社泊

 新居は前のマンションより二駅分会社が遠いが、その分家から駅までが近いので通勤時間はあまり変わらなかった。最近では青葉が早起きして朝食を作ったりスーツにハンカチを入れたりしておいてくれるので、寧ろ俺の負担は減っている。少年院での生活で早起きに慣れてしまったと言う青葉だが、少年院の起床時間より今の方が早い事を俺は知っている。
 今日の朝食は昨晩の金平牛蒡の残りと南瓜の入った味噌汁に麦飯だった。麦飯は此方の方が身体に良いと聞いた青葉が試験的に取り入れたものだ。若いのに健康志向だ。というよりも、どうやら青葉は俺の健康を管理する事に楽しみを覚えているらしい。独占欲の一種だと思えば気分が良いので好きにさせている。食パンにコーヒーだけの時が多かった独り暮らしの時に比べると随分豪勢になった。南瓜が入った味噌汁は珍しいと言えば、南瓜は身体を暖めてくれるのだと青葉が得意気に教えてくれた。寒い日が続いている事を考えての結果らしい。家の中は二重構造の窓のお陰で裸足で歩ける程に暖かいが、外は寒さのピークを迎えている。
 
 玄関の扉を開けると冷気が拭き込んできて、見送りに来た青葉が身を縮ませた。行ってきますと挨拶すれば、忘れ物と称してキスを強請られた。ベタで典型的な新婚夫婦になりたがるのはテレビの影響だろうかと呆れなくもないが、やはり健気で可愛らしい。
 今日は花の金曜日。バブル崩壊と共に飲み歩くサラリーマンの人口は減ったが、休日の前日という事で夜更かしに相応しい日である事には変わりない。俺達も例外ではなく、毎週この日に睦み合うのが習慣になった。大寒波が襲来しようと雪が降ろうと、青葉が家で待っているなら仕事も精が出るというものだ。


 想定外だった。帰れなくなるなんて。
 今日に限って新人のミスで俺の部署だけ残業を余儀無くされ、この部署が取り残されるのを狙い澄ましたかのように天候が悪化した。天気予報の予測を遥かに越えて降る雪は交通網を麻痺させただけではなく、吹雪となって外出すらも厳しくさせている。電車が使えないだけなら家まで歩けない事もないが、吹雪となるとそれも出来ない。結露した窓を拭いて外を見ても、ただただ白い景色が広がっている事しか分からない状態だった。会社に泊まる他に無い。俺は会社に泊まり込むのは初めてではないが、酷しい会社ではない為今夜が初めての社泊となる社員も少なくない。残業の原因を作った新人に至っては塞ぎ込んでいる。
「あーあ、女房が待ってんのに」
そう言ったのは隣の窓から外を窺う同僚で、会社に取り残された仲間の一人だ。大して大きい声ではなかったが、辛気臭いオフィスでは喋り声自体が目立つ。ミスした新人の肩が震えた。
「柏田は良いよな、独り暮らしだっけ」
此方はまだ木婚の鴛鴦夫婦なんだよ、と続く同僚に此方こそ新婚なのだと言い返したいのを抑えて愚痴を聞いてやる。帰れないと電話で告げたら嫁に泣かれてしまったと家庭の話から始まり、ついさっきこの階の自販機で缶コーヒーが売り切れた事まで話せば同僚は少々落ち着きを取り戻した。そうして一人ですっきりした同僚はトイレに行ってしまった。大方顔を洗いに行ったのだろう。こんな時はさっさと顔を洗って歯を磨いて寝てしまうに限る。
 俺も青葉に帰れない事を伝えなくてはとオフィスを出る。流石にこれ以上新人に追い討ちをかける訳にはいかないので、廊下で電話をかける。
『そっか……うん、吹雪だもんね……誠嗣サンも、無理しないで』
夕食は取っておくからね、と気丈に応じる青葉の声には落胆が滲んでいた。お前も絶対外には出るなよ、しっかり寝ろよ。なんて声をかけて話を終える。通話が切られてしまう気配を感じた青葉がまだ切らないでと甘えた声を出す。確かにこのまま電話を切ってしまうのは素っ気無さ過ぎて可哀想で、他愛も無い話を続ける。今朝の南瓜の味噌汁が美味しかったとか、土日に今日の分の埋め合わせをしようとか、そんな話を中心に雑談をした。携帯電話の契約上、家族間の通話は無料なので、その分青葉の遠慮も無い。
「ところでお前、何処で電話してるんだ」
途中から青葉の声が響くようになったのが気になって問う。家で音が響く場所なんて風呂場くらいだ。防水の機器ではあるが、携帯を片手に風呂に入るのは感心しない。風呂を上がるタイミングを見失って風邪でも引いたら困る。案の定青葉は風呂に居ると白状した。
『ごめんなさい……誠嗣サンの声聞いてたら、なんか、寂しさが増しちゃって』
鼻にかかった声。謝る論点が食い違っている気がする。はぁ、と淫蕩さを含んだ溜め息が聞こえて疑念が決定的になる。
「もしかして、青葉……」
オフィスから離れるよう歩きながらもしや自慰をしているのかと問えば、戸惑いを含んだ謝罪が返る。先程の何処に居るのかという質問で全てを悟ったものと思っていたらしい青葉は二度も言い訳を繰り返す羽目になってしまった。
 確かに今日はそういう事をする日で、期待を裏切られた青葉が欲求を持て余すのは仕方が無い事なのかもしれない。誠嗣サンごめんなさい、と繰り返している青葉に提案する。
「テレフォンセックスするか」
幸い残っているのはひとつの部署だけで、別の階層に人は居ない。そこのトイレを使えば出来なくもないと画策する。どうせオフィスに帰っても辛気臭いだけだ。
『……テレフォン、セックス?』
青葉が訝しげに返答する。もう死語になってしまったのかと勘繰ったが、青葉はそういうプレイがある事自体知らなかったらしい。四十八手を不特定多数と制覇した疑惑すらある青葉だが、恋人らしい事は何もかもが初めてなのだ。尤も、義父に売春を強要されていた時分の青葉では語彙が足りな過ぎて出来なかったかもしれない。電話越しに互いの自慰を干渉し合うのだと教えてやれば青葉の声が期待に満ちたものになった。

 出来るかなあ、なんて言いつつも既に青葉は盛り上がってしまっているので、俺も急いで直ぐ下の階のトイレに向かう。
「今どんな格好してるんだ」
取り敢えずお決まりの文句から。風呂に居ると言うのでそう大した格好はしていないと予想していたが、互いの視覚情報を共有した方がやり易いだろうと考え手順を踏んでいく。
『上はスウェットで、下はもう脱いでる……誠嗣サンは、朝と同じ格好?』
その通りだと肯定して青葉が選んだネクタイを着けていると言えば電話の向こうで彼が笑った。携帯をスピーカーモードにして壁に立てるよう指示して青葉が自慰に両手を使えるようにセッティングする。此方は会社のトイレでスピーカーモードにする訳にもいかないので、携帯を肩で挟んでベルトを外す。ベルトを外してズボンを寛げる様を実況してやる。
「前に尻弄らないとイけないって言ってたけど、やっぱり一人の時もそっち弄るのか」
揶揄を交えて聞く。既に自慰を始めている青葉は恥ずかしそうに肯う。
「どんな風に」
『膝立ち、で。う、後ろから手、回して、右手の中指と薬指、い入れてる……その、浴槽の縁に肩、付けるとちょっと楽』
青葉が羞恥に吃りながら教えてくれる。吐息が荒い。薄々気付いていたけれど、青葉は恥ずかしいのを楽しめる質だ。
「少年院でもそうやってたのか」
少し意地悪な質問をしてみた。三十ヶ月も入院していたのだ。その間あの若い身体が自慰をしなかったとは考えられないが、監視された環境下での自慰というのも難しそうだ。
『う、うん。トイレでお尻、弄った……ね、院の話はやめようよ』
俺の知らない期間の青葉の話を聞きたかったが、青葉が嫌だと言うのなら仕方が無い。無毛の青葉が院で風呂をどうしていたのかも聞く予定だったから残念だ。青葉にとって俺以外が居る場所で厭らしい事をしたと告白するのは羞恥より罪悪感が勝ってしまうらしい。辱しめはしても悲しませるのは不本意なので話題を変える。
「ところで青葉、お前乳首弄るのも好きだよな」
『ん、今左手で触ってる』
行動が早い。青葉の乳輪はミルクを多目に入れたカフェオレのような色で、乳首の先端は薄赤くて色っぽい。少し大きめの乳首は勃ち易くて弄り易いので、俺はよく弄る。というか青葉が乳首を好んで触るようになったのは最近で、恐らく俺の影響だ。
「両手で触れるか?」
え、と青葉が困った声を出した。そこに両手を使ってしまったら尻を弄れないからだ。好むようになったと言っても乳首だけで満足出来る程ではないのだ。暫く戸惑った青葉だが、名残惜しそうな声をあげて尻から指を抜いた。僅かだがクチュリと厭らしい音がしたので、申告が無くとも様子が分かった。言う通りに出来たので褒めると、青葉が感じ入った声をあげた。青葉は最中に名前を呼ばれるのが好きだが、褒められる事と好きだと言われる事もそれと同じくらい好きだ。
『誠嗣サン、もっと』
褒めて、名前を呼んで、と青葉が強請る。蕩けた声だった。その声を聞きながら右手で陰茎を扱く。此方の息が荒くなった事に直ぐ様気付いた青葉が誠嗣サンえっちだよぅと恥ずかしそうに呟いた。反応が可愛かったので携帯を下肢に近付けて陰茎を扱く音を聞かせてやる。意図的に音を大きく出せば、トイレの個室の中でもよく響いた。電話の向こうの反応も芳しい。
 青葉は自身の痴態に興奮を催されているという事に興奮している。マゾヒスティックな悦楽を含んだ熱っぽい吐息が電話越しに伝わってくる。
『ねえ、も、乳首はいいでしょ?もう』
そろそろ乳首だけを弄るのも辛くなってきた青葉が懇願してきた。どうせ見えないのだから勝手に別の場所を弄っても分かりはしないと思うのだが、素直に許可を求める青葉は健気だ。だがその従順さは加虐心を擽る。もう少しその苦悶する声を聞いていたくなった。駄目だと返すと落胆の声があがる。
「乳首、強めに摘んで潰して」
いつも俺が弄っている時を想起させるように具体的に指示を出してみる。ひぅうっ、と声にならない声が聞こえた。電話越しに聞いた中で一番良い声だった。青葉に大丈夫かと問えば不明瞭ながらも反応が返ってきたのでもう少し頑張ってもらおうと思う。
「次は引っ張ろうか」
もう止めてもえるかと期待していた青葉に更に指示を出す。青葉は呻いたがやはり指示に従ったようで、先程より大きな声で嬌声をあげた。喘ぎ声に混じって抗議が届いた。
『も、嫌、乳首やだ、おチンチン痛いよう、いたい』
鼻をすんすんと鳴らして訴える青葉。ずっと達せないまま勃っている陰茎が痛くなってきたらしい。本気で泣きが入ってきたので、そろそろ交渉に応じなくてはならない。
「じゃあぺニス触るか」
『や、お尻、お尻じゃないと、せいじさ、やらぁ』
青葉がそっちじゃないと愚図った。陰茎が痛いと言ったのに尻が良いのかと聞いて焦らせば、いつにも増して幼稚な口調で尻を弄らせてほしいと繰り返した。幼児趣味は無い筈だが、青葉がそれだけ切羽詰まっているのだと思えば酷く愛しかった。尻を弄る許可を出せば、青葉は歓喜の声をあげた。恥も忘れてグチュグチュとはしたない音を響かせているのが電話越しに伝わった。時折此方の名を譫言のように呼ぶのが聞こえて、愛しさが増す。
 あっあっあっあっ……と短い喘ぎ声が聞こえてくる。そろそろ限界が近いらしい。俺もトイレットペーパーを引き出して射精に至る準備を整える。途切れ途切れの甘えた声で一緒にイきたいと乞うのでタイミングが合うように自身を扱く。
『イく、イく……せいじさ、ちくび吸ってぇ!』
俺がその場に居ない事を忘れたのか、叶え難い願望を口走って青葉は達した。その場に居ない事が惜しい。
 暫くして息が整ってきた青葉は乳首がむずむずすると文句を言った。恨めし気な口調に反して満更でもない声色だった。今朝充電したきりの携帯のバッテリーがそろそろ危ういので、このままシャワーを浴びて寝るよう伝えて会話を収束に向かわせる。返事をした青葉の声からはやはり切なさが滲んでいた。

 手を洗って廊下に出ると、部下が階段から降りて来るところだった。俺を探していたと言う。
「後二時間もすれば吹雪も収まるらしいですよ」
だから今の内に寝ておくべきだとオフィスへ連れ戻される。オフィスでは男達が屍のように寝ていた。明日に外せない用事が有る者や同僚を初めとする既婚者の一部には電車の復旧を待たずに吹雪が収まり次第徒歩で帰るつもりの者も居るらしい。俺も自分の椅子に凭れてコートをブランケット代わりにして寝る事にした。
 吹雪は予報通り二時間の仮眠を取った後には止んでいた。電車が運行する目処は立っていなかったが、俺を含む数人の社員が会社から出ていった。青葉は最後まで早く帰って来てと言う事はなかったが、ここは甲斐性を見せたいところだ。雪があらゆる光を反射する所為か、街灯が少ない道も明るかった。雪に脚を埋めながら徒歩で家路を目指す。歩けない距離ではないと高を括っていたが、雪に脚を取られて歩く速度は予想より遥かに遅かった。足元の悪さと寒さが体力を消費するので腹が減る。途中でコンビニを覗いたが、何処も食べ物は売り切れていた。青葉が夕飯を取っておいてくれているのが救いだった。青葉の作る飯を思うと、脚がよく動いた。


 家に帰ると部屋の灯りは消えていた。青葉の事だから起きて待っているかと思ったが、言いつけ通りちゃんと寝ているようで安心した。時刻は普段なら朝刊の配達が来ている頃だった。三和土で雪を払って、夕飯を確認する。圧力鍋にホワイトシチューが入っていた。シチューには鶏肉や人参等の定番の具の他に南瓜が入っていた。鍋を火にかける間にシャワーを浴びて、夜食としてシチューを食べた。冷えた身体にシチューが沁みていく。鍋には結構多目入っていたが、今なら何杯でも食べれそうだった。南瓜は身体を暖めてくれるのだと言った青葉の顔が脳裏に浮かぶ。
「せーじさん?」
ペタリペタリと間の抜けた足音と共に青葉が寝室から降りて来る。寝惚けた口調でリビングを覗いた青葉の眼が一気に冴えた。嘘、帰って来てたの!? と瞠目する青葉。外国のホームビデオのクリスマスプレゼントをツリーの下で見付けた子供のような、大仰な喜びようだった。
 まだ早いから寝ていろと言ったが、青葉は俺の向かいに座ってシチューを食べ始めた。
「今日、朝ごはん作らなくて良い?」
鶏肉を咀嚼し終えた青葉が聞く。いつも早起きしてせっせと飯を作る青葉にしては珍しい提案だったが、そんな日も有って良いのではないかと頷く。それに、これを食べてまた何時も通りの朝食の時間に起きるよりは朝食が無い方が楽だった。
「二人でさ、一緒に昼まで寝ようよ」
その為に今青葉もシチューを頬張っているらしい。早過ぎる朝食のつもりなのだ。気の利きすぎた提案に本当にそれで良いのかと聞き返す。寂しかったからそうしたいのだと青葉は告げる。テーブルの下で青葉の脚が絡まる。先程まで布団に入っていた所為か青葉の脚は暖かかった。二人で顔を見合いながらご馳走さまと挨拶をする。
 食器は洗わず水に浸けるだけにして、青葉を伴って寝室に入った。俺のベッドは既に乱れていて、青葉が先に此処で寝ていたのだと知る。誠嗣サンの匂いが恋しかったと白状されたら抱き締めざるを得ない。電車が復旧するまで帰らないと思っていたらしい青葉は腕の中でお帰りなさいと笑った。同じシャンプーを使っている筈だが、青葉の髪からは柔らかな良い匂いがした。その匂いと彼の高めの体温が眠気を誘う。

 目が覚めると既に昼を過ぎていて、青葉が隣で布団に入ったまま文庫本を読んでいた。カーテンからは冬の冴えた日差しが差し込んでいる。電車も粗方復旧したと青葉が教えてくれた。土日に金曜の分を埋め合わせるという約束を思い出して、どうしたいか希望を聞く。
「……乳首吸って」
聞き返すと青葉は口を尖らせて外方を向いてしまった。やはり満更ではなかったようだ。



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