噂ノ呪2
それから数日後の昼休み、クラスメイトと昼飯を食った後、俺は小便しにトイレに行った。汚い話とか言わないでくれよ、生理現象なんだから仕方ない。季節は真冬、暖房なんかついているはずもないクソ寒い男子トイレで凍えそうになりながら用を足していると、「うーさむさむ」とか言いながら花巻がトイレに入ってきた。
「おー松川」
「よお花巻。大? 小?」
「飯食い終わったばっかだってのにきったねー話すんな。手洗いに来ただけだっつーの」
花巻はケラケラと笑いながら、先ほどの言葉通りに手洗い場で手を洗い始めた。用を足し終えた俺は制服のズボンのチャックを上げて、花巻の隣の手洗い場で同じように手を洗う。信じられないくらい水が冷たくて、このまま凍っちまうんじゃないかと思うほどだった。花巻も同じだったのか、渋い顔をしながら水を止め、ふと思い出したようにこんなことを呟いた。
「あ、そういえばさっき、及川と岩泉見たぜ。オカ研の部室に行く途中だったみたいで」
「あいつらほんとお菊さんのこと好きだな。例の噂だって耳に入ってるだろうに」
「だからだろ。お菊さんがヘコんでるんじゃねーかって思って、元気づけに行ったんじゃねーの」
「うっわイケメン。ただし岩泉に限る」
「及川に元気づけられてもウゼーだけだからな」
そんな話をしながら、別に示し合わせたわけでもないが、俺と花巻とで一緒に男子トイレから出る。まだ昼休みが終わるまで大分時間があるし、せっかくだから花巻とバレーでもして時間でも潰すかな、なんてことを考えていると、男子トイレから数メートル離れたところにある女子トイレの中から、物凄いキンキン声が聞こえてきた。
「いい加減にしてよ! そんな卑怯な手を使ってでも及川さんと付き合いたいわけ!?」
「?」
「なんだって、及川?」
及川、というワードに、俺も花巻も思わず足を止めた。と言っても女子トイレに入るわけにもいかないので、女子トイレの扉の脇に立って聞き耳をたてることぐらいしかできないが。2人並んで耳をすませていると、中にいるであろう女子たちの声が、くぐもりながらも聞こえてくる。
「仰る意味がよくわかりません」
「だからさぁ! 及川さんにかけた呪いを解けって言ってんの!」
「私は及川さんに呪いをかけていません」
「嘘つかないでよ! 普通なら、及川さんがあんたみたいな気持ち悪いオバケ女、相手にするはずないじゃん! あんたが呪ったに決まってる!」
「…これ中にいるの、お菊さんじゃね?」
「っぽいな」
どうやら中にいるのは、ここ最近『及川を呪っている』と噂になっているお菊さんと、その噂を鵜呑みにしてお菊さんを責め立ててる数人の女子生徒のようだ。あんな噂信じる奴がいるとは驚きだわ。いや、むしろ信じでもしないと、及川が自分たちを差し置いてお菊さんなんかと仲良くしてるという事実に耐えられないのかな。お菊さんなんか、って言い方はねーか。
「どうするよ」
「どうするったってな……。まさか突入するワケにもいかねーし」
「呪いを解かないっていうんなら、こっちにも考えがあるんだから! 後悔しても知らないわよ!」
「ほんっと、サイテー!」
どうしたものかと考えていたら、言いたいことを言い切ったのかお菊さんを責めていた女子生徒たちが、猪みたいな勢いでトイレから出てきて、俺たちは慌てて通りすがりのふりをした。なんかこう、後ろ姿を見ただけで「うっわ、こいつメンヘラだわ」と思ってしまうような連中だった(ということを花巻に言ったら「失礼すぎる」と怒られた)。
それからしばらくして、揉め事の張本人であるお菊さんこと水無瀬チャンが、平然とした様子で女子トイレから出てきた。俺も花巻も思わずガン見してしまったが、お菊さんは俺たちのことを気にするでもなく、日本画の幽霊みたいなゆったりした動きでその場を去っていった。実は俺がお菊さんを生で見るのはこれが初めてだったのだが、後ろ姿を見ただけで「えっ、生きてんの? 幽霊じゃね?」と思ってしまうような子だと思った(ということを花巻に言ったら「わかる」と同調された)。
「……どうするよ?」
「いや、どうするよとか言われても……。とりあえず及川か岩泉にでもラインしとくか」
「まあ、それぐらいしかねえよな」
その後、こんなことに出くわしたということを岩泉に報告すると、岩泉からは「サンキュ、気を付ける」という返事が返ってきた。何に気を付けるんだよ、というツッコミはほどほどにしておいて、ともかくこの時は「女子ってこえー」という話のネタが1つ増えた程度のことだと思ってた。薄情ではあると自分でも思うけど、所詮は対岸の火事ということだ。
問題が起きたのは更に数日後、確か火曜日のことだった。青城のバレー部は基本的に、朝練への参加は自由になっていて、監督も顔を出しはするけどそこまで口やかましくは指導してこない。とはいえ部員はほぼ全員朝練に参加してるし、監督の代わりにコーチの溝口君が朝っぱらから熱血指導してくるので、なんだかんだ言って普通の練習と変わりない。
だがこの日は、何故か及川の様子がおかしかった。いつもはアホかってぐらいサーブ練に時間を費やすのだが、今日ばかりは不調そうに肩を回し、サーブレシーブをしている1年たちに声をかけていた。
「う〜ん……。ごめん、俺ちょっとトスに回るね」
「なんだよ及川、いつものサーブゴリラっぷりはどうした」
「サーブゴリラって何!? いやさぁ、なんか今日いつもより体力無いっていうか……ジャンプサーブ続けるのちょっとキツくて……」
そんなことを言う及川の顔色は、確かに妙に土気色というか、体調悪そうな色をしていた。及川にしては珍しいとも思ったが、そういえばインハイ前に原因不明の体調不良で2~3日ほど入院してたこともあったし、案外病弱なのかと思い直す。及川がこんな様子じゃあ岩泉はさぞや心配だろう、とか思いながら岩泉の方を見てみると、あからさまなマジギレ顔で及川に中指を立てていた。「体調管理もできねえのかクソが」って顔だな、ありゃ。
「いやでも、確かに今日の及川さんは顔色悪いですよ。ちょっと休んだ方がいいと思いますよ」
「渡っちありがと、でもスパイク練用にトス上げる分には大丈夫そうだからさ!」
「アレじゃね、お菊さんの呪いが効いてきてるとか」
「ちょっとマッキー! 夕莉ちゃんはそんなことしないからね!?」
花巻がふざけ半分に放った冗談に、及川は怒ったような素振りを見せた。結局、数日前のトイレでの事件以降も、お菊さんは相変わらずウチの阿吽コンビと仲良くやっていたらしい。まあ仲良きことは美しきかなだから、いいんじゃねーのなんてことを思っている。
「それにお菊さんに本気で呪われたら、その瞬間にポックリ逝きそうだしな」
「それは否定できない。でも夕莉ちゃんはああ見えてすごく良い子なんだからね! 及川さんを呪ったりしないからね!」
「いや、及川がなんかやらかして、お菊さんをメチャクチャ怒らせたらわからねーじゃん?」
「クソ川ならやりかねんな、そりゃ」
「岩ちゃん失礼! 俺は女の子にはいつだって優しいから怒らせたりしませんー!」
「オメーら朝から元気だなァ!? 何なら溝口考案スペシャル筋トレメニューやるかァ!?」
「「「サーセンした」」」
「お前たちは本当に愉快な奴らだよなぁ」
溝口君に怒られたり、監督に笑われたりしながら、俺たちはその日の朝練を終わらせた。HRの始まる15分前くらいに練習を切り上げて、部室で二度目の朝飯(毎回母ちゃんが持たせてくれる)を食った後、部室に鍵をかけて教室へ向かう。これが俺たち青城バレー部の毎日の朝の流れだ。
その日も、他の連中がさっさと教室へ向かう中、俺と花巻と岩泉、それからやっぱり具合が悪そうな及川の4人が最後まで部室に残っていた。同学年のうち4人だけのスターティングメンバーだからな、話すことも山のようにあるというワケだ。
「だからさ、渡っちはセッター出身だし、レシーブが完璧じゃないのは仕方ないんだから。マッキーも岩ちゃんも、あんまり渡っち頼りのレシーブになるのは……」
「……なあ、なんか空気淀んでね」
「……あ、わかった? 実は俺もそう思ってたんだよねー……」
俺がそう言うと、及川はただでさえ悪い顔色をさらに悪くさせながら、ぱたぱたと手で扇いだ。季節は真冬だというのに、じめっとしているというか湿っぽいというか、妙に空気が生ぬるい。とはいえこの真冬に窓を開けて冷気を浴びるのもごめんなので、俺は換気扇を回そうと入口すぐのスイッチのもとへ向かった。
コンコン
その時、部室の扉をノックする音が聞こえてきた。誰か後輩が忘れ物でもしたのだろうかと、一番扉の近くにいた俺が「はいはーい」と扉を開ける。そして、そこに立っていた人物のあまりの異様さに、俺は思わず腰が抜けそうなほど驚いた。
「うわっ……!?」
「どうしたの、まっつん?」
「失礼します。お邪魔してしまって申し訳ありません」
「水無瀬? どうかしたのか、部室に来るなんて珍しいな」
そこにいたのは、日本人形のような黒い髪の隙間から、真っ黒な瞳でこちらを見上げてくる、お菊さんこと水無瀬チャンだった。心臓がバクバクと鳴っているのをごまかしつつ、俺はお菊さんを部室に招き入れる。いやだって、バレー部のむさくるしい連中を想像して扉を開けたら、そこに立ってたのは呪いの人形の擬人化みたいなお菊さんだったとか、ホラー映画並みの絵ヅラだぞ。そりゃビビるわ。
「どうしたの夕莉ちゃん? まさか及川さんに会いに来てくれたとか?」
「いえ、及川さんに会いに来たわけではありません。ただ、この部室から良くないものを感じましたので」
「アッサリ否定しないで、及川さん悲しい! 良くないものって?」
「ちょっと失礼します」
そう言うとお菊さんは、ショックを受けた素振りの及川を通り過ぎ(ざまぁ)、及川のエナメルバッグの隣に置いてあったトートバッグの中を探った。あれは確か、及川があまりにも女子からプレゼントやら差し入れやらを貰うので持ち歩き始めた、人呼んで『貢物バッグ』だ。しばらくすると、お菊さんはあるものをバッグの中から取り出した。それはどうやら、フェルトで出来た手作りのお守りのようだった。
「及川さん、これはどこで手に入れたんですか」
「ああそれ! 昨日、練習が終わった後にファンの子から貰ったんだ。手作りのお守りなんて健気だよね〜」
「これは持ち歩かない方がいいです。良くないものが憑いていますので、私の方で処分しておきましょう」
及川の冗談レベルにサラッと言い放ったことの内容に、俺は思わず目を丸くしてしまった。俺以外の3人を見てみると、どいつもこいつも同じような表情をして、ポカンと口を開けている。
「よ、良くないものが憑いているって……?」
「その言葉の通りです。悪霊、という言い方をすればわかりやすいでしょうか」
「……は、はは、お菊さんも冗談言うんだな」
「いやお菊さんが言うから冗談にならねーんだろ」
何が可笑しいんだか半笑いでそう言った花巻に対し、俺は真顔で突っ込んだ。いやホント、お菊さんがそういうこと言うと洒落にならないって。なんか本当のことっぽく聞こえるじゃん。え、マジなの? マジでそんなヤバイもんが、その女子っぽーい感じの手作りお守りの中にいんの?
「このお守りの中には鏡の破片が入っています。どうやらその鏡が、良くないものを拾ってきてしまったようです。鏡は霊力を持つと言われていますから、そういったものを惹きつけてしまうのは仕方ありませんが」
「なにそのオカルティックな話」
「花巻、茶化すんじゃねえ。……だとよ及川、どうすんだよ」
「そんな曰く付きのモノを持ち歩くとか嫌だよ!! 夕莉ちゃん持ってって!!」
「わかりました。中の鏡さえ処分すれば大丈夫ですので、お守り袋の方はお返しします」
「いやそれも持ってってほしいな!! そういう気遣いはしなくても大丈夫だよ!!」
ご丁寧にお守りのガワだけを及川に差し出すお菊さんと、全力で拒否する及川に、俺は思わず吹き出しそうになった。いや笑えねえけど、でもこういうところで笑っておかないと恐怖心に勝てる気がしない。そりゃ俺だって怪談話とかは好きだけど、こういうガチなのは求めてねえから。
「では、鏡に憑いているものは私が祓っておきますので。ではこれで」
そうこうしているうちに、お菊さんは一切の物音を立てずに部室から出て行った。あまりにもいきなり現れ、そしてあっけなく去っていったお菊さんに、俺と花巻は呆気にとられて何も言えずにいる。及川と岩泉は慣れているのか、さっきから怖い怖いと叫ぶ及川に対して、岩泉が「うるせえ!」と拳骨を落としていた。強いなお前ら。
「……俺、しばらく及川に怪談話するのやめるわ……」
「俺も……」
今日この日、俺たち2人の心に「お菊さんはガチ」という言葉が刻まれた。何がガチなのかって、それはまあ察してくれ。
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