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……夜空に浮かぶあの影は、鳥?ううん、違う。

愛理は縁側に座って夜空を見上げていた折、満月を横切って飛ぶ何かにふと目を奪われた。でも鳥にしたら妙に大きい気がするし、そもそもこんな時間に飛ぶもの?それとも、鳥じゃないなら小さな飛行機?もしかしたら、スーパーマン?

だけどこれも不正解だった。何故って?静かに徐々に近づいて来るにつれ“それ”ではなく“彼”――人、それも男性だと判ったからだ。

しかも。

「こっち来てる?」

“彼”は、愛理がその影を認めたとほぼ同時に高度をどんどん下げ始めているではないか。そして、距離からして聞こえていたはずはないけれど、愛理が口にした疑問に行動でもって答えを示しているかのように、彼女のもとへと徐々に近づきつつあり……。

そしてややあって、音も無く、跡良邸の庭に着地したのだ。

この闖入者に愛理の目は一瞬ですっかり奪われてしまっていた。だって彼は翼(正確に言えばハンググライダーだったけれど)を、まるで魔術のように一瞬で畳んで。それに月下に降り立ったその出で立ちときたら、現代日本にまさかいるはずのない怪盗紳士のそれだったのだから。シルクハットにマントにタキシードも靴も、全部同じ白一色。片眼鏡を掛けていて表情はよく見えない。

「どなた、ですか」

夢のような、そうでないような。愛理はいきなり現れた男性と二人きり、という今の状況が頭の片隅に浮かんできて、ほんの少し身構えながら問うた。怪しいから警戒しなくてはいけないような、でもずっと見ていたいような、そんな気持ちの間で揺れながら。

「銀の満月昇る宵、翼を休めに舞い降りし……」

ちょうど彼は、声を張り上げなくても互いの声が聞こえるくらいまで近づいていたところだった。しかしそこで一旦言葉を切って立ち止まり、優雅な物腰でこう述べたのだ。

「奇術師、ですよ。人呼んで怪盗キッドとも……夜のさ中にレディの目の前に突然姿を現しましたる無礼、平に御容赦のほどを」

名乗ったあと、白いマントを夜風にはためかせつつ、芝居がかった口上を述べ一礼してみせる自称・奇術師――もとい怪盗キッド。彼の出で立ちも相まって、愛理は何だか本当に芝居を見ているかのような気分になって来た。怪盗キッド。もちろんあれだけ騒がれているのだから、その名前を聞いたことくらいは当然あるけれど、こんなに間近で接することになるなんて。

「どうしてここへ?何か盗むつもりなんですか?うちにはもう、美術品や宝石なんて何にも無いのに……」
「いえいえ、盗むのではなく」

そう答えつつ奇術師は、何やら左右の手をひょいひょいと動かしたあと拳を作った。それから、これまた優雅な仕草で愛理の前に跪き、拳をそっと彼女の目の前で開いて見せる。途端にその掌の上に、月の光とも違う眩い輝きが姿を現した。

「今宵はお返しに馳せ参じました次第。奪われし貴女の家の太陽をどうぞお納めください、レディ」
「こ、これって……!」
「そう。無垢なる色の陰に、業火の炎の色潜む【変幻の黎明(ライジングサン)】。貴女から奪った持ち主は、太陽が昇り朝が訪れたことにより、夜という時間に終焉をもたらすようだとの発想から【闇夜への鎮魂歌(レクイエム)】などと勝手に呼び名を変えましたが……元を辿ればこの跡良家の家宝。そうでしょう?」

確かにそれはキッドの言う通り、跡良家に伝わっていた宝石だ。一見透明なジュエルのようだが、ある角度から見れば透明の中に赤が、また別の角度から見れば白が見えるところから【変幻の黎明(ライジングサン)】と名付けられた。だが「既に零落したこの家には不相応だ」などといって、親戚の親戚だかが上手いこと掠め取っていったもの。母の気落ちぶりといったら、それはもう見ていられないほどだった。

キッドが受け取るのを促すかのように少し手を近づけてきたので、愛理が彼の掌の上から持ち上げればずっしりと重い。月光に照らされた黎明は、正当な持ち主のもとへ帰って来たからなのかいっそう輝きを増したようにも見える。愛理はただただ感激して涙目になりながら、しばしジュエルを見つめた。そして、泥棒に感謝をするなんてなんだかあべこべだとも思ったけれど、お礼の言葉を言わなくては、と思い立ちキッドの方へ向いた。

「夢みたいです……!もう帰ってこない、取り戻せないって、ずっと思っていたんです。なんて綺麗、母もどんなに喜ぶか。本当に、ありがとうございます」
「……」

だがその時、キッドは聞くでもなしに愛理の言葉を聞きながら、内心こんなことを考えていたのだ。

――近付いてみて判ったが……ジュエルに負けないくらい、輝いているとはねえ。

つまり、宝石に見とれる目の前の愛理に見とれていたわけだ……イイよな、盗んじまっても。キッドはそこでとある妙案を思いつき、口元でニィと弧を描いてから口を開いた。

「お喜びいただけたのなら何より、怪盗冥利に尽きます。ところでレディ……宝石をお返ししました“御褒美”をどうか賜りたく」
「ええっ!?」

それまで浮かべていた喜びの表情から一転、愛理は途端に眉根を寄せた。やっぱり泥棒は泥棒だ、引き換えに何か欲しいって言い出すつもりなの、と訝ったのだ。

「やっぱり何か盗む気なんですか?盗むようなものなんて何も無いってさっき言いましたよねっ」
「これはまた御冗談を……ここにあるでしょう?こんなにも魅力的な貴女の唇というお宝がね」
「ちょ、ちょっと!」

キッドはそう囁くが早いか、宝石を差し出す際に取っていた跪いたままの体勢から素早く立ち上がる。そして今度は中腰になり、愛理の顔のすぐそばまで顔を近づけた。最後に彼女の顎の下に手を伸べ、クイと上向きに持ち上げ逃げられないようにして。動転した愛理は反応が遅れてしまった。

あとは、このまま――だが怪盗に愛理が唇を盗まれかけた、そのとき。

「おわっ!?」
「きゃあっ!」

結局“犯行”は失敗に終わった。ズガァァン!突如銃声が轟き、夜のしじまを破る。愛理は悲鳴を上げ「ポーカーフェイスを忘れるな」という言葉を信条としているキッドも思わず地が出で素っ頓狂な声を上げてしまった。だが無理もない、彼のすぐ横を掠めて弾丸が飛んで来たのだから。弾はビシッと音を立てて柱にめり込み、破片がパラパラと舞い落ちて夜風に攫われていった。

「怪盗は専門外なんだが……そこまでだ!」
「レイ!?」

愛理は目を見開いた。幼いころから、ボディガードとして跡良家に仕えている彼。「ぼくがかならず愛理さまをおまもりします」と、まだ舌足らずな声で誓ってくれた彼。見慣れた穏やかで優しいいつもの姿とは別人のようだ。怒りの形相を浮かべ、しかも持っていないはずの銃まで携えているなんて。愛理は混乱が収まらないまま、キッドとレイを交互に見遣ることしかできなかった。

「やっべ!」
「おい待て!愛理お嬢様にその汚れた手で触れておいて生きて帰れると思うなよっ!」

こりゃ、早々にズラからねえと命を盗られるじゃねえか!キッドはそんな思いとともに、急いでハンググライダーを拡げた。だがレイは、愛理が止める声がするよりも先に何の躊躇も無くキッドを見据えて引き金を引き――紺青の天空(そら)に、乾いた銃声が響き渡った。






「……って、そういう夢だったの」
「あっはっはっは!ボクの身ぐるみ剥がした奴が夢の中とはいえそんな目に遭ったのかよ良い気味だー!サンキューな安室さん!」
「ああいえ、何があったかは知りませんが、あくまで敵を取ったのは愛理さんの夢の中に出てきた僕ですから」
「跡良ちゃんてばいいなー、私だってキッド様に会ったことはあっても夢に出てきてくれたことないのよ!てかキッド様は?そのあとどうなったの、ねえ!?」
「そこで目が覚めたから、どうなったかはちょっと解んなくて……ごめんね」
「そんなぁー!キッド様どうかご無事で〜!」
「もう園子、京極さんがヤキモチ焼いちゃうよ?」
「キッド様は別腹なの!」

ワイワイ、ワイワイ。女三人寄れば姦しいと言うが、そこにもう1人加わればなおのこと、か……喫茶ポアロのキッチンで、透は女子高生4人組のお喋りを聞くでもなく聞きつつ時折会話に混ざりつつしながら食器を拭いていた。

目の前のカウンター席に並んで腰かけるは、蘭、園子、真純に恋人である愛理。彼女はこれから同じ学校の友人達と修学旅行の自由行動についての話し合いをする予定だが、待ち合わせ時間よりももっと早く着いていた。席を確保する意味もあったけれど、一番のお目当てはやはり透の姿を見ること。彼に頼んで、愛理も含め5人が掛けられるテーブル席に【予約席】の札を出してもらってからカウンター席に座り、二番目のお目当てである透の新作・半熟ケーキを頬張っていたのだ。

そこへ蘭、園子、真純が現れ、もう愛理が座っているし、たまにはいつものテーブル席でなくカウンターにしようということで横並びで同席。同じく半熟ケーキセットを人数分頼み、花の女子高生たちはお喋りに花を咲かせて今に至る……という次第だった。

よく喋るな、と透は改めて内心で感心する。自分も話題は豊富な方だという自負があるが、彼女らも負けていないはず。近況のことに始まり、高校3年に進級したことで進路の話、お次にフサエブランドがどうしたこうした、続いてトロピカルランドの新しいパレードがどうたらと来た。かと思えば、最近学校であったことの話に飛んでいた。

そこで愛理が、イースターエッグづくりの話題を出したのだ。同じキリスト教由来の行事でも、クリスマスに比べてイースターはこの国ではまだまだ馴染みが薄い。せいぜいトロピカルランドで、これをモチーフにしたイベントがほんの何年か前から開かれるようになってきた、という程度でしかない。

一方、愛理が通う聖マドレーヌ女学園はミッションスクール。キリスト教主義を掲げ、しかも主の復活にゆかりのある逸話を持つ聖女を学校の名前に戴くからには、イースターにも救い主の誕生を祝うクリスマスと同じくらい力を入れ、ミサを始め様々な催しがある……といったことは、透も愛理から聞き及んでいた。

その1つが、幼稚園と初等部が合同で行うエッグハント。卵は中等部と高等部の生徒、それから併設の大学の美術学部の学生有志が作ることになっている。愛理も後輩たちの楽しい思い出になればと考え毎年作っていて(ただし絵については画家の娘だと信じてもらえないくらい絶望的に下手なので、絵は描かずにビーズやリボンや造花で飾り付けているけれど)、その中でも一番の自信作の写真を蘭たちに見せた。

蘭も園子も「可愛い!」「お店で出せるわよこれ」だとか口々に絶賛し、真純も「ボクもアメリカでやったなー、エッグハント」と懐かしみ。すると蘭が「園子のとこからインペリアル・イースターエッグが出てきたの思い出すね」と振り返り、それを受けて園子が「あーん、もう一個出てきたらキッド様がまた盗みにきてくれるかもなのにー!」とため息を吐き。更に愛理が「キッドって言ったら、そういえばこの間夢に出て来たの」と言い出すから、園子がどんな夢だったか教えてとせがむのでその夢の話が始まり始まり、と相成り……こうして、愛理は顛末を話すことになったのだ。

「にしても、夢って色々あり得なくって変なことが起きるよなー」
「ホントにね!そもそもうちにその変幻の何とかなんてそんな宝石伝わってないのに」

愛理はアイスカフェオレを啜って続けた。

「それに透さんは透さんじゃない?夢の中の私は透さんのことレイなんて呼んでたけど、どこ由来なのかなあ。トオルとレイとじゃ字数も文字も何一つ合ってないのに不思議。うちのボディガードとかでもないし……何より、透さんが銃なんて持ってるわけないもん。ねっ、透さん」
「うん……もちろん。そんな物騒なものとは一生縁が無いに限るからね。何にせよ、夢の中でも僕が愛理さんを守れたなら良かった」

恋人にウインクをされた愛理はポッと顔を赤らめる。蘭と園子がニヤニヤしながら愛理の方を見た。真純は興味が無いのか、半熟ケーキを大口を開けて放り込んだところだ。

一方、透はカップを元の場所へ戻しつつ、背中に一筋冷や汗が伝うのを感じていた。いくら本当は全国の公安警察官を従え、手足に使っている立場にあるとはいえ、夢の内容まではさしもの彼だってコントロールできるわけがない。落ち着け……ただの夢の話じゃないか。そう言い聞かせて平静を装うように努めるが、思いがけず恋人にまだ明かしていない本名を呼ばれようとは思わなかった。それに「実は昨日、愛理さんの部屋の隣で拳銃の手入れをしたばかりなんだよ」……とはまさか言えない。

隠せ、隠し通すんだ。透は言い聞かせるが、止まった手がなかなか動き出さないままだ。あの怪盗が愛理に(夢の中でとはいえ)迫ろうとしていたことも気に食わないが、彼女が呼んでいた名前といい銃のことといい、どうしてまた正体に迫るような内容なのだろう。

「真純ちゃんは最近何か夢見た?」
「死んだほうの兄が出て来た夢見たよ。正確に言えば姿は見えなくて、どっからかたった一言声が聞こえただけだったんだけど。『届け、遥か彼方へ……』とか何とか言ってたな」

透の手がまた一瞬止まった。目に留まり気になったのか、真純の視線が向けられる気配がする――赤井と同じ色と形をした目が、透を見つめている。ただ、彼は怨敵の妹に目を向けまいとしたので、結局探偵たちが目交いすることは無かったけれど。

「おーい、会計頼むよ」
「はい!ただいま」

真純が化粧室へ立ったのと同時に、他の客の声がした。その方向を見れば伝票をピラピラと振って見せる中年男性がいる。透が手を拭いてレジカウンターの方へと移動しようとすると、背後からこんな声が。

「まあ……園子ちゃんがキッド様キッド様って夢中になるのも、解らないじゃないかなとは思ったけど」
「でしょでしょー!跡良ちゃんてば解ってるぅ」
「だけど、透さんだってシークレットサービスみたいで負けないくらいかっこよかったの。方法は荒っぽかったけど私のこと、守ってくれた。そこは、現実と一緒で嬉しいなって」
「やだーラブラブじゃない、愛理ちゃんと安室さん!」
「ごちそーさまっ」

蘭は目を輝かせて冷やかし、園子は愛理の脇腹を肘で軽くチョンと突き彼女は照れる。そんな光景をチラと見たあと、透は男性客に向き直った。

「お会計は950円になります、ちょうどのお預かりです」
「どうもごちそうさん」
「ありがとうございました、またお越しください」

会計の応対を済ませ、先ほどの客のテーブルの片付けにかかる。背後から聞こえてくる話題はもう別のものになっていて、今度は愛理の学校の修学旅行の話だった。

「うちの修学旅行7月なんだけど、お土産リクエストある?去年貰ったしお返しするね」
「いいの?ありがとう!」

そんな会話をバックに空いたテーブルに近づけば、食器のほかに読み止しの新聞紙が。もう読まないから店で処分してくれ、というつもりだろう。よくあることだ。古新聞は掃除とか、それから食器が割れた時の片付けだとかに何かと重宝するし、あればあるだけ助かるもの。ポアロでもお客さんのために何紙か置いている分別に困っていないが、多いに越したことはないし、要らないということならありがたく再利用させてもらおう。

透は下げてきた食器をキッチンのシンクに移して水を張った。それからバックヤードの古新聞を置いてある一角へ引っ込みながら、手にした紙面に何となく目を落とす。

開かれたまま見えていたのは国際経済面と科学技術面だった。『レオン・ロー氏、ジョンハン・チェン氏、日星合同IoTセキュリティシステムプロジェクトに出資』だとか、色々あるが……『無人探査機【はくちょう】帰還目前 JAXUに訊く火星開発のこれから』という見出しの記事に、自然と視線が吸い寄せられていく。

……【はくちょう】か。透はそれを見ながら思い起こした。今回の無人探査機打ち上げは、日本の宇宙開発機関・JAXUとアメリカの宇宙開発機関・NAZUの日米共同プロジェクトだということ。それから諸々の都合で、どうしても東京サミットとかち合う日にカプセルを着水させざるを得なくなったことも……太平洋側の日本の領海内に着水予定だというが、当日の気候条件次第ではエッジ・オブ・オーシャンのほど近くになる可能性もあるわけだ。当日はサミットの取材に訪れるマスコミや(規制線は張られる予定だけれど)、【はくちょう】カプセルの着水の瞬間をどうにかこうにか見ようとする野次馬などで、辺りは騒がしくなることだろう。

「透さんって、カプセルが落っこちてきても何とかできちゃいそう」

愛理が3月の頭に話していたことが透の頭を過る。僕はサミットのことにかかりきりだからこの火星探査機の件には噛まないが、頼んだぞ警備部……新聞置き場のすぐ上にフックで掛けてある、この間毛利小五郎が持って来た“東京サミットによる交通規制のお知らせ”の回覧板にも目をやりつつ、心の中で呟いたとき。

「愛理お待たせ!来たよー」
「うん、今そっちのテーブル席移るから。じゃあ、私学校の友達来たからそっち行くね」
「オッケー。またね」

ドアベルが鳴り、新たなお客の訪れを告げた。4人分の足音と、愛理が応える声もした。更に続いて、子供の足音が1人分。

「コナン君!こっちよ」
「おっそいわよガキンチョったらー。どこほっつき歩いてたわけ?」
「えへへ、博士のとこでドローンしてたんだー」

さあ、オーダーに応えるため、変装が得意だというあの怪盗にも負けないくらいの100の顔から、お馴染みいつもの喫茶店店員のそれをまた被ろう。透はお冷のグラスを5人分をトレーに載せ、メニューも携えてこれでよしと頷く。今やって来たばかりの、まだほんの子供なのに自分よりも怖い男が、透の方へ向けてくる視線に気が付かないふりをしつつ。そしてまずは「透さんの新作の半熟ケーキ食べてみてよ、すごく美味しいんだから」と、友人に嬉しそうに自慢している愛理たちの着くテーブルへ近づいた。



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