ラブリュスの牝牛

 どうしてこんな事態になってしまったのか。
「じゃあミィちゃん、お客様におっぱいを搾るお手伝いをしてもらおうか」
嘗ては弟のように面倒を見ていた男が、肉欲に掠れた猫撫で声で提案する。逃げようにも、そこは脱出不可能な迷宮の最奥。隊長は自身の迂闊さを呪った。
 事の発端は、数十分程前に遡る。



 王子が素性の知れぬ者を囲っている。
極々一部の貴族達の間のみだが、そんな噂が囁かれ始めたのは、つい最近の事であった。足繁く後宮へ通う姿は目撃されるものの、どの女が寵愛を手にしたかという話が一向に聞こえてこない事から、そんな憶測が生まれたらしい。
 この事態をただの噂として看過しなかったのが、近衛隊長だった。代々王家に仕えた忠君の中の忠君を名乗り得る血筋への誇りと、王子に剣を教えてきた関係から醸成された歳の離れた兄が弟を想うような気持ちが、彼を愚直にさせていたのだ。
「恐れを知らない、頼もしい近衛隊を持ったものだ」
慇懃な口調ながらも単刀直入に事の真相を問う隊長に、王子は良い顔をしなかった。兄弟のような親しみのある間柄といえど、王子はもう戴冠式を間近に控えた歳。このような噂如きで要らぬ節介を焼かれるのは不快であると、眉間の皺が語っていた。
「主君の御身をお守りするのが我が使命にございます。後宮の女達の多くは貴方を足繁く通わせる者を血眼で捜しております上、精神的に不安定になっておりますから、不穏な動きをせぬとも限りませぬ」
揶揄に屈せず生真面目に答える隊長に王子は肩を竦める。
「良かろう。私とお前の仲だ。」
王子は踵を返すと隊長を後宮へと手招いた。


 後宮は本来ならば、男は王族の直系の中でも王位継順位の高いものしか入れない。隊長も此処に脚を踏み入れるのは勿論初めてである。人気の無い廊下であっても花と香油の蠱惑的な薫りが漂っていて、彼の居心地の悪さに拍車をかけた。
「そのような顔をするな、隊長。お前が懸念しているような事は無い。要らぬ畑に種を蒔く程物好きでもなし」
勝手に余所の女を囲って諍いの火種になり得るような子を作られては困る、という貴族連中の愚痴も届いていたらしい。王子が前もって否定する。彼もそろそろ正室を決めて正式に王位を継承しなくてはならない。その自覚くらいあると言いたいらしい。これを聞けば、悪趣味な噂に気を揉んでいる貴族達は一先ず胸を撫で下ろすだろう。
 その後は無言のまま、二人は後宮の入組んだ廊下を抜け、突き当たりの部屋の扉を潜る。

 空室のそこは、王子の実母が嘗て正妻の座を手にする前に使用していた場所だった。
 王子の母、王妃が亡くなって、もう十年が過ぎようとしていた。それでも使用者を喪った部屋は埃を積もらせる事も無く維持されていた。
「して、お前は母君の死に様を覚えているか」
部屋の壁にかけられた美しい王妃の肖像画の額縁に、王子は手を伸ばした。まだ王子があどけないばかりの薔薇色の頬をした子供で、剣胼胝も小さなものしか出来ていない頃に描かせたものだった。額縁の中の王妃は稚い王子を抱き上げて、聖母子のような笑みを浮かべている。その後ろには、彼女が可愛がっていた白い毛並みの美しい牡牛が二人に寄り添っている。
「ええ……しかし、私はてっきり、貴方は御母君を思い出すのがお辛いのだとばかり……」
彼女は王子の弟を身篭っていた時、牛舎で亡くなった。朝方に家畜の様子を見に来た使用人が、血塗れの彼女の遺体を見つけた。遺体は裸な上に血の出所は彼女の股座で不自然に裂けており、誰かが彼女に乱暴を働いた末に殺したのだと、皆が想像するには充分な惨状だった。
「母君の遺体を処理したのはお前の先代の筈だが、何も聞かされていないのだな。遺体の腹に動くものがあったと報告を受け、我々はそれを確かめた。母の、あの女の胎に居たのは、父との子ではなかった。成犬程の大きさの、人の手足に人の顔を持った奇形の牛だった」

 王子は肖像画の牡牛と王妃を一瞥する。牡牛を特別に可愛がっていたなどという表現では、到底生温かった。明かされた悍ましい事実に、隊長は息を呑む。だが、王子の声に憎悪や悲壮は無い。過去を明かす口調は滔滔としており、感情を測らせない。
「人の赤子のような声で鳴く、白い毛並みの牡牛だ。羊膜を纏ったままのソレが遺体の胎を裂きながら這い出る様を私も見た。あの女がいつからそのような事をしていたのかは知らない。私がまだ精通を迎えるより前の話だからな」
王子が肖像画をずらせば、隠されていた壁面から隠し戸が出現する。そこを潜ると、地下へと伸びる階段が続いていた。何の為にこんな空間を用意したのかと今更わざわざ問う程、隊長は鈍感ではなかった。王家の呪わしい過去を明かされた今、何を隠していたとしても驚かぬよう覚悟を据えるべきなのだと隊長は腹から息を吐いた。

 地下は迷宮だった。
 階段の昇降を繰り返した事も鑑みれば、自身が本当に地下に位置しているかすら怪しい。かれこれ二十分近く、隊長は先を歩く王子の背を追う形で歩かされ続けた。数多の曲がり角に方向感覚を奪われ、隊長には最早自身が実際にどれほど後宮から離れたのかすら把握できなくなっていた。
 騙し絵のような壁と傾いた柱によって平坦に見えるよう細工された登り坂は、隊長が注意深さと優秀な三半規管を併せ持つ洗練された兵士でなかったら違和感を持たれる事すらなかっただろう。振り向けば、二股と思っていた岐路が三股であると気付かされる。入るのも難儀をする構造だが、出る者にとっては殊に厄介な作りだ。何者をも出すまいという執念すら感じる迷路に感嘆すると同時に、王子と逸れては生きて出られる保障は無いと隊長は背に冷たい汗を滲ませた。

 「……ところで、その人面の牛は生まれて直ぐに殺されたのですか」
迷宮に隊長の声が小さく反響する。一時は聞くまいと思っていた彼だが、最早確認せずにはいられなかった。この迷宮が何者をも出さぬようにと作られた物であるならば、一体何を匿い閉じ込めようとしているのか。確信に似た悪寒が隊長の首筋を舐める。
「まさか。父は違えど、私の弟だぞ」
この迷宮は、王妃の遺した怪物を匿う為の物であると、王子は振り返りすらせずに告げた。十字路を通過し、螺旋状の階段を昇り、床に備えられた隠し扉からまた下層へと降りる。やがて二人は、王妃の部屋に良く似た間取りの部屋へと出た。壁にかけられた額縁の位置も、鏡台の形も、抽棚も寝台も、全てが瓜二つ。相違点といえば、額縁には肖像画が入っておらず、寝台には使用者がいるという事だけだ。
 訪問者の気配に気付いた寝台の主が、緩慢な動作で二人を振り返える。一糸纏わぬ筋骨隆々にして頭に一対の角を持つ、半人半牛の男と眼が合う。百聞は一見に如かず。王妃の過ちから生まれ母体を死に至らしめて此の世に這い出たこの生き物の纏う業の深さを、隊長は皮膚を刺す生理的に畏怖を感じざるを得ない感覚をもって理解した。
 牛と同様に角張った横長の瞳孔を持つ大きな眼球が、静かに隊長と王子を見据える。その顔に敵意は伺えない。寧ろ、王子に対しては親しみすら抱いているような表情を見せた。
「これもあの女の血が私に流れている所為に違いあるまいよ」
寝台に歩み寄った王子が、半獣の口を吸った。

 あまりのアンモラルな光景に、隊長は一瞬呼吸を忘れた。王子は自身の母と同じ罪を重ねていたのだ。それも、その異形を弟と認めた上で。
「ミィちゃん、今日はお客様が来てくださったよ」
異形から唇を離した王子が、猫撫で声で挨拶を促した。王子は牛の血を引く逞しい顎を掴んで、隊長の方を向かせた上で紹介してみせたが、当の異形は接吻の余韻で陶然としており聞こえていたかは怪しい。
「んうぅー?」
人間の声帯を持っているらしく、巨躯に見合った低い音を出すが、明らかに知能の足りない惚けた声だった。数拍遅れて漸く客という単語を反芻して、その異形は蕩けた眼を瞬かせる。牛らしく長い睫は白く、瞬きするとよく目立った。
「神話の半人半牛に倣ってミノタウロスと呼んでいたのだが、長い単語は覚えられんらしい」
悍ましい経歴の怪物をまるで犬や猫のように気軽に呼ぶ王子に、隊長は瞠目する。世間には到底出せぬ怪物だが、頭も良くなければ凶暴性も無いこの生き物は人畜無害かつ従順であると王子は宣った。
「勿論、迷宮の外に出す気は毛頭無い。愛玩動物の一匹や二匹匿うくらい、あの王妃に比べたら可愛い秘密であろうよ。私と隊長の仲であれば、秘密にしてくれるな?」
伺いを立てる王子だが、この迷宮から脱出し得る道順は彼しか知らないのだ。口封じに迷宮に置き去りにされたくなければ頷く他に無い。
 そうして隊長は、王子と怪物ことミィちゃんの睦み合いに巻き込まれたのである。


 ミィちゃんは直立すると背丈が七尺を超える。頭蓋から生える牡牛の角を含めれば、もっと大きい数字になるだろう。そして、乳首が四つあった。牛と同じで複乳なのだ。
「また自分で胸を弄ったな」
ミィちゃんを立たせた王子は、わざとらしく溜息を吐いてみせる。牡牛のくせにミィちゃんの乳首はどれも隊長の親指より大きく育っており、既に充血してふっくらと腫れていた。
「あ、ああっ、おっぱい! ムズムズする……!」
豊満な胸筋の上で腫れて赤く自己主張する乳首を王子が突付く。
「乳の出ない出来損ないの胸なのにか」
足りない頭には牡牛は乳を出せないという常識は刻まれていないのか、哀れにもミィちゃんは今日こそ頑張って出しますと舌足らずな声で繰り返した。短い鞭のような尻尾が、刺激に焦れて左右に大きく揺れていた。
「じゃあミィちゃん、おっぱいを搾るお手伝いをしてもらおうか」
王子が提案すれば、彼は従順に床に両膝を着いて四つ這いになった。これが乳を搾る時の体勢だと躾けられているらしい。
「ん、しぼって、ください……ビュービューしたい、です」
既に興奮しているらしく、牡牛の乳首は完全に勃起して硬く尖っていた。それは人間の雄どころか経産婦に比べても長大で、まるで少年のペニスが胸に付いているようなグロテスクさを湛えている。逞しい足の間からは、ミルク色の叢の下に埋もれていたペニスも顔を出した。反り返っていなければ尿道口が床に着いてしまいそうな程に長大な逸物は、牛のそれだった。触られる前から、だらしなく先走りを床に垂らし始め、行為への期待で満ち満ちている事が容易に伺える。
 王子の視線に急かされ、隊長は意を決して乳首を握る。乳牛の乳を搾る時と同様に、指を順番に動かして何も出ない乳を搾る。ミィちゃんの角の隣に付いた短い耳が、忙しなくパタパタと動いていた。
「んんーーっ……でるっ……あああ、でるぅ」
筋肉のミシリと詰まった背を撓らせて荒い息を吐くミィちゃん。牡牛に乳など出る筈もなく、虚偽申告に王子が馬鹿牛めと罵るがその声は愉悦に満ちていた。
「左手も使って、腹側の方も一緒に絞ってやってくれ」
王子は手本を見せようと言って、隊長とは反対側に付いて搾乳に加わった。ミィちゃんの右半身に付いている二つの乳首を搾る彼の手付きは、王族とは思えぬ程に慣れていた。王子と隊長に左右から挟まれて四つの乳首を一遍に搾られる快感に、牡牛は頭を振って嘶いた。
「オオオォッ、オッオォオオッッ」
ミィちゃんの脚の間で反り返っている陰茎から、精液が噴出した。凡そ人間には不可能な勢いと量で、白濁した粘液が床に撒き散らされる。
「オアああぁッみ、みるくっビュービューしてるっ……でてぅっオオオッ……! おお、おおしっこ、でるとこ、からッ!み、 みるく、たくさんっでてるぅ……!」
「馬鹿牛、ミルクはおっぱいから出すものだ」
王子が大臀筋の発達した牡牛の尻を平手で強かに叩いた。だが彼は射精に夢中で、その刺激すら快楽として受け取ったようだった。
「は、はひ、ごめんなさ、ミィちゃ、おしっこ、おしっこみるくしか、ああ、たくさん……」
支離滅裂に謝罪するが、隊長の指に自ら長大な乳首を擦り付け、腰を揺らして放尿のように長い射精に悦がるばかり。恐ろしい程に立派な陰茎を持っているにも関わらず、排尿の器官としてしか覚えていないらしく、ミィちゃんは舌足らずな口調でおしっこと繰り返しながら腰を振り続けた。
「こら、ちゃんとおっぱいに集中しなさい」
王子が一層激しく乳首を扱いて頭の足りない牡牛を追い詰める。出ない乳を搾る度、触れてもいない陰茎から精液が飛ぶ。その様子は本当に陰茎から搾乳をしているようですらあった。
「ほら、おっぱいの方からちゃんとミルクを出せそうか?」
「ごめんなざ、ああ、おしっこみぅくしか、アアァッ、おじっごみるぐぎもぢいッ」
「出来損ないめ」
王子が隊長にお気に入りの玩具を自慢するような口調で、可愛いだろうと耳打ちする。ただの人間の男など一撃で昏倒させる事が出来そうな巨躯も持ち腐れにしかできずただ飼い殺される可哀想な弟を、王子は酷く可愛がっていた。

 人になれず、雄としての機能すら取り上げられ、出来損ないの牝牛だと教え込まれた、哀れなで愚かな異形。その滑稽さが王子の愉悦を誘い、嗜虐心を満たすのだろう。
 隊長は一抹の同情を抱かない事もなかったが、良心に則って動いたところでこの生き物を救う事はできないとも理解していた。異形の牛は、人目を憚りに憚った迷宮にしか存在を許されない。王子の嗜虐心や異常な性癖が外に漏れるのも恐ろしい。隊長は頭を抱えたい気持ちで彼等の歪な行為を見遣った。
「ミィちゃん、今日もそろそろ種付けをしようか」
下穿きを寛げた王子が、四つ這いのまま晒された牡牛の肛門を指で広げて捏ね繰り回す。
「んん、おねが、しま、ああぁぁっまだビュービューでて、ぁあああっ」


 数年後、戴冠した王子は王となり、後宮の中から女性を娶った。
 王妃は美しく聡明で、寡黙で優しい人だった。けれど、夫婦生活は長く続きはしなかった。床を空ける事の多い王との子は望めず、責任感の強い王妃が気を病むのは早かった。
「王宮の地下から牡牛の嘶きが聞こえる」
地図には部屋すら無い場所を指して幻聴に魘される王妃に、隊長は首を横に振った。
 
 近衛隊が隊長の急な謀反によって瓦解するのはこの数日後の事で、王座が転覆するのはこの数ヵ月後の事である。



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