誰も知らない貴方の事2

 パブを出た二人は、時計塔のあるリージェントパークを目指して霧の中を急ぐ。
 走るロビンフッドに担がれたメイは、ロンドンの街並みが車窓の風景のように通り過ぎていくのに唖然としながら揺られていた。挫いた脚を庇いながら歩いては何時まで経っても目的地に辿り着かないどころか機械達の襲撃を受けて終わるだけだと、見かねたロビンフッドが彼女を担ぎあげたのだった。自身が小柄だという事を差し引いても軽やか過ぎるその機動力に、メイは改めて英霊が人とは格段に性能の異なる存在なのだと思い知った。
「アンタそんだけで本当に大丈夫か」
魔霧が一層濃くなっている通りに差し掛かった時、ロビンフッドは走る速度を緩めて聞いた。メイの口元を覆うのは、パブから拝借した布巾一枚だ。若干の魔術耐性があるといえど、長く魔霧に晒されているの危険には違いない。
「分からないけど、迂回しても良い事が無さそうだからこのまま真っ直ぐ最短距離でお願い」
機械の駆動音が遠くない事を察知して、メイはロビンフッドを急かした。屋外での活動そのものが危険なのだ。移動に時間をかける事も襲撃に遭う事も出来るだけ避けたいメイは魔霧を無視して外出時間を短縮する事を選んだ。ロビンフッドも彼女の判断に従って、また加速する。
 視界に徘徊する異形達の姿が映る事が幾度かあったものの、ロビンフッドの姿を消すスキルの御陰で足止めを食らう頻度は極少なかった。


 リージェントパークに到着したメイは、担がれた体勢のまま瓦礫の前で暫し呆然とした。
 時計塔はその建物の面影を見付ける事が難しい程に破壊されていたのだ。遠目から目的の建物が見えていなかった事を訝しんでいたものの、他の建造物が徘徊されていない状態から靄の所為だと楽観視していたメイだったが、非情な現実が突き付けられた。
「どうして此処だけ」
その声は目的地を失った動揺に掠れていた。地下にも広がっている魔術協会だが、地上部分の時計塔は見る影も無く、地下は瓦礫の山に塞がれて存在すら怪しかった。これでは教会には誰も居ないに違いない。
「そりゃあ、隠したいものがあるからっしょ」
ロビンフッドが当然と言わんばかりに答える。二人の視線は瓦礫に埋もれた地下空間に注がれる。瓦礫の断面は鋭く、まだ新しい破壊の跡である事が窺えた。
 じゃあ、と言って地面に降りようとするメイを制して、ロビンフッドは彼女を諭す。
「探索しよう、なんて言わないでくださいよマスター」
瓦礫を退かして地下に入ろう、と言う筈だったメイは不服を露わにした。
「踏み入れられて困る場所なら当然侵入者を阻むトラップも用意するに決まってる。ていうか、この場所自体が探ろうとしてくる輩を誘い込んで始末する為の罠って事もあるかもしれねえんですよ」
罠を仕掛けるのは得意なロビンフッドだが、仕掛けられた場所にわざわざ踏み入るのは専門外だ。寧ろ破壊工作に長けた彼だからこその危機管理だった。でも、とメイも食い下がる。魔霧を発生させた首謀者が存在する事以外の情報も、事態を好転させる手がかりも一切掴めていないのだ。すべきことがあやふやになった今のメイにとっては、危険が大きかろうと時計塔の跡地を調べる事は魅力的に見えていたのだ。
「屋内戦になればアーチャーはただでさえ不利。ていうか、アンタ担いだままじゃ弓もろくに引けませんしねえ」
無謀だと説かれて、メイはしおしおと引き下がる。特に、挫いた脚の事を言われては、彼女も強くは出られない。ただただ情けないばかりだった。焦燥に駆られるばかりで打開策を見出せないどころかお荷物にしかなっていないメイは、己の不甲斐無さに項垂れてしまった。
 その落ち込みように、ロビンフッドは気が滅入った。
 使命感や行動力に対して、彼女の能力は余りに低い。英霊の扱い方も知らず、敵も現状も手探りで、つい昨日までは親の庇護下にいた少女がサーヴァントを得たところで何が出来る事は限られている。理想と噛み合わない彼女の現実は、虚しく痛ましい。その青臭さは、間違った事を言っていない自信がある筈のロビンフッドの胸に罪悪感を芽吹かせる。
「脚がまともに動くようになってから、また考えましょうや」
ロビンフッドはリアリストだ。しかし、両親を亡くし自身も脅かされておきながらなお異界と化したロンドンで僅かばかりの希望を求めて足掻く少女に、無駄だと言い捨てられる程器用な男でもなかった。
「そう、ね。今は別の出来る事を探した方が良いのかも」
お人好しのサーヴァントの言葉に、漸くメイの視線も瓦礫の山から外れた。

 「ねえ、ロビンフッド。ありがとう」
暫しの沈黙の後、メイが徐に口を開いた。助けられた時に言い損ねた言葉が、このタイミングで滑り出た。そしてメイは現在進行形で彼に助けられている。彼の人の良さが、焦燥感でいっぱいだった気分を落ち着けていく。
「やめてくださいよ、そんな突然。ほら、マスターの為に動くのはサーヴァントの仕事ですし? そんな大げさに受け取られても困るんですけど」
マスターを失えばサーヴァントも魔力の供給源を失って消滅する事を鑑みれば、マスターの安全を確保するのは当たり前の行動だ。けれど、独りきりになった少女にとって、自身を庇ってくれる存在が居る事実は重要だった。

 状況を受け入れて考えを巡らせる余裕が生まれたメイは、新たに今できる事について具体案を出した。
「一人だけ所在を知ってる魔術師が居るの。そこを当たりましょう」
向こうが私の事を覚えているとは思えないんだけど、と悩んだメイだが、出来ることの少ない現状を鑑みれば選り好みする気はなかった。
「ていうか、もういい加減に屋内に帰りません? 自分じゃ気付いてないかもしんないスけど、オタク顔が青いんですよ」
「でも、試算では三日足らずで数十万単位の死者が出るって聞いたの。じっとしてた方が病んじゃいそう」
悪い事だけが増えていく状況だ。魔霧の瘴気に身体が侵されているのは勿論だが、焦燥は彼女の後ろをついて離れはしない。解決の糸口を掴む為に闇雲にでも手を動かした方が、精神の健全性を守る為には有効だった。それが膨大な不安に押し潰されない為の防衛手段でもあった。


 訪ねるべき魔術師の住所を伝えようとメイが口を開く前に、ロビンフッドが彼女の口を掌で塞いで瓦礫の陰に引っ張りこんだ。
「何か来ますよっと」
彼は息を潜めた声で、一際濃い魔霧が漂っている通り沿いを指差した。メイも彼に釣られて息を詰めて通り沿いを見遣った。
 通り沿いの霧は雷雲のように光をチカチカと発生させたかと思えば、その中から人影が滲むように浮き出始める。そして魔霧の中の人影は徐々に鮮明になり、青いローブを纏い木製の杖を携えた男を顕現させた。背はロビンフッドより幾分か高く、引き締まった筋肉質な体躯の美丈夫だった。青い長髪や切れ長の眼は知性を感じさせるが、自信に満ちた表情と深紅の虹彩は好戦的な印象も与える。神々しい印象の男に二人は思わず固唾を飲んだ。
「あの恰好、ドルイド僧よね。キャスターかしら」
このような登場が出来るのは稀代の魔術師でなければ、サーヴァントだけだろう。ロンドンの街を歩くには奇抜な格好の男の姿について、メイが声を潜めて言及する。魔霧の影響でイレギュラーな限界を果たしたロビンフッドの存在がある手前、彼等はその男が現界した英霊の類だと見当を付けていた。聖杯戦争ではないので無闇に敵対する必要は無いが、警戒は解けない。メイは両親を殺した男もサーヴァントだと見当を付けているからだ。魔霧の中を悠々と歩いていた事や、警戒していた人間を一瞬で四散させてしまう攻撃も、そう考える理由だった。直接的に両親を殺めた相手ではなさそうだが、その仲間だった場合は彼女の敵となる。
「あしらってあんのはルーン文字っスかね。しかしマスターは居ねえみたいですよ」
声を潜めて視覚からの情報を整理する二人。マスター不在の現界などロビンフッド以上にイレギュラーな事態だが、これもロンドンを覆う魔霧の影響だろう。
 もしもあのサーヴァントが敵ではなかったら、という考えがメイにふと過った。
「もし、彼が協力してくれたら、私達は魔術協会の地下を探索できそう?」
ロビンフッドが驚嘆した顔でメイを見遣った。彼女は地下探索を一旦は諦めたものの、前提条件を変える機会を得て希望を見てしまった。
 けれど、その言葉は直ぐに彼女自身の口から取り消された。かつて二度行われた聖杯戦争の末路を彼女も聞き及んでいた。一回目はサーヴァントを御しきれずに暴走させ、二回目は令呪による制御方法が開発されるも全滅により勝者不在。その過酷な結果から、英霊は人間の手には余る存在である事は明らかだった。まして、令呪も無く、英霊を使役する心得も無いメイには荷が重すぎる。
「ごめん、今の忘れて」
余りに勝算の低い話だ。例え魔霧の計画とは関わりが無いサーヴァントだったとしても、素直に協力を仰げるとは限らないし、狂化されていれば意思疎通すら難しいと言うのに、あまりに楽観的だったとメイは反省する。
「……まあ、敵ではないっぽいですし、今のところは取り敢えず良しとしましょうや」
ドルイド僧の格好のサーヴァントは怪機械達に気付かれ、囲まれ始めていた。小型のヘルタースケルターやオートマタと呼ばれる機械人形が、通りに無尽蔵に集まっていく。霧に潜むものから攻撃を受けているという事は、本当に魔霧計画とは無関係のサーヴァントなのだろう。彼は魔術で炎を操り、数体の機械人形を焼き尽くしてみせた。強力だが、怪機械の数が多く対応に手間取っている様子だった。
「いっそ魔霧計画に関係してるのなら此処で捕らえて尋問できたのに」
メイが爪を噛んだ。小柄な少女の口から出るには不似合な言葉にロビンフッドが肩を竦める。だが、手段を選ぶ時間が惜しいのも事実だった。
「尋問ってねえ、マスター……まあ、その手の心得もあるっちゃありますけど――と、オレ達も此処から逃げた方が良さそうっスよ」
見れば、火の粉を飛ばして激しく応戦する男は相当な数の怪機械を呼び寄せていた。いくらロビンフッドが隠れる事に長けていても、それは視覚を誤魔化すだけの話だ。物陰から様子を窺っていては巻き込まれるのも時間の問題だった。
「げえ、ホムンクルスも来なすった」
軟体めいた二足歩行体まで姿を現していた。白い餅のような丸みのある身体を揺すりながら、石畳の上を幼児じみた足取りで歩いてきている。リージェントパークに向かう道中でも遭遇した事があったが、異様に伸びるランスのような腕を持つあれは弓兵にとって厄介な相手だった。
 これ以上厄介なもの達が集まってくる前に撤退しようと、ロビンフッドがメイを担いで脚を踏み出す。

 「ねえ、ドルイドの英霊様、良い待避所があるんだけど、ご一緒にどう?」
そんなの相手にしていてもキリが無いでしょう、とロビンフッドに担がれたままのメイが声を張った。穏便に逃げる筈だったロビンフッドは主人の行動に素っ頓狂な声をあげる。彼女の声に反応したのは、サーヴァントだけではない。機械人形がヘッド部分を緩慢に回して、彼等の存在を捉えた。積極的に厄介事を増やしたメイに渋い顔をするロビンフッドに、彼女は申し訳程度に軽く謝った。
「敵の敵は味方って訳じゃねえんですよ!?」
駆動音をさせて向かってきたオートマタを蹴り飛ばしてから、ロビンフッドがマスターの甘さを詰った。足元に螺子や歯車が散って、耳障りな音が立つ。
「うん、ごめんなさい。でも、やっぱり気になっちゃうじゃない」
ドルイドの英霊は、無尽蔵に湧いてくる怪機械達を相手にしているのもキリが無いと悟ったのか、先を走るロビンフッドの後ろを素直についてきていた。
 味方になる事を期待する甘さが無かった訳では無いが、メイが最も気にしたのはサーヴァントを放置した場合の結果だ。怪機械達に敗れて消滅するだけなら害にはならないが、魔義理計画の首謀者側に取り込まれたり使役されたりしないという確証も無いと考えてしまったのだ。声をかけたのは、ここで放置して彼を見失う事は回避すべきだという判断の結果である。
 ロビンフッドは彼女の言い分を聞く事は無かったが、今更文句を言っても事態が変わらない以上、溜息一つで済ませて遁走に徹した。

 一時的な協力によって、ソーホーのパブまで駆け戻るのは往路より早かった。
 後方を走る男が行く手を阻もうとする怪機械達を焼き払ってくれるので殆ど立ち止まって応戦せずに済んだのだ。この共闘関係が継続出来たら心強いのにと思うメイだったが、やはりそれは甘すぎる考えだったようだ。
「自分の時代以外の事情には深く関わらない、あくまで兵器として協力するだけってのがサーヴァントの鉄則だ。俺にマスターは居ねえが、アンタをマスターに据えるってのも御免だ。だからこの時代には干渉せず、自由にさせてもらう」
店のシードルを片手に堅パンを咀嚼した男は、そう言って協力を断った。快活な表情にで取っ付き易い口調は兄貴肌で気の良い性分を窺わせたが、人の指図を受けない強さもあった。
 この店の食料を彼に与えたのは、あわよくば生理欲求を充足させて懐柔てしまおうという魂胆だったが、それも無意味に終わった。ロビンフッドは最初から会話にも食事にも参加せず、部屋の隅で酒瓶にアルコール度数の高い酒を詰め直して気休め程度の火炎瓶を黙々と作っていた。初めから交渉に期待はしていなかったのだろう。
「屋内にはあの鬱陶しい雑魚共も来ねえんだろ。なら別に構いやしねえよ」
この都市としての機能を奪われた街で独り無目的に過ごすというのは、メイの価値観では苦痛な事に思えた。しかし、主人も目的も無く現界したサーヴァントは、この世界から隔絶している。
 彼はこの世界に固執しない。そもそも英霊である彼はとうにこの世とは縁を切った筈の存在なのだから、この世に対して他人行儀でも無理は無いのだ。そしてメイには彼に食い下がる術も無かった。契約者という手綱の無いサーヴァントの気分を損ねたら、怪我をするのは彼女の方だからだ。聞き分けの良いふりをして、口惜しさを飲み込む以上の事は出来ない。

 男がシードルを飲み干して、席を立つ。
「御馳走さん。嬢ちゃんがあともう少し良い女だったら考えてたかもなあ」
男の大きな掌が、メイの頭を雑に撫でた。子供や犬ころにするような手付きだった。この英霊も、気を抜いた時はどこか俗っぽくて気安い。その親しみ易さが人間性を錯覚させる分、非人間的な対応をされた時に辛いものがあった。
「失礼な人。私だって、聖剣を引き抜いた頃のアーサー王と同じ歳なのに」
辛気臭さを嫌って、メイが子供扱いされた事への不満を表明して肩を怒らせる。その反応と屁理屈が余計に子供っぽいのだと、ドルイドの英霊はケラケラと笑った。
「テメエも難儀だな。湿気たとこに呼ばれた挙げ句にガキの子守じゃあな」
ロビンフッドの境遇に同情する体で、またもメイを揶揄った。
「へぇへぇ、そっちは良い御身分で」
今まで会話に参加しなかったロビンフッドが投げやりに言い返す。しかし、男の言葉は彼にとってあながち見当違いでもないのだろう。もう、とメイは反発心を露わにするが、反論に至る材料を探せず頬を膨らませた。
「……まあ、魔霧計画に加担しないでくれたらそれで良いの。何ならまた食事にいらっしゃい。私達も当分は此処を拠点にするつもりだから」
自分が食い下がったところでどうにか出来る相手ではない事を承知しているメイは、せめて敵対せず彼の動向を把握できる状態を望んだ。
「そう言われちゃ断われねえなあ! ああ、犬は出すなよ。生前、そういう誓いを立ててんだ」
「出さないよ。犬なんてもう、とっくにロンドンから姿を消してるんだもの」
メイがヒラヒラと手を振って、ドルイドの英霊を送り出す。彼の背中は直ぐに霧に霞む通りに消えて行った。振り返られる事も無かった。

 快活な男が消えた酒場は、嫌に床が広くなったかのように閑散とした。
「魔術師を訪ねるのは後回しにしましょう」
英霊が去って行った通りを見つめながらメイは提案した。男を見送った時の年相応の愛想はとうに引っ込み、表情は硬いものへと戻っていた。
「彼の真名を調べるの。万が一、敵対した場合の事を考えるなら、そっちの方が都合は良いでしょう」
明日の敵は何とやら。害意の無い事を確認したとしても、彼女の不安は拭えなかった。存在を確認した以上は万が一の事態の為の対策も必要だ。ロビンフッドが顔を上げて、アテはあるのかと問う。
「英霊が知名度と信仰によって存在する人間霊なら、見当くらいは付くんじゃないかしら。特に魔術師の類なら、うちの研究分野だから望みはあるかと思うんだけど」
彼女の家には、四散した両親の遺体が転がったままだ。手掛かりを探す為とはいえ、そこに戻るのは気が引ける筈だが、彼女の決断は早かった。
「というか、貴方が真名をまるで隠す気の無い格好をしてるんだもの。既に弱みを握られてるも同然じゃない?」
その緑衣に弓矢ならロビンフッドだと分かるに決まってると懸念を漏らす。こればかりはロビンフッドも何も言えなかった。
 メイの脳裏に反芻されるのは、ドルイドの英霊が杖を振るう度に起こる炎だった。オートマタがあっという間に燃え尽きてしまう火力。好戦的な光を湛えた彼の灼眼と同じ、苛烈な赤。
「私、嫌よ。あれに火炙りにされるのは」
燃えるような赤毛をくしゃりと掴んだメイはそう零した。彼女に流れる異邦の魔女の血が、火刑の機械人形に己を重ねさせていた。

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