家庭

 昨日の残りの煮物をレンジで暖めて、味噌汁を注いでご飯を装ったら朝食は完成。少年院を出てすぐ誠嗣サンは俺に通信制の高校とか高認受けて大学入るとかの進路も考えてくれたけど、どれも断った。誠嗣サンに養われて学生をするよりも、誠嗣サンを支えられる主夫になりたい。味噌汁や簡単な煮物くらいなら料理本が無くとも作れるようになった。もっとレパートリーを増やして、いずれは弁当だって作りたい。ご飯が冷めない内に誠嗣サンを起こしに行く。誠嗣サンは独り暮らしが長い所為か俺が起こすまでもないって感じだけど、俺が起こすまで布団の中で待っていてくれる。良い旦那さんだ。
 おはようを合図にキスをして朝食を摂る。具沢山の味噌汁は誠嗣サンに美味しいって言ってもらえた。誠嗣サンの大きめの口が黙々と動くのを見ていると頬が緩む。幸せな朝。世間話は冬だろうと家の中はいつだって春だ。
「今日、遅くなるから夕飯は一人で食べてくれるか」
食べ終えて箸を置いた誠嗣サンが断った。カレンダーに書き込まれた予定を見れば理由は明白、娘さんの彼氏と顔を会わせるのだ。会社帰りに駅前の喫茶店で会う約束らしい。誠嗣サンの表情は固い。
「娘はやらん、なんて言えた立場じゃないし。どの面下げて娘をよろしくとか言えばいいんだ」
誠嗣サンは娘さんの事になると自虐的になる。一番緊張するのは彼氏さん側じゃないのかと思うけど、誠嗣サンもガチガチだ。大丈夫だよと声をかければ、優しいなと頭を撫でてくれた。気休めじゃなくて、本当に大丈夫だと思うのに。
 というか、俺は悪いようにならないであろう事を知っている。偶然だけど四日前に娘さんに会ったのだ。

 四日前、料理本を返しに行った図書館で娘さんに出会った。桑子君だよね!? なんて声をかけられたら気付かなかったふりも出来なくて、あれよあれよと図書館併設のカフェに引き摺り込まれた。小さい頃に母にされた事とかがトラウマで未だに女性が怖いし苦手だけど、誠嗣サンの娘を邪険にする訳にもいかず曖昧な笑みを作ってコーヒー啜った。
『桑子君って、その、柏田誠嗣の事、どう思ってるか聞いて良い?』
私の父の事なんだけど、と切り出した彼女。そう聞きながら彼女は右手の薬指に輝く指輪を大事そうに擦った。その時に母が俺に向けていたような欲がその眼差しには全く含まれていない事に気付いて少し気が楽になった。そもそも彼女には彼氏が居て、俺自身じゃなくて誠嗣サンに関心があって声をかけたのだと分かる。誠嗣サンは良い人だと答えると、彼女はちょっと泣きそうな顔になった。誠嗣サンは髪以外は奥さんに似たと言うけれど、雰囲気がとてもよく似ていた。眉の下がり方とか言葉を探す時の瞳の動き方とか、細かい部分に親しみを覚える。
『色々あって父とは疎遠だったんだけど、彼が挨拶したいって言うから良い機会かなって。でも、なんか疎遠になりすぎてて怖いっていうか、どんな人だったのか分からなくなってきて』
言い訳じみた言葉を並べないと父親の話を聞く事も儘ならない娘に、この父娘の距離感を知る。彼女の言う色々を俺は知っている。誠嗣サンの不貞と、それが傷になって荒れていた彼女。誠嗣サンからはその件が解決して彼女に余裕が生まれた事で少しずつ関係を修復しつつあると聞いている。
『誠嗣サンって、不器用でどうしようもなく鈍くて、人と付き合うのが下手だよね』
そう言ってみれば彼女が頷く。きっと彼氏さんが父親に会いたいと言っていても、彼女はそれを突っぱねる事も出来た筈だ。敢えて父親に会う機会を作って、誠嗣サンと向き合おうとしている。
『面倒事は苦手で、すぐ逃げる。というか、あの人が本当に逃げたかったのは、そんなどうしようもない自分からだったんじゃないのかなって』
嘗ての誠嗣サンの事を思い出して口を開く。彼女等の家庭で何があったかは概ね聞かされているけど、俺がそこまで知っているなんて思ってもいないだろうから、そこには触れないようにしなくては。
『でも誠嗣サンなりに変わろうとしてて、もう逃げないって言ってた』
鈍いのは相変わらずというか、もうどうしようもないんじゃないかと思うけど。そんな欠点を補い合って家族になるのだ。なんて俺達は甘い夢を見ている。彼女は昔の誠嗣サンについては知っているけど、今の彼については俺の方が詳しいのだ。それがちょっと誇らしい。娘相手に優越感というのは変だという自覚はある。
『私は肩車してもらうような小さな頃の父の記憶以外は母から聞いたものばかりで、それは離婚した理由とか愚痴が多くて、酷い人としか思ってなかったけど、よくよく考えてみれば私は父自身の事をよく知らなくて』
彼女がコーヒーにミルクを入れて掻き回す。右手が動く度に婚約指輪が店の照明を反射して輝く。学生同士だからそこまで高価な物ではないとは思うけど、そこには金に変えられないものが沢山詰まっているのだ。誠嗣サンは不幸にしてしまったと悔いているけれど、そんな枷があろうと自力で幸せを掴めるくらい彼女は強かに育った。同じ年だけど、彼の子供だと思えば成長した姿に感動を覚えてしまう。離婚した理由を作った件については許す気は無いけれど父と子としての関係性を確立したいのだと彼女は話した。会う機会が欲しいと思っても今更過ぎて抵抗がある所為で大学入学や成人式に託つけるしか出来なかったのだと、要領を得ない言葉で明かされる。
『娘らしい事も碌に出来なくて、甘えてみようと思っても金銭面で頼る以外に出来なくて。別居した父が玩具とかプレゼントばかり贈ってくるのを何でも金で解決していけ好かないって怒ってたのに、私だって金で甘える事しか出来なかった』
似た者父娘だ、と彼女が自虐する。自分の不器用さを自覚した娘が父の苦悩を察して歩み寄る決断をしている。まさか目の前の男に親心を抱かれているとは知らない彼女は懺悔のような愚痴を繰り返した。
 結局殆どが愚痴と不安の吐露だったけど、彼女は誠嗣サンが自分の父として振る舞ってくれる事を期待しているのだと伝わってきた。コーヒーカップが空になって彼女が一頻り喋りたい事を喋った後、妙な質問をされた。
『桑子君ってさ、あの人の養子になったりするの?』
誠嗣サンは俺と歳の差が有りすぎる事を気にしているからこれを聞いたらショックだろうなと思いながら、どうしてそんな質問をするのか聞く。さして重要な意味は無い問いだったのか、彼女は質問に質問で返された事に気を悪くする事はなかった。
『桑子君は私と同じ歳だから疑似親子みたいな関係なのかと思ったんだけど、話した感じ桑子君の方があの人よりしっかりしてそうだから』
いずれ誠嗣サンの元を離れていく気なのかと気になったらしい。俺には微塵もそんな気は無いけれど、それって客観的にはどう映るのだろうかと不安が過る。それに答えを出したのは切れ長の眼を細めて微笑んだ彼女だった。
『桑子君さえ良かったら、父の側に居てあげて。あの人、色々足りないから』
私はこんなこと言える立場じゃないかも知れないけど。と誠嗣サンみたいな事を言った彼女は伝票を持って席を立った。


 夕食を済ませてソファで微睡んでいると玄関から物音が聞こえてきて、点けっぱなしだったテレビを消す。鍵穴に鍵が差し込まれる音がする前に玄関に走る。誠嗣サンが帰ってきた。お帰りなさいと迎え出れば、大きな手に腕を引かれて抱き込まれる。誠嗣サンが耳元で溜息混じりに疲れたと零した。声が色っぽくて、腰がぞくぞくする。
「お前に娘はやらんってちゃんと啖呵切ってきた?」
「そんなの言える立場じゃないし、本当に真面目で良い奴だったよ」
上着を預りながらテレビで見た知識を確かめる。あれは必ず言わなくてはならない文句という訳ではないようだ。
「でも、泣かせるなとは言った」
誠嗣サンが父親の顔してる。微笑ましくて誇らしい反面、妬ける。
 それから一緒にソファに座って缶ビール片手に娘の彼氏についての話を聞いた。俺は殆ど飲めないけど、誠嗣サンが弱音を吐くにはアルコールが必要なのだ。実家が皮膚科の医大生で、娘さんとは大学のイベントを通じて知り合ったらしいとか。次男坊だけど長男が起業したがっているので実家を次ぐつもりだとか。実は父親との疎遠を気にしている彼女の為に父親に会いたいと申し出たのだとか。大学を卒業したら結婚したいと本気で考えているのだとか。聞けば聞くほど非の打ち所が無くて、誠嗣サンじゃなくても父親の出る幕が無い。
「一人前に婚約指輪なんて着けてやがって」
誠嗣サンが俺の右手を取って、薬指に食い付いた。甘噛される。酔ってる、というか酔ったふりをしている。薬指の付け根に赤い環状の跡が出来て、指環みたいになった。
「……羨ましい」
俺の薬指に視線を向けたまま、誠嗣サンは蚊の鳴くような声で呟いた。俺も、あの薬指が眩しかった。

 本当に酔ってしまう前にお酒を遠ざけて、誠嗣サンに向き合う。
「俺は、誠嗣サンと一緒の名字が欲しい」
誠嗣サンのこれからの人生、皆々欲しい。指輪状の歯形に後押しされて本当に欲しいものを告げる。誠嗣サンは二言返事で了承した。
「左手に付けりゃ良かったな」
俺の右手に付けた歯形をなぞって誠嗣サンは擽ったそうに笑った。
「そっちには本物を頂戴」
誠嗣サンと居るとどんどん我儘になる。


 その次の大安の日に、俺は誠嗣サンの養子になった。流石に娘と同じ年の男を娶ったなんて報告させられないから世間的には親子だけど。晴れて誠嗣サンと正式な家族になれた。
 誠嗣サンのパソコンの検索履歴に「同性婚」「海外 同性婚」「同性婚 結婚式」とか並んでいるのを発見するのはそれから少し先の話で、二人だけで結婚式を挙げようかなんて持ちかけてくる誠嗣サンはまだまだ俺を我儘にしてくれるに違いないのだ。



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