崩壊

【投稿原文 崩壊】

熱を孕んだ彼の視線に気付かない訳がない。僕も異様な熱を持って彼を見てきたのだから。だが僕は長年に渡って気付かないフリをしてきた。この関係が非生産的な関係に変わるのが恐ろしくて、そっと想いに蓋をしたのだ。
僕は熱が理性も分別も焼き尽くすその日まで、仮初めの友情が続くと信じている。



【改定 崩壊】

 大学に入って初めての大型連休に浮かれて実家に帰省すると、地元で就職した幼馴染みにも顔を合わせた。家族よりも家族みたいな態度で僕を出迎えたその男は、同じ月に隣同士の家に生まれて以来の腐れ縁だった。
 日本同士の挨拶にしては馴れ馴れしい歓迎の抱擁を受け、近況を報告し合う。積もる話と言える程の話は無かった。高校まで部活もずっと一緒で、やっと二ヶ月程度顔を会わせなかっただけだからだ。それでもその二ヶ月程度が非日常に感じてしまうのは、僕が彼の存在に慣れ過ぎているからなのだろう。よろしくない傾向だと思う。無論、無二の親友がいる事自体は悪くないが、僕と彼は物理的に近過ぎて、成人男性としては不適切に思えるのだ。

 地元での就職を選んだ彼を尻目に、僕が特に強い目的も持たずに隣県の大学に進学をしたのもその所為だ。これは親離れや弟離れのような、自立行為の一種だった。現に僕は彼と進路を違えたのはこれが初めてで、彼の居ない環境に居ると身体の何処か一部を忘れてきてしまったみたいに落ち着かないのだ。自立した人間としてこの状態こそが通常である事を思い出す為に、彼とは徐々に物理的な距離を置いていかなくてはならない。

 それに、僕等が他人として適切な距離を取る事は、きっと彼にも重要だった。
 思春期を迎えた頃から、僕を見つめる彼の視線は常に熱を孕んでいたからだ。

 産毛をチリチリと焼く、その視線の熱に僕が気が付かない訳がなかった。
 第一反抗期も第二反抗期も、学校どころか保育施設から算盤塾まで何をするにも何処に行くにも彼と一緒だったのだから、相手の思考や行動パターンは自分の事と同じくらい理解できた。そもそも家が隣で子供の歳が極めて近い事から互いの家同士で情報共有され育児方針が似通った事から、こうなるのは避けられなかったのだろう。家庭環境も似せられていれば、ギャングエイジも思春期も共に過ごしてきたのだ。思考回路も価値観もリンクして当然だった。
 そう、僕等は似ていて、僕達の価値観もよく似ているのだ。
 彼が僕を好ましく思うように、僕もまた彼を好ましく思っていた。僕とて異様な熱を持って、彼を見てきたのは事実だった。


 だが僕は、長年に渡ってこの熱情に気付かないフリをしてきた。
 この関係が非生産的な関係に変わるのが恐ろしく思えて、そっと想いに蓋をしたのだ。きっと彼もそうに違いない。

 男同士で子供が出来ないだとか、そういう非生産性ならば、僕等は救われただろう。日本の制度はともかく、諸外国には同性同士で愛し合って、体外受精で子供を作ったり養子を取ったりする事は不可能ではないのだと僕等は知っている。そして、互いへの愛しさは、少数派としての生き方をする手間と覚悟を問題にしない程度に膨れている事も、分かっている。
 結局のところ、この熱を許さないのは社会規範ではなく僕達自身であり、僕達にしか理解し得ない理由なのだ。

 彼はパラレルワールドの僕であり、僕もまたパラレルワールドに居る筈だった彼なのである。

 僕達は、生まれ育った環境もそっくりで、価値観も行動選択も一緒で、積み重ねた体験の殆どが同じなのだ。それを自己愛の延長で自身と共通項の多い人間に惹かれているだけだと片付けられたらどんなに良かっただろうか。僕等にとって、互いは自己を投影するような対象ではないのだ。常に隣に、或いは自身の血潮や脳髄に紛れているような感覚の相手だからだ。
 強いて言うなら、僕等は異なるDNAを持った一卵双生児なのだ。身体こそ独立した他人として形を成しているものの、精神は癒合双生児なのだ。僕達が愛し合おうものなら、それは精神的な近親姦だ。近親と言い表すには僕等はもっと近い存在で、逸そ実母に欲情するよりも忌まわしく感じている。

 きっと彼と僕以外には、この感覚は伝わらない。奇形の僕等にしか、分かり得ない。
 僕と彼は他人に過ぎないのに、薄気味が悪い程に同一化してしまっている事も。その不気味な現状が心地良い事も。
 だから誰にも相談できず、青年期に突入し、どちらも何も言い出さないのを良い事に親友と言う肩書きを守り続けていた。今もまた、無言のまま僕等は互いを欲しつつ、核心に触れる事を避けるのだ。

 最早、僕自身のアイデンティティは僕だけでは完結できなくなっている。そして彼も同様に僕と癒合した自我を抱えて混沌としている。そんな常態だというのに、僕等は愚かにも今更ながら分離を図っているのだから滑稽だ。
 彼ではない人間を愛しようと試みる度に、彼の重要性が浮き彫りになって、自身の歪さを再認識するというのに、僕はまだ彼とは別々の人生を構築しようと足掻いている。彼もそうだ。人と付き合ったと思えば、短期間で別れては、試行回数重視の実験のようにまた別の人間を愛するよう試みるのだ。僕等は互い以外を愛せないという答えから逃げれば逃げる程、その事実は色濃くなっていくというのに。

 癒合した精神が、繋がらないもう一つの身体を探している。
 それを僕はたった二ヶ月ぶりの再会で強く実感するはめになった。
 彼の姿を認めた瞬間、ありふれた36℃の熱では満足できない心臓が、歪な縁を求めて脈を打つのだ。それどころか、前頭葉から熱っぽい多幸感に包まれて、多少の事はどうでも良いと思えてしまう。例え世界中が敵に回ったとしても立ち向かうと宣言する街中を流れる無計画で非合理な歌詞にすら、相槌をうってしまえる程に理性が遠退く。
 きっと僕等の定めるところの禁忌すらも、いずれ無視をしてしまうのだろう。泥の船がいずれ沈むのと同じくらい、確かな事だと感じていた。

 けれど愚かにも僕達は、この熱が理性も分別も焼き尽くすその日までは、仮初めの友情が続くと信じているのだった。



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