【投稿原文 指】

庭師のDは私の長くて細いだけの指を羨ましがるけれど、私はDの節くれた指が何よりも愛しい。
一向に伸びない丸い爪、逆剥けと皹だらけの指先、固く厚くなった皮膚、太い関節、胼胝だらけの指。働き者の指、美しい花々を活ける指。
あの指が私に触れたなら、私も少しは美しくいられる気がした。



【改定 指】

 親族からの重圧に嫌気が差し、屋敷から逃避するように庭の木陰に身を寄せていると、薔薇の生け垣の手入れをしている庭師のDと眼が合った。庇の大きな帽子の下から覗く雀斑だらけの顔は生真面目さが滲む朴訥とした表情を湛えていた。
 笑いかけて手を振れば、Dは作業の手を止めて、太い下がり眉を更に下げて会釈をした。Dは代々この家の庭師を務める家系に生まれた一人娘であり、歳が近かった事から幼少期を私と姉妹同然に育ってきた。けれど、分別というものが求められる歳になった私達は、封建的な家制度に足を取られ主従という枠に押し込められ、すっかり余所余所しくなった。
「顔色が優れませんが、お部屋に戻られた方がよろしいのでは」
彼女の声は女にしては低い。けれど、純粋な心配から発せられた柔らかな声をしていた。
「心配無いわ。そうね、マリッジブルーというやつかしら」
冗談半分に答える。もう半分は本当だった。
 親同士で取り決めた私の縁談は、これ以上無く順調だった。挙式はジューンブライドに間に合わせようと、既にウェディングドレスまで見せられていた。傾きかけた家を建て直すには私があの家に嫁ぐ他に無い状況を考えれば、実に良い展開だった。けれど、一度生まれた虚しさは消えはしない。祖父が浪費家でなかったら、父の事業が成功していれば、兄が家を飛び出さなければ、と親類を呪いたくなる事もある。この家と使用人達を守るという使命に押し潰されて、私の意思など無くなってしまうのではないかという不安が気を重くしていた。

 当然、そんな事を使用人の立場であるDに言える訳もない。
「大丈夫です、こんなにお美しいお嬢様を無下に扱える人など何処にも居はしません」
貴女を娶られる方はさぞ幸せでしょう、とDが言った。シェイクスピアを愛好している所為か、Dは私を皐月の薔薇に例えたがる。人形のようで可愛いと随分と甘やかしてくれた幼い日々の事を思えば悪い気にはならないけれど、造形美への信仰に輝く彼女の眼差しは私の皮膚を刺した。
「……そうだと良いのだけど」
私と彼女の「美しい」は、全くと言って良い程に違っていた。私にとって、自身の姿形など美しいと称するには余りに空虚だった。部屋に閉じ籠ってばかりの生白い肌も、力仕事を知らない細いばかりの指も、愛着の一つも湧きはしない。現代人が纏足を見た時に、小さな足への憧憬よりもそこに潜むエゴイスティックな劣情を悍ましく感じるように、私の美貌と称される記号はただただ薄ら寒かった。
 私にとって本当に美しさを持っているのは、寧ろ彼女の方だ。

 Dは私の結婚を心から祝福しているらしく、いつもより饒舌だった。
「真っ白なウェディングドレス姿のお嬢様は一層お美しいのでしょうね。白い鳩を飛ばして、フラワーシャワーも降らせて……なんて、楽園の景色のようじゃございませんか」
「式は六月よ。雨が降らなければ良いのだけれど」
放鳥も花の雨も晴れていなくては難しい事だから期待しないでおいてほしいと釘を刺す。あまり期待の眼を向けられると、気が乗らない自分が酷い人間に思えてくる。そうでなくとも、Dの無邪気な憧れの眼差しは擽ったくて堪らないと言うのに。
「それでも六月の挙式に拘るのは、花嫁が幸せになれるという言い伝えがあるからなのでしょう? 素敵じゃあありませんか」
結婚を前に憂鬱になっている私を勇気付けようとしているのか、Dが捲し立てた。彼女は優しいのだ。殊にこの屋敷で唯一年下である私に対しては、お節介なまでに。
 つい、姉と妹のようだった昔の記憶が脳裏に淡く甦って、顔が綻ぶ。それを認めたDも、安心したように破顔した。

 盛りの過ぎた俯きがちな薔薇の花に視線を移し、話題を変える。私の結婚が楽しみだとこれ以上言い募られては堪らない。
「ところで、貴女にもそういう相手は居るの?」
「ご冗談を。私のような醜女を好く物好きなお方はおりません」
日に焼けた髪に、逞しい四肢、荒れた指。それがDのコンプレックスだった。彼女はそれが女性らしくなくて醜いと言うけれど、私にはどれも彼女の美徳の証左に思えた。Dはこの庭を守る為とあれば屋外で日に焙られる事も、薔薇の棘に刺される事も厭わない。そんな勤勉さと健気さが滲む姿は私が幼い頃からの憧れであり、手に入れる事の叶わなかったものだ。
「あら、ここに一人居るわ」
彼女の手を取って、殿方の挨拶を真似てDの指に接吻を贈る。
「ああ、いけませんって……」
Dの節くれた太い指が、厚い爪の先まで緊張していた。好意を露にされる事に慣れていないその反応は、酷く私を満足させた。

 Dの言う通りに、彼女を好く人など現れなければ良い。他人から贈られた指輪を嵌めている分際で、そう思っていた。
 この庭から離れて別の家へと嫁ぐ身だというのに、彼女をこの庭から失いたくなかった。逃げ仰せてしまいたい政略結婚も、使用人たるDを失いたくないが為に受けた。

 そんな身勝手な願望を胸に飼いながら、Dが好いている飛び切りの微笑で強請る。
「ねえ、昔みたいに髪を結って頂戴」
私はDの節くれた指が何より愛しい。一向に伸びない丸い爪、逆剥けと皹だらけの指先、固く厚くなった皮膚、太い関節、胼胝だらけの指。美しい花々を活ける、献身と勤勉が宿る指だからだ。この手に愛でられる生け垣の薔薇を思えば、皐月の薔薇でしかない私も自身が好きになれる気がした。

 六月の雨に打たれて朽ちる薔薇だとしても、あの指が私に触れたなら、少しは美しくいられる気がしたのだった。



back
top
[bookmark]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -