嫉ノ呪2
病院へ着くと、水無瀬は真っ先に病室へと向かった。もうとっくに面会時間は過ぎているはずなのに、あまりにも迷いなく進むものだから俺も突っ込むタイミングを見失って、黙ってその後をついていった。不思議と看護師には一回も会わず、ある病室の前で水無瀬が立ち止まる。顔を覗くと、眉間にしわを寄せて険しい表情をしていた。
「どうしたんだ?」
「…これはひどい」
「?」
水無瀬が扉を開ける。個室らしい病室の1つしかないベッドに、及川が寝ていた。
「及川!」
俺が慌てて駆け寄る。及川は先ほどよりは顔色はマシになっていたが、しきりに苦しそうに呻いていた。その腕には点滴が打たれており、とりあえず空いている病室に寝かせたという感じのようだ。
水無瀬は持っていたバッグから水の入ったペットボトルを取り出すと、その中身を及川の口の中に注いだ。するとそれまで閉じていた及川の眼が急に開き、水無瀬が持っていたペットボトルを手で払った。あたりに水が飛び散る。
「及川!?」
「…いわちゃ…うぐっ!?」
及川が口元を押さえてベッドから転がり落ちる。しきりにえづいているのを見ると、どうやら吐きたい様子だった。俺は及川を引っ張って個室内のトイレまで連れてくと、及川は便器にむかって吐き始めた。
「おい、どうなってんだよ!?」
「吐かせてあげてください。今、身体の中に清めの水を入れましたから」
「は!?」
「その人は今、身体の中に溜まった邪気を全部出してる最中なんです。落ち着くまで吐かせたら、ひとまずは良くなります」
水無瀬がそう言うので、俺は及川の背中をさすってやることしかできなかった。しばらく吐き続けていたが、少し落ち着いたのか及川が吐くのをやめて壁にもたれかかる。及川が吐いたものの処理をしようとトイレのボタンを押そうとした時、俺は及川が吐いていたモノを見てしまった。
「…!?」
ただただ、真っ黒だった。便器の中は吐瀉物ではなく、真っ黒な液体でいっぱいになっていた。自分が見たその光景を消したくて、俺は慌ててボタンを押す。真っ黒な何かは水に流されて、そのまま消えていった。
「…い…わ…ちゃん…」
「及川、生きてるか?」
「…ぼくはしにましぇーん…」
「くだらない無駄口を叩ける元気はあるみたいだなクソが」
元気なんだか死にかけてるんだかわからない及川に肩を貸し、もう一度ベッドに寝かせてやる。あんな真っ黒な何かを吐きまくったのがよかったのか、及川の顔色はだいぶ良くなっていた。その間、水無瀬は及川が払ったせいで飛び散った水を拭いていた。
「悪い、大丈夫か?」
「大丈夫です。本当はもう少し飲ませた方がよかったんですけど、まあ本人の様子を見た限りでは大丈夫でしょう」
「そうか…。これで及川は大丈夫なのか?」
「いえ、身体を清めただけですからまだ危ないです。この人を守るモノの力が相当弱くなってるんで、また同じ呪いを受けたら下手したら二度と足が動かなくなりますよ」
「え…なにそれどういうことなの」
及川が反応する。せっかく良くなっていた顔色が、また青くなり始めていた。足が動かないと聞いて、黙っていられなくなったのだろう。
「今日の夜、立てなくなりましたよね」
「ど、どうしてそれを…」
「そういう呪いを受けたからです。私があなたを最初に見たとき、聞こえてきたのは『こっちへ来るな』という叫びでした。つまり、あなた自身がそう思われていて、それによって呪いを受けているということです」
「なんなのそれ、意味わかんないよ! 呪いって、なんで俺が呪われなきゃならないのさ!」
「呪いというものは『あいつを呪ってやる』という気持ちで行われるものではありません。『憎い』『恨めしい』『妬ましい』という負の感情が、結果的に呪いになるんです。生贄や藁人形を使う『方法』は、その気持ちが相手に影響を与える手助けをしているだけで、おおもとの力はそういった陰の気、負の感情です。あなたは誰にもそう思われてないと、確信をもって言えますか?」
及川が黙り込んだ。実際、及川を恨む奴も、妬む奴もいるだろう。及川に彼女を奪われたと勘違いして体育館に殴り込みに来るような奴もいるし、及川はムカつくことに顔だけは良いからそれを妬むような奴もいた。「及川が自分のことを見てくれない」と逆恨みしてストーカーするような女子も過去にいたぐらいだ。
そして一番に、及川自身がそう思っていたことだってある。白鳥沢の牛島や、後輩の影山。誰よりも対抗心を剥き出しにすると同時に、その才能を妬ましく思っていたのも、確かなのだから。
「でも、そういう気持ちは簡単に消えるものじゃねえだろ」
「そうだよ! 第一、俺はどうすることもできないじゃんか! 一体どうすればいいのさ!」
「そうですね、方法は二つあります。一つは、あなたが呪いを受けてもちょっとやそっとじゃ問題ないくらいの清い身体になるか。1年くらい滝行してればそうなると思われますが」
「やだよ! バレーだってあるんだから!」
「じゃあもう一つの方ですね。わかりました」
「え、ちょっと、なにするの?」
水無瀬は及川の手を掴み、なにやら目を閉じてぶつぶつと呟き始めた。及川が困惑してこっちを見ているが、俺だって何が何だかわからない。すると水無瀬が及川の手を放し、目を開く。
「終わりました」
「え?」
「呪詛返しをしました。明日、あなたの周りで急に体調を崩して学校を休んだ人がいれば、その人があなたを呪った人です」
「は!?」
「その人には今後一切近寄らないで、決して目を合わせないでください。そうすれば大丈夫です。それでは、私はこれで」
「ま、待て待て! どういうことだよ!?」
俺と及川はこの時は水無瀬の言っている意味がわからなかったが、水無瀬はやることは終わったと言わんばかりに、音もたてず病室から出ていった。残された俺と及川は、何が何だかわからないまま脱力感だけが残った。要するに『呪いをかけた犯人を見つけ出し、その人と関わらないようにすれば問題ない』とのことらしいが、そうとわかるのはだいぶ後のことだ。
あの後、何とか看護師には見つからずに病院から出られたものの、母ちゃんに怒られて散々だった。朝になるころには及川の体調はほとんど回復していたが、念のため数日間は入院するということだった。バレーができないことに不満を洩らしていたが、いつどこで誰に呪われてるかもわからない状況では、病院にいた方が安全だろう。
ほとんど寝ていないので眠くて仕方がなかったが、俺はいつも通り朝練に向かった。いつもより数分遅く部室に着くと、既に花巻と松川が来ていた。
「はよー、岩泉」
「おう」
「あれ、及川いねーの珍しいじゃん」
「あー…今日は熱出しやがって休みだ」
「マジか、及川も? 流行ってんのかな、風邪」
「…及川『も』?」
俺は水無瀬の言葉を思い出していた。昨日の夜、去り際に言っていた一言を。
「誰か、他にも休んでんのか?」
「ああ。志戸さん」
「…は?」
「志戸さん、急に高熱出たらしくて、学校休みなんだとさ」
俺はすぐに何かの間違いだろうと思った。志戸さんといえば、及川が懐いていて、及川のことを可愛がってる先輩だ。それに、志戸さんは呪いなんてするような人じゃない。偶然だ、偶然志戸さんも体調を崩しただけ。そうに違いない。
「呪いというものは『あいつを呪ってやる』という気持ちで行われるものではありません。『憎い』『恨めしい』『妬ましい』という負の感情が、結果的に呪いになるんです」
もし本当にそうだとするなら、志戸さんには及川を呪ってるという自覚がなくても、呪いが成立するのかもしれない。何故なら志戸さんは3年生で控えのセッターで、及川は後輩で正セッターだ。いや、でも志戸さんは言った、勝つためにバレーをしているんだと。志戸さんの言葉は心からのものだろう、実際に志戸さんは及川によくアドバイスをしていた。本当に『憎い』とか『恨めしい』とか『妬ましい』とか思っているなら、そんなことができるはずがない。影山を恐れた及川のように、及川のことを拒絶するはずだ。だから志戸さんが犯人な訳がない。そんなはずがない。
「いましたか、呪いの犯人」
いつの間にか俺の隣に、水無瀬が立っていた。相変わらずの長い黒髪に、昨夜とは違う着こんだ制服姿だ。俺は何も答えることができず、ただ黙ってた。
「呪いのおおもとになる『負』の感情は、呪ってる本人さえ気づいてないこともあります。だから予想だにしていない人が呪いをかけていることだってあるんです」
「いや、絶対に違う!! 志戸さんがそんなことするはず…!!」
「その人、話しかけてくる時に、こちらの眼をしっかり見て来たりしませんか」
なんで、と思わず口にしそうになった。志戸さんは、アドバイスをしたり注意をしたりする時、いつもこちらの眼をしっかりと見る人だ。だから及川も、俺の言うことは聞かないくせに、志戸さんの言うことは素直に聞いていた。
「『邪眼』ってご存知ですか」
「…知らねえ」
「『邪視』とか『イーヴィルアイ』と言ったりもするのですが、呪術の一種です。あの人は、それによって呪われてたんだと思います。初めて会った時も、あの人の眼はおどろおどろしいほどに真っ黒でしたから」
「…本当に、志戸さんなのか。間違いってことはないのか?」
俺がそう言うと、水無瀬はブレザーをまくり、俺に手首を見せてきた。そこには、一筆書きしたような星の形のアザがあった。
「私が呪詛返しした人が本当にその人なら、同じところにこの五芒星があるはずです」
「…実際に確かめりゃわかるってか」
「はい」
「…放課後、お前ヒマか」
「そうですね、ヒマです」
「一緒に来てくれ」
俺は確かめなくてはならない。本当に志戸さんが及川を呪ったのか。志戸さんの手に同じ星の形がないことを祈っているが、もしあったとしたら。その時は、俺は何に変えても及川を守らなければならない。あいつこそ、青葉城西の正セッターなのだから。
放課後、幸い今日は月曜日でオフの日だったので、すぐに水無瀬と一緒に志戸さんの家に向かった。志戸さんの家は一度行ったことがある。及川と一緒に、テスト勉強を見てもらいに行った時があった。
「あそこですね」
俺が案内するより先に、水無瀬が志戸さんの家に向かった。なんでわかるのかと聞こうとしたが、水無瀬の表情が険しくなっていたので何も言えなかった。
チャイムを鳴らすが、反応はない。扉を開けてみると、鍵は開いていた。俺は一瞬迷ったが、水無瀬が堂々と家の中へ入っていくものだから、慌ててその後を追った。
「お前、不法侵入だぞ…!」
「鍵は開いてるし、いいじゃないですか」
「お前、時々妙にアグレッシブだな…」
俺と水無瀬は志戸さんの部屋へ向かう。その間、水無瀬はずっと険しい表情をしていた。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫です。けど…その志戸さんって方は大丈夫じゃないかもしれないですね」
「は?」
水無瀬が意味深な言葉を残して、またしても俺が案内する前に志戸さんの部屋の前に立って、ノックもせずに扉を開いた。
「お、おい!」
水無瀬が部屋の中に入っていくのを追って志戸さんの部屋の中に入る。
「志戸さ…」
その瞬間、俺は息を止めた。
部屋の中は、それは酷い惨状だった。壁中に殴って開けたような穴が空いており、壁に張られた志戸さんの中学時代のバレー部の写真や賞状は引き裂かれていた。大量のバレー雑誌やバレー関係の本が破かれた状態で床に散乱しており、中でも『バレーボール上達ガイド』と書かれた本は見るも無残な状態に切り刻まれている。
そんな中、志戸さんは部屋の隅の壁際にいた。勝手に部屋に入ってきた俺たちには全く気付いていないようで、昨夜の及川のように苦しそうに呻いている。ただ、その手の中には青葉城西の高校名が書かれているバレーボールがあった。練習のし過ぎでボロボロになった手で、壁に向かってオーバーハンドパスをしている。
「…志戸さん…」
その光景で俺はわかってしまった。志戸さんがどんな思いでバレーをしてきたか、どんな思いで及川に接してきたか。見るも無残なこの部屋の中で、青葉城西のジャージと制服、そして志戸さんの手のボールだけが、ただ1つ壊されていないものなのだ。
そんな中、水無瀬が志戸さんの腕を掴み、手首を俺に見せてくる。その手からバレーボールが零れ落ちて、俺の足元まで転がった。手首には、水無瀬の手にあったものと同じ星の形が、薄くだが現れている。
「この人ですね」
「…ボール…!」
志戸さんが水無瀬の手を払って、俺の足元に転がったボールに向かって這いずってくる。後ずさる俺など目に入ってないかのように、ボールに手を伸ばしていた。
「…そんなにバレーが好きなら、どうして及川のことを…!」
「及川…?」
志戸さんが初めて俺に反応した。俺に、ではなく及川に反応したのだろうが、いつものように俺の眼をじっと見つめてくる。その眼が、ドロドロに濁っているのが、俺にもわかった。
「あいつは言ってたよな…。天才が嫌いだって、絶対に打ち負かしてやるんだって…。俺からしたら、あいつだって天才だよ…!」
「志戸さん…!」
「俺がどんなに練習したって、あいつのようなセッターにはなれないんだ…! それでも努力したよ、正セッターを諦めたことは一回もない! でも時間は過ぎるんだ、気が付けばもうすぐインハイで、春高が終われば俺は引退だ!」
「…」
「あいつは良い奴だよ、そして良いセッターだ! 青城が勝つにはあいつが必要だよ! じゃあ俺は何だ? 俺は何のために青城に入った? 何のために死ぬほど努力してここまで来た? 教えてくれよ、俺はなんでこんなことしてるんだよ!!」
ブチンッと何かが切れる音がした。俺は相手が先輩なことも忘れて、その胸ぐらを掴んで、叫んだ。
「勝つためにやってるんだべや!!! アンタが言ったんだろうが、遊びや思い出づくりのためにバレーしてるんじゃない、勝つためにバレーしてるんだって!!!」
「…」
「及川だけがバレーしてるんじゃねえんだよ、コートの中の6人だけがバレーしてるんじゃねえんだよ!!! ベンチもギャラリーも監督もコーチも引退したOB達も含めて全員でやってんだよ、そいつら全員で青葉城西なんだよ!!! そいつら全員の想いを抱えてバレーしてる及川が、一番尊敬してるのがアンタなんだよ!!!」
「…」
「それがわかったらさっさとその風邪治して練習出てきて、あの馬鹿にまたアドバイスしてやれや、この大ボゲェッ!!!」
志戸さんの胸ぐらを掴んだまま、志戸さんをベッドに向かって放り投げた。色々と頭にきてひたすらにバレーがしたい衝動に駆られた俺は、水無瀬と一緒だったことも忘れて部屋を出る。ああめんどくせえ、セッターってやつは一回は拗らせないといけない生き物なのか? そんなことを考えていたら、いつの間にか後ろにいた水無瀬が俺の肩をポンと叩いた。
「あ?」
「凄いですね、あなた」
「あなたじゃねえ、岩泉だ。なにがだよ」
「岩泉さんが一喝したら、あの人を覆ってた悪いものが全て吹き飛びましたよ」
「はあ?」
「…そうか、『泉』だからか。水が湧き出るところだから、禊には最適だったのか」
「なにブツブツ言ってんだよ」
「いえ。多分、あの人はもう大丈夫です。もう呪われることもないと思いますよ」
「当たり前だろ、そんなことになってたまるか! またあの馬鹿がめんどくせえことになったら、それの尻拭いをするのは俺なんだからな!」
どいつもこいつも面倒ばっか起こしやがって、あースパイク打ちてえ! そんなことを考えながら、俺は誰かしらいるであろう体育館へ向かった。
これは本当に俺たちの身にあったことだ。到底、信じられないだろうが、でも呪いというものは存在していて、それは俺たちも全く気付かないところにある。もしかしたら、俺も誰かを呪ってるのかもしれないし、呪われてるのかもしれない。少なくとも、水無瀬がいなければ及川は下手したら死んでたかもしれないのだ。
さて、後日談を話すと、及川はその後すぐに退院してきて練習に出てきた。その頃には志戸さんも体調が戻って、相変わらず及川は志戸さんにべったりだった。だけど、もう前みたいに志戸さんが及川を呪うことはなくなった。むしろ更に練習に集中するようになって、及川がますます対抗心を剥き出しにしていた。志戸さんは俺の一喝のおかげだと、しばらく昼飯を奢ってくれるようになった。何も考えず思ったことを言っただけだったんだがな。
及川には呪いの犯人は『彼女を取られたと逆恨みした先輩』だと話しておいた。「あ、やっぱりー? 仕方ないね、及川さんイケメンだからね」とか抜かしやがったので蹴っておいた。もっぺん呪われろ。
そして水無瀬だが、相変わらず『お菊さん』と呼ばれて胡散臭い噂ばっかり流されている。最近聞いたものでは、『お菊さん』を撮った写真を日本人形に見せるとその人形の髪が伸びるようになる、というものだ。一体どこの誰が試すというのだろうか。
そして、俺と及川と水無瀬との間には奇妙な縁が生まれた。及川は水無瀬を見つけると積極的に話しかけるようになったし、俺も見つけたら何となく最近の話をするようになった。そんな関係になったからか、わかってしまった一つの事実がある。
「及川さん、ファンの女の子からお菓子でも貰ったんですか?」
「え、なんでわかったの? さっき手作りケーキもらっちゃってさ〜、夕莉ちゃんも食べる?」
「そのケーキ、作った女の子の血が混じってるので、あの神社の手水舎の水、飲んでおいた方がいいですよ」
「いやーーーっ!!! なにそれ怖いよ、岩ちゃんあげる!!!」
「いるかこのクソが!!!」
…及川は異常に呪われやすいということだ。あれ以降も色々と面倒はあったが、面倒くさいからまたいつか話すとしよう。まあ、他人からの貰い物には気を付けろってことだな。
嫉ノ呪・終
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