外出

 あの日からほぼ毎日、仕事帰りにスーパーかコンビニに寄って二人分より若干多い惣菜を買って少年の部屋で食べるようになった。余った惣菜は翌日に繰り越して少年の朝食や昼食にしてる。最初は不本意だったが、少年の部屋を訪れる日々が続く内、カメラの存在にも慣れてしまった。居酒屋でもレストランでも監視カメラは付いているのだから、飲食しているだけの姿を記録されるなんて大したことはないとも考えを改めていた。少年が語る異常な性生活も、慣れてしまえばただの猥談で酒の肴になる。たまに冗談めかして誘ってはくるが、やはり本気ではないというか、こういった事でしか人の気を引く手段を知らないというのが本当のところだろう。男を抱く趣味は無いが、求められるのは悪い気がしなかった。何より、少年の部屋には美味いワインがある。
「パパの趣味でさ、髪と睫と眉以外は永久脱毛してんだよね」
少年が顎を擦りながら告げた。此方ももうこの程度では驚かなくなっており、適当に相槌を打って酒を啜る。このワインが少年が買い漁った最後のボトルだった。
「髭とか生やしてみたかったなぁ」
少年の手が顎に伸びてきた。顎髭を剃った跡を確かめるように撫でられる。羨ましいというよりも恨めし気な手付きだった。確かに彼の細くて白い指には毛の一本たりとも生えていない。彼に訪れた二次性徴を否定する様な、性別不詳の指。成長して男らしい身体を得る事を否定する義父の趣味に反して、少年は成熟への憧れを抱いているのが伺えた。
「娘には嫌われたぞ。パパおヒゲいたーいって」
娘の声真似をしてみれば少年が心底可笑しそうに笑った。自分でも舌足らずな高い声に酷い違和感を覚えたので可笑しかった。
「ていうかオニーサン子持ちなの?」
「離婚して親権取られたけどな」
少年が無邪気に理由を聞きたがった。
「虐待?」
気不味さの欠片も無く聞かれれば毒気を抜かれてしまう。
「馬鹿、皆が皆そうだと思うなよ」
やはりこういった事の邪悪さは理解出来ていないのだろう。少年自身が虐待の被害者で、今なお搾取され続ける立場から抜け出せていない筈だが、彼には不幸を嘆こうとする様子が見られないのだ。その所為もあって、未だに通報に踏み切っていない。
「不倫だよ」
言葉がよく飲み込めなかったのか少年は首をかしげる。同年代の少年少女に比べて圧倒的に語彙力が少ない事は知っていたが、こういった不道徳な事には明るいと思っていたので少々意外だった。
「既婚者の癖に別の女とヤったのがバレたんだよ」
噛み砕いて言うと醜悪さが露骨に出てしまい、思わず顔を顰めた。子供が出来てからセックスレスだっただけではなく、介護施設に預けた父は頻繁に脱走しては警察の厄介になり、義母は節々に痛みを訴え入退院を繰り返しその度に孫に会いたがった。生活に疲弊していた。現実から少しでも逃げたかった。だからと言って許される話ではないだろうが、不倫相手は俺にとって格好の逃避先だった。経緯を掻い摘んで少年に語るが、彼はタブーを理解しない。いや、理解しないであろう彼だからこそ話したのかも知れない。
「じゃあ、前に俺が隣の旦那さんとシたのも不倫になる?」
隣の夫婦も離婚しちゃうかな、と少年は東側の壁を一瞥した。
「その場合は不倫というか買春だろ。児童福祉法違反に問われるだろうから、まあ離婚の原因にはなるだろうが」
少年が御高説有り難うございますといった顔で拍手した。彼の辞書には買春も児童福祉法も無いだろうから、難しい話に聞こえたのかも知れない。
「不倫と買春と虐待、どれが一番凄いの?」
まるでトレーディングカードのレアリティを聞くような口調だった。実際、罪の重さや凄惨さという尺度を持ち合わせているかは怪しい。どう説明したものかと頭を掻いた。
「まず、合意の上だろうと大人が金で児童に淫行するのは違法だし、虐待なんだよ」
彼が身体を売っている相手は男性に限るらしいので現行法では売春として成立しないのではないかと思い至ったが、指摘するとややこしくなるので虐待で一括した。
「それで、不倫はその、不道徳だが罰する法はない」
悪い事には代わり無いのに、文脈の所為で相対的に軽く感じる。まるで自分に罪がないかのような言い方になってしまったが、立派な背信行為である。これを彼にどう伝えるべきか迷う。
「じゃあ、オニーサンは捕まんなくて、パパや俺は捕まるの?」
両手首をくっ付けて手錠を掛けられる身振りをする少年。
「お前は保護されるんだよ」
保護、と復唱した少年にお前こそが被害者なのだと告げてやると、不思議そうな顔をされた。
「法律上、お前は子供で、判断能力が無くて、責任能力も無いって見なされてるんだよ。守られるべきなんだよ」
法律上とは言ったが事実彼は判断能力の欠如した人物の最たる例だと思った。彼に道徳を説くべき保護者は機能していない上に学校にも行っていないのだから圧倒的に判断出来る知識が無い。少年は決して白痴でも馬鹿でもなく与えられた環境に適応して妥当な知能を持っているとは思うが、その環境こそが異常であり問題なのだ。搾取者に都合良く出来すぎている。少年は色々と思うところが有ったらしく、警察が来たらこの部屋に住めなくなるのかなとか、また親戚の家を回るのかなとか、独り言に近い疑問を漏らす。
「この暮らしが気に入っているのか」
判断能力が無いと認めた相手にするには愚かな質問だったと思う。ただ警察の介入に対して怯えた顔を見せたので、これ以上義父の罪に関して触れずに済む別の話題が欲しかった。。
「そうでもないよ。特に今はパパが居ないしね」
少年が茶化した後、不意に真顔になって告げた。
「ただ、引き取り手を探す方がしんどいって感じ」
深く追及したいとは思わないが、今の義父に引き取られる前に色々あったのだろう。基本ヘラヘラと無邪気な態度で搾取を享受している彼にも嫌だと思う事はあるのだと再確認した。
「もう義務教育は終えている歳だろう。一人暮しを考えたらどうだ」
少年は今年で17だと聞く。同年代や少し年上に当たる大学生にはバイトをしながら安いアパートで暮らす子は珍しくない。今の彼には自炊した経験すら無さそうだが、今から自立を目標に一つずつ覚えていくのなら出来そうな気がした。
「俺が通報しなくても客の一人が情報を漏らすかも知れないんだから、義父が逮捕される日が来ないとも限らないだろ」
突然義父と離れる提案を具体的にした俺に対して通報する気なのかと警戒する少年を宥める。仮に逮捕されなくとも、性的な目的で飼われているが彼が成長しきって彼等にとって価値がなくなってしまった時、此処で生活を続けられる保証は無いと思えた。当人に直接この考え言う気にはなれないが、可能性の一つとしては充分にあり得る。生白い痩躯を見れば見るほど、その不安が過る。これは若さで保たれている美しさだ。殆ど筋肉の付いていない身体は、少し歳をとれば簡単に重力に負けていく。義父が一体どういう趣味なのかは知らないが、愛玩動物として見ていられるのは精々二十代後半までではないか思う。このまま義父に依存しきった生活を続けていたら、彼が三十路になれるかすら危ういのではないかとすら思った。
「オニーサン、やっぱり面倒見が良いって言うか、子供好きでしょ」
そう言われてふと気付く。俺が何かと少年の世話を焼くのは彼が子供だからだろうか。本当だったら一緒に食卓を囲んでいた娘を重ねているのだろうか
「まさか」
思わず自嘲気味に声を上げた。もし本当に子供の事を大事に思える人間であったなら、家庭を壊すような真似は踏み止まる事が出来ただろう。娘の事を思ったら、家庭から逃げるような事はしなかった筈だ。多分、心底少年を保護しようと努めるなら、警察に鼻で笑われる可能性があろうと一時的に少年に恨まれようと通報に踏み切る筈だ。良心が白蟻に食われた木造家屋のようにミシミシと鳴った。俺はお前が思うよりも最低だよ、と言ったら多少は楽になるのだろうかという考えが過ったが、きっと彼は首を傾げるだけだろう。せめて彼の中では面倒見の良い男でありたいとも思った。
「……包丁、買わなきゃ」
少年がキッキンを振り返って言った。 此方が立ち止まって過去の事に固執している間に、少年は未来について考えていたようだ。
「どれだけ生活用品が無いんだ」
自立について考え始めたばかりの少年に尋ねる。生活用品自体に馴染みがないらしく、答えがたどたどしい。金はあるにせよ、こんな殺風景で不便な部屋にこの世間知らずで生活能力の無い子供を置いて何日も留守にする義父の神経が分からない。彼が言った通り、義父は二度と帰って来ないのかも知れないとすら思った。ネグレクトじゃなければ、既に少年を捨てたのではないかとすら思った。
「鍋、フライパン、というか調理器具一式無い。あと食器も硝子皿とグラスにコップ以外無い。それで、洗濯機!」
指折り数えていく少年。部屋の中を目的を持って見渡してみると、余りにも不足が多い事に気付く。一目見たときからホテルのようだと思ってはいたが、サイフォンや瞬間湯沸かし器があるのにレンジも炊飯器も無いこの部屋は、やはり異様だった。
「よく考えたら俺、刃物自体持たせてもらった事無いかも」
義父がこの部屋で鋏やカッターを使う事はあるらしいが、決して少年には触らせず、使用していない時は少年には手の届かないようにしていたらしい。この徹底ぶりを聞いて義父は少年の自立を阻害する意思がある上に彼から恨まれている可能性も想定して生活していたのだと窺えた。益々彼等の関係が分からなくなってきたが、義父の干渉が無い今こそが自立の好機である事は確かだ。とはいえ、やはりいきなり刃物や火を使わせるのは不安である。
「……とりあえず、洗濯はランドリーを使うとして、飯は外食だな」
少年が唇を尖らせつまらなそうな顔になった。折角出たやる気を手折る事を言ってしまったと思うが、現実的に考えれば致し方ない。自棄買いしたワイン同様に義父のカードで生活用品を買い揃えてしまえと考えてはいたが、下手をすると部屋の内装から弄らなくてはならないと思い直して極力アウトソーシングにした。それでも滅多に外出しないという少年が外に出て、まっとうな金銭感覚とやらを養ったり社会規範や常識を覚えたりと避けられない苦労はある。
「外に出て、カードじゃない現金の買い物して、洗濯表示を覚えて洗濯機を動かすんだぞ」
恐らく最も簡単そうな課題から告げた。洗濯表示という言葉に初耳だというな素振りを見せた少年を見て、最初の数回はついて行こうと決めた。彼の最終目標は自分で金を稼いで一人で生活を営めるようになる事だ。道程は果てしなく遠いと思いながらも、見ていて楽しくはあった。


 「眼が痛い」
少年が外に出た数分後に発した言葉がこれだった。そういえば少年と最初に会った時は会社帰りで、とうに日が暮れた後だったと思い出した。まずは洗濯物や洗濯機を一人で扱えるようになる事を目標に、近場のコインランドリーに洗濯籠に洗濯物を詰めてラフな格好で赴いたが失敗だった。日光に慣れていない人間の貧弱さを侮っていた。春の麗らかな陽射しに敗けていた。夏はどうするのかと不安になる。土竜かと揶揄すれば本気で悔しかったようで少年は文字に表し難い呻き声をあげた。仕方無く日除けとして抱えていた洗濯籠から洗濯物のバスタオルを取り出して少年の頭に被せる。周りの眼が気にならない訳ではないが、背は腹に変えれない。此方は折角の休日の昼を少年の外出に充てているのである。ここで躓いてまた日を改めて行う事態になるのは余りに馬鹿馬鹿しい。少年も中断する気はないようで極力顔を伏せた状態で太陽から逃げるように早足で歩いた。道を覚える為にもなるべく景観を見てほしかったが、今回は無理そうだ。
 屋外では顰め面にも見える表情だった少年だが、店に入れば落ち着いたようで、一先ず安心した。洗濯機の扱いについては事前に何度か説明したが、店内にも洗濯物の扱いや内容と量に応じた料金設定までイラスト付きの説明が懇切丁寧に書かれていた。それを読み終えた少年が洗濯籠から衣服を取り出して、洗濯表示と釦やポケットを確認しながら洗濯機に入れていく。少年は乾いたスポンジのように知識を吸収し、洗濯表示から洗い方や干し方にアイロンのかけ方を判断出来るようになっていた。畳み方まで予習済みである。だからこそ実践もそれに応えた物で行いたかったが、如何せん少年の洗濯物のバリエーションは乏しい。少年の洗濯物はカッターシャツにスラックスとジャージを除けばタオルとバスタオルだけだ。衣類に至ってはこれ等と今着ている物が持っている服の全てだと言う。
「そういえば下着は」
洗濯物をざっと確認してこの中に下着が含まれていない事に気付く。
「持ってない」
厳密には義父がくれた窮屈な上に何も隠せないパンツがあるとも付け足されたが、態々洗濯して履く意味は無いので、無いものと扱っても良いだろう。洗濯機の蓋をした少年が案内に従って水量とコースを選択する。今回は洗濯物を持ち帰って干す事もさせたいので、洗濯だけのコースだ。何も問題の起こる気配が無かったので、洗濯機が回る間、一人で洗濯物を見ているように告げて店を出る。少年は心細いと言いたげな顔をしたが、黙って手を振って送り出す身振りをした。彼の聞き分けの良さを好ましく思う。
 近場で買い物を済ませてコインランドリーに戻ると、少年は洗濯機の音をたてて回るドラムの中で踊る洗濯物を凝視ていた。此方に気付く様子も無く、余りに真剣に見ているので喋りかけるのは憚られた。眼を見開いて一点を注視する様子は猫じゃらしを目の前にした猫のようで、微笑ましかった。だがそろそろ洗濯物も終わる頃だ。
「帰った」
驚いた顔をして少年が振り向く。その様子だと、ずっと洗濯物から眼を離していないのだろう。確かに見ていろとは言ったが毎度これでは疲れるだろうと思い、次からは雑誌等も持参する事を考えた。お帰りと挨拶した少年がまた洗濯物に視線を戻す。
「そんなに凝視しなくても大丈夫だ」
そう言ったところで洗濯機が止まる。少年は緩く首を振って照れたように笑った。
「別に、見てて面白かっただけ」
少年にとっては何もかもが新鮮で物珍しいのだろうとは思っていたが、面白いと感じているのは意外だった。外出して数分後で日光に屈しているような貧弱さを目の当たりにしているので、決して楽しんではいないだろうと思っていた。寧ろ慣れない事の連続は負担だと考えていた。
「そうか、なかなかタフだな」
洗濯物の回収に取りかかった少年から鼻歌が聞こえてきた。返事の代わりだろうか。最近テレビコマーシャルでよく聞く曲だった。少年もテレビで流れる分しか知らないのだろう、15秒程度のサビと思われるパートを繰り返している。
 外に出る前に先程買ってきた日焼け止めを少年に渡し、露出部に塗るよう指示する。そこで初めて此方の持ち物に買い物袋が増えている事に気付いた少年は少し驚いた顔をして、予定外に此方に金を使わせた事に関して金を払うと申し出た。最近の少年の食事は此方が買い与えているというのに今更ではないかと感じなくもないが、真っ当な金銭に対する感覚が培われつつあるのだと思う事にした。日焼け止めを塗った少年にサングラスを掛けさせて帽子を被せる。手近な所で安く済ませた所為でそれらにデザイン性は無かったが、ヒョロリとした貧相な体躯の少年は良く言えばモデル体型で、素人目はそこまで酷い形にはなっていないように見えた。少年は隣を歩くのが恥ずかしいくらいの上機嫌で洗濯籠を抱えて鼻歌混じりに家を目指す。途中鼻歌が途切れる事があり、その度に何度も礼を述べた。そもそも此方の少年への諸出費よりも散々飲ませてもらった酒の方が比べ物にするもの馬鹿馬鹿しい程に高いのだが、きっとそういう事は問題ではないのだろう。人間らしく扱われて人間らしい行いが出来るのが嬉しいのだと少年は言った。

 自由の匂いがする。取り込んだ洗濯物に顔を埋めた少年はそう感嘆した。普通はお日様の匂いじゃないのかとは思ったが、無邪気に燥ぐ少年を見ていたらどうでもいい事だと感じた。ベランダから差し込む光を受けて少年の金髪がキラキラと輝いていた。水気を含んだ洗濯物を干していくのは慣れていない上に屋外を苦手とする貧弱な少年には堪えたらしく流石に疲労を訴えていたが、その表情は実に清々しかった。すっかり鼻の頭と頬骨の辺りを赤くした少年に、今日買った薬用目薬と保湿ローションを渡して自分の部屋に帰った。夜も一緒に食べようと誘われたが、それは断って買い置きしたインスタント食品を食べるか惣菜を買いに行くように言った。自立を目指すなら俺とも少しずつ距離を置いた方が良いのではないかとも言ったが、それは建前で無邪気に慕われるのが慣れていなくて擽ったさから逃げたというのが正直なところだった。

 休日は少年の社会見学をして、仕事がある日は帰宅後に夕食を彼と共にする。これが日課になるのにさして時間はかからなかった。俺自身が何でも嬉しそうに吸収していく少年に色々と教えるのが楽しかったのだ。少年も少しずつ外に慣れてきていて、日除けの帽子とサングラスは未だに手放せないがコンビニやコインランドリー程度の近場なら一人で行けるようになっていた。スーパーマーケットは一度行ったらしいが、未だに女性を克服出来ていない彼にはレジ待ちで主婦達に話しかけられるのが苦手で滅多には行かないそうだ。それでも彼の生活は改善され、家で一人の時でも服を着るようになったし買い置きのインスタント食品に頼る事も少なくなった。少年が一人の時は携帯電話からインターネットに接続して情報を収集する事も覚えたらしく、日に日に知識が増えていく。今日は仕事を早く終わらせたので、少年と外に食べに行っていた。休日ではないのに二人で外出が出来る事に少年があまりにも感激していたので、日頃の帰宅時間を早める事を検討している。彼一人ではまだ近所の数回行った事のある所以外に脚を運ぶのは厳しいらしく、俺が一緒にいた方が圧倒的に経験できる事が多いのだ。今日社会見学を兼ねて訪れたのは、少年と同年代の学生アルバイターが多いファミリーレストランで、バイト募集の広告を出している店舗だった。最近ではバイトを探し始めている。
「やっぱり接客は無理」
レストランから帰る途中、マンション手前の横断歩道の信号待ちで少年が口を開いた。食事の確保が楽なので賄い付きのバイトが良いと提案しているのだが、どうも難しい。賄い付きの仕事となると大半が飲食業だが、そういった職種は接客が出来ないようではまず採用されない。そもそも彼はまだ女性が苦手なのだ。世間知らずは徐々に克服出来ても、トラウマの治癒は難しい。清掃等のなるべく人と関わる機会が少ない職種も考える必要がありそうだと頭を掻いた。
「というか、バイトって履歴書が要るんでしょ」
無理だよ、と今日は少年にしてはネガティブな発言が多い。今まで気に留めていなかった問題点が見えくるというのは前進した証の筈だが、気分的には停滞してくる。
「俺の履歴って?」
確かに学校へ行っていないのに今まで職歴も無いのは不自然で、その不審さは充分不利だ。経済苦以外にも入院とか適当に体の良い嘘を考えようと提案するが、少年の顔は暗い。サングラス越しに彼の不安と焦燥が伝わる。
「俺、中学にも行ってないよ。小学校も、精通した頃からまともに通ってないし」
義務教育すら行っていないのかと瞠目すると、少年は路端の小石を蹴った。少年の身の上話は度々聞いたが、且つ悲壮さを帯びた口調で聞くのは初めてだった。郭公の鳴き声を模した電子音が響いて、歩行者用信号が青になった事に気付く。日本の行政がこれを許すだろうかと思ったが、現に少年はこうして存在してしまっている。横断歩道を渡り終えマンションに入る直前になって、少年が脚を止めてしまった。
「多分、問題はそれだけじゃなくて」
俯いて、迷子のように此方の服の裾を震える指の先で掴む。暫くの沈黙を経て、噛み締めていた唇を薄く開く。大きな問題を告白するつもりでいる様子なので、此方も息を詰める。
 帽子の鍔で少年の表情が完全に隠れた。
「パパ」
少年の声ではなかった。マンションのエントランスから少女が此方に駆けてくる。よく知った顔だった。少年より少し低めの身長で、確か今年で高校二年生になった筈だ。妻に似た顔立ちに、俺によく似た黒い髪。
 娘だった。


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