▼何百メートルの中で
朝。
地元にいた頃の習慣で、五時前に起きると、一時間掛かると言えど、もちろん黄瀬くんはまだ眠っているようだった。
ふう、と一つ息をつく。
昨晩は引っ越し疲れということもあって私はご飯を食べてお風呂に入ってから直ぐに眠ってしまった。
とりあえず、黄瀬くんが同い年であったことには驚いたが、それよりも何より昨晩の私の饒舌さに驚いた。
もともと人見知りで、初対面の人には早口になったり饒舌になったりするけど、あんなにべらべらと自分から話したのはたぶん、初めてだ。
職業柄、そういうのを引き出すのがうまいのだろうか。
鬱陶しいと思われたろうか。
よく話す面倒な女だと。
でも高尾が言うに私が思うよく話すというのは、普通の人からすればちょうど良いらしいし。
でも嫌だなあ。
昨日の自分を殴りたい。
自己嫌悪しつつ朝食の目玉焼きやウインナーを焼いていると、リビングと黄瀬くんの部屋を隔てている引き戸が開いた。
「…おはよーございます」
「あ、おはよう、ございます」
「早いっスね。まだ五時過ぎっスよ」
「うん。早く起きちゃうのがくせみたい」
ふぅん。
黄瀬くんは至極眠たそうにしてさも興味なげに洗面所に向かっていった。
あ。
やっぱり私、鬱陶しかったのかも。
昨日と全然違う。
どうしようこれから。
背中に冷や汗が伝うのを感じながら焼き上がったトーストと目玉焼きやウインナーを皿に盛り付けていると、洗顔をすませ、前髪を上げた黄瀬くんがリビングに入ってきた。
反射的に肩が跳ね上がり、ウインナーが箸から滑り落ちたが奇跡的にお皿に乗り、どうにか事なきを得た。
「あ、朝ごはん、超おいしそう」
「た、ただの、トーストと、目玉焼きとかだけだから」
「そうっスか?充分スよ。嬉いっス」
「…う、うん」
歯切れの悪い微妙な返事ばかりしていると、黄瀬くんは椅子に座りながらあ、と声を上げて私を見上げる。
「もしかしてさっき、オレ態度悪かったっスか?」
「、え」
驚いて急に動きを止めてしまったため、持っていたマグカップから紅茶が少し溢れた。
何故それを。
驚いて瞬きをしながら黄瀬くんを見ると、困ったように頭をかいて笑っていた。
「オレ、寝起きは顔洗うまであんま意識ないんスよ。だからよく母親とかにも怒られてて、それだけはマジどうもなんなくて」
「そうなんだ」
スイマセン、と謝られたところではあ、くらいの実に愛想の悪い返事しかできなかった。
黄瀬くんが朝ごはんを食べ始めて、自分ももそもそトーストを食べながらテレビを眺める。
おは朝占いがついていたので思わず見つめていると、黄瀬くんもぼんやりした表情でそれを見ていた。
お、蟹座十位。
微妙だ。
今日のラッキーアイテムは、ん、か、カニカマ。
蟹座なのにカニカマ。
きっとパックで持ってくるだろうから頂こう。
黄瀬くんはテレビを見ながらぶふ、と紅茶を少し吹き出した。
「蟹座なのにカニカマって…」
「微妙だよね」
「でもこの占いよく当たるんスよね」
「ね。意外とね」
小さく笑い合って、内心ほっとする。
よかった。
わりと普通だ。
おは朝は緑間と知り合ってから見るようになったから緑間に感謝しよう。
私が少し落ち着いて、朝ごはんを食べ終えて各々仕度をしつつ、何かあったらと言うことでお互いに赤外線で連絡先の交換をした。
「じゃ、行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
軽く手を振ってきた黄瀬くんに応えるように小さく笑うと、飛びきりの笑顔で返されたので少々焦る。
ああ、もしや毎朝これか。
まあ少し役得な気分ではある、かもしれない。
と、言う下らない邪念を取り払い、今から登校時間まで何をしていようか、と小さく考えた。
2012.0728