架空闘技場

 友人に誘われ、私は彼の行きつけだというバーで御馳走になった。
「君から酒の誘いとは、随分珍しいじゃないか」
清潔だが立地も悪く繁盛しているようには見えないバーは、よく言えば隠れ家のような落ち着いた趣があったが、私の知る彼の趣味とは異なっていた。
「ふふ、でもメインはこっちじゃないんだ」
いつの間に趣味を変えてしまったのだと問う私に、友人は悪戯っぽく微笑んだ。こけた頬に笑窪ができる彼の人懐っこい笑みに、私の落胆は早計であった事を悟った。
「そうか、なら楽しみだ」
彼とは取引先同士という間柄ではあるものの、同じCEOという立場にある事や趣味と嗜好の一致から、プライベートでも享楽を分かち合う良き友人だ。そんな彼が、私にもこの店を是非知ってほしいと誘ってくれたのだから、期待していなかった訳がない。

 「マティーニをボンベイで」
友人がバーテンダーにカクテルを頼んだ。これも我々の好みではなかった。しかしそれは、単なる酒の注文ではなかったようである。
 バーテンダーは我々にカクテルではなくカードキーを渡し、店の奥へと通した。


 厳重な防音扉をカードキーで三枚開け、地下へと続く階段を下りれば、そこは闘技場だった。
 ローマのコロッセオを小型化したようなすり鉢状の会場に、中央の円形のリングで男達が対峙しているのだ。観客もバーの地上部分の収容面積からは考えられない人数が集まっていた。
「丁度、前座が終わったところだな。今から今日のメインイベントだ」
友人が単眼鏡を貸してくれたので、それでリングに上がっている男達を観察した。薄い腰布一枚の衣装に身を包み、隆々とした筋肉を惜しげもなく晒している男達の顔はどちらもワイルドだが端正だった。
「君はどっちが勝つ方に賭ける?」
賭博も行っているらしく、友人はオッズを確認していた。
「顔に大きな傷のある方だ。腰の位置が高くてセクシーだ」
金を賭ける気は無かったので、気楽に好みの方の男を答える。異国の血が入っているのであろう、長い手足と浅黒い肌と深みのある色の瞳。男性的な直線の美を纏った身体を彩るの無数の傷痕が、力強い眼の輝きを一層引き立てて見る者の嗜虐心を擽って止まない。そんな男だった。伸びっ放しの髪が不精な印象を受けるが、それすらも獅子の鬣のようで勇壮な風格を作っている。
「だろうね。君はその子を気に入ると思ってたんだ」
友人は満足げに指を鳴らした。
「実際、彼は強いよ。連戦連勝さ。賭けにならないからファンは少ないんだけど」
その言葉通り、試合が始まれば彼の敗戦を期待する声やバッシングで会場は揺れた。

 プロレスやボクシングのようなスポーツ化した闘争とは異なり、ここではどちらかが死ぬか意識が無くなるまで闘いは続く。セコンドはおらず、ドクターストップも無ければ試合放棄も許されない、純然たる暴力の応酬が繰り広げられた。正に現代のコロッセオだった。司法の目が届く場所では決して見られなかっただろう。私はその迫力に大いに満足した。
 そして傷の目立つ男が強いのも本当だった。両名共にしなやかで、幾度もの死闘を生き抜いてきた闘士の身体ではあったが、実力の差は歴然としていた。
「残念だが、今日は死体が見れないな」
どちらかが死ぬまで戦闘を続行するのは実力が均衡した時だと友人は言った。傷の男には、まだ有効な攻撃が入ってすら居なかった。このまま彼が相手を伸して試合は終わるのだと、素人目にも察しはついていた。
「惜しいな。あの子の顔が苦悶に歪むのが見たかったのに」
そんな雑談をしている内に、試合の決着した。

 苦し紛れに腕に噛み付いてきた相手の顔面を、彼が掬い上げるように殴ったのだ。相手はそのまま後方に転がるように倒れて動かなくなったので試合が終わった。相手は鼻梁が折れて幾つか歯が折れたのだろう。仰向けに転がる彼の顔面は派手に出血していた。だが、昏倒しただけで命に別条がない事も明白だった。
「さて、ここからがお楽しみの時間だ」
友人が席を立ち、バックヤードへと誘う。どうやらここで見世物にされている闘士達は金で買う事ができるらしい。
 勿論、私はあのセクシーな傷物の闘士を買った。ただ、私は一見の客でしかないので、紹介者である友人も同伴する事になった。お楽しみは全面的に私に譲ってくれると言うので、その好意に甘えようと思う。


 かくして、闘士は試合中と変わらぬ腰布を纏い、親指同士を錠で繋がれただけの格好で派遣された。血と汗は落としてきたようで、身体からは仄かに石鹸の匂いが香った。
 彼の戦闘能力と運動神経の良さを眼にしたばかりなので、それだけの拘束では不十分だと感じたが、端から彼に抵抗の意思は無いようであった。寧ろ、既に彼の鼻息は荒く、甘い吐息と落ち着きのない様子は、明らかな発情の兆しを見せていた。
「試合の為の興奮剤の作用だよ。可愛いだろう」
友人が腰布を捲り上げ、陰部を見せた。そこには陰茎が付いていなかった。下腹部には縫合の跡と、重く張り詰めた睾丸がぶら下がっているばかりであった。発情した様子に反して腰布に下品なテントを張っていなかった理由に納得する。
 私は再び彼を獅子のようだと思った。ただし今度はリングで私を魅了した勇壮な風格とは全く逆の印象の為だ。動物園の檻に押し込められ、交尾や繁殖の自由を奪う目的でパイプを切られるも、シンボルとしての鬣を残す為に睾丸だけ残された、あの惨めな生き物を思ったからだ。見る物を圧倒する雄の要素を上辺だけに残され、雄として生きる機能を奪われた憐れな彼の身体に言い知れぬ倒錯感を覚えた。
「かわいそうに、これでは自分で熱を醒ませまい」
剥き出しになった睾丸を突付けば、逞しい腿の内側の筋肉がヒクリと収縮した。親指の錠は自分で前立腺を刺激する事で勝手に熱を処理させない為にさせているものなのだろう。菊座に指をやってみれば、そこは物欲し気に開閉を繰り返していた。
「犯してほしい?」
男は返事の代わりに、壁に手を付いて尻を突き出した。屈強な男が、屈辱的なポーズで尻を犯される事を強請る。その姿の何と甘美な事か。興奮剤と暴力の名残に苦しめられ高揚した彼の精神は掃け口を求めて性に縋っているというのに、その処理すらも一人でできないだなんて。恵まれた体躯の男が、まるでオムツが外れない幼子のようだ。
「っ、はやく……」
彼は熱い吐息を噛み殺して、低く唸った。口の利き方まで躾らえてはいないようだが、闘士に執事よろしく傅かれるのも興が覚めるだろう事を考えれば、これはこれで良いのかもしれない。
 試しに指を一本だけ尻に突き入れてみれば、男は直ぐに夢中になって腰を振った。尻に笑窪を作って指を咥え込み、膝や腰を頻りに動かして、中の悦いところを刺激していた。その恥知らずな格好ときたら、まるで白痴だ。
「とんだ売女じゃないか」
思わず嘲った私の言葉に、友人が噴き出す。
「でも好きなんだろう、そういう子」
「勿論だ」
凛々しく屈強な男がだらしなく屈服する様ほど、面白い物は無い。精悍な顔が快楽に蕩ける様は愉快だが、浅黒い皮膚に浮かぶ傷痕や痣が悶える彼の動きに合わせて蠢くのも堪らなく煽情的だ。その妖しい光景の淫靡さに、酷く嗜虐心が擽られる。
「そういえばこの傷、試合でできたものじゃないね?」
腕に先程の試合で付いた歯の痕が痛々しく残っているものの、身体の至る所の傷は様子が違っていた。あの運動神経を持っていながら、防御創の割合が少な過ぎた。特に背中や腹、腿などの傷は殺し合う目的以外で付けられているのが明らかだった。
「御明察。この顔は試合じゃ滅多にグシャグシャにならないからね。皆これが暴力に屈して泣くところが見たいのさ」
尻で指をしゃぶる事に夢中な彼に代わって友人が答えた。賭けにならない試合をする事でヘイトを貯められている所為もあるのだろう。肉が裂けた痕の残る背中は、その行為の残虐さを物語っていた。
 他の客から鞭を浴びる彼の痴態を想像してみたら、酷く興奮したので堪らず腰を掴んで尻に陰茎を捻じ込んだ。
「ぅあっ……ああっ」
小さな呻き声が上がったが、痛みとは縁遠そうな声だった。人の指で散々楽しんだ所為だろう。そこは既に程好く解れ、私の性器を包み込んだ。異物を歓待するはしたない直腸に反して、鍛えられた尻は私の性器をきつく締め付けた。こんな名器は久々だった。
 腰の動きを強めれば、掠れたバリトンと不釣り合いな、甘く熱い発情した牝の嬌声が上がる。程なくすれば、男は威嚇する大型ネコ科動物のような声を上げて絶頂した。
 陰茎と一緒に睾丸が切除されなかったのは、男性ホルモンを作る器官を残す事で闘士としての闘争心や体躯を維持させたかったという面もあるのだろうが、こうして快楽を支配して男を啼かせる悦びの為でもあるに違いない。逞しい身体で牝の喜びを躾けられた男の身体に愉悦を覚え、私は一層の満足感を得た。


 狭い直腸に精液を搾取された私は、彼の名器を讃えてにチップを弾んだ。
「また相手をしてくれ。今度は血を洗い流さずにね」
逞しい男が恥も外聞も無く犯される悦びに服従する様子も楽しいが、今度はもっと気が立っている闘士のままの彼に相手をしてほしいと思った。
「しかしそれは無理だね」
友人が口を挟んだ。私が彼と楽しんでいる間、別の闘士を買って奉仕させていたらしい。彼の脚の間に褐色の青年が顔を埋めていた。
「この子は来週のショーで解体される予定がもう入ってるんだ」
賭けにならないしファンが少ないって言っただろう、と友人が事も無さそうに言った。その宣告に褐色の青年は気不味さに背中を強張らせるも、ぎこちなく奉仕を続けていた。採算の取れない奴隷闘士は、無麻酔で切り刻まれ肉の塊にされるスナッフショーに出演する事で最期を飾るのだと言う。解体ショーで肉塊となった闘士は購入できるという事まで、彼は懇切丁寧に教えてくれた。
 驚いたのは私だけではなかった。この事は出演予定の彼自身も聞かされていなかったようで、先程までの白痴のような蕩けた表情が嘘のように硬直していた。顔面は蒼白で、身体は絶望に戦慄いてた。
「勿論、今ここで君がこの子を買い取るなら話は別だろう」
男が縋るような眼差しで此方を見た。確かに、少々高い買い物になるかもしれないが、払えない額ではないだろう。彼の具合は最高だった。これをずっと手元に置いておくのも悪くない選択だろう。それにまだ私は彼に鞭を入れる遊びはしていないのだ。そう勘定して、ふむと唸る。男の期待に満ちた眼差しが、身体の厳つさに似合わず捨てられそうな子犬のようだった。

 「解体ショーを楽しみにしているよ」
男が息を飲み、絶望に喘ぐ。その横で友人は何もかも予想通りだと言うように笑っていた。私の好みを熟知している彼なら当然に感じる答えだろう。
「ああ、その顔が見たかったんだ」
苦悶に歪むのも見たかったが、絶望に叩き落された瞬間の顔程可愛いものは無い。

 良いものを紹介してくれた友人に、今度は私がお礼として料理を振る舞おうと約束した。恐怖と痛みに怯え荒んだ肉は美味しくないと言うのが定説だが、殺し方に倫理を持ち出す社会では絶望の味が染みついた肉こそ贅沢品であり、我々のグルメだからだ。闘士の良質なハムストリングスを眺めながら、私達は来週の楽しみがまた一つ増えた事を確信した。

 趣味を分かち合える友人が居る幸せを、私は今夜も実感したのだった。
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