Alexander's wife

 折角一等地に建てられたというのに窓の一つも作られず陽の光も人の目も拒絶した洋館。扉さえ閉めてしまえば外界とは一切繋がらなくなってしまう、窓の無い窮屈なロビー。床には柔らかな絨毯が敷かれ、高い天井にはシャンデリアが下がっている。ホテル特有の品と非日常的な風情を持ったこの空間は、酷く悪趣味だ。
 それもその筈、御天道様に顔向け出来ない事をする為の場所だからだ。ロビーのカウンターで黒服の男に紹介状を同封した封筒を渡せば、黒服は拝見しますとだけ言って無表情のまま封を開ける。紹介状に備考として添えられた蛇足な文章を思い出して頭が痛くなった。持病無し、体力に自信有り、肛門性交の経験有り……


 きっかけは末の弟が高校に進学したいと言い出した事だ。
 正直我が家にそんな金は何処にも無くて、奨学金を借りたとしても返せる見込みが無かった。けれど高校進学率が九割を越える時代だ。弟が高校に行きたがるのは当然で、社会は中卒労働者に厳しいと俺が一番よく知っていた。だから金が無いから諦めろだなんて言うには余りにも酷で頭を抱えていた。そんな中、中学の時分に少し世話になった先輩が「今の仕事を辞めずに済んで短期間で稼げる仕事を知っている」と連絡を寄越したので飛び付いた。先輩は大手企業の三男坊で金とコネには欠かない人だが、良い人とは言い難く、仕事も好条件過ぎて嫌な予感がした。しかし背は腹に変えられない。多少汚れ仕事だろうと、紹介してほしいと縋るのは当然だった。
 事実、仕事の内容は最悪で、飼育されている雄犬の番として性欲を処理するというものだった。
 言ってしまえば獣姦ショーだ。依頼主が随分な愛犬家で去勢するのは可哀想だが行き場の無い性欲を抱えたままなのも可哀想だと雌犬役の人間を募集したらしい。雄犬だけで飼育しているなら発情期は来ないだろうし、普通に本物の雌犬を与えてやれば良いものをと思わなくもないが、やはり依頼主の趣味が可笑しいのだろう。だがこれで稼がせて貰えるのだから文句は言うまい。

 書類を受理した黒服は衣類を剥ぎ取るように脱がせて此方を全裸にするとボディチェックと称して頭の先から脚の先まで金属探知機を複数回往復させた。とどめには尻の穴に指を入れて完全な丸腰である事を確認される厳重ぶりに今から刑務所にでも収容されるのではないかと不安になる。更に爪を短く切られて鑢で形まで整えられるのだから、売春や援助交際と同じくらいの考えで引き受けたのは検討違いだったと思い知る。中学の先輩にこのようなコネクションが出来ていたのもまた恐ろしい。
「エレベーターを降りたら雌犬らしく四つ足で歩け」
身体検査に合格すると黒服の一人がそう言って送り出し、全裸のまま地下へ地下へとエレベーターで運ばれた。雌犬。言われた言葉をエレベーターの中で反芻する。犬の性器は中型犬でも人並かそれ以上に大きいとか瘤が付いているとか聞くが、猫のように性器に棘がある訳でもないし犬との交合はアダルトビデオ等でも探せば結構出てくるジャンルではあるから多分大丈夫だろう。そう犬に尻を掘られる覚悟を決めてきたつもりだが、やはり悍ましい。
 エレベーターの扉が開くと、キャラメル色の犬を連れた白い仮面で顔を隠した男と黒服に身を包んだ先輩が居た。まさか此処に先輩が居るとは思っていなかったので驚いたが、言われた通り四つ這の体勢で指示を待った。先輩が口を開く。
「紹介する。此方がお前の亭主、アレキサンダー様だ」
人間に敬称を付けられて呼ばれた犬が此方に歩み寄ってくる。犬種はイングリッシュコッカースパニエルで、ラブラドールやウルフハウンドのような大型犬でなくて少し安心した。犬は此方と飼い主達を交互見て愛嬌たっぷりに尻尾を振った。その飼い主と思われる仮面の男は此方を値踏みするように一瞥すると、黒服に二、三耳打ちして犬と黒服を残して退室していった。
「可愛い嫁さん貰えて良かったなあ」
黒服に身を包んだ先輩は男が確実に居なくなったのを確認してから揶揄した。犬は言葉の意味を理解していないのだろうが、円らな目をしたまま首を傾げる。此処では俺よりこの犬の方が遥かに偉いのだと思うと、その愛嬌ある仕草を素直に可愛く感じられない。雌犬の真似をせざるを得ない状態の時に知った顔があるのは苦痛だった。

 深紅の柔らかな毛足の絨毯に似つかわしくない大きなペットシーツを部屋の中央に敷いた先輩が手招きする。そこで用を足せと言うのだ。犬にではなく、俺に。当然恥ずかしいので尿意は無いと拒否をするが、最初から拒否権など無かったようで首根っこを掴んでシーツの上まで引き擦られる。実のところ、全裸になった所為で少し腹が冷えていて若干の尿意を感じてはいたのだ。せめて後ろを向いていてくれと交渉するが敢えなく失敗する。彼の性格は知っているので、そうなる気はしていた。この歳で他人に排尿を見られるのも勘弁願いたかったが、これ以上渋ると女々しいとか何とか揶揄されそうなので下腹部に力を込める。
「お前はあくまで雌犬だからな。片脚上げて小便するなよ」
誰が好き好んでそんな不安定な用の足し方をするかと思ったが、ここで言い返す事に気力を使いたくなかったのと一々逆らっていられる立場でもないので黙って頷いておく。むっとアンモニアの臭いが下から漂ってくるのに気恥ずかしさを覚えながらも用を済ませる。犬が能天気に尻尾を振りながら此方を見ているのが余計に遣る瀬ない。シーツが直ぐに尿を吸収するお陰で派手な水音を立てずに済んだのが救いだった。
 シーツに広がった黄色の染みを確認した先輩は犬にでも言うようによしよしと誉めた。実際に俺の立場は犬で間違いはないのだろうが、癪に障る。
「じゃあ次は大きい方だ」
思わず聞き返したが、何度聞こうと彼は此処で大便をしろという要求を曲げなかった。これも仕事の内だと言われれば仕方が無い。切実に金が欲しいのだ。逡巡の末シーツを新しくしてもらい、その上にしゃがんで息む。しかし頭で納得したところで身体が付いていく訳でもなかった。大腸は特にストレスに敏感である。顔が赤くなるまで力んでも屁の一つも出ない。流石に出ないと判断しシーツから降りようとするが、それは許されないらしく先輩に押さえ付けられた。先輩の指が無遠慮に肛門に入ってきて便の所在を確かめられる。因みに先輩の指が尻に入るのはこれが初めてではない。この仕事を紹介してもらう見返りについ先週抱かれたばかりである。指が執拗に出入りした後、先輩は浣腸をすると宣言した。もう勘弁してくれという思いとどうにでもなれという諦観が交差し、諦観と金への切実さが勝った。浣腸器を準備する先輩を犬は暇そうに見ていた。
 四つ這いの状態で浣腸を受ける。
「う、うんちの、出来ない……雌犬に……お浣腸を、ありがとうございます……」
生温いものが腹を満たすのに時間はかからなかったが、浣腸に対する礼を言わされたのが精神的に堪えた。これは仕事の一環というよりも先輩の趣味ではないかと疑っているが、出来るだけ早く終わってほしかったので抵抗をやめた。仕事の紹介に売春まがいの条件を付けて此方が何処まで尊厳を犠牲に出来るのか試すような性格の悪い男だ。嫌がって抵抗すればする程彼を図に乗らせるのは目に見えていた。五分と経たずにじっとりと汗をかいてきて、寒気に近い排泄感が込み上げてくる。四つ這いで力が入りづらいが排泄の許可を得るまで尻に力を入れてやり過ごす。たかがぬるま湯数十ミリで弱っていると思われたくないという自分でもよく分からない意地で頭を垂れそうになるのを抑えていた。
 排泄を許されると、先程の緊張が嘘のように便がぼたぼたとシーツの上に落ちていった。四つ這いのまま緩い便を落としてしまったので、内腿に便が垂れてしまい泣きたくなった。悪臭を感じ取った犬が静かに此方と距離を取ろうとするのも惨めさを助長する。先輩が無言で脚を拭いて、再び浣腸を施した。何も出なくなるまで行う予定なのだろう。下手に動くと瞳で留まっている涙が溢れそうだったので、極力動かないように努めた。
 幾度か排泄を繰り返したところで、突然犬が燥ぎだした。露骨な興奮の様相。大型犬でなくとも、獣の態度が豹変する様子は恐怖心を煽る。今まで至って静かに待機していた犬が舌を出して先輩の方に熱烈な視線を送っている。その視線の先にある浣腸器に今までの透明のぬるま湯ではなく黄色の液体が入っている事に気付く。犬だって発情も催していない状態で人間のしかも男相手に出来る訳がなかったのだ。
「ちょっと、まさか……それ」
先輩は今日一番の笑顔だった。仕事を紹介する代わりに尻を貸せと条件を出してきた時と同じくらい良い笑顔だった。悲しい事に俺はこの人がこの表情の時は大抵碌な事が無いのだと、中学の時分からよく知っている。
「そう。発情期の雌犬の尿」

 折角我慢していた涙が次々と溢れた。何の為に張った意地か分かりやしない。シーツに顔を伏せて嫌だ嫌だと駄々を捏ねる。立つのも手間で四つ脚のまま這って逃げようとするが押さえ込まれて雌犬の尿が入ってくる。
「ううぅ……」
犬の荒い吐息を直ぐ後ろで感じる。長い毛並みが太股の裏に当たるのと同時に、再三の浣腸で泥濘んだ肛門に犬の性器が押し入ってくる。長さは人間のものとさして変わらず、先端が太っていないので考えていたよりも容易に侵入を許してしまった。背中に犬の厚みのある爪が引っ掛かる。犬が此方を前肢で押さえ付けて、性器全体が収まるよう腰を振っているのだと悟る。素早いピストン運動が始まり、背中や項に犬の涎が降ってくる。喉から意味を成さない声が吐息と一緒に押し出されていく。犬の性器は見えないが、そこから大量に何かが分泌されている事が分かった。異様に濡れてグチュグチュと酷い音をたてる。本当に女にでもなったような錯覚に頭を振るが、幾度も言われた雌犬という言葉が脳裏を支配して思考を削いでいく。こうしている間に犬の陰茎の根本の部分が膨らんできている。既存の知識からきっとこれが瘤なのだろうと察したものの、不安になる程大きくなる。恐怖を煽るのはそれだけではない。性器から分泌される液の粘性が増しているのだ。射精だろうと検討が付いているものの終わる気配がなく、やはり恐ろしい。人目を意識するのが嫌で今までの先輩の方を向くのは避けてきたが、そんな事を気にしていられなくなってきた。助けてほしい。もう嫌だ、こんなに悍ましいものだとは思っていなかった。怖くて仕方がない。金なんて要らない、他でどうにかする。頭の中を弱音が占めていく。
 嫌だ、怖い、止めて、助けて。喉まで出かかった言葉を無理やり嚥下する。先輩相手に助けを乞うのは出来なかった。この仕事を紹介したのは彼なのだから。彼は何の躊躇いも無く、それどころか笑って犬の小便を注入した男だ。助けてくれる筈はないのだ。縋っても無意味どころか、より滑稽で哀れなものに成り下がる気がした。カチカチと鳴る歯を強引に噛み合わせて情けない表情を矯正し、先輩を睥睨する。
「こっちは見るな。顔が映る」
「えっ? ちょっと、嘘!?」
精一杯の気丈な顔で睨み付けた先に居た先輩はハンディカメラを手にしていた。カメラに録画中を示す赤いランプが点っている。驚いて思わず情けない声をあげてしまえば、異変に反応した犬が腰を押さえる力を強めてきてまともな抗議すら出来なくなった。爪が背中に食い込んで、疼くような痛みを生む。
「ただのホームビデオだ。アレキサンダー様が童貞を捨てる記念を残しておきたいらしい。お前の顔は要らない」
頭を伏せて顔を隠すように指示される。素直に従うのは癪だが顔が映るのは嫌なので抗議は後回しになった。言いたい事は色々あった。そういう事は最初に断るべきだとか、せめて犬の爪を切っておけとか。兎に角此方を馬鹿にし過ぎている。膨れ続ける瘤と止めどない射精への恐怖は先程の衝撃で薄れ少々冷静さが戻ってきたが、痛みと不快さは増す一方だった。
 暫くすると犬のピストン運動が止まり、瘤が漸く膨らみきったのだと悟る。腰を振る動きから性器が抜けないよう押し付けるような動きに変わってくれたお陰で、此方も大分楽になる。犬の興奮も少々落ち着いて、此方の肩の辺りを毛繕いでもするように舐めるようになった。無数に付いたシーツの折れ目を目で辿ってこの時間をやり過ごす内に、犬の性器が小さくなっていくのを感じた。射精の勢いも衰えてきている。行為に慣れ抱えていた不安が解消されていくと、妙な余裕が生まれる。余裕があると、余計なものまで感知してしまう。腹を満たす熱と排泄感が緩い快楽をもたらしているのだ。これだけで射精に至るほどの刺激ではないが、自分の性器が反応しているのが分かる。血液が集まる感覚と、何より先輩の楽しげな気配で。勿論犬相手に気持ちよくなっている事も、それを人に見られている事も屈辱だ。しかし今更それくらい痛くもないという開き直りで性器に手を伸ばしてもどかしい快楽を対処する。カメラは回っているが、撮られているのは俺じゃなくて犬の方だ。先輩が面白がって口笛を吹いて囃す。
「死ね」
巫山戯た態度の先輩に腹立たしさを覚え、悪態を吐く。肛門性交の快楽を教えたのは先輩自身だ。多分、俺がこうなっている原因は八割くらい先輩にあるのだ。そもそも此処に居るのが先輩じゃない他の黒服だったら、少々性器が反応しても我慢しただろうし、もっと緊張感を抱いた筈なので快楽を感受する事はなかっただろう。と責任を転嫁して内心散々罵倒する。犬が性器を引き抜いたのは、俺が射精して間もなくだった。
 栓を失った肛門から滴り落ちる精液を犬が舐める。カメラを収めた先輩がタオルを投げて寄越したので、犬を引き剥がして腹に溜まった精液をシーツにひり出してから腿や尻を拭く。犬の精液は酷く粘りがあって排泄した時に汚らしい音が出た。それを聞いた先輩は鼻で笑ったが、今更彼にどう思われようと気にすまい。俺の仕事はこれで終わりであるらしく、俺の腕を引いて立たせた先輩は送ってやると申し出た。いざ立つと足元が覚束ないので、腕を引かれたままエレベーターの前まで歩いた。
「……本当に顔映してないよな」
エレベーターが来るのを待っている間、ふと気になって蒸し返す。
「映してないし、流出もさせない」
先輩が素っ気無く答える。一緒に乗ろうとした犬を抑えて二人でエレベーターに乗り込む。結局犬は最後まで一切吠える事が無かった。もしや声帯を切除されているのではないかと考えていると、先輩がその能天気さに呆れたように口を開いた。
「本当に金の為なら何だってするんだな」
金に困った事の無い奴には言われたくない台詞だと返す。先輩は中学の頃から昼時に菓子をくれたり使わなくなった副読本を下げ渡してくれたりと何かと世話を焼いてくれたが、根底には貧乏人への物珍しさや軽侮があったのだろう。尤も、此方も貰えるものは貰っているのだから被害者面をする気はない。ただ互いに軽蔑し合いながら縁を切れないでいる関係に虚しさを覚える時は多い。エレベーターの階数ボタンを押した先輩が問う。
「お前今何やってんの」
「販売事務」
中卒は肉体労働だと思った、と何の臆面も無く偏見を口にした先輩。こういう態度がとれる辺りに此方を見下し切った性格の悪さを感じすにはいられない。
「しかも正規雇用」
馬鹿にされた憤りのままについ嘘を吐いた。販売事務は本当だが、中卒という肩書は結構な重荷だ。皆口に出さないだけで先輩が言ったような偏見はしっかり抱いているのだ。職場で物が無くなる度に同僚の視線が集中するのも辛い。高校に進学するチャンスが無かった訳ではない。俺が学生だった時は今より幾分か奨学金が借り易かったし、勉強だって出来ない訳ではなかった。それに俺より一年早く高校進学した先輩が学校の近くのアパートに一緒に住んで学費を折半してやると言い出したのだ。確かその時の交換条件はキスで、性悪で金銭感覚の狂った先輩にしては生易しいものだったが、当時は俺も純粋で好きな娘がいたから断った。その娘とは数回キスしたもののあばら家に招待した次の日には別れを切り出されたけれど。唇どころか尻まで売った今なら、あの条件を飲んでおけば良かったと思う事もある。
「アンタこそ何してんの。というか、何者」
変態的でアングラなコネクションを持っている事もだが、大手企業の三男坊が犬に様を付けて呼ばなければならないような仕事をしているのも気になった。教えてほしい?と勿体ぶって軽薄な笑みを浮かべて此方に詰め寄る先輩。思わず後退れば背中に壁が当たる。
 そのまま距離を詰められ、唇を吸われる。 
「間男」
馬鹿にして。と折角吐いた悪態に重なってエレベーターの扉が音を立てて開いた。掌にタクシー代と称して万札を握りこませて離れていく。

 先輩は滑稽な人だ。
 金や物を容易にばら撒く癖にどうしようもない欲しがりで、それなのに素直に欲しいと口にする事も無いのだ。
 俺に好きな娘が出来たと知ればキスを強請って、犬に犯されるよう仕組んだかと思えば処女を欲しがる。そんなどうしようもない遣り取りを中学の時分から彼是十年近く続けているのだから、いっそ御笑い種だ。
 アンタより犬のが余程可愛いと言ってやればよかった。



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