胞ノ呪 3
「清水ー?」
「!」
入口の方から聞こえてきた菅原の声に、私は身体を固くした。照明はとっくのとうに落ちているのに、私がいつまで経っても出てこないから、心配させてしまったのだろう。私はすぐに落ち着きを取り戻して、体育館の鍵片手に菅原のもとへ向かった。
「どうした、なんかあった?」
「何でもない。ちょっとぼーっとしてただけ」
「清水がぼーっとすることなんかあんの!? まさか、熱でもあんのか?」
「大丈夫。私、もう帰るから、菅原も早く帰りなよ」
菅原の心配もよそに、私は急ぎ足で表へ出ると、体育館の鍵を閉めた。ガチャリ、と大げさなほどに大きな音が鳴って、しっかりと錠が閉まる。ふと、きっと今夜もあの山にいるのであろう、あの子のことを思い出した。
(夕莉…)
誰よりも優しくて、芯が強くて、まるで沢の水のように穏やかな、私の可愛い妹。けれど、その真実を口にすることは、じじさまや両親から固く禁じられた。私はあの子のことが、大好きで仕方がないのに。本当の姉妹だったことが、嬉しくてたまらなかったのに。
『私たちの娘は、潔子だけ。潔世山の神様が、そうお決めになったの』
『わかってくれ、潔子。俺たちだって辛いんだ』
『あの子が務めを果たさなければ、多くの不幸があの山から溢れ出す』
『夕莉はその為だけに生まれてきたのだから』
そう語る両親も、じじさまも、酷く悲しい眼をしていた。夕莉を生贄に差し出さなければならない苦悩は、それに納得しなければならない絶望は、よくわかる。
何度も、夕莉が助かる方法は無いかと考えた。沢山の歴史や神話の本を読んだし、呪いにまつわる本さえ読みもした。けれど、知れば知るほど、あの山の奥深くで全てを呪う『オキクサマ』の恐ろしさを実感した。そして、とうとう諦めてしまった。
(夕莉…ごめんね…。私、お姉ちゃんなのに、あの子に何もしてあげられない…)
夕莉は笑わない。泣きもしない。怒りもしない。残酷すぎる定めに絶望することさえせず、あの子は自分の務めを果たそうとしている。
あの子はきっと、17歳の誕生日である4月4日を迎えれば、自分の人生の一切合切を捨て、潔世山に立て籠る。そして、オキクサマの傍に居続けて、その呪いを鎮める為に、ただ祈り続けるつもりだ。
(…もしもこの世に、神様さえ倒せるヒーローがいるのなら…)
そんな、子供じみた夢想にさえ縋りたいほど、私は無力だった。けれど、心の底から願わざるを得ない。
誰かあの子を。
夕莉を助けてあげて。
ふと、誰かに呼ばれたような気がした。自主練も一段落ついたという最中、俺はボールを拾う手を止めて、どこでもない方向を見つめる。
「岩ちゃん、どうしたの? 早くボール片付けて、ラーメン食べに行こうよー」
「…及川、今なんか聞こえなかったのか?」
「えっ!? 何ソレ、岩ちゃんついにオバケの声とか聞こえるようになったワケ!? 言っとくけど、オカ研とバレー部の掛け持ちとか認めないからね!?」
「誰がそんな最悪のセットを頼むか! …風の音か何かかな」
「勘弁してよ〜…。俺、前より心霊系の番組とか苦手になっちゃったっていうのにさー…」
「むしろいい加減に慣れろよ、オカ研案件の当事者は大体お前じゃねーか」
「好きで当事者になってるわけじゃないやいっ!」
あっかんべー、と舌を出してくる及川に本気でイラついたが、黙ってボール拾いを再開した。何か聞こえたと思ったのは、どうやら気のせいだったようだ。まさか本当に、霊の声が聞こえた、とかいうことではないと思いたいが。
…何故だろう、急に水無瀬のことが気がかりになった。正月以来、何度か顔を合わせはしたが、水無瀬は相変わらずの仏頂面で、それにも関わらず俺たちの心から不安が消えることは無い。水無瀬にとっちゃ、俺たちの心配などいい迷惑かもしれないが、それでも不穏なものは不穏なのだから仕方ない。
だが、ひとまず今の俺たちの最重要事項は、約2週間後に控える新人戦だ。文字通り、3年生選手が引退し、1、2年生選手に代替わりして初めての大会だから、新人戦というわけだ。インハイや春高と違って、優勝したからと言って全国大会があるわけではないが、大会となれば優勝以外の目標など存在しないのが、男ってもんだろう。
俺はまだまだ未熟だから、一度に二つのことを考えることはできない。新人戦が終わるまでは、水無瀬のことは少し気にしないようにして、今はバレーにのみ心血を注がなければ。
「及川! やっぱ、もう数本スパイク打ってくわ」
「ちょっ、岩ちゃんが俺に『オーバーワークだボゲェ!』って言ってきたのに! …ま、トスを上げてくれと言われて黙ってるのは、俺のセッター魂に反するからね〜」
「四の五の言ってねえでさっさと上げろよボケ」
「岩ちゃん口が悪い! スパイク打たせてあげないよ!?」
と言いつつ、完璧なトスを上げやがるところは、及川の唯一の美点だ。俺は力いっぱい跳んで、その完璧なトスに渾身のスパイクを叩き込んだ。
カァーン
カァーン
カァーン
鬱蒼とした山中に、その音だけが響いていた。否、その音以外には、何も聞こえなかった。星の光すら見えない暗闇の中、肌刺すような痛みを感じるほどに乾ききった空気が、木々や草草を揺らしていた。
カァーン
カァーン
カァーン
その音は、いつまでもいつまでも、潔世山に響き渡っていた。
胞ノ呪 終
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