練習を終えて

 ホイッスルの音が鳴り、第一体育館で練習をしていた女子バレー部の部員たちは一斉に手を止めた。


「よし、練習終わり! クールダウン!」


 結の掛け声に返事をした後、凛々はそこら中に転がっているボールを拾ってボールケースに戻す作業を始めた。メインで練習をしていた2年と3年は、その場に座ってクールダウンのストレッチを始める。


「疲れたー、この後どうする?」
「あ、新しく出来たアイス屋さん行かない?」
「いーね! 行こ行こ!」


 早くも部活モードから解き放たれた先輩達は、早速練習後の話をしている。普通の女子高生のようにキャッキャッとはしゃぎだした先輩を、凛々は何だかなと思いながら見ていた。


(連携の確認、反省とか、しないんだ…)


 先程まで行っていた練習は試合時のスターティングメンバーを中心とした、サーブレシーブの練習であった。相手からサーブが来て、それを相手コートに返すまでは試合と全く同じである練習を、つい先ほどまで行っていたのだ。自分ならば、練習を振り返ってプレーや連携の確認をするのに。あのトスは打ちにくくなかったか? スパイクを打っている時にブロックフォローには行ったか? レシーブの精度を高めるためにできることは他にないか?


「千鶴、さっきの二段トスめっちゃ良かったよ!」
「え、ほんと?」
「うん! 超打ちやすかった! 試合の時もお願いね」


 そんな中、結はきちんと練習時のチームメイトのプレーを振り返っていた。一人一人に声をかけ、それぞれの良かった点を褒めている。ちゃんと周りを見てチーム内の雰囲気を盛り上げている結の姿を前に、凛々は「さすがは主将」と率直に思った。


(…烏野では、ちゃんと"バレーボール"ができるかな)


 黄色と青の入り混じったボールを見つめながら、そう思う。凛々はバレーボールがしたかった。中学の時の"アレ"は、決してバレーボールじゃない。そう、あんなものは―――


「…バレーなんかじゃない」


 その呟きは、誰にも聞こえなかった。



* * *



「翔陽ー!! 影山ー!!」


 学校を出て少し歩いたところにある坂ノ下商店の前に、烏野男子バレー部の面々がいた。その中には、先ほどまでは着ていなかった黒いジャージを着た、日向と影山の姿がある。


「凛々! お疲れー!」
「おう」
「おおぉ…! かっこいいじゃん、黒ジャージ!」
「だろ!? だろ!?」


 ジャージの背中にある『烏野高校排球部』の文字を指差しながら見せつけてくる日向に、影山は露骨にうざったそうな顔をした。凛々はその様子を見ながら、にかっと心からの笑みを浮かべる。


「ってことは、勝ったんだね!」
「当たり前だ」
「あ、そうだ! ゼリーありがとう! うまかった!」
「保護者さんからの差し入れだけどね。美味かったよね、あのゼリー…」


 部活後に食べた差し入れのゼリーの味を思い出していると、きゅ〜、と凛々の腹が鳴った。午前練習後でまだ昼食を食べていないのだから、腹が減るのは仕方がない。かと言って、腹を鳴らしたという事実はやはり恥ずかしい。凛々は赤面ながら思わず笑った。


「あはははは、やだハズカシー!」
「お、凛々も食うか? 肉まん」


 澤村が肉まんの入った袋を掲げて凛々に渡した。肉まんの匂いにつられた凛々は、垂れそうになった涎を拭ってブンブンと首を縦に振る。


「いいんですか、いただきまーす!」
「おー、いいぞ。こいつらの練習に付き合ってくれてたみたいだしな」


 にっこり笑みを浮かべながらそう言った澤村の言葉に、凛々は一瞬「ん?」と思ったが、特に言及しないことにした。『付き合ってくれてた』ではなく、『澤村に付き合ってくれないかと頼まれたこともあり付き合った』が正しいのだが。自分が頼んだということを、2人に悟られたくないのだろう。


「大地さん、かっこいーですね」
「ん、何か言ったか?」
「いーえ。肉まんご馳走様でしたっ」
「凛々、食べんの早いな!」


 肉まんを平らげた凛々は澤村に頭を下げた。菅原が凛々の食事の瞬足ぶりに笑っている中、田中がずいっと凛々の目の前に出る。


「ウチの『後輩』が世話になったみてーだな! 俺は田中ってんだ、よろしくな!」


 まるで子分をボコボコにされたヤンキーのような台詞だったが、田中の声色や表情からは敵意は全く感じられない。笑顔で手を差し出してくる田中に、凛々は手を握り返して応えた。


「女バレの小谷凛々です! 苗字呼びは慣れてないんで名前呼びしてくれると嬉しいです」
「おう! じゃあ凛々ちゃん…いや、凛々の方がいいな! 今日からお前も俺の後輩だ!」


名前にちゃん付けをした結果気持ち悪かったのか、田中は即座に呼び捨てで凛々のことを呼び始めた。この間までの人見知りっぷりは何だったのか、すっかりフレンドリーになった田中に凛々は笑顔を返す。


「はい! よろしくお願いします、田中さん!」
「おぅぐっ…! 女子の後輩からの『田中さん』呼びはなかなかクるものがあるな…!」
「おい田中、後輩相手にセクハラかましてんなよー」
「せ、セクハラ!? そりゃないっスよ、スガさん!」


 あははは、とにこやかな談笑が繰り広げられる中、澤村は真剣な面持ちで影山に声をかけた。


「影山、それ食ったらちょっといい?」
「はい」


 即座に肉まんを食べ終えた影山は、澤村と一緒に坂ノ下商店の中へ入っていく。その姿を目で追いながら、凛々は菅原にどうしたのかと尋ねた。


「どうしたんですか、あれ?」
「あぁ。多分フォーメーションのことかな。来週の火曜、練習試合入ったからさ」
「へー、練習試合! どことですか?」
「青葉城西とだよ」


 その学校名を聞いて、凛々の脳裏に一人の男の顔が思い浮かんだ。若利のいる白鳥沢と、中学校の頃から何度も試合を繰り広げた、ある男の顔が。


「凛々?」


 日向に声をかけられて、はっとした凛々は思わず固まってしまっていた表情筋を手で揉み解す。いつも通りの笑顔を浮かべて、日向に笑いかけた。


「強豪じゃん! 影山試合出んの?」
「相手の学校から『影山を正セッターで使え』って注文が入ったんだよ。ったく、舐めやがって…いてっ」


 田中が不満そうに呟くと、菅原がその坊主頭を引っぱたいた。


「いつまでもグチグチ言うなって! 俺が青城の監督でも、影山はマークしてるさ」


 この一言で凛々は気付いた。烏野の正セッターは、本来ならば菅原なのだ。しかし、今回は相手側の注文で、そのポジションの座を降ろされざるを得なかった。だからこそ田中は不満さを隠しもせず、影山はいつも以上に闘志を剥き出しにした眼をしていたのか。


「…私、見に行くね。試合」
「マジで!?」
「うん。超楽しみだもん、烏野バーサス青城」
「おーし、凛々に俺の超剛腕スパイク見せてやんぜ!」
「鬱陶しいぞ田中ー」
「さっきからスガさんヒドイっスよ!」



* * *



「ねえちょっと、聞いてんの若ちゃん!」
「そう何度も繰り返されずとも聞いている」
「もうほんと凄かったんだから! あの2人の速攻!」


 幼馴染の若利の部屋で、骨折した腕のリハビリにゴムトレーニングをしながら、凛々は熱弁していた。あの2人というのは言わずもがな、日向と影山のことである。今日、第二体育館で見た超人的速攻スパイクのことで、凛々の頭はいっぱいだった。その凄さを乏しい語彙で何度も言い表すが、自分の筋トレに集中している若利には凛々の感動が伝わっていないようだった。


「きっとそのうち、白鳥沢と烏野が戦う日が来たら、若ちゃんきっと驚くよ。うかうかしてると、噛みつかれちゃうかも」
「俺は今までうかうかしていたことなどない」
「それは知ってるけど」
「ならば、お前のそれは余計な心配だ」


 若利のストイックさを誰よりもよく知っているので、凛々は二の句を繋げなくなってしまった。冗談の一つも言えないのか、堅物め。ということを呟こうかとも思ったが、どうせまた冷淡に一蹴されてしまうことは予想できるので、黙ってリハビリに努めることにした。


「どこが相手だろうと、勝つのは俺たちだ」
「…さいですか」


 自信と責任に満ち溢れた声で、若利が言った。彼の言葉はいつだって宣言のようで、誓いのようでもある。エースアタッカーというポジションのためか、彼の性格のせいか。


「…あ、そういえばさ。ハンドクリーム、ありがとうね」
「なんだ、いきなり」
「あれ、わざわざ買いに行ってくれたんでしょう? すごい良いヤツなんだってね」


 言葉を投げかければちゃんと返してくれる律儀な若利が、黙り込んだ。入学祝に若利から貰った、ツバメのロゴの彫られた黄緑色のケースのハンドクリーム。友人の言葉で、それが薬局でサンプルとして配ってるような代物ではないと知り、にやついた笑いを抑えることができなかった凛々は、若利にお礼を言おうとずっと思っていたのだ。


「ねー、若ちゃん」


 若利は凛々に背中を向けたまま喋らない。その背中を、にやにやと笑いながら小突いてみる。反応がないので、何度も連続して小突いた。


「若ちゃん照れてる、めっちゃ照れてる!」
「…凛々」
「なに?」
「殴るぞ」
「調子乗ってごめんなさい」


 若利のめったにない暴力宣言に、凛々は大人しく黙ってトレーニングに勤しむことにした。


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bkm
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