トウコちゃんのお兄ちゃん格好いいよね。同級生から心底羨ましそうにそう言われるたびに、そうでしょ、自慢のお兄ちゃんなの!と私は鼻高々に返してきたけれど、本心ではそんなことあまり思ってなかった。なんというか、お兄ちゃんは少しだけ可笑しい気がするのだ。ふとした瞬間に見せる、あの凍えたような瞳が、私は怖くてたまらない。柔らかく笑みを形どる口角に安心しても、ふと目をやればまったく違った色を見せていたりするあの瞳が。

それを見てしまったら、私はまるで捕食される前の哀れな小動物みたいに体の芯から冷え切ってしまって、どうしようも無くなってしまうのだ。でもお兄ちゃんは私に対してどこまでも優しくて、そんな風に怯えてしまう自分がすごく申し訳なくなる。

なんでだろう。今日も、頭が悪くて理解の遅い私に怒ったりせずに、どこまでも丁寧に優しく勉強を教えてくれるお兄ちゃんにちらりと目を向けた。教科書の図にシャーペンの先をとんとんと軽く当てながら説明をしているお兄ちゃんは、私なんかと兄妹だとは思えない位に全てが整っていて、いっそ恐ろしいくらいだった。伏せられた大きな目を縁取る長い睫毛が瞬きと同時にしぱしぱと揺れるのを見つめながらぼーっとしてしまっていた私は、お兄ちゃんが説明を中断して小さくため息を吐いたのに気付かなかった。

「こら」

「あいたっ!」

コツン、と後頭部に衝撃が与えられて、驚いた私は大袈裟に声を上げた。ハッとしてお兄ちゃんを見れば、呆れたような顔をして私を見つめてる。

「ご、ごめん…!ちょっとぼーっとしてたの」

「はぁ。もう一回説明するから、次はしっかり聞けよ。もっと真剣に勉強しなくちゃ、追いつけるもんも追いつけなくなるだろ」

そう言って暫くくどくどと説教を少しばかりしたお兄ちゃんは、再び教科書の図にシャーペンの先を当てながら説明を始める。柔らかな猫っ毛の髪が、扇風機の風に煽られてフワフワと揺れた。


「…ねぇお兄ちゃん」

「ん?」

勉強が終わってからの休憩時間、二人でアイスを食べながらソファーに座ってテレビを見ているとき、ふと気になることを思い出した私は隣にいるお兄ちゃんに声をかけた。

「そういえば、ベルさんとはどうなったの?」

「ああ、ベルか、 」

別れたよ。あっさりとそう告げられ、驚きのあまり私は食べ終わったアイスの棒を咥えて弄んでいたのに、ぽろりと落としてしまった。思わずお兄ちゃんの横顔をマジマジと上から下まで睨めつけた。なんでもないことのようにそう言うお兄ちゃんだけど、私にとってはそれだけとてつもなく大きな衝撃だったのだ。ベルさんはキラキラした金色の短髪のお姉さんで、うちの近所に住む…つまり幼馴染だ。優しくてほんわかとした雰囲気の彼女は一緒にいてとても和むし、癒される。だから、私はもしお兄ちゃんが結婚して義姉さんが出来るなら、絶対にベルさんがいいと思っていた、のに。

「信じられない…」

私は何故だか昔から彼氏というものが出来たことがない。好きな人といい雰囲気になれた!と思って喜んでいても、不可解なことに何故か翌日には相手がよそよそしくなっていたりするのだ。
だからこそ、兄とベルさんという理想の恋人同士のような二人が、とっても輝いて見えていたのに。あんなに、仲が良さそうで、

「お似合いだったのに、…」

そう言ってからふとお兄ちゃんの目を見ると、まただ。またあの目だ。薄暗い、冷たい目。思わずビクリと体が強張り、怯んでしまった。

「あ…、ごめん…。お兄ちゃんも、別れたくて別れたわけじゃないだろうに…」

そうだ。別れた、という言葉はお兄ちゃんが振った、ということにはならない。もしかしたらお兄ちゃんが振られてしまったのかもしれないのに、私は軽率に文句を言い過ぎた。もしお兄ちゃんの傷を抉ってしまったのだとしたら、それはとてもいけないことだ。しかし、ぐらりと目まぐるしく変わった視界に惚けているうちに、私はお兄ちゃんに押し倒されていた。

白い天井と、お兄ちゃん。押さえ付けられた手首にぎりぎりと加わる力が痛くて、顔を歪めてしまう。相変わらず凍えたような瞳が怖くて、加わる力が怖くて、私はまったく動けなかった。ただ機械的にぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、お兄ちゃんを見つめるだけ。

「…お似合い、か。トウコはとても、純粋なんだね」

そんなに、俺たち愛し合ってるように見えた?

そう問いかけるお兄ちゃんに、私は暫くただ馬鹿みたいに口を開けて微動だに出来なかった。なんでそんなに傷付いたような顔をするんだろう。

「トウヤ?お兄ちゃ、ん、ごめんって…」


「なんで?謝らなくていいよ。ベルはさ、なんていうかお前の代わりだったんだよ」

淡々と明かされていく事実は、まだ恋愛に夢を見る私が受け入れるにはあまりにも残酷だった。ベルさんは、私の、代わり、で。それを承知で付き合い始めたのに、彼女はそれに耐えられなくなった。お願いだからやっぱり私を見て欲しい、そう涙ながらに告げた彼女を、お兄ちゃんは、振ったのだという。

「トウコ、ごめん」

やっぱりお前じゃないと駄目みたい。そう言って私の唇に優しいキスを落とした切ない表情のお兄ちゃんを黙って受け入れた私は、ただひたすら目をつむって息を詰めながら現実逃避を始めていた。心臓がバクバクとうるさい。


絶えず生きる為に呼吸するあたしの口唇をあなたは愛してると云って塞ぐの/title 吐く声

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