贄ノ呪 3
今、方丈さんはなんて言った? 『水乞いの巫女』の首を…撥ねただって?
「…男たちはお菊の首を山中に埋め、身体は神社にて埋葬した。すると潔世山の麓にある枯れ井戸から水が湧き、人々は永劫とも思える渇きから救われた。集落の者たちは山神へ感謝し、水源そのものを御神体と祭った。このことからこの神社は『清水神社』と呼ばれるようになり、現在に至る…」
「そ…それって…!」
「まるで『犬神』だね。それの人間版ってことか」
先輩の言葉に、方丈さんが深く頷いた。 犬神? それってどういう意味だ?
「犬神っていうのは、呪術の1つでね。犬を生き埋めにして、餓死する直前で首を撥ねてそれを祀る…っていう呪法だよ」
「ってことは、その『水乞いの儀式』っていうのは、呪いってことか!?」
「しかも巫女さんを生贄にした、ってことでしょ!? じゃ、じゃあ夕莉ちゃんや歴代の巫女さん達も、同じように…!?」
「あくまで可能性だけの話ですがね。現代でも同じことが行われているとは限りません」
だけどそんなことを話したってことは、少なくとも方丈さんは、その儀式が今も続いてると考えてるってことだ。それに、もしそれが本当だったとしたら、先輩の言っていた水無瀬に取り憑いてる悪霊の話も、納得がいく。井戸の底に閉じ込められて、水も食べ物も何も食うことができない挙句、首を切られて殺されるなんて死に方した人間が、恨みを抱かない訳がない。
「くそっ、水無瀬…!」
俺は咄嗟に携帯電話を取り出して、水無瀬に電話をかけた。何て切り出すつもりなのか、全く考えていなかったが、一刻も早く真相を確かめたかったのだ。そして、水無瀬が無事なのかも。
しかし、水無瀬が電話に出ることはなく、辛抱ならなくなった俺は舌打ちをして電話を切った。清水さんが「三が日の間は会えないと思って」と言っていたのは、こういうことか。
「落ち着きなさい、一君」
「落ち着いてなんかいられるかっ! 水無瀬が死ぬかもしれないってのに…!」
「水無瀬夕莉さんと会えたところで、いったいどうするつもりですか? 彼女を連れて、この土地から逃げるとでも?」
方丈さんがいつもの皮肉っぽい口調ではなく、真面目な声色でそう聞いてきた。その真剣さに、俺は思わず黙り込んでしまう。確かに、方丈さんの話が本当だったとして、俺はどうすればいいんだろう。その時、何も言えないでいる俺の肩を、及川がポンと叩いた。
「岩ちゃん、方丈さんの言う通りだよ。ひとまず落ち着いて」
「……!」
「…メッセージだけ送って、夕莉ちゃんの返事を待とう。夕莉ちゃんは真面目だから、気付いたらすぐに返信してくれるって」
「だけどな……!」
「マッチポイントになって、あと1点を焦った瞬間に追い上げられて負ける。そんな負け方、これまでに何回もしてきた筈だよ、岩ちゃん」
不思議と及川の一言で、俺の頭がスゥーッと冷えていった。バレーを例えに出されれば、その意味は頭ではなく感覚でわかる。何だかんだ言って、及川は俺の扱いをわかっているということか。
「落ち着いた?」
「…ああ、悪い」
「ふふふっ。岩泉くんはホント、熱い男だねぇ! 夕莉のことをそんなに心配してくれるの、きっとこの町には君たちと、ボクと、清水さん達ぐらいしかいないよ?」
「清水さん達って…夕莉ちゃんの従姉妹だっていう家のこと? 会って早々に『もう会わない方がいい』とか言われたんですけど…」
「ああ、あのすっごい美人な子でしょ? 多分、キミたちを心配してのことだと思うよ。夕莉に憑いてる悪霊の影響を受けないように、って。夕莉が抑えてるから問題ないけど、あんなの普通の人だったら近寄るだけで気分悪くなっちゃうよ」
「そ、そんな凄いんだ、夕莉ちゃんに憑いてる巫女さん…。霊感無くてホントによかった…」
「ともかく、水無瀬夕莉さんからの連絡を待つことにするのですね?」
「ハイ。さっきは柄にもなく焦っちまったが…。水無瀬は真面目でいいヤツだし、多分聞けば本当のことを話してくれると思う」
「…そうですか。では、年始早々に厄介ごとに巻き込まれた君たちへの、坊主からの細やかなお見舞いです」
方丈さんはそう言うと「よっこらせ」と立ち上がって、一度奥の部屋へと引っ込んでいった。先輩が無邪気にも「おっ、お年玉かな? よかったね〜2人とも」などと笑っているが、俺と及川は知っている。方丈さんがお年玉をくれたことなど、今まで一度も無いことを。俺の予想通り、しばらくして戻ってきた方丈さんの手には、ハタキと雑巾が握られていた。
「掃除は即ち徳の貯金と言いますから、より良い人生を送る為にも、徳を積む場を提供して差し上げますよ。まずは寺務所のトイレをお願いしましょうかねえ」
「大掃除くらい年末に済ませろや、この生臭坊主!!!」
ニコニコと笑いながら掃除を押し付けてくる方丈さんに、及川はガックリと肩を落とし、俺は割と本気で怒鳴り飛ばした。
話が進展したのは、清水さんが言っていた通り、三が日が終わった後だった。1月4日の朝に起きてみると、俺が送ったメッセージの返信として、水無瀬から「どうかされましたか」とメッセージが来ていた。寝ぼけ眼から一瞬で目が覚めた俺は、朝早くに迷惑だろうかと思いつつも、すぐに水無瀬に電話した。3コール目が終わるか終わらないかというタイミングで、水無瀬が電話に出る。
『明けましておめでとうございます、岩泉さん』
「水無瀬! お前生きてんだな!? 大丈夫だよな!?」
『はい、生きています。どうかされましたか』
新年1発目に聞く水無瀬の声は、相変わらず覇気がないというか何というか、冷静そのものだった。拍子抜けなくらい普段通りの水無瀬の様子に、俺の肩の力も抜けてくる。けれど問題が解決した訳じゃない、俺は真剣な声で水無瀬を問いただした。
「水無瀬、お前なんか俺たちに隠してることがあんのか?」
『…はい、あります。何故そのようなことを?』
少し沈黙を置いたものの、水無瀬はアッサリと認めた。真面目でいいヤツだから、普段から嘘をつくこともないのだろう。及川のヤツに爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。
俺は水無瀬に、これまでのことを話した。清水さんに「もう会うな」と言われたこと、方丈さんから『水乞いの巫女』の本当の伝説を聞いたこと、俺も及川も水無瀬のことを心配してること。水無瀬はそれを黙って聞いて、やがて俺が話し終えると、開口一番に謝ってきた。
『お2人にご心配をお掛けしてしまって、申し訳ありません』
「い、いや謝んなよ! 心配って言っても、俺らが勝手にしてるだけなんだからよ…」
『いえ、お2人の気持ちはとても嬉しいです』
本当に嬉しいと思ってるのかわからないぐらいにいつも通りの声色だったが、余計なお節介と受け取られなくてよかったと俺は思った。水無瀬は電話先で少し黙って、けれど俺の問いにはしっかりと答えてくれる。
『確かに、同様の儀式が過去に行われていたことは事実です』
「じゃ、じゃあ水無瀬もその儀式をするってことか!?」
『いえ、私が行うのは別の儀式です。その儀式で私が死ぬことはありませんのでご安心を』
「…へ?」
あまりにもアッサリと否定されて、俺は呆気に取られる。そんな俺の様子など露知らず、水無瀬はのっぺりとした口調で話を続けた。
『すみません。今はまだ全てをお話しすることはできませんが、私が死ぬことはありません』
「ほ、本当だな!? 何だよ、心配させやがって! 俺はマジでお前が首切られちまうモンだとなぁ…!」
『はい、ご心配をお掛けして申し訳ありません』
「だから謝んなって! …ま、まあ杞憂に終わったんならいいんだよ、それで」
口ではそう言いながらも、俺は一気に脱力してその場に突っ伏した。何だよ、全部俺の考え過ぎだったってことか、ややこしい。っていうか事がこんなややこしくなったのは、紛れもなく清水さんのあの意味深な一言と、方丈さんの話のせいじゃねーか、腹立つ。
『それよりも岩泉さん、今日から練習だったのでは』
「あぁ、そういや今日で年始休暇終わりか…って今日1日練じゃねーか! さっさと飯食って体育館行かねーと…!」
『お気をつけて。では、私はこれで失礼します』
「あ、水無瀬…!」
俺が何かいう前に、水無瀬は電話を切ってしまった。新年だってのに、「明けましておめでとう」も、「今年もよろしく」も言えなかった。そのことを後悔しつつも、そうしてる間にも時間は過ぎていくので、俺は慌ててタンスの中から練習着とジャージを引っ張り出した。
「…ご苦労だったね、夕莉」
早朝の寒さが身を刺す潔世山の麓、清水神社の社務所にて、当代の宮司である清水由澄は孫の夕莉を見やった。岩泉との電話を終えた夕莉は、折りたたみ式の携帯電話を閉じ、由澄に向き直る。この時の夕莉は巫女装束を身にまとっていたが、その装束は酷く汚れていて、泥まみれだった。
「この3日間、不眠不休で御神水を『あの場所』に注ぎ続けて…。疲れただろう、今日はゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます、じじさま」
「…しかし、いいのかい? あんなことを言ったりして、君の友達は後になって怒るだろう」
「嘘は言っていません。私が死ぬことは、ありませんから」
そう話す夕莉の声色は、まるでこの山々のように静かだった。しかし、外からは決して見えぬ彼女の心の中に、並々ならぬ決意が秘められていることを、由澄は知っている。
「前代の巫たちは皆、この山から溢れ出る穢れに呑まれ、憎悪と怨念の塊となってしまった。でも、私はそのようにはなりません」
「……」
「大切な人たちを憎んだり、呪いたくないですから。だから、私は前代たちのように、全てを呪いながら死んだりしません」
夕莉の黒い瞳が、由澄を捉える。その瞳の奥に静かに燃える火種を、由澄は垣間見た。
「この山で全てを呪い続ける『オキクサマ』の傍で、ただ和(ナギ)を乞(コ)う。それが『水無瀬の巫(コウナギ)』の役目ですから」
何の穢れにも侵されず、『陰』にも『陽』にも偏ることなく、ただ凪いだままを保つことのできる唯一の巫は、何の感情も感じられぬ声でそう言った。
贄ノ呪・終
否
未ダ呪イハ終ワラズ
泉ヲ満タシ
川ヲセセラグ水ノ如ク
未来永劫ニ流レ続ケル
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