蜜月に差す翳り〜破綻 そしてハロウィンの夜


ハロウィンの夜、久しぶりに行き会った蘭との会話が思い出されてくる。部屋の窓から見上げるきんいろをした満月を、あの人の髪の色を思い浮かべて見上げながら。

「愛理ちゃん、その……大丈夫かなってずっと気にしてたの」
「ありがとね。実はスマホ、落っことして壊しちゃってて」

愛理の学校の生徒を見舞った悲劇は、当然大ニュースになった。蘭はそのことやしばらく連絡が付かなかったことも心配してくれているのだろう。愛理はその気遣いが嬉しくて、しばらく他愛ないお喋りに興じた。そういえば、ここ最近は沖矢やジョディや阿笠といった年上、あるいは少年探偵団のような年下と話すことは増えても、同級生たちがあんな目に遭ったので同年代と楽しく話すのは実は久しぶりだ。なんでも蘭によれば、園子が恋人の武者修行を支えるための進路を考えるようになったとか、真純はアメリカに帰り向こうの大学に入ってゆくゆくはFBIを目指すつもりらしいとか、工藤新一がどうしたこうした、とか……そんな話題のあと、恋バナが好きな蘭は何の気なしに切り出してきた。

「安室さんとは最近どう?」
「……ぼちぼちって感じ、かな」
「そっか!良かった」

しかし。そこで喜んだ蘭が続けた一言は、愛理にとってはとても衝撃的なものだった。

「愛理ちゃんもそうだったけど、連絡付かなくなったっていえば安室さんもそうなのよね。しばらく続いてたからどうしたのかと思ったんだけど、梓さんに訊いたらポアロ辞めたって」
「!?」
「今でも正直まだ実感湧いてなくて。ずっといるのが当たり前みたいになってたし。お父さんなんか今でも時々『安室君はどうした?』とか言って……愛理ちゃん?どうしたの」

透さんが、ポアロを辞めた?愛理はその場に立ちすくんでしまった。久しく彼の名を呼んでいなかったせいか、心の中でその名前を思い浮かべても舌がなかなかうまく回らなかった。蘭は当然愛理も知っているものと思ったのだろう、反応に意外そうな顔をしていた。けれど「それじゃ」と愛理はそこで話を切り上げて、足早にその場を去った。頑張って笑おうとした顔が変に見えていませんように、と願って。

ひとしきり走った後、愛理は息を整えがてら歩いて駅まで行き、電車に乗って渋谷駅で降りた。帰宅の途中で目に飛び込んでくるのは、(愛理は工藤邸を訪ねていたので見ていないが)この間火災があったとかいう黒焦げの廃ビルや、数年前にガス漏れ騒ぎの起こったらしい雑居ビル。あと、コウモリ、カボチャ、お化け、お菓子、それから「トリックオアトリート!」のデコレーション。MIYASHITA PARK、ヒカリエ、マークシティ、道玄坂、どこへ目を向けてもそうだ。季節はどんどん過ぎてゆくものとはいえ、もう10月最後の日が来たなんて信じられない。跡良邸は渋谷にほど近い梅濤にある分、それらを嫌でも目にする機会が多いのだ。



……やっぱり、だめかあ。愛理がスマホの画面に向かって吐いた微かな溜息は、それをタップするより前に夜風にさらわれ、上空を飛んで行ったヘリにかき消された。きっとマスコミの取材だろう。

それはさておき、秘書を保護者代理として新しいスマホを契約し、バックアップデータの取り込みが終わるが早いか、愛理は透の番号に何度かかけていた。だが、彼女が一番聞きたかった彼の声はしない。「現在電波の通じないところにいます」という無機質なアナウンスが、ただただ耳障りだった。ダメ元とは知りつつ、今もう一度試したけれどやはり結果は変わらない。おまけにそのときは、月夜を横切って飛んで行ったヘリのモーター音まで割り込んできて。透さんの声が聞きたくて電話したんだからそんなもの流れてこないでよ。そんな音声にさえ八つ当たりしていまいたくなる。Rineも同じようなもので、透のIDのトーク画面を開こうとしても「このアカウントは現在使われておりません」と表示が出るだけ。彼のいた痕跡を辿ることすら、もうできないのだろうか。

「逢いたいよ、透さん。お話がしたいの。いろんなこと、聞きたい……元気、ですか?いつポアロを辞めたの?どうして私の夢のこと反対したの?どこで、どうしているの?あの格好をしてたのは何のため……?今でも私のこと、好きでいてくれますか?」

応えてくれるひとはいないって、解ってるのにな。愛理は苦笑いした。だけど、心の中に留めておいたら気持ちがパンクしてしちゃいそうだもん……誰にするでもない言い訳をした、そのときだ。

「あ、っ!!!」

跡良邸からも見える渋谷ヒカリエ。その高層階か屋上か、ともかくとんでもなく高いところから誰かが飛び降りる決定的瞬間を見てしまった愛理は息をのんだ――しかもそのシルエットは、透にとても良く似ていた、ような。

いつしか渋谷の10月最後の夜は、仮装をした人々であふれかえるようになって久しい。しかし率直に言えば、愛理は渋谷のハロウィンパーティーが嫌いだ。いろいろな意味で近づきたくはない「別世界」だから。あの夜の、特にスクランブル交差点界隈は――跡良邸は、ハロウィンパーティーのため通行止めになるエリアから歩いて10分ほどの梅濤にある。だがそれでも、パーティーのあとに流れてくる人のせいで明け方までどんちゃん騒ぎが聞こえるのは当たり前で(近づきたくもないのでニュースなどでしか知らないが)喧嘩沙汰も多いようだ。あくる日の家の周りの歩道は飛ばされてきたゴミ(例えば悪魔のツノの付いたちゃちなカチューシャとか、タバコの吸い殻とか)だらけになっていて、使用人たちが半ば諦め顔で掃除をするのが常だった。ある年など、明らかに塀の外から誰かに放り投げられたゴミまで落ちていることもあって、せっかく庭師が丹精した植物が台無しにされてしまい、母がとても憤慨していたこともあった。また別の年には、酔っぱらったのか車道にフラフラと出て来た挙句寝転がった、いわゆるミニスカポリスのコスプレをした女性を、家の運転手が愛理を乗せているときにあやうく轢きそうになったこともあった。友人たちともハロウィンパーティーはしていたけれど、跡良邸は止めようということになっていた。何か騒ぎに巻き込まれたら大変だ、ということで――しかし、安全なはずの家にいるだけであんな衝撃的なシーンを見てしまうなんて思ってもみなかった。

変、なの。ヘリコプターに今飛び移った人が、あの人――透さん――に見えるなんて。私、勉強のしすぎとか、それとも透さんが恋しすぎてホントにおかしくなっちゃった?

「急いで渋……から離れ……!」

ふと聞こえて来たアナウンス。さっきのことだけじゃなくて何かあったんだ、と愛理はドキッとした。今彼女がいるのは、跡良邸でも奥まった地点。だというのに、サイレンの音や人々の走る足音がここまで聞こえるなんて、よほど表通りは騒がしいく、とんでもないことが起きているに違いない。人が集まりすぎたせいでの騒ぎとはまた違う、尋常ではない事件が。

そこへ。ハラリ、と愛理の足元に落ちて来た紙切れ、いや封筒に愛理は注意を惹き付けられた。またゴミが入り込んできたのかなあ、と思いかけたが、それはよくよく見てみれば。

「『愛理さんへ』って……これ、透さんの字!?」

どうやって、どこから?はてなマークを浮かべつつも、急いでそれを開封する愛理は知らないままだった。先ほど跡良邸の上空を飛んで行ったヘリのパイロットが、現在の渋谷近辺の気流や風速、これまでに跡良邸を訪れた際に記憶した部屋の位置をもとに、必ず愛理の部屋のそばに着地することを計算して、指紋はもちろん消印だとかの証拠が残らない方法でその封筒を「配達」したこと。そして、そのヘリがビルに衝突して制御機能を失い、墜落したことも――。


愛理さんへ

どうか待っていてほしい、何年経ってもいつか愛理さんのもとへ戻るから。僕からの願い事はひとつだけだ。
愛理さんが20歳になるまでに跡良先生が回復されたら、保護者の承諾欄を記入して、できる限り早く提出してほしい。もし愛理さんが成人したら、その日のうちにでも提出してほしい。お願いだ。愛しているよ。


そんな差出人の判らない走り書きと思われる手紙とともに、婚姻届が……でも。困惑した愛理は、紙を見やっては目を何度もこすった。それでも「夫となる人」の欄には「安室透」ではなく「降谷零」と書かれている事実は変わらない。一体、どこの誰?よみがな欄を見るに「ふるやれい」と読むようだけれど……聞いたこともない人の名前が、どうして透の字で書いてあるのだろう。キッドと透が夢に出てきた時、愛理は夢の中の自分が彼のことを何故か「レイ」と呼んでいた記憶はある。でも、あれは現実ではないのに。

――ともあれ。決めた。やっぱり私は警察官になるんだ。テロを防ぐためっていうのもある……だけど、透さんをいつか探し出して、あんなことしてた理由を聞きだすの……それにプロポーズの言葉を直接、ちゃんと聞く。嫌だもの、紙一枚のこんなのじゃあ……愛理は婚姻届と恋人からの手紙を、そっと胸に当てて誓った。

だから、そんな「大事件」の前では想像もできないことがある。爆弾魔との激闘から生還して部下への指示を出し終えた後、SHIBUYA SKYの屋上に退避した恋人が愛理の無事を祈りながら跡良邸の方角を見ていたことと、巨大なサッカーボールのようなものがスクランブル交差点で膨らみ、ピンク色と水色をした液体をせき止めたということも。



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