眼に羨望を孕んでいたのはきっと否定できない。
『嫉妬とお揃いの眼』
低く艶のある声に芝居がかった滑舌。孤独は大勢の人間の間にある。灰色の街中では、緑の瞳は誰ともかち合わない。
 本来、サーヴァントは夢を見ない。
 であるならば、これは召喚者から共有されたものだ。互いの記憶層に迷い込んで、彼と彼女の記憶が抽象的に混線し、歪な夢の形を作っていた。パブの二階に設置されたベッドで枕に頭を埋めるロビンフッドと、死臭に満ちたアパルトメントで夜を過ごすメイの深層心理が物理的距離を超えて癒合する。
『酷い赤毛。きっと信用ならない癇癪持ちだ』
『森の奥深くに住んでいる輩はこの村の者ではありません』
『移民の街と言えど、魔女が許されるものか』
『あの妖精憑き。薄気味悪いったらありゃしない』
寝返りを打つロビンフッド。人口が一気に減ったロンドンの夜は酷く静かで、シーツの擦れる音すら通る。
『悪しき魔女でないと言うならば、さっさとこの霧を払ってくれ』
『ああ緑の人。私達を圧政から救ってください』

 結局、ロビンフッドは夜が明ける前にシーツから這い出た。
 ベッドの端に腰かけて、店内を漁って手に入れた煙草を我が物顔で吸う。英霊といえど身体をもって現界すれば生理欲求は付いて回る筈だが、人間のそれ程ではないらしい。
 眠り直す気にもなれず、ロビンフッドは窓から白んでいく空を茫洋と見上げた。見下ろせば路地を徘徊する怪機械達が目に入るので、自然と目線が空の方に限られてくるのだ。
 次第に民家の屋根の間から光が漏れ出て、朝焼けが空を覆っていく。霧に輪郭を暈された日輪が東の空をゆっくり昇っていく様は厳かだが、シャーウッドの清浄さとは程遠い。ロビンフッドが吐いた紫煙は無風の室内を真っ直ぐ上昇していった。


 ロビンフッドがメイのアパルトメントを訪ねたのは、それから暫く経ってからだった。
 特に具体的な時間を指定された訳ではないが、のんびりしている事を良しとは言い難い状況下では遅刻の部類である。無警戒にも施錠を怠ったアパルトメントに踏み入るロビンフッドの足取りは重い。

 主人と顔を合わせるのが億劫なのは、あの夢の所為だ。
 サーヴァントはマスターし波長の合う者が呼ばれる事が多い。生い立ちに少々のシンパシーを感じたロビンフッドは、彼女が自身を呼び出せた理由を薄らと察した。けれど、だからこそロビンフッドは自身が呼び出された事を悔やんだ。若さと勢いのままに無謀な足掻きに身を投じた挙句、志半ばに倒れて結局は何も守れなかった中途半端な英霊の人生を彼女にもなぞらせてしまう予感がしたからだ。
 ロビンフッドの瞼の裏には、まだ付き合いの浅いマスターの顔が浮かんでいた。強張っていた表情筋を僅かに緩めて彼の礼を言った時の、メイの幼さを残した顔。
 その彼女にまた一つ、がっかりする現実を突き付けてしまった。
 メイとて彼と同じ夢を見たに違いない。そして落胆したに違いない。圧政から逃れる事を夢見た人々のあらゆる願望を背負わされ英霊の座に就いたロビンフッドの退屈な本性を知ってしまったのだから。頼もしい義賊として多数の物語が描かれるようになったのは十九世紀初頭からで、その実態は偉大さとは縁遠い村の厄介者でしかない。英雄として語られるにはあまりに無力な男なのだ。妖精や森と共に生きる術は知り尽くしているが、彼にこのロンドンの不浄の霧を払ってやれるような強大な力など、持ってはいない。
 元より、過大な評価されるのは彼の性に合わない。けれど、期待を裏切るのは何時だって心苦しい。
 ロビンフッドが思うに、庇護者を無くしたばかりで不安定な彼女にはもっと頼れるサーヴァントが必要だったのだ。例えば、滅亡同然の国を立て直し幾度となく訪れる飢饉をものともしない逞しい都市を築いた古代の王なら、今回の災いもくだらない躓きとして傲岸不遜に世界の一つや二つ変えてやれるだろう。或いは、独自の美意識と情熱をもって大国の皇帝を務めた暴君なら、持ち前の天真爛漫さで彼女の手を引いて悲しみごと掬い上げられたかもしれない。けれどロビンフッド自身は、奇襲奇策に走るしかない卑屈な英霊で、暗い闇の中から敵を撃つ以上の仕事は全くの門外漢だ。

 そんな鬱屈を飲み込んで書斎のドアを潜ったロビンフッドだが、メイは彼の来訪にピクリとも反応しなかった。乱雑に積み上げた本が今にも崩れそうなデスクに額を付けて、力無く項垂れていた。というより、半分寝ていると言うのが適切な様態ですらある。
 長い赤毛の隙間から見える首は、血が通っているのか怪しい程に白い。ロビンフッドは思わず、起きているのかと訊ねるべきところを生きているのかと聞いてしまった。
 その声に反応してメイは完全に覚醒したようで、肩が揺れたが、体勢はデスクに突っ伏したままだった。彼女は絶望に満ちた声で低く唸る。
「全っ然、見当が付かないの……駄目……そんなドルイド見つからない」
歯切れも滑舌も良くない、落胆を隠さない声だった。
「ああ、そっちですかい」
理由を聞いたロビンフッドは拍子抜けした。敵と確定している訳でもない相手への情報不足より、味方の力不足の方が余程悍ましい物ではないのかと、彼女の危機感に呆れすら感じた。
「ここに手掛かりが無いならロンドン図書館にでも行くしかないじゃない……でも探せっこない。innの次にinsanityが配置されてるんだもの。きっと丸一日暇があっても目当ての文献に辿り着きはしないわ」
メイが申し訳程度に顔を上げて失意の程を報告する。本を漁り続けていた眼には充血が見られた。疲れ目を乾燥と勘違いした脳が涙腺を緩くしているのか、緑の眼は酷く潤んでいた。
 セントジェームズスクエアにあるロンドン図書館はイギリス中の一般市民だけでなく王室からも本が寄付される世界最古の図書館だ。多くの知識層に愛される図書館だが、書籍がタイトルのアルファベット順に並べれられる為に「宿」の次に「狂気」が並んだり「馬鹿」の次に「フットボール」が並んだりする支離滅裂ぶりを見せている。蔵書の多さも災いして、調べ物は到底向いていない。ドルイドの真名だなんてマニアックな調べ物は、藁の中に落ちた針を探すようなものだ。
「不甲斐無いマスターでごめんなさい」
夢が共有される程度の時間は居眠りをしたのだろうが、彼女の眼は虚ろで明らかな寝不足の相を見せていた。
「ま、俺はそんな期待はしてませんでしたし? そもそもサーヴァントなんて、実際の人物像からかなり脚色された奴も少なかないんですよ。俺みたいに」
貴方みたいに、と反芻したメイだが、その意味を捉えかねて首を傾げていた。ロビンフッドは自身の懸念は杞憂であった事を悟った。

 メイは眼を擦りながら、今日は魔術師を当たりましょうとロビンフッドに告げた。
 無駄な時間を過ごしてしまった後悔に気分は沈んだままだが、出来る事がまだある時に立ち止まる方が後悔を広げてしまう事を彼女は経験的に知っていた。
「此処から遠くない屋敷にスイス人の魔術師が居るの。ヴィクター博士って呼ばれてるんだけど。用心深いお人だから覚悟しておいて」
玄関先で問答になるかも、と言いつつメイはデスクに散乱させた本を棚に戻し、出かける準備をし始めた。
 座り皺の付いたドレスのスカート部分を叩いて、髪を結い直す。彼女と博士は知り合いと言えるような間柄ではないので、非常時でも身だしなみは必要だ。それにしても、女は出かける支度を始めてからが長い。この少女も例外ではなかったようだとロビンフッドは慌ただしく動くメイの後姿を見遣った。その背中は余りに普通の少女そのもので、部屋に満ちた死臭に鼻が慣れてしまえば、この家の異常さを忘れてしまいそうな程だった。

 身支度をする彼女の眼を盗んで、ロビンフッドは彼女の両親だったものの傍に花を添えた。魔霧に侵されたロンドンに自生する物ではないそれは、彼の魔力に依るものだ。
 ついぞ彼等の見た夢の話はしなかった。

 アパルトメントの施錠を確認した彼女は、ロビンフッドを振り返って、念を押した。眠気の残る潤んだ眼はもう何処にもなかった。
「もし、博士が魔霧計画に加担していた場合は頼んだよ」
「りょーかい。人間だけなら有り難いんですけどねえ」
魔霧計画への勧誘が魔術師の末端でしかない彼女の家にも来ていた事を鑑みれば全くあり得ない話ではない。博士だけならどうとでも対処できるが、屋敷にサーヴァントを招き入れていれば厄介な事になるのは必至だとロビンフッドは気を引き締めた。


 ソーホーはロンドン市内でも霧が深いエリアとなっているが、午前の内は比較的霧が大人しい方である。
 昨日と変わらず我が物顔で街を徘徊する怪機械達をやり過ごしながら、二人は魔術師の屋敷を目指す。父親の書斎から引っ張り出した住所の書かれたメモを片手にメイはロビンフッドの前方を歩いた。幸い、ヴィクター博士の屋敷は時計塔ほど遠くなく、彼女の家と同じソーホーの中にある。
 彼女の歩き方は自然とは言い難いが、脚の調子は昨日より遥かに良かった。

 前方に出現したヘルタースケルターが接近してくる前に射止めて機能停止させたロビンフッドが、思い出したように報告した。
「そういや昨日、アンタが調べ物してる間、ちと暇だったんで『顔の無い王』で姿を隠して怪機械どもの後をつけたんスよ。ほら、コイツ等がどっから送り込まれてんのか分かったら一網打尽に出来ると思って」
サーヴァントはマスターから供給される魔力を消費して活動するが、アーチャークラスは後方射撃をメインとするクラスの特性上、マスターと離れて魔力の供給が断たれても暫くは行動ができる。ロビンフッドも例に漏れず単独行動が得意だった。
「貴方、そんな事をしてたの」
驚くメイだが、派手な戦闘に縺れ込まなければ半日の隠密行動など苦でもないのだとロビンフッドは飄々としていた。
「マスターが調べ物してんのにサーヴァントが遊んでる訳にもいかないっしょ」
マスターとサーヴァントの立場を維持する事を考えれば、彼の独断は咎められるべきものだが、如何せんメイには主人の資質は無い。彼女は素直にその働きを感心するだけだった。

 無力化したヘルタースケルターを横倒しにして装甲を剥いだロビンフッドはメイに内部を見せた。その内部では歯車が複雑に噛み合い、音を立てて忙しなく回っている。
「オートマタもそうだがコイツ等、補給や整備を必要としてる気配が一切ねえんですよ」
機械には明るくないメイだが、ロビンフッドの言いたい事を何となく察する事はできた。人を認識して襲うプログラムも驚異的だが、これだけの大きさの物体を動かすエネルギーについても最新の科学として割り切るには無理があった。機械本体から外されてもカタカタと回転を続ける歯車にメイは感嘆する。ヘルタースケルターは抗議するように蒸気を噴出したが、彼女を火傷させるには距離が遠すぎるようだった。
「第一種永久機関が作り出されてたって事なの? オルフィレウスすら眉唾だってのに……サーヴァントの仕業?」
永久機関の存在は十九世紀に入る前に不可能と結論付けられている。十八世紀初めのドイツには一度勢いをつけて回せば二週間は回り続けるというオルフィレウス自動輪に纏わる伝承があるが、十九世紀のイギリスでは最早奇術としか認識されていない。何時だって、人間は得たいものの為にそれ以上の対価を支払わなければならない。良識ある魔術師達や錬金術師達なら、そんな事はとうに知っていた。だから人は犠牲を尊び、人智を超えた力に惹かれるのだとも。

 ロビンフッドがヘルタースケルターを蹴って路上に転がした。ゴンという鈍い金属音と共に歯車は石畳の上に散らばり、アーム部分が本体から外れる。
「コイツ等を止めたきゃ大本の英霊を叩くしかねえって訳だ」
彼女の調べるべき項目に機械工学に関連していそうな英霊が加わった。やはりロンドン図書館での無謀な調べ物は避けられそうにないと確信して、メイは疲れ目を擦った。
「そう。貴方が優秀で助かる」

 ヘルタースケルターの残骸を横目に、二人はまた歩き出す。
 怪機械に遭遇しながらの移動も慣れ始めていた。閑静過ぎるロンドンの市街は、彼等の話し声の他には遠くの怪機械の駆動音が聞こえるのみだ。
「呼ばれたからにはそれなりに働きますっつったでしょ。まあそっちは無駄に過ごしてたみてえですけど」
「ちょっと、一言多くない? みんな貴方みたいに真名丸分かりの格好してる訳じゃないの」
もの寂しい雰囲気を掻き消すようにロビンフッドが軽口を叩けば、メイは唇を尖らせて言い返す。次第に二人の口数が増え、取り止めの無い会話が暫く続いた。
「そうそう、そんな調子でホムンクルスの方も調べられない? 私の知ってるホムンクルスのイメージと結構違うから気になってたの。ほら、ホムンクルスってフラスコの中の小人が有名だけど、街に居る個体は結構大きいじゃない?」
「へいへい、小さなお嬢さんの仰せのままに」
「ねえ、だから一言多いって言ってるじゃない」

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