地下室

【投稿原文 地下室】

原稿を取りにAの邸宅を訪れた私は、出来心から勝手な探索した末に見取り図に無い地下室へと迷い出た。最低限の生活品の他は机と筆記具しか無いその部屋に佇むのは、痩身の男だった。その足首から伸びる細い鎖に戦く私に、彼は「私が望んだ事ですから」と諭す。その口振りはAの文章そのものだった。



【改定 地下室】

 銀杏並木が路上に金色の絨毯を作る頃、私は原稿を取りに行ったAの邸宅で、隠された地下室を発見してしまった。

 Aは私が担当してもうすぐ四年になろうかという若手作家で、中編サイエンスフィクションを得意とする男だ。読む者の五感を物語へと没入させる繊細で丁寧な描写で文壇を唸らせた注目株であり、作風から感じる印象とは正反対の粗暴さと傍若無人な態度でメディアを煽る問題児というのが、私を含めた彼を知る者達の見解だろう。扱い辛い厄介者ではあるが、精悍なルックスと若さも相俟って、普段は紙媒体の読み物など手に取らない若年層からの支持も厚いので弊出版社の稼ぎ頭でもあった。

 彼は人との接触を嫌う質で、打ち合わせでも邸宅に人を入れなかった。その代わり、仕事の締め切りはかなりの余裕を持って守るので、今まで支障が出た事は無かった。今回とて、此方の不手際で締め切りを伝え違わなければ、彼の私空間に踏み込む事も無かっただろう。
 原稿を書き終わるまで客間で大人しく待つように言われた私だが、人嫌いの排他的な若い作家に対する好奇心に負けるのは早かった。
 隣室の本棚が可動式である事に気付き、出来心で弄ってみれば隠し扉を見付けてしまい、無作法だと内省するよりも童心が疼いた。扉の先には地下へと続く螺旋階段があり、作家として売れ始めたAが家を新築するにあたって音楽鑑賞の為に防音の地下室を作ると聞いていた事を思い出し、少し覗いてやろうと思ったのだ。


 そして、入り組んだ廊下を幾つか曲がり、螺旋階段を上がって分岐路を適当に選んで進んだ所で、自身が地上へ帰る経路が分からなくなっている事に気付いた。敷地面積としては然程広くない筈だが、階段の昇降と曲がり角ばかりで移動に費やした距離は多かった。来た道を辿ろうにも、どの角を曲がって来たのか自信も無い。螺旋階段の為に方向感覚も怪しくなっていた。
 現在地が分からないので、Aに電話したところでナビゲーションは頼めそうにない。それどころか、Aがこの状況を知れば私を担当から外すよう会社へ連絡を入れるに違いない。自業自得には違いないが、作家の家で勝手をして煩わせるような編集など、解雇でもおかしくは無い。そんな危機感から、私は外部に助けを求める事を諦めて彷徨い続ける事を選んだ。


 排他主義の人嫌いといえど、音楽の為にここまでするだろうか。私が地下室へと続く扉を見付けたのは、そんな猜疑心が芽生え始めた頃だった。
 意を決して扉を開くと、案の定、その部屋には音響装置など無かった。

 そこには最低限の寝食に必要な物以外は事務机と筆記具くらいしか見当たらない。
 そんな殺風景な部屋に、先客は居た。繊細そうな顔立ちの、痩躯の男だった。生活の跡があるので客と言って良いのかは分からないが、私はAに兄弟は無く独り暮らしをしていると聞き及んでいた。侵入者である私を一瞥した男は、暫しの逡巡を経て軽く会釈をした。けれど、私は咄嗟に挨拶を返せなかった。男の足首に架せられた金属の輪から伸びる鎖に眼を奪われていたからだ。
「ああ、お気になさらず。部屋の隅から隅まで歩ける長さはあります」
男はこの部屋に繋がれていた。パイプベッドの脚と彼の足首を繋ぐ鎖は長いが、擦れた痕が痣になって黒く変色していた。一朝一夕の物ではなく、色素が沈着しているのも伺え、私は酷く狼狽した。けれど、男は冷静で、私に助けを求める素振りもない。それどころか、私を宥める始末。
「……本当に来てしまったのですね。しかし、何故こんな所まで来てしまったのです?」
男が聞いた。状況に見合わない穏やかで凪いだ声だった。此方こそ彼がどうしてこんな所でこんな目に遭っているのかを聞きたかった。けれど余りに平然としている彼に見つめられると、妙に緊張して私は馬鹿正直に現状を告白してしまった。
「そうですか。災難でしたね。今地上に帰るための地図をご用意しましょう。生憎、お送りする事は叶いませんから」
男は事務机に向かうと、原稿用紙の裏面にペンを走らせ迷路のような見取り図を描き始める。彼の脚が動く度、長い鎖は地下室の床を擦って自己主張していた。

 男はAと同世代のようで、彼とは異なる趣の風貌だった。Aが粗暴で傍若無人なら、彼は慇懃で温良恭倹といったところだ。
 けれど、何処か病的な雰囲気があった。男の容姿は美しい部類で、肌が特別青白い訳でも頬がこけている訳でもないが、幽鬼の類と言われた方が納得がいきそうな佇まいだった。それは単に、こんな所で出会ったからか、こんな状況で平然としているからこそなのか、私は彼と出会っても安心した心地にはなれなかった。
「貴方こそ、いつから此処に繋がれてるんですか」
男が地図を書く間の沈黙をどう過ごすべきか分からず、彼にAの事を聞いた。
「新築の時からですが、彼とは長い付き合いになります。きっと、誰よりも」
ペンを止める事無く、男は答えた。Aがこの業界に入ったのは、成人前だと聞いていた。私と出会う頃にはもうAは彼を囲っていて、この迷宮じみた地下空間も最初から彼の為に設計していたのだろう。四年の付き合になろうというAが、得体の知れない生き物に思えた。隠し事をするにはある程度の社会性と利口さが求められるものだが、私の知るAは傍若無人でそんなことが出来る人間には到底見えなかったからだ。
「……つまり、Aがデビューする前から?」
「はい。広報や交渉以外の仕事は私の担当でした」
呆気無く言い切られて、私が四年近く培ったAの人物像が切り崩される。私の中で一人の人物と定義していたものが崩れ、二つに分離する。この男の要素を取り払ったAは、酷く空虚で、碌な人間ではなかった。メディアに好かれる傲岸不遜で問題児なキャラクターも、確かな文才と繊細な作風との二面性があってこそだ。素のAは文壇どころか、社会でやっていけるのかすら怪しい。きっと、A自身もそれを理解しているに違いない。だからこそこの地下室がこんなにも厳重なのだと、私は息を飲んだ。


 Aは本人と作風が余りにも乖離しているので、編集仲間からは二重人格と囁かれていた。もっと率直なメディア連中は、書き手が別に居るのではないかと疑って張り込む者もいる程だった。私達編集としては、作家のキャラ性も含めて本が手に取られているのも事実なので追究を避けていたが、こんな形で露呈するとは思ってもみなかった。
「しかし、ゴーストライターなんてスクープ、監禁と拘束に比べたら霞んじまうもんですね」
これでAの名義で連載している小説は未完結のまま発表の場を失うだろうと私は頭を抱えた。けれど、発見したからには通報せねばなるまい。完結済の作品群も、文庫化の未来が潰えた。
「何故です。貴方さえ口を閉ざしていてくれれば、今までと変わらずAは其方の看板作家でいられますよ」
私の懊悩を他所に、彼は不道徳な選択肢を提示した。そんな事をすれば外へ出る機会を一生失ってしまうかもしれないというのに、彼は他人事のようだった。
「貴方は此処を出たいと思わないんですか」
彼は凪いだ表情で肯った。
「そもそも、これは私が望んだ事ですから」

 この男と喋っていると、気が可笑しくなりそうだった。Aといい、彼といい、私は彼等が分からない。
 彼は既に正気ではないのかもしれないとすら思った。倫理が転げ落ちた空間に閉じ込められていた年数が長過ぎるのだから無理もない。誘拐や監禁などでは加害者に長時間接していた被害者が犯人に共犯意識を感じたり好意や共感を抱くようになったりする事も往々にしてあると聞く。
「憐れむような顔をなさらないでください。私は正気ですよ。別に外出を禁止されている訳でもありません」
彼の口調はAの名義で書かれている文章に近く、Aと直接話すよりも慣れ親しんだ感覚を脳が錯覚し始めていた。それが余計に悍ましく、彼等を得体の知れない存在にしていた。
「私が繋がれているのは、逃走を阻む為ではないのです。連れ出されるのを防いでいるのです」
彼は事務机の引き出しを開け、鍵を出して私に見せた。それは彼がその気になれば枷を外して逃げられるのだと如実に証明していた。
「尤も、鍵の在処を教えた今、その効果も無くなりましたが。後は貴方が納得していただけるかだけです」
実際、倫理の一点を除けば、私が彼を連れ出すべき理由は無い。寧ろ、私は彼の存在を隠匿する事で恩恵を受ける側の人間だ。
「ほら、地図が描けましたよ」
男が私に一人で帰るよう迫る。何を考えているのか読ませない双眸が、瞬きの一つもせずに此方を見つめていた。
 私はそれを受け取って、逃げるように部屋を出た。


 私一人が口を噤んでいれば今まで通りなのかもしれない。彼はそのつもりでいるのだろうが、私は自身がこの異様な秘密を抱えていられる自信が無かった。狭い廊下に響く自分の足音が、酷く煩く感じた。

 最後の螺旋階段を上って地上に出る。彼が示した出口は、あの可動式本棚の裏ではなく、車庫に通じていた。
 扉から出てきて真っ先に目にしたのは、腕を組んで私を睥睨するAだった。彼は全て見通していたかのようにそこで待ち構えていた。実際、私が客間から消えていた時間から凡その事は察しているに違いない。殺気立ったAの眼差しを受け、身が縮む。
「お前も今の仕事を続けたいだろ」
有無を言わせぬ剣呑な眼差しに気圧され、私は考え無しに頷いていた。
「なら良い」
Aは私に茶封筒に入った原稿を押し付けた。理解の範疇をとうに越えた男達への不安は消えないものの、これまで通り仕事が続けられそうな気配に若干の安堵を抱く程度に私は現金だった。
 原稿を確認すると、やはりその筆跡はいつも目にするものであり、地下の男が拵えた地図に書かれた字と同じ筆跡だった。整った楷書体も、いつもの原稿と同様だった。これといった不備も無い為、これまたいつも通り有り難く受け取った。
「……これは何時お書きになったんですか?」
急場で仕上げたとは思えない原稿です、と口に出した最中にはたと気付いた。先程まで私は地下のゴーストライターと共に居たのだ。私が無為に地下を彷徨っていた時間は長かれど、それを考慮したところで原稿を書き上げてAに渡せるような時間は見つからない。
「一昨日だ。アレは締め切りが異なる事も、手前が来る事も知っていた」
Aの視線が私に真っ直ぐ注がれる。若手の癖に年上の担当を手前と呼ぶ不遜さは、化けの皮が剥がれても相変わらずだった。
「断片的に未来が視えるんだと。お陰で数日前から手前をどう黙らせるか悩んでやがった」
妙な事を言い始めたAに、上手く返答が出来なかった。何時もなら聞き返したかもしれないが、刺々しい敵意を納めないAを前にしていると、そのような事は憚られた。
「別に信じなくて良いし、俺もアテにはしてねえ。ただ、俺もアレも互いに社会不適合者ってヤツだ。放っておいてくれ」
Aは私を会社まで送ると言って車に鍵を差したが、彼と密室に居て平静を保てる自信も無く、私はタクシーを拾った。
 ただ、混乱した頭の片隅では、地下室の彼と対面した時に言われた言葉が反芻されていた。彼は私の来訪を予期していたからこそ「本当に来てしまったのですね」と言ったのだと、妙に納得していた。


 Aの突拍子も無い言葉は兎も角、地下室の男の存在はどうしても気になって、私は眠れぬ日々を送った。そしてとうとう、厄介な好奇心を眠らせておくことが出来なくなった。
 地下室を発掘するきっかけにもなったというのに、衰える事を知らない探究心は私を会社の資料保管庫へと導いた。そこにAの中学校の卒業アルバムが保管してあった事を思い出したからだ。嘗てAを特集記事を組んだ際に、インタビューの資料として彼自身から預かっていたのだ。
 私は適当に残業の理由を作って、資料保管庫に入り浸る時間を捻出した。学生時代に何の思い入れも無いらしいAは、アルバムに何の頓着もしなかったので預かったまま返す機会を失っていたのだった。Aの卒業写真を載せた雑誌は学生の時分から精悍な顔立ちをしていた証拠として女性ファンを大いに喜ばせたものの、一過性に過ぎない話題はつい最近まで記憶に埋もれていたのだった。

 終電間近の会社に独り、私用で資料を漁る私の頬は緊張で紅潮していた。誰より長い付き合いというあの自己申告を信じれば、二人が同じ学校を卒業していると考えるのが自然だ。そう推察するまでアルバムの事などすっかり忘れていたというのに、資料棚を漁れば目当てのそれは直ぐに見つかった。
 濃紺の表紙に卒業年度と共に学校名が箔押しされた、公立中学校のアルバム。
 付箋が付けられたままのAの写真や作文が載った頁を他所に、地下室の彼を捜す。
 彼の面影がある少年の顔写真は直ぐに見つかった。彼はこの頃から色素の薄い繊細な造形で、ともすれば神経質にすら見える憂いを帯びた雰囲気を醸していた。儚げな美少年という形容が彼より似合う人物を私は知らない。地下に籠り切りの今の方が、まだ血色が良いように思えた。
 顔写真を発見すれば、名前とクラスが分かった。そして、所属クラスと出席番号から、卒業作文を見付ける。作文と言っても半ばフリースペースのようで、枡目や罫線は無く、読み手を考慮しない小さな字で細々と冗長な文が綴られていた。読み始めれば、中学生の年相応に拙い作文でも、文章の纏う雰囲気はやはり私の良く知るものだと直ぐに確信できた。だからこそ、ゾッとした。

 作文のタイトルは「いつか私と出会う方へ」だった。
 それは銀杏並木が路上に金色の絨毯を作る頃に訪れる、名も知らぬ男に対する告白だった。一般的な人と圧倒的に異なる能力を持つが故に苦悩する彼が、社会との交流を絶つ事でやっと確保した安住の地が、あの地下室なのだと切々と説かれていた。
『私の部屋に迷い込んだ貴方は、私達の事を知ってさぞおどろく事でしょう。けれど、どうか私を外に連れ出そうなどと考えないでください。私の幸せは閉ざされた地下室にしか無いのですから。私は真っ当な社会の一員にはなれそうにありません。同じように真っ当な社会の一員にはなれそうにない彼と、二人で一つの人間として生きるしかないのです』
この文章が彼が私に宛てた物であると確信するに十二分な具体性で、数日前の出来事を的確に言い当ていた。これが昨日一昨日ではなく十数年前に書かれた文章であることが、俄かに信じ難い。けれど、この嘆願は確かに私に向けられたものだった。他の者が読む事を避ける為に、敢えて長々と小さく読みづらい字で綴られているのだと察した。
 私は資料保管庫に突っ立ったまま、その驚異的な事象に感嘆する。
「未来が視えるエスエフ作家なんて、フィクションより遥かに現実離れしてる」
思わず口をついて出たが、粗削りな作文は今の彼の作風のように読み易いものではなかった。視たくないものまで見えてしまう狂気寸前の少年の懊悩が、拙い文章の中でドロリと息づいている。しかしながら、それはそれで引き込まれる独特の文章的魅力があるのも事実だった。

 彼の作文を読んでいる途中、嘗て取材に応じたAの恩師が「Aは所謂不良少年で、特別文章力に秀でた生徒という訳ではありませんでした」と打ち明けていたのを思い出す。
 Aの実態を知った者からしてみれば、最早何の感慨すら起こらない当然の事だが、本当の筆者の文章が同じアルバムの中に載っているのは些か不都合に思えた。これと同じアルバムは、彼等と同期の卒業生数百人が所持している。そして今や、Aの作品のファンは全国に居るのだ。この卒業アルバムがオークションにかけられれば、購入を望むファンも少なくない筈だ。無名の中学生の小さな字で書かれた見にくい作文など、読む者は少なかろうが、ゼロとまでは言い切れない。そして読まれたら最後、Aの作品を幾つか読み込んだファンなら気付いてしまうかもしれない。
 嫌な汗が私の蟀谷を伝った。地下室で自らを鎖に繋いだ男を目にした時とは異なる、保身への不安が焦燥となって背骨を駆け上がる。
『私達は引きはなされないために、きっとどんな事でもするでしょう』
 中学生が綴ったにしては嫌に丁寧な文章が、酷く哀れだった。けれど、彼等の存在が表沙汰になるのも時間の問題に思えていた。ならば早期に公表して傷を浅く済ませる方が賢いに違いない。彼等と共に出版社ごとバッシングを受けるなんて容認できはしない。きっと私は彼等に恨まれる。
『例えば、連れ出されないように自らにかせを付ける事もいといません』
成人の彼が書く文章に比べて平仮名が多い幼さを感じる文章だが、その稚拙さに似合わない不穏さと物々しさが滲んでいた。彼は何時から私の存在を覚悟して生きていたのだろうかと考えると、苦い物が込み上げる。罪悪感も覚えるが、常識を軽々と覆す存在への畏怖と、そんな彼等に巻き込まれる形で動かざるを得ない現状への気味悪さで胃が重かった。何者かが資料保管庫の扉を開ける音がしたが、私は上司に彼等を何と説明しようかと考えるばかりだった。

 アルバムを持った手が、酷く湿っていた。汗に濡れた指先で、文章の続きを辿る。
 読めば読むほど、地下室の彼と直接喋っていた時と同様に気が可笑しくなりそうな気分になる。彼等から離れたい。そう理性はとうに結論付けているのに、現実逃避を望む心が野次馬めいた好奇心を一層強化していた。
『我々の事を知った方の口を封じるための労力も惜しみません。しかし私は、彼がどのような手で隠ぺいを図るのか、想像が一つしかできません。たんらく的な行動だと思います』


 資料保管庫へと入ってきた者の足音が、私の直ぐ真後ろで止まった。
『私は彼にそんな事をして欲しいとは思っていません。けれど、何度も視た未来です。さけられない未来なら、せめて彼が上手く事を運ぶよう手をつくしたいと思います』
その抽象的な文が何を示しているのか不鮮明なまま、作文は謝罪の文章で閉じられた。

 図られた。
そう気付いたのは、アルバムを閉じて振り返ろうとした直後の事だった。
 冗長で読み辛い書き方どころか、卒業アルバムという形で残されたこの作文自体が罠だと気付いたのは、首に蛇のようなビニール紐が巻き付いたのと同時だった。
 背後から首を締め上げられれば、舌が競り上がり顔に血が溜まる地獄の苦しみが一気に訪れた。ビニール紐は首にきつく巻き付いて、指の一本もかかりはしない。けれどビニール紐を引っ張ろうと藻掻く手は未練がましく首を掻き続けて、首筋に無数の爪痕を作る。両足も半ば反射的に我武者羅なバタつきを見せるが、直ぐにそれも儘ならなくなる。急速に白みゆく視界の端に、濃紺の卒業アルバムが映った。彼の冗長な作文は、私を無防備に熟読させる為のものだったのだろう。
 好奇心は猫をも殺す。苦痛と屈辱の中で、私は己の軽率な行動を呪った。地下での出会いを心底後悔した。
 力いっぱい私の首を絞める男の呻き声が項にかかる。聞き慣れた、Aのものだった。

 恐怖と痛みで力が入らなくなった下半身が、自らの小水で漏れた。資料保管庫の剥き出しの配管に、私はこのまま吊るされるのだろう。丁度首吊り自殺を図ったように見えるに違いない。
 たった一行の彼の謝罪が、薄れゆく私の思考を占領していた。

 果たしてAが上手く事を運ぶのか否かは、あの彼だけが知っている。
 地下室は災厄への入り口である。



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