私は今、崖の上に立っていた。崖の上から見る景色って、言わずもがな高くて怖いけれど、下で波打つ海水を見るのは楽しかった。此処から落ちたら、死ねるかな。

片手にカッターを持った私は、ただそれだけを考えていた。何故私が此処に来たのかにはちゃんとした理由がある。まあ勿論死にに来たわけだけど、何故お風呂場で手首を切らなかったのか、ちゃんとした理由があるの。

握り締めたカッターがキシリと音を立てて、刃が指に食い込んだ。不思議と痛くないけど、指先を水みたいな何かが伝って落ちていく。どうして、感覚が無い。

お風呂場で手首を切っても直ぐに見つかってもしかすると死に損ねるかも知れないし、死ねたとしても直ぐに死体は見付かってしまう。私は誰にも、見られたくなかった。

この崖の高さであればきっと私は水面に当たっただけで死んでしまうだろうし、もし下にポケモンがいて私を見つけたとしても死んだ人間をわざわざ引き上げたりするものだっていないと思うから…というか、いないと信じたい。

そっと、けれども力強く大地を蹴った。ふわりと傾いた体が風を切って斜めになる。波がぐんと近くに迫った気がして、私はふっと目を閉じた。

長い髪が風で後ろに靡き、手に力が入らなくて持っていたカッターはカシャンと音を立てて下に落ちた。まっ逆さま。

潮の香りがする、波が打ち寄せる音がする、なぜだろう

私の手を、誰かが掴む感覚がする。

掌に突如鋭い痛みが走り、私は苦痛の悲鳴を上げた。私の手を掴む人の手が、私の手の液体で滑り、上手く掴めない様であった。

なのに傾いていた体は一気に引き戻されて、目を開けるとあんなに見えていた波はぐんと遠くなり見えなくなった。そして私は前じゃなくて後ろに倒れこみ、お尻を地面に強打した。助けられてしまった。

「君のトモダチが、悲しむよ」

後ろの人が、そう言った。私に友達なんていないと言いそうになったけれど、あの時逃がしたはずのチコリータが私に擦り寄っているのを見て押し黙った。この子のことだ。

確かに、彼女は私の詰まらない人生の中で唯一のトモダチであると言えた。その大きな瞳から溢れる涙を見て、私が死んで悲しむ生き物が今確かにそこにいるのだと痛感した。

ゆっくりと後ろを見ると、その人の髪はチコリータみたいに萌黄色で、瞳は綺麗に透き通った水色だった。白い肌に、薄く色付いた頬。何処か神秘的な雰囲気を纏った彼の右手は私の血で赤く染まっていて、毒々しい。

「ごめんなさい。手、汚してしまって」

他人の血に染まるなんてこの上なく不快だろうに彼はそんなこと微塵も感じさせずに、ふわりと笑った。気にしなくていいと。嘲笑以外の笑みを向けられたのは、久しぶりだと気付いた。

チコリータは私が生きていることが本当に嬉しいみたいで、頻りに頬を私に擦り付ける。彼女と出会ったのは、およそ3ヶ月ほど前だったか。



いつかの私が捨てた気になっていたもの/title 花洩






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