霞んだ桜のその向こう


持ち物揃えた、集合場所確認した……よし、出発。ドキドキするなあ。壁のカレンダーをチラッと見た。「入庁式!」って赤い字。透さんの嫌いな色をした字で、今日の欄に書いてある。玄関に出て鍵をかけても、ママやお手伝いさんたちの「いってらっしゃい愛理」「お嬢様、お気を付けてどうぞ」って声はしてこない。ここは梅濤の家じゃなくて、一人暮らししてる家だから。玄関先を出た私の頬っぺたを掠めて、遅咲きの桜の花びらが飛んでいった。



あのハロウィンの夜、公安警察になるんだって決めた日からもう5年。私はこの春東都大法学部を卒業して、佐藤さんとは違う形だけど警察官――警察庁スペシャリスト候補警察官に採用された。今日はこれから入庁式なんだ。

本当に、いろんな、いろんなことがあったなあ。駅まで歩きながら、ラッシュ時間帯の賑やかな中に紛れて思い出してみる。

「東都大学文科一類、合格しましたっ!」
「Congratulation!」

工藤邸で沖矢さんたちに教わりながら勉強を頑張って、東都大に合格した日。パパのお墓とママの枕元で報告してから、学校に結果を伝えるより先に「合格」って表示されてるスマホの画面を見せながら報告したら、ジョディ先生が指笛を鳴らしてお祝いしてくれた。キャメルさんも沖矢さんもジェイムズさんも拍手しながら「よく頑張りましたね、アイリさん」「本当に素晴らしいニュースをありがとうございます」「我々も誇りに思うよ」って言ってくれて、本当に嬉しかった。ビザの関係でジョディ先生たちはもう帰国しちゃったし、沖矢さんも留学するとかでイギリスに行っちゃったけどもちろん見送りに行ったし、時々今でもビデオ通話で連絡は取ってる。もしかしたら、ジョディ先生達とはいつか合同捜査とかでまた会えるかもしれない。そうなったら良いな。

東都大に入ってからは、警察庁を目指していろんなことの下準備を一生懸命した。2年生まではキャンパスが狛場にあるし梅濤の家の方が近かったから実家で過ごしたけど、3年生になって元郷キャンパスに行くようになってからは、近くに買ったマンションで一人暮らしを始めた。規則正しい厳しい生活を送れるように起きる時間も寝る時間も絶対守って、体力作りのためのランニングや、合気道は初段まで昇段したから止めて、将来術科で有利になるために柔道を始めた。将来に備えてあえてお手伝いさんは家から連れて来ないで家事をマスターして、健康管理のための自炊もして、シケタイ(東都大では「試験対策委員会」をこう呼んでて、授業のノートをしっかり取ってシケプリっていうのを作って試験や、ゆくゆくの進振りに備えるの)のこともしっかりやって、官僚志望の学生が集まる勉強会に入って公務員試験の勉強会や情報交換……もちろん間を縫ってママのお見舞いと、パパや文乃や睦美や卯芽華のお墓参りに、生まれて来られなかった弟か妹の水子供養も。あと、大学でできた友達や、火傷がなんとか治ったカンナとたまにケーキバイキングに行くとか、サークルでお琴を弾いたりお茶を点てたりとかみたいなちょっぴりの息抜き。その繰り返しで大学の4年間なんてあっという間に過ぎちゃった。

大学生になったっていっても、彼氏を作るとかSNSに写真をバンバン上げるとかみたいなことは笑っちゃうくらいしなかった。SNSのアカウントは警察官になったら削除させられるって聞いたから、最初から作る気が無かったせい。彼氏を作ってるヒマなんて無かったし、何人かから告白されはしてもみんな断った。やっぱり私の心にはまだ透さんがいる。あんなことされたのに、って思っても。その他に大学生らしいことっていっても、せいぜい塾講師のアルバイトをしたりお化粧するようになったり、あと(もちろん20歳になってから)テストの打ち上げにお酒を飲んだり卒業式で袴を履いたりしたくらいかな。喫茶店のアルバイトにも興味はあったけど、透さんを思い出して辛いから、結局しなかった。

採用試験はほんとにハードだった。筆記試験に官庁訪問に……中でも初日の原課面接で当たった警備局公安課のカザミさんっていう係長は厳しくて、色々突っ込んで訊かれたっけ。「東都大イコール総合職になるものという図式がほとんど成り立っているというのに何故、君は総合職ではなくスペシャリスト警察官を目指す? それは総合職になれないからという自信の無さからの逃げじゃないのか」って。(そういえばあのとき二度見されたんだけどどうしてかな?)。「逃げじゃないんです、公安部であり続けたいから、ひとつを極められるこの道を行きたいんです」ってつっかえながらも話した……はずだけど、実は緊張で思い出せない。勉強会で先輩から聞いた通り、官庁訪問で待合室にいる間は、東都大と京都大の学生だけはお菓子とジュース食べ放題のお部屋に案内された。だけど、案内役の職員さんに「荷物を持ってこちらへお越し下さい」って言われたらつまりもう不合格っていうのも聞いたから、言われるんじゃないかなってドキドキしてばっかりいた。警察庁は人気だしダメかもって弱気になってたから、人事課から内定を知らされる電話を切ったあとは思わず腰が抜けちゃった。

そうだ、パパのお墓にそのことを報告した帰り際にはものすごく嬉しいことがもう一つ起きた。ママの意識がついに戻ったんだ。

「ママ?私のこと、わかる?」
「もちろんよ。本当にごめんね愛理……心配かけたわね」
「よかったぁ! よかった……ぁ……! ……ぐすっ、ひっく、ママが生きてて良かったあ」
「ママがあんな爆発ごときで愛理を置いて逝くものですか」

久しぶりに聞いたって忘れないママの声。病室が個室で良かった。でもそれ以上に、たった一人の家族を、テロの被害に遭いこそしたけど喪わずに済んで良かったって、ママと抱き合いながら大泣きした(一緒に来てた運転手さんや秘書さんはその間外してくれた)。まだ当分治療やリハビリが必要だけど、ね。

これまでにあったことを話すには、面会時間が何時間あっても足りなかった。「退院したらワイン飲みましょう。愛理が生まれた年にパパが買ってくれたワインがあるの」「成人式の晴れ姿とっても見たかったわ。予定通りの着物にしたの? 卒業式までには絶対に退院してみせるから、次は袴ね」とか、嬉しそうに話すのを聞いた後に、悲しい話もしなくちゃいけなかった。テロで親友やクラスメイトを奪われたり傷つけられたりしたこと。そんな事件を二度と起こさせないために準キャリア警察官になるって決めて、東都大に入るとか色々な努力を重ねてきたこと。そして念願が今日叶って、その第一歩を来年から踏み出すことも……ママは「そんな!文乃ちゃんと睦美ちゃんがどうしてそんな目に」って悲しんだり、私が予想もしてなかった大学や仕事を選んだことにすごく驚いたりしてた。仕事のこと、透さんみたく猛反対するかなって思ってたら「どうか危ない目に遭わないようにね……そういうお仕事を選んだ相手に言うことじゃないのは、解ってるのよ。でも」って。

あと、応援してくれたからちゃんと言っておかなきゃって。透さんとケンカして、しかも犯罪みたいなことまでしてた人だって判って、今はもう連絡も取れなくなってることも。だけどママは。

「安室さんを信じなさい。愛理も警察官になったんだから、いつか逢えるかもしれないわ」
「ど、どういうこと?あんな、私を置いて行ったひと……『逢える』って『捕まえる』の間違いでしょ」
「いいえ。それにね、いつか愛した人を悪く言うことは、愛理、いつかその人を愛した貴女自身をも貶めることになるのよ。どんなにお相手が嫌なひとだったとしても、その人を愛して今の愛理がいるでしょう?そういうことを言うのはどうかと思うわ」
「うーん……」

あと、こんなことも話してた。

「目が覚める前は、暗いところをもうずーっと永遠に彷徨ってるみたいな感じだったの。でも、意識が戻る直前にね……颯太郎さんが。パパに逢ったの。一緒に連れていってって言いたかったし、逢いたかったってもちろん言いたかったのに、何も言えなくて。日出子さんはゆっくりおいで、逢いたいけど急かさないから、って笑って手を振られて……そこで、目が覚めたの」

それを聞いて羨ましくなった。ママみたく……私も、透さんに逢えたら。生きてるの?どこにいるの?電話もつながらなかったし、Rineも削除しちゃったみたいで。どこで何してるのかなあ。警察官になったからには「逢える」ってママは言うけど。

”間もなく霞ヶ関、霞ヶ関です。百代田線、日比山線はお乗り換えです……”

いけない、そろそろ着く。文庫本を閉じて鞄にしまう。ホームに滑り込んだ電車が完全に止まって車両のドアが開いて、多分周りの省庁に勤めてるスーツ姿の人たちが次々電車を降りていく。ドラマなんかでよく見てた光景の中に自分もいるなんてちょっとまだ信じられないけど、パンツスーツを着た私も人の流れに飲み込まれる形で降り立ってコンコースを歩いてく。

その間、ちらっと眼をやったゴミ箱は透明だった――あの、地下鉄テロのせいで。この駅も大惨事が起きた場所。何かの団体が、殺傷能力がすごく高いウイルスを培養しておいて、そのアンプルを車内で壊して撒き散らした。パパや友達を奪ったテロとは違う形だけど、そのせいでたくさんの人が苦しんで、傷ついて、泣いた。実行した組織の、死刑判決を受けた幹部全員に刑が執行された今だって、被害を受けた人やその家族や友達や恋人が、後遺症だとかの終わらない苦しみや悲しみを抱えて生きてることに変わりはない。ただ発生現場にたまたま居合わせた、それだけなのに。

私はそういうことをこの国で二度と許さない、起こさせない。そのせいで泣く人を一人でも減らすの。そのための仕事をして生きていくんだから。どんなに辛くても、佐藤さんも言ってたみたいに、立ち止まりはするかもしれないけど、挫けなんかしない。

「よしっ」

小声で気合を入れて、警察庁の入る中央合同庁舎2号館に直結してるA3a出口の階段を上り始めた。



そんなこんなで辿り着いて、「6機あるエレベーターのうち、乗り降り口に青いポールが出ているエレベーターは長官と次長専用。これが出ているときはそのどちらか少なくとも一人がいるときなんですよ」とかのレクを受けながら、人事課の人に引率されて入庁式会場の地下1階にある講堂に入った。壇の上には国旗と警察旗が掲げられてて、横には綺麗な生花が生けられてる。席に着いて始まるのを待ってたら、静まり返った会場の中にアナウンスが入った。「……入庁式の開始前に、式次第に変更が生じましたのでご案内申し上げます。警備局長祝辞を申し述べるところではございましたが、公務の都合により警備企画課長が代行いたします……」って。

長官と次長が入場して、いよいよ辞令交付が始まった。入庁者は一人一人名前を呼ばれたら壇上に上がって、長官から辞令を受け取る。

「跡良愛理」
「はいっ!」

私の番が来て、前に進み出て敬礼を交わしてから、長官が内容を読み上げた。

「右、警察庁巡査部長に任ず。関東管区警察局警察学校への入校を命ず」
「報告いたします!本職こと跡良愛理は、本日付をもちまして警察庁巡査部長を拝命いたしましたとともに、関東管区警察局警察学校への入校を命ぜられました!」

私は、これで警察庁警察官になった。キャリアとノンキャリアの丁度中間の準キャリアっていう扱いで、総合職以上に現場に出て、ノンキャリア以上に中央で事務に関わる。そんな立ち位置。それから、準キャリアはキャリアみたく府内市にある大学校じゃなくて、豆平市にある関東管区警察局の警察学校で教養を受けるの。

そのまま「服務の宣誓」を終えた直後だった。もう人の出入りが終わったはずなのに、誰かが遅れて会場に入って来たみたい。

金髪で、日に焼けた感じの肌……え?待って、どこかで見たことあるような気がするんだけど。まさかね。

「入庁者起立!敬礼!」

――そのまさかだった。ねえ、どういうこと。思わず敬礼から直るタイミングが遅れちゃった。来賓の多分エラそうなおじさんが睨んできたけどだって、だって……!

「ただいまご紹介にあずかりました、警察庁警備局警備企画課長を務めております降谷零です。僭越ながら祝辞を述べさせていただきます。警察庁入庁、誠におめでとう。この国の平和の実現のため、人々の安心安全のため身を捧げんとの志を強く抱きこの警察庁の門を叩いた諸君らを、職員一同心から歓迎する」

“フルヤさん”は、まず国旗と警察旗と、その次に私たちの方に向かって見とれるほど綺麗で深い一礼をした。それから、壇上で私たちの前に向き直ってそう名乗ったけど――声、顔、背格好、どれをとっても紛れもないあの人……透さんだった、から。

なんでなの?誰も答えてはくれないことなのは解ってるけどそう訊かずにはいられない。はてなマークをいくつ浮かべたって足りない。どうして透さんがここにいて「フルヤレイ」なんて、あのハロウィンの夜に風に乗って飛んできた婚姻届とおんなじ名前名乗ってるの?安室透っていう名前の探偵見習いでポアロの店員さん、に見せかけた怪しいことしてる人だったんじゃないの?しかも警備局警備企画課長って。

つまりそれってもしかしなくても、元彼(?)が上司になるかもってこと……!!!?

透さん――もとい降谷課長の歓迎の言葉は、呆然とする私の頭の中を素通りしていくだけだった。



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