頓珍漢な紫煙3

 敷島はいつも不敵に笑う癖に、本当に可笑しくて無意識に笑う時は酷く不器用で幼い顔をする。

 多分、俺が最初に惹かれたのはそれだった。
 後は惚れた欲目で痘痕も笑窪に見えるようになってしまったのか、好きな所は増える一方だった。
 馴れ合わない癖に押しに弱いところも愛しい。目先の事ばかり考えている俺達とは違った、遠くの事を見据えられる賢さと視野の広さを尊く思う。俺の知らない事を知っている敷島が好きだ。
 妙に几帳面で綺麗好きなところ。細くて人形めいた外見の癖によく食べるところ。長机の上だとしても姿勢の良い座り姿。周囲から白眼視されようと飄々と生きている図太さと強かさ。学校だろうと私空間を形成してしまう突拍子も無い行動力と適応力。自分の顔面偏差値を知り尽くした表情の作り方。膨大な知識量に見合うよく回る舌。皮肉は言えど決して荒げられた事のない声。相手の許容範囲を図るような軽口。長い睫に縁取れられた、此処ではない何処か遠くを見ている瞳。それが不意に此方を伺う瞬間。
 何がどう好きか数えても無駄なのだろう。好きな要素は際限無く増えていく。
 器用で几帳面な敷島の、不器用な面を見付ける度に堪らなくなる。自然に笑う事に慣れていない敷島の下手糞な笑みを俺だけが知っていればいいと思う。小難しい言葉と皮肉で覆い隠した敷島の素顔を暴く権利が欲しくて仕方がない。そんな穏やかではない願望が、成就しないと分かっていながら諦められもせず、タール塗れの胸の中で燻り続けていた。


 一頻りくだらない事を喋ってストレスを発散させたと見える敷島は、バインダーを閉じて立ち上がった。俺も数ヶ月後の厄介事からは目を反らして、机に背を預けて伸びをする。何本目かの煙草もすっかり短くなっていた。
 授業が終わった事を告げるチャイムが、見計らったようなタイミングで鳴り出した。そんなキリの良い時間だから、敷島は教室にでも帰っていくのだろうと思ったが出口とは逆方向にある冷蔵庫に向かって行った。匂いに感化されて小腹が空いていたらしい。
「丁度シュークリームがあるんだが、君も食べるか」
そう言って敷島が見せたのは、紙箱に入ったクッキーシューだった。しかも、スーパーで買えるような袋に詰められた物ではなく、見るからに日持ちがしないタイプである。
「お前、ここに住む気かよ」
嗜好品の類を冷蔵庫に入れているのは知っていたが、自宅でもないのにそんな傷み易い物を平然と入れておくなんてどうかしている。他にも妙な物を入れていないか気になって、机から降りて冷蔵庫を覗き込みに行く。幸い、他の食品は密閉容器に入っている物だけだった。
「それは名案だ。特に月末は帰るのが億劫になるからな。シャワーが自由に使えれば言う事無しなんだが」
俺の心配を余所に、敷島は真面目に検討し始める。プールや体育館脇にあるシャワーは錆びていると聞く。保健室のものだけはまともに使えるらしいが、そこは養護教諭がしっかり管理している所為で勝手に使うのは難しい。そう口惜しそうに分析する敷島だが、俺はホテル代わりになる機能が揃ってなくて良かったと安堵していた。ただの揶揄で言ったつもりの事を本当に実行されては居た堪れない。
 ふと、敷島は中学時代に起こした不祥事の所為で両親と縁が切れているという噂を思い出し、そういえば彼はどうやって生活しているのだろうかと疑問が頭を擡げたが、そっと胸中に留めた。無遠慮に内側に踏み入った話を振れば、するりと距離を取られて意思の疎通を拒否されるのが常だったからだ。
「そもそも、学校をカプセルホテル代わりにすんなよ」
衣食に関する話題は本来尤も生活感が出る筈なのに、敷島の印象がどんどん浮世から遠ざかっていく。

 紙箱にはケーキ屋のロゴと一緒に購入日の記されたシールが貼ってあるのが見えた。購入日は昨日の日付けだったので有り難く貰うことにした。ケーキ屋に詳しい訳ではないが、俺達が仲間内で誕生日を祝ったりする時に買う店のものとは随分と雰囲気が違っていた。学生には不似合な高級志向が窺えたのだ。
「何処で買ったヤツ?」
「知らない。貰い物だよ」
敷島は食器棚から適当な皿を2枚出して、軽く洗ってからシュークリームを載せた。わざわざ学校に持ってきたのは、シュークリームが偶数個だったらだと言う。最初から俺にも食べさせる気だったと分かってしまったら、誰から貰ったのかが気にならなくなってしまった。

 咥えていた煙草をシンクの水溜りに捨てて、シュークリームを頬張る。買ってから幾分か時間が経っている所為か皮が湿り気を帯びていたが、充分に美味かった。


 シュークリームを食べ終えて皿を洗おうとした敷島が、シンクに捨てた吸い殻を拾って物珍しそうに尋ねた。
「そういえば、その煙草は一体どうしたんだ」
敷島がこの部屋に入って来た時からこの質問は予想していたが、素直に答えるつもりは無かった。
「いつでもジタンって訳でもねえよ」
この手巻き煙草の入手経路について語るのは憚られた理由は、嫌になる程はっきりしていた。この煙草は好意の残骸だからだ。例え赤の他人の想いでも、無下に扱われれば自分の想いと重なって辛くなるのが目に見えていた。
「そうか。僕はてっきり貰い物かと思ったんだが」
敷島は皿を洗いながら、さして表情を変えずに淡々と推察を語る。あれが手巻きのオリジナルブレンドだと見当が付いているらしく、俺が持つには凝り過ぎていると感じたのがきっかけらしい。俺が特に味に拘りを持つタイプではない事から、俺自身が選んだ物ではないと判断されたのだろう。敷島は地頭が良い分、妙なところで聡くなるのが厄介だ。

 更にオリジナルブレンドという点が彼の興味を誘ったらしく、葛原が懸念していた事と同様の考察をし始めた。敷島の抑揚の希薄な声は雨音と水道の音と混じり合いながら、確実に手巻き煙草に託された意図を暴いていく。
「そもそも態々オリジナルの煙草を渡すというのは、どういう心理なんだろうね。嗅覚の記憶は他の記憶に比べて記憶に残り易いというのに、市販では入手し得ない香りを共有するんだ。きっとその煙草をくれた人と君とは随分と気安い間柄なんだろうな。もしかしたら、贈り手の一方的な好意かもしれないが」
邪推にも程があると言いたいところだが、俺が煙草を貰ってしまっている事が間違いなだけで、あの作り手の意図としては概ね間違ってはいないのが恐ろしい。
「考え過ぎだろ」
じゃあ日頃お前がくれた煙草を吸っている事に関して、お前はどういう解釈をしているんだと聞いてみたかった。既製品ではあるものの、この学校という狭い範囲の中だけなら、黒煙草の匂いを共有するのは俺達二人だけの筈だ。

 敷島は作業を止めずに更に喋る。すっかり饒舌ぶりが復活して、いつもの冗長な理屈を捏ね繰り回す姿勢になっていた。
「なら、考え過ぎたついでにもうひとつ」
蛇口を捻って水を止めた敷島が、此方に眼を向ける。相変わらず茶目っ気の欠片も無い読みにくい表情だった。ただ、経験則からして、良い話が期待できない事は確かだった。
「西洋では旧約聖書の中でシバの女王がソロモン王に送った事や、ローマ皇帝ネロが妻を亡くした時にローマ中のシナモンを集めて燃やした逸話から、シナモンは愛の贈り物として使用されている……考え過ぎなんだろうか、シナモンを香らせた甘くて苦いソレに情愛の気配を感受してしまうのも」
敷島の工芸品のような指が、吸い殻を摘む。何処までも見通してしまいそうな瞳が、水を吸って無様にふやけたそれを何の熱量も無く観察していた。

 頭の冷静な部分が止めておけと制止するも虚しく、つい口から言葉が滑り出た。
「情愛の気配だとか、恋愛感情が実装していないとか言ってた人間の言う事じゃねえだろ」
敷島とこの手の話題を展開したところで、面倒なだけで何が解決する訳でもなければ面白くなる訳でもない。何かの丸暗記みたいな蘊蓄で屁理屈を垂れて意思の疎通を放棄されるものだと経験上知っていながら、そう言わずにはいられなかった。「分かったような口を聞いて済みませんでした」と言わせたいのか、それとも「実は恋愛感情を持ち合わせています」という言質が欲しいのか、自分でもよく分からなかった。或いは、これだけ他人の好意に敏い癖に自身に向けられる好意については知らん顔な敷島が憎くなってて詰りたくなっただけなのかもしれない。
「アロマンチックなんだろ、お前」

 敷島は暫く瞬き一つせずに此方を見ていた。相変わらず何を考えているのかが全く表に出ない顔だが、強いて言うなら突然難問を吹っ掛けられたようなリアクションだった。東洋人にしては珍しい虹彩の目立つ眼が、此方を瞠視したまま固まっていた。本格的に言葉に詰まっている敷島の姿に、葛原が言うところの恋愛至上主義者の傲慢を押し付けてしまった事に気付かされる。

 敷島は能面のような無表情で沈思した後、硬質な声で答えた。
「分からないんだ」
覚悟していた理屈屋らしい冗長な返答とは正反対に、恐ろしく簡素で頼り無い言葉を聞いた。敷島は長い睫を瞬かせて、説明を試みる。
「君にも話した事があった筈だ。確か、恋愛感情を定義しないまま恋愛という機能を実装している人間が不可思議だと。僕は愛とか恋を定義出来ずにいる。定義が定まらないから、存在も証明出来ない」
だからアロマンチックだと言い切るのも不適切だと、敷島は辛うじて結論を出した。自分自身の感情の事なのだから誰も明確な定義を求めたり証明を必要としたりするものではないだろうと思っていたが、どうやらこの男は違うらしい。何でも小難しくしてしまうのは、彼の性なのかもしれない。敷島は顎に指を押し当てて、また考え込んでいた。俺にはそんな風に悩まないと考えられない事が、恋愛感情を実装していない事の証明のように思えた。
 敷島は俯いて、また考え込んでいた。
「君は先程、恋愛感情を実装していない人間が情愛の気配を感じ取る事はおかしいという旨の事を言ったね」
「悪かったよ」
分かったような口を聞いていたのは俺の方だった。だが、敷島は詰りたかった訳ではないらしく、先程の台詞が正しいと仮定した場合について考えていたのだと言う。
「背理法に則って言えば、情愛の気配について言及した僕には恋愛感情を実装しているという事になる」
そうだろう、と確認されたところで俺にはお手上げだった。それに、こんなに悩む敷島を見るのは初めてだった。基本的に何事にも動じない厚かましさすら持ち合わせている彼だからこそ、一層異様に感じた。敷島の自身ではどうしようもない生理的な部分を突いて追い詰めてしまった。元々踏み入られるのを酷く嫌う人間だと知っていた筈なのに。
「俺にはよく分かんねえけどさ、そんな今すぐハッキリさせなきゃ困る訳でもねえし、無理に答えを出さなくても良いんじゃねえの」
何とかフォローをしようと宥めてみる。言ってから気付いたが、敷島の性について聞いた俺が言うべき台詞じゃなかった。今日は失言が多くて自分が嫌になる。敷島の柔らかい部分を暴いてしまいたい願望が無かったと言えば全くの嘘になる。けれど、そんな筈じゃなかった。
「そういうものは大抵この歳には確立しているんじゃないのか」
「深く考えてないだけだろ」
それで納得したとは思えなかったが、敷島はそうかと相槌を打ったきりになった。


 今後敷島にどう接するのが正解なんだろう。なんて頭を抱えたが、結局俺は彼に何もしてやれやしない事は分かっていた。碌な事も出来ない俺は、またいつも通り不機嫌な無関心を装って紫煙を吐くしかないのだ。噛み合う事の無いパズルのピースを無理に嵌め込んではいけないように、俺達には分を弁えた距離というものが必要だったのだ。


 ただ敷島は、調理室を出ていく前に、その手巻き煙草をくれと強請った。それが唯一恋愛感情の存在を証明する物になり得るからだそうだ。俺の手元にはいつもの黒煙草だけが残った。
 敷島大和は俺が思うよりずっと、不安定な足場に立っていた。


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