夢ノ呪
奇妙な夢を見た。
それは、まるで映画を見ているかのような感覚で、俺はいわゆる『神の視点』、つまり何の関係もない第三者の視点から、その夢を見ていた。
夢の舞台は、日本だった。しかしそこは現代の日本ではなく、かなり昔の時代の日本だったようで、和装やもんぺ姿の人々が闊歩していた。時折、砲声のような轟音や、耳を劈くような警報が聞こえてきたので、おそらく戦時中だと思われる。
その夢の中心となる人物は、1組の男女だった。男の方は、今にも折れてしまいそうな細い身体に、青い顔色をしていて、どう見ても健康体ではなかった。一方、女の方は、まるで日本人形のような長い黒髪が印象的な、どこか陰鬱な雰囲気の人だった。長い前髪で顔を隠していたので、どんな顔をしているかはわからない。
2人は、恋人のようだった。お互いがお互いを見つめ、まるで壊れ物を扱うような優しい手つきで抱き合うその姿は、夢といえど見ていることが後ろめたく思えるほどだった。謂わば戦禍の恋、そういったことに疎い自分にしては、随分とロマンチックな夢を見るものだ、そう思った。
男は自分が住む屋敷に、女を連れて行った。その屋敷は、不思議なことに俺の家とよく似ていた。すると男が自分の家族らに女を紹介し始めたが、その中には俺の母親にそっくりな女がいた。その人物は男の姉らしく、氷のように冷たい目で女を見ていた。
それからは断片的に、幸せそうな2人の姿が垣間見えた。耳に響く砲声は徐々に大きくなっていったが、そんな音は聞こえていないかのように、2人は寄り添いあって笑っていた。
だが夢が進むに連れて、男の身体は次第に細さを増して行き、まるで枯れ枝のようになっていった。男が痩せ細るにつれ、女の笑顔も曇り始め、妙に不穏な様子に俺は身体を硬くした(夢だというのに)。やがて男は立つことすらままならず、女に支えられながら床についたきり、夢が終わるまで一度も起き上がらなくなった。
夢は続き、けたたましい警報の音が響く中、男は息を引き取った。男の亡骸は、まるで干からびたミイラのような、正視に耐えない有様だった。どのような死に方をしたら、そんな亡骸になるのだろうか、そんなことさえ思った。顔に白い布を被せた男の亡骸のある、やけに薄暗い和室の中、女は驚くほど静かに正座していた。ただ黙って、男の亡骸を抱きしめて、じっとしていた。
すると突然、慌ただしく襖が開いたかと思うと、何人もの男たちが部屋に入ってきて、女を指差して連れ出そうとした。女はそれらに少しの視線をやることもなく、ただ黙って男にしがみついていたが、しばらくすると俺の母親にそっくりな、男の姉らしき女がやってきて、女を突き飛ばした。女は力なくその場に倒れ込み、男たちに手足を押さえつけられ、無理やり部屋から連れ出されそうになる。尚も抵抗する女に、男の姉らしき人物は金切り声で叫んだ。
この疫病神
弟が死んだのはお前のせいだ
私の子が死んだのも
この地が呪いに侵されたのも
全てお前がこの地に来たせいだ
今すぐここから出ていけ
私の目が黒いうちは、二度とこの地を踏ませはしない
お前も、お前の血族も、未来永劫に決して
呪われろ、穢れ巫女
お前たちなど生まれてこなければよかったのに
煩いほどに鳴り渡る警報の中、その声は狭い部屋の中に反響して、いつまでも響いていた。やがて女は、男たちに引き摺られるようにして、部屋から追い出されようとしていた。女はその白い腕を、いつまでも男の亡骸に伸ばしていた。
その時、女の顔を隠していた前髪が乱れて、俺は初めて女の顔をしっかりと見た。
女の顔は、涙でぐしゃぐしゃに歪んでいた。
その時だ、それまで警報の音だと思っていた甲高い音が、女の慟哭だったことに気付いたのは。
女が部屋から無理やり引き摺り出され、襖が音を立てて閉まったその瞬間、俺は目を覚ました。
その夢を見た朝、俺は不思議な気持ちで目覚めた。その晩に見た夢のことなど、目覚めてみればすぐ忘れているのがいつものことだが、あまりにも奇妙な夢だったからか、細部にわたってしっかりと思い出せるほど、その夢は俺の頭に焼き付いていた。我ながら仏頂面ではあると思うのだが、何となく浮かない顔をしながら支度をして居間に降りると、既に起きて朝食の準備をしていた母と、それから祖母に出くわした。
「おはよう、若利」
「おはよう」
「なあに、そんな浮かない顔をして。練習が休みなのがそんなに不満?」
「…いや、少し夢見が悪くて」
「夢見? あなた、夢なんて気にするほど繊細な子だったかしら?」
我が母ながら失礼ではないかと思うような口ぶりに、俺がムッと眉を寄せると、母は「そうそう、あなたにはそういう顔が似合ってるわよ」と言って、ゴミ出しをしに家を出て行った。居間に祖母と2人きりにされた俺は、特に何か特別なことをするでもなく、母が作った朝食を食べることにした。
祖母はそんな俺を見て、笑むこともなく普段通りにしていた。俺も、俺の母も、仏頂面なのは祖母からの遺伝だ。だが俺は、もう離婚して家にいないとはいえ、父に対して非難的なことを言う祖母のことが、顔に出さないながらも苦手だった。しばらく沈黙が続いていたが、ふと何かを思い出したように、祖母が口を開いた。
「若利さん。今日はお休みなら、あとで庭にいらっしゃい。寒椿が綺麗に咲いたから、一輪部屋に持っていくといいわ」
俺は何故か、その声を聞いた瞬間、夢の中に出てきた男の姉らしいあの女を思い出した。俺の母親にそっくりなその女は、よくよく見れば祖母にもよく似ているような気がして、まるで夢の続きを見ているような感覚になる。黙る俺を不審に思ったのか、祖母が眉を寄せて俺の方を見てきたので、俺はふとこんなことを聞いた。
「お祖母様、ご兄弟はいるのですか」
祖母にはいつも敬語を使っているので、やけに畏まった言い方になった。祖母は一瞬、驚いたような表情を浮かべたが、やがていつもの仏頂面に戻って、静かに茶を飲んだ。
「ええ、おりましたよ。弟が1人、あなたが生まれるうんと昔に、病気で死んでしまいましたが」
「そうですか」
「生まれつき身体が弱くて、長くは生きられないと言われていましたから、仕方なかったのですよ。その点、あなたは父親に似たのか丈夫に育って、そこは空井さんに感謝していますけどね」
「…その人に、妻はいたのですか」
俺が核心を問うと、祖母は凍りついたように、黙り込んだ。そういったことに疎い俺でも、その質問が問いかけてはならないものだったということに気付いた。しかし、祖母は夢のように声を荒げることもなく、ただ静かにこう言った。
「そのようなモノは、おりませんでしたよ」
「クソ川、なんだって?」
「『熱烈なファンに追いかけられちゃって、適当にファンサして満足して帰ってもらうから、ちょっと遅れる』だそうです」
「よし、殺せ」
年末のある日、以前に水無瀬と一緒に来たことのある和食レストランの一席で、俺はクソ川に殺意を募らせた。
ついこの間のクリスマスに起きた事件で、またもや水無瀬に命の危機を助けてもらったので、その例にとメシを奢ることになったのだ。ところが事の言い出しっぺであり、水無瀬に面倒をかけた張本人である及川がこのザマでは、俺が殺意を抱くのも無理はないだろう。何よりファンサって言い方がクソムカつく、ジャ◯ーズ気取りかよ。
「悪いな、水無瀬。年末なんて、大掃除やら何やらで忙しいだろうに」
「いえ、煤払いはもう済んでますので」
「ススハライ?」
「家の煤を払って掃除をする、年の瀬の行事です。私が行ったのは家ではなく、清水神社の社ですが」
「へー。そういや、水無瀬ってどこに住んでるんだ?」
「普段は、清水神社の社務所で生活しています。昔は、烏野で暮らしていた時期もありましたが」
水無瀬は淡々としながらも、俺のしょうもない問いかけに答えていく。思えば、クソ川抜きで水無瀬と話すのは、久しぶりかもしれない。ヤツがいる時は、何かとくだらない話を水無瀬にして、水無瀬は「はあ、そうですか」みたいな塩反応で、俺はざまあみろとほくそ笑むのが専ら恒例になりつつあったから、こんな普通のやり取りは久しぶりだ。
「けど、もうすぐ年明けか。正月はクソ川も引っ張ってきて、清水神社に初詣に行くわ」
「ありがとうございます。神様も喜ぶと思います」
「あ、そういやなんだっけ、清水神社の神様の名前。一回調べたんだけど、なんか難しい漢字で書くヤツ…ダメだ、忘れた」
「潔世大神(キヨセノオオカミ)でしょうか」
「そう、そんなヤツ。あの山自体が神様なんだってな。それからあの神社に、『水乞いの巫女』って伝説もあるってのも調べてさ…」
決して、そんな大層な意図は無かったのだが、俺は自然と水無瀬にそんな話を振った。だが後々になって思い返すと、これは正に、水無瀬の正体に迫る問いかけであった。水無瀬は恐らく、その伝説にある巫女さんの子孫であると、俺たちは推測していたのだから。
「よくご存知ですね。今や、その伝説を知る人は殆どいないというのに」
「いや、図書館の本で読んだだけなんだけどな…。水無瀬も知ってんだな、ってそりゃ当然か」
「はい。幼い頃、じじ様に教えていただきました」
「じじ様?」
「清水神社の宮司で、私の祖父です」
つまり、前に方丈さんが言っていた『気難しいご老人』が、水無瀬の祖父さんらしい。そういえばあの本には、清水神社の宮司は『水乞いの巫女』の親族だって書いてあった。その宮司の孫ってことは、やっぱり水無瀬は伝説の巫女さんの子孫なんだ。俺が勝手にあれこれ調べてたことが、水無瀬の証言で徐々に繋がっていくのが、なんだか妙に心地良かった。これがアレか、謎解きの快感ってヤツか、知らねえけど。
「…なあ水無瀬、答えにくいことだったら、答えなくていいんだけどよ」
俺はこの勢いに乗って、水無瀬に『儀式』のことを聞いてみようと思った。青葉寺の住職である方丈さんすら知らないという、潔世山から漏れ出る不幸と穢れを抑え込む為の『儀式』。恐らく答えてくれないだろうとは思ったが、俺が水無瀬のことを心配に思ってるということだけは、わかってほしかった。だってよ、もしその儀式がとんでもなくヤバいモンだったとして、水無瀬のことだから助けとか求めそうに無えんだもんよ。
「あの山と清水神社は、いったい……」
「ごっめーーーん! 2人とも、待った〜〜〜?」
ふと、クソムカつく半笑いの声が聞こえてきて、俺は出鼻を挫かれた。ファンサ中(クソ)だったはずの及川が、ちっとも悪びれねえ態度とツラをぶら下げて、この最低のタイミングでやって来たのだ。クソ川は店に来るなり水無瀬の隣の席に座り、わざとらしく肩を抱いて水無瀬に擦り寄ってる。水無瀬は相変わらずの無表情だが、それセクハラで訴えたら勝てるぞ。むしろ訴えろ、そしてクソ川を社会的に殺してやれ。
「ごめんね夕莉ちゃん、言い出しっぺの及川さんが遅れちゃって〜! 寂しかった?」
「いえ、特に」
「しょっぱい!! 反応が塩すぎるよ、夕莉ちゃん!! 及川さん、これでも頑張ってファンを撒いてきたんだよ!?」
「何がしょっぱいだクソが、甘いのがよけりゃくれてやる」
「あぢぢぢぢ!! 岩ちゃん、熱々のおしるこ缶を押し付けるのはやめて!! っていうか何それ、どこから取り出したの!?」
「先ほど店員さんが『お土産用に発売し始めたのでお試しでどうぞ』とくださったものです」
「律儀に説明ありがとう! それにしても熱かったよ、そのおしるこ缶! 火傷するかと思った!」
ああクソが、ほんとコイツがいるとうるせえな。俺はそれまで水無瀬に聞こうとしてたことが何だったのかすら忘れて、クソ川の顔に熱々のおしるこ缶を押し当て続けた。
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