真夜中、何だか寒くて仕方がない。何でこんなに寒いのかは分からなかったけれど、目を開けて原因を確認するのは何処か億劫で閉じた瞼にぐっと力を入れて布団を強く引き寄せた。

そして目が覚めた翌日、何故か目の前で女の子が同じ布団ですよすよと規則正しい寝息をたてていた。驚いた俺は眠気が一気に吹き飛んで、取り敢えず勢い良く布団を剥ぎ取った。

驚きの余り何を言えばいいのか分からなくて困惑する。お前は誰だ、何処から入ってきた、それとも…まだ俺の貞操は無事?…って違う違う、そんなことを聞きたいわけじゃない。

戸惑う俺の様子が可笑しかったのか、いつの間にか目を覚ましていた女の子はクスクスと可笑しそうに笑いながら、初めましてと、確かにそう言った。

ますます意味が分からない。何が初めましてだ、俺はそんな言葉を聞きたかったわけじゃない。宜しくするつもりは無いのだからそんな言葉よりも早急に俺の視界から消えてくれ、

「トウヤ、朝ご飯出来たってー!起きてるー?」

下の階からトウコの声が聞こえてきたので、怪しまれないように直ぐに返事を返した。必死な俺を見て何が面白いのか笑い続ける女の子に苛々が募る。コイツ、ジュンサーさんに突き出していいかな。

「お前一体何者、」

「私の名前は名前だよトウヤ君」

なんで俺の名前を知ってるんだとかそういうのよりもまず恐怖が頭の中を支配した。何コイツ怖い。

「トウヤー?早くしないとトーストふやふやになっちゃうわよー?」

再びトウコの声が聞こえて、行かなくちゃならないと思ったけれどまず目の前の状況の謎を解明するほうが先だ。名前と名乗ったソイツは、俺が何を考えているのか探るような目をしながら可愛らしく首を傾げている。

黒の、フワフワのレースがあしらわれたワンピースがシーツの白を滑った。

次の瞬間、俺はベッドの上に沈んでいた。何が起こったのかは分からないけれど、目の前には端整な顔立ちをした名前の顔が、俺を愉快そうに見下ろしている。つまり、押し倒されたのだ。

妖しく弧を描いた唇が、何かを呟く。黒いロングストレートの艶やかな髪の毛が重力に従って下に垂れて、名前が俺に顔を近付けるとシーツの上でサラサラと音を立てた。

何度か瞬きをして状況整理に努めてみたもののやっぱり分からないものは分からない。吐き出される吐息は噎返る程に甘ったるくて官能的。

「お前、いい加減に…!」

声を張り上げて拒絶しようと思った矢先に部屋の扉が勢い良く開かれた。トウコが不機嫌そうな面持ちで、"何寝呆けてるの…"と呆れたように言った。

黒の少女は、何故か忽然と姿を消していた。夢、だったのか。






首がヒリヒリと焼けるように痛む事に気が付いたのはそれから間もなくだった。違和感を感じて首もとを探ると、ピリリと痛みが走る。思わず顔をしかめた所で、ゆっくりと恐る恐る触った手を見る。

驚きのあまり声が出なかった。べったりと、真っ赤な血が付着している手は血の気が失せて青白く光っているようだった。

自分はもともと色白な方であることはまあ知っていたけれど、少なくともこんな死んだような色ではなかったハズだ。思えば、クラクラして足元が覚束ないのは貧血だったのか…?

直ぐに洗面所に向かい、洋服や髪の毛で隠れている首もとを探る。鏡に映った自分の顔はやつれているみたいでやっぱり青白い。真っ白な首は痛々しい紅に染まっていた。襟が擦れて余計に傷が広がったのかも知れないが、何故だか余り痛みを感じないのが気付きにくかった要因だ。

どのような傷なのかは傷回りの血で見えにくいので、取り敢えず水で濯ごうと蛇口を捻った。

「ねぇ、入っていい?今から使いたいんだけど」

ノックしたトウコが乱れた髪を気にしながら扉を控えめに開けた。多分髪の毛のセットをしに来たのであろう彼女は、俺の首を見ると驚愕の声を上げた。

「ギャー!あんた何それ!?一体何したのよ!?」

「いや…何って、何もしてないけど。」

「そんな訳ないでしょ!?それ、
歯形じゃん…!」

歯形…?

出しっぱなしの水の流れる音が狭い空間の中に響いている。まだ洗っていないそれは俺には分からなかったけれど、トウコには何故か分かるらしい。半開きの扉を全開にして足早に俺に近付いたトウコは、躊躇いがちに手を添えてからそれをまじまじと見つめた。

「しかも鬱血してる…」

鬱血…それは、静脈の一部分に、静脈血が異常にたまることで起こる状態。キスマークが言い換えれば鬱血痕であると知ったのはもう随分と前であるけれど、ということは、吸われた…?

「じっとしてよ、今から拭ってあげるから」

水で濡らした白いタオルを構えたトウコはそっと言った。大して痛くもない傷だから、タオルくらい平気だと余裕だったのだが、押された圧力で垂れた水が傷口に浸透した時には、鋭い痛みがした。

薄い赤色の水がポタポタと床に落ちるのを見ながら、視界が涙で滲む。

「うん、粗方落ちたと思う」

赤く染まったタオルは勿論だけど、洋服の襟も赤くなっていたからごみ箱行き決定。寝間着もきっともう駄目だろう。もしかしたらシーツや枕、布団にだって付いているかもしれない。

「それ、捨ててくるからかして」

そう言うと、トウコは止めていた蛇口を捻って"まだ落ちるから使えるわよ"と言った。

「そんな簡単に落ちるもんなの?」

「フッ…、女は毎月溢れ出る血と格闘してるんだから!」

ドヤ顔で宣言したトウコだが、果たしてそういう問題なのだろうか…乾いていない血だったら割と綺麗に落ちてくれるらしいが、既に乾燥したものは後が残るのだとか。血痕は消えないって、刑事ドラマとかでも言うしなぁ。床に落ちた水をティッシュで拭き取っていると、ふとあの少女を思い出した。

そうだ、黒の彼女は俺に何て呟いた…?背筋を何か冷たいものが駆け抜けた。