仮装現実注意報


事件にまつわる事柄は、いつ何時どう動くか予測できないものだ。夏に最高気温が人間の平熱を軽く上回ろうが、冬に大雪が積もろうが、そんなこととは関係無く、起こる時は起こるし状況は変わる。目の前の上司がいつか言っていたように「犯罪者はこちらの事情などお構いなし」に、春夏秋冬24時間年中無休で好き勝手をしてくれて予定を大いに狂わせる。

そしてそれは、空気が秋めいてきた10月頭の土曜日の今日だって例外ではなく。

「降谷さん、只今よろしいでしょうか。一昨日別件で【1031】から報告が……」
「ああ、幹部連中を挙げたあとの内部の動きを探っているが難航中と言っていたやつだな。何か動きが?」
「はい」

表通りから少し奥まったところにある、とある古いマンションの前。一見何の変哲もない建物だが、実はある過激派組織のアジトがあった。前々からマークはしていたのだが、ここに投入した協力者から「近く爆発物送付テロ決行予定、それに伴い危険物を運び込んでいる」とのタレコミが入ったことにより、本日警視庁公安部による摘発が行われたのだ。

捜査員らは二手に分かれてことを運んでいる。部屋と公用車とを往復し、押収したものを入れた段ボールを車に積み込んでいく班。手錠をされた過激派組織の構成員達を連行していく班。踏み込んだ際にアジトの中にいた彼らは皆任意同行を拒んだが、公安の十八番である転び公妨で逮捕したのだ。最後の一人は往生際が悪いとみえ、ギャアギャア食って掛かる声が聞こえたが、有無を言わさず車に押し込まれた上両脇を屈強な捜査員に固められ、その姿は見えなくなった。

さて、押収作業はそろそろ終わりそうだ。あとは部下達に任せておくことにして……早く、クエストにかかりたい。REIちゃんとも約束しているし、それからあのアイリという子を少しでも助けていいところを見せたい――公用車が次々と発進していくのを横目で見たあと。目下密かに熱中しているスマホゲームとそのイベント、そして気に掛けているユーザー達のことを思い浮かべつつ、警視庁公安部所属の風見裕也は、上司に当たる警察庁警備局警備企画課所属の降谷零に近づき口を開いた。

【1031】とは風見の協力者の1人で、今回とは別の組織に投入しているが、その動向を前回伝えたのは数か月前だというのにすぐに思い出す記憶力。流石だな、降谷さん……尊敬の念をますます強くしながら、風見は頭の中にインプットしておいた情報をもとに話し始める。これが刑事部だとかなら、手帳にメモしておいた内容を見ながらするところだろう。だが、公安部の場合は機密保持のため捜査情報のメモを原則取らないので、覚えておいた事柄をもとにするわけだ。

「【1031】によりますと……強い求心力を持っている幹部連中をほぼ残らず挙げたため、下部構成員の脱退が相次ぎ急速に瓦解に向かっていると」
「そうか」
「ですが……」

風見は続きを述べながら腕時計をチラリと見やる。件のゲームでは、気が早いことにもう先月の終わりからハロウィンイベントが始まっていた。そして、その開催中にしか手に入らないアイテムを貰える期間限定クエスト第一弾の終了が近いのだが、その報酬には以前手に入れ損ねて悔しかったレアな装備がある……そして、あの子が欲しがっているアイテムと交換できる素材を落とすモンスターが出やすくなってもいる。是非とも時間を取りたいが、この後すぐにでも解散の声がかからないものだろうか。そう心の中で祈りつつも、眼鏡の位置をカチャッと直してから続けた。

「同時に内部分裂も生じており、他勢力との合体を模索する動きも見られるようになりつつある、とも。引き続き注視を要するものと見られます。以上です」
「解った。ありがとう」

溜めがちだった報告書の作成も、ここ最近は割合早くなってきた。協力者の動かし方もコツを掴みつつあるようだし、それにこの淀みない報告ぶり。見違えるようだ。裏の理事官に「見どころがある奴だ」と付けられた当初は、果たしてそうなんだろうか、と首を傾げざるを得ないことも多かったのにな……報告を聞き終えた零は右腕の成長ぶりが嬉しくなり、フッと笑って労いの言葉を掛けた。

「最近公安の仕事ぶりが板に付いてきているようだな。務まるようになってきたじゃないか、風見」
「きょ……恐縮ですっ!これからも精進致します!!」
「はは、頼もしくて何よりだ。その言葉信じてるぞ」

顔を綻ばせたあと、勢いよく最敬礼する年上の部下を励ました零も自分の腕時計を見る。

もう3時を回ったか……愛理を寂しがらせてしまうな。思い描くは恋人のこと。

今日はポアロでの仕事を終えたら、恋人同士になってから初めて、数時間ほどまとまった時間を一緒に過ごせるはずだった。だが、ポアロを出た直後に「この組織を今日一網打尽にするべし、降谷の案件ではないのは承知しているが、本来の担当者が緊急で別件に当たっているのでついては現着次第指揮を執れ」との指令が上から入った。何だって今から、と一瞬思わなかったではないが仕事は仕事、行かなくてはならないとすぐに切り替えた。それもまた使命なのだから。

安室透:本当にごめんね、愛理さん。お客さんから急ぎで打ち合わせがしたいって言われてしまったんだ。何時に終わるかはちょっと判らないけど、終わり次第すぐ帰るから

愛車に乗り込みエンジンをかける直前、Rineでそう伝えておいた。

すると、それをすぐさま読んだらしい愛理は、こんな見送りのメッセージをくれたのだ。

跡良愛理:わかりました!行ってらっしゃい、透さん。気をつけてくださいね

その健気なことこの上ないメッセージといったら!受信したのは車を発進させる寸前のタイミングだったので一読することはできたが、現場へと車を飛ばしながら何度読み返したいと思ったか(とはいえもちろん、道路交通法第七十一条第五号の五に触れる可能性を考えやらなかったが)。

おまけに、この前愛理には「これからは名前で呼んでほしい」と伝えたのだが、彼女はまだどうにも「安室さん」と苗字で呼ぶ癖が抜けきらずにいる。だが、今日は文字とはいえ初めて名前で呼んでくれた。対象を挙げたからには早く帰って、そして今度は文字ではなく愛理が名前を呼んでくれる声を聞きたくなるというもの。取調べの結果だとかは後日上がってくるのを待てば良い。

「それじゃ、今日はここで解散にしよう。明日は公休だったよな。ゆっくり休んでくれ、それも仕事のうちだから」
「ありがとうございます!」

やったぞ!風見は心の中で万歳三唱した。厳しい上司に働きぶりを褒められたばかりか、ゲームを遊ぶ時間まで確保できたのだから。

そんな弾んだ気持ちがそうさせたのだろうか。風見は無意識のうちに、件のゲーム中で最近流行っているが、およそ彼らしからぬ挨拶の言葉を上司に向かって口にしていた。

「それでは降谷さん、ごきげんよう!」
「え……?!あ、ああ、ご苦労だった」

いつもならすかさず「そこは『失礼します』だろ」とでも指摘していたはず。だが、これにはさしもの零も少し面食らって機を逃した。風見、君ってそんなことを言うキャラだったか……? 心の中で呼びかけるが。

「〜♪」

無言の問いかけにもちろん答えが返って来ることはない。零がまだ耳を疑いながら声のしてきた方を見た時、風見は軽い足取りで、鼻唄まで漏らし始めながら愛車であるスカイラインR34型に近づいていて。そしてドアを開けるやすぐさま乗り込み、テキパキとシートベルトを締めている。そんな彼の横顔からは、まさしくウキウキ気分でいる様子が見て取れた。

……まあ、待ち侘びていたはずの自由な時間を迎えた直後なんだ。ああなってもおかしくはないか。零はそう思いかけた。だが、一秒ごとに小さくなっていたスカイラインが、角を曲がってとうとう完全に見えなくなった時。

「『ごきげんよう』……ユーヤ……まさか」

零は風見の挨拶に、とあることを思い出し独り呟いた――まず、潜入先の喫茶店の常連である老婦人から聞いた話。彼女がボケ防止にと始めたゲームの中では最近「ごきげんよう」と挨拶するのが一種の流行になっているということ。それから、この前零の恋人になったばかりの少女の話。彼女もその同じゲームを始めたというが、彼女に色々と教えてくれるというプレイヤーの名は「ユーヤ」……部下にとてもよく似た名前であるということ。

折しも足元に、一足早く紅葉しかけていた葉が何枚かはらりと舞い落ちてくる。零はその中でもいっとう濃い赤色に染まった一枚を思い切り強く踏んでやってから愛車に乗り込むと、すぐさま米花町へ向けて発進した。



数十分後。自宅に帰り着いた風見は、玄関脇にビニール袋をドサリと放る。中身は、道すがらコンビニで買って来たカップラーメン特大サイズやらチョコレート。クエストに集中するための兵糧というわけだ。そのまま部屋に上がって、ベッドに辿り着くまでに片手でネクタイを緩めた。それから、一旦ジャケットを脱ぐために置いておいたカバンからいそいそとスマホを取り出して。

「電波バッチリ、バッテリー満タン。よしっ!」

ベッドに寝転がりながらすぐさまホーム画面のアイコンをタップし、スマホゲーム『怪コレ〜怪物コレクション』にアクセスした。風見はこのゲームでユーヤというハンドルネームを使っていて、REIという名前のユーザーとよく一緒にクエストに出ている。もし彼女がログインできれば、今日もそうする約束を交わしているが……果たしてあの子はログインしているだろうか。

読み込みが終わり、表示されたばかりの【START】のバナーを期待しながらタップする。

【ユーヤさんが入室しました。】

このゲームにおいて、プレイヤーはログインするとまず集会所に入る。自身のアバターが、ゲームの世界の中にある冒険者の集う場所を訪れたという体だ。

侍、銃士、白魔道士。先に入室しているユーザー達の様々なジョブのアバターが動き回っているが、件のユーザーが使うのは竪琴を持った吟遊詩人。そのアバターは……見当たらない、か。探している姿がその中に見つからず、風見は落胆してあれこれ思った。高校2年生だそうだが、今日日は十代も忙しいって話だからな。今頃何をして過ごしているんだろう。やっぱり真面目に勉強か?部活動?何となくだがアルバイトの線は無さそうな気がする。いや、「文化祭の準備で時間取られちゃう前にアイテム欲しくって」って言ってもいたしその関係かもしれない。それともデート、とか……悪い虫が付いていないといいが……。

すると、風見がそこまで考えていた時、お待ちかねの相手が現れた。

【アイリさんが入室しました。】

「来たっ!」

右手にスマホを持ったまま左手を離してガッツポーズをした。そこからすかさず彼女にチャットメッセージを送り話しかける。

ユーヤ:ごきげんよう!アイリさん!
アイリ:ユーヤさん、ごきげんよう(*’ω’*)

アイリのアバターがペコリと礼をしてみせるモーションに、風見は目を細める。REIちゃんとはまた違う意味で、この子も癒しだ――こんな表情、絶対誰にも見せられないよなとも思いつつ。

『怪コレ』は、ゲーム性の高さもさることながら、非常に細かいアバター設定ができる点や、チャットに打ち込んだテキストの内容とアバターの表情の動きがシンクロする点も売りにしている。

前者については、この手のゲームによくあるように髪型はもちろんのこと、瞳の色に目の形や肌の色合いさえ非常に細かく設定できる。他の誰かとゲーム内のジョブこそ同じであっても、キャラメイクで個性を出せるのがウケているわけだ。現実の自分とそっくり同じ顔立ちに設定するもよし、逆に仮想現実だからこそ現実ではできない髪型や肌の色を選ぶもよし。

そして後者については、例えば「嬉しい」と打ち込めば、そのアバターは文字通り嬉しそうな表情を浮かべる。だから喜ぶような顔文字を入れた吟遊詩人のアバターも、ユーヤの挨拶に顔を綻ばせて答えてくれるのだ。

ユーヤ:クエストには慣れたかな?この間欲しがってた菓装は手に入った?マシュマロハープとタルトクラウンだっけ
アイリ:おかげさまでなんとなくわかってはきたんですけど、どっちもまだです〜( ;∀;)私慣れてなくて、クエストに出ても足手まといになっちゃうので、引き換えに必要なレアアイテム全然持ってないから……持ってる人がうらやましいです。でもだからって、最初にこれがいいなって思って決めたジョブなのにすぐ変えちゃうのは、何だかしたくないですし(>_<)
ユーヤ:えーと、アイリちゃん。ジョブチェンジができるようになるのは、始める時に選んだジョブがレベル10になってからってこの前教えなかったっけ。君はこの間レベル2になったばかりだよね、まだまだ頑張らないと……
アイリ:あー!Σ(・□・;)ごめんなさいそうですよね、確かにこの前教えてくださってたのに…
ユーヤ:いやいや、気にしないで。自分も教わったことをうっかり忘れて他の誰かに突っ込まれるなんてよくやるから(笑)
アイリ:ユーヤさんは優しいですね、ありがとうございます♪

「そうだよ、この素直で純粋なところが可愛いったらないんだ」

呟きがブツブツとめどなく零れる。顔がにやけるまま、アイリとの初対面を思い返してチャットを続けていく。

「まだ何も知らない子に色々教えるっていうのが、こう、上手く言えないがとにかくあんなにいいものだなんてなあ。この子が自分の色になるって感じが……」

今人気絶頂の『怪コレ』は、新規登録者が毎日増えていて今月から抽選になっているほど。にもかかわらず、風見が他の数いるユーザーとの交流の前に、こうしてアイリを気に掛ける理由は、彼女を守り教え導いてあげたいから。ただそれ一点に尽きた。

風見も含めほとんどのユーザーは、侍や盗賊など使い勝手が良く、バランスの取れたジョブを選ぶもの。だがアイリの選んだ吟遊詩人は上級者向きとされているのだ。今まで他のスマホゲームをいくつも遊び倒した、いわゆる廃人とも呼ぶべき連中が『怪コレ』を始める時に我こそは使いこなせる、と選ぶ職種だとも聞く。だから風見もアイリがやって来た時は、さぞ腕に覚えがあるに違いない、と謎の緊張感を覚えながら初対面の挨拶を交わした。

が、どうだろう。蓋を開けてみれば弱いなんてレベルじゃない、ゲームのゲの字すら知らなかった。最初アイリは、風見の予想に反してクエストに参加しようとするでもなく、集会所をただウロウロしているだけ。おまけにそのうち、続々ログインしてきた他の高レベルのユーザー達に邪魔だと罵られ出す始末。風見、もといユーヤはその様子をどうにも見かねて間に入ってから、アイリにどうしたのかと訊いてみた。すると、思いもよらない答えが返って来たのだ。

アイリ:ごきげんよう、どこをどう行ったらどっちに行くのかわからないんです(:_;)教えていただけませんか

こいつ、何を言ってるんだ? 初心者に付き合うヒマなんか無いっていうのに。それにスマホゲームじゃそういう挨拶は浮くぞ。風見はそんなことを思ってウンザリした。

だが、自分から接触した以上、すぐに放っておくのが気の毒に思えたのもまた事実。キリの良いところまで相手をしたら、頃合いを見て切り上げるか……そう考えチャットメッセージをやり取りしていたのだが、やがて集会所の行き来すら覚束ないアイリに、次第に庇護欲がかき立てられてしまっていて。

「アイリちゃんも自分(ぼく)が守るんだ……!」

鼻息荒く前言撤回するまでの時間がかからなかったことは、よく覚えている。

ともかくそう誓った風見は、要らなくなったがなんとなく持ったままだった初期装備だとかをアイリに与えてやったり、チュートリアルクエストに連れて行きコツを伝授したりした。

例えば、吟遊詩人は後方支援に特化したジョブで、竪琴の音色でもって味方の疲れを癒すとともに鼓舞し、敵の心を和ませ鎮める……要するに弱体化させる能力を持っている。それをクエスト中にタイミングよく何度も発動させることに成功すると、一クエストにつきどんなモンスターでも一撃で瀕死に追いやるほど強力な音撃を放てる、など。慣れたユーザーであれば誰でも知っていることだが、アイリは一々「すごいです!」だとか反応する。その様子がなんとも初々しく可愛らしいのだ(ちなみにそのあと、ごく簡単なクエストに連れ出して教えたことを実践させてみたが、結局アイリは全て絶妙なタイミングをことごとく外したのだった)。でも何故だろう、不思議と全く腹が立たなかったのは――。

風見は画面右上を見た。ログインしたユーザーの名前がここに表示されるが、まだREIは来ていないようだ。姿を見せたら、アイリもクエストに連れて行っていいか訊こう。REIの性格上おそらく断られはしないだろうが、お伺いは立てておくものだしなあ。頷いてからまたアイリとチャットを続ける。

ユーヤ:そういえばアイリちゃんはゲーム初心者なんだったよね?どうして吟遊詩人を選んだの?このジョブってピーキーな能力で上級者向きって言われてるんだよ、ハマれば強いけどね
アイリ:私はお琴を習ってたので、そのつながりで竪琴を持ってるキャラがいいなあと思ったんです♪ゲームでの性能のことは全然考えてなかったですね(;’∀’)でも、もし探偵ってジョブがあったらそれにしてたかも?
ユーヤ:なるほど。これからREIさんがログイン次第一緒にクエストに出るんだけど、またアイリちゃんもどうかな?今レア素材が出るモンスターの出現率上がってるしね、君の欲しい菓装と交換できるやつもあったはずだから
アイリ:やったー!それにしても REIさんってすごいですよね!レベル高くて三職使い分けてるほどのベテランさんなのに、私みたいな初心者にもすごく優しくて憧れちゃいます♪あっもちろんユーヤさんもですよっ(*’ω’*)
すみません、ちょっとログアウトしますね。ごきげんよう、後ほど。

そう言い残したアイリが、一旦ログアウトしたあと。

「〜〜〜〜っ!」

テキストメッセージを見た風見は、ベッドの上をゴロゴロ転がってしばし悶えた。

そうしている間にも、続々とユーザーがアクセスしてくる。だが面白いことに、皆一様に第一声として「ごきげんよう」と打ち込んできていた。ゲームの集会所が、さながら上品な有閑マダムの集うサロンになっていくようだ。興奮が鎮まり、風見は可笑しくなって思わず小さく吹き出した。

アイリが風見の記憶に残った理由はもう一つ。「ごきげんよう」なんて、今時まず聞かない挨拶を使っているからというのもあった。この前アイリに、何故そう言うのか(チャットに打ち込むといった方が正確だが)、訊ねた時の答えはこうだった――「ごきげんようって、学校でのご挨拶なんです。いつも言い慣れてるのでついこちらでも使ってしまって……言い訳させてもらうと、時代遅れかもしれないけど、とっても便利なご挨拶なんですよ!だって時間に関係なく使えて、おはようございますも、こんにちはも、さようならも、全部これ1つで済んじゃうんですから♪」

言い得て妙だ。しかし言い慣れてる、とはなあ……。

「アバターじゃない君って、どんな子なんだろうな」

届きはしない言葉を投げかけ思い描いてみる。黒髪に切れ長の眼のアイコンだが、現実の彼女もこの通りの顔かたちだろうか。それから勝手なイメージだしこういうゲームなんて縁が無さそうだが、いわゆるお嬢様学校に通っていそうな気がする。習い事にお琴なんていうのも実にそれらしいし、何年か前のドラマでやっていた記憶があるが、そういう学校だと「ごきげんよう」と挨拶するそうだから。

当初アイリがそう言い始めた時、気取った態度が鼻に付くなどと反発するユーザーもいた。だが、そんな彼らも最近はいつの間にか抵抗なく用いるようになっている。その要因は、アイリだけでなく……。

【REIさんが入室しました。】

REI:ごきげんよう、みなさん!

アイリが「ごきげんよう」の元祖なら、REIはその挨拶を広めたいわばインフルエンサーといっていい。トッププレイヤーとして名高いREIも使ったことで、他のユーザー達も彼女に影響を受けたというわけだ。こぞって声を掛けてくる他のユーザー達に応え、REIが一通り挨拶を交わした後――もちろん「ごきげんよう」と言って――風見はREIにチャットメッセージを送って切り出した。

ユーヤ:ごきげんよう、REIちゃん!実は相談なんだけど
REI:ごきげんよう、ユーヤさん!なんですか?
ユーヤ:今日のクエストなんだけど、アイリちゃんも仲間に入れていいかな?ハロウィンイベント限定菓装が欲しいんだって
REI:もちろん!大歓迎です(^^♪ 

【アイリさんが入室しました。】

そこへアイリが再びログインしてきた。

REI:ごきげんよう、アイリさん。ユーヤさんから聞きました、ぜひ力を貸してください。どうぞよろしくお願いいたしますね(^^)
アイリ:ごきげんよう、よろしいんですか!?こちらこそどうぞよろしくお願い致します♪
REI:それじゃあ、各自ギルドで装備を整えてきましょうね
アイリ:はい!よーし頑張りますよぉ
ユーヤ:アイリちゃん今日は一段と張り切ってるね(笑)
アイリ:それはもう!ユーヤさんやREIさんとご一緒できるからっていうのもありますけど、

そこで少しチャットの挙動が重くなった。今まで滑らかだったのにな……風見は小さく舌打ちして続きを待つ。ほどなくして、アイリが打ち込んできたメッセージが無事表示されたが――彼はその時、ハートにピシッとヒビが入り真っ二つになるシーンを鮮明に思い浮かべていた。何故って。

アイリ:彼氏が横で応援してくれることになったので♪

「はは……そう、か。ははは……」

そのメッセージを読んだ風見は、妙な寂しさを覚えながら乾いた笑い声を上げた。別にアイリに本気で恋していたわけでもないのに、どうして目から汗が出てくるんだろう、などとも思いつつ。

――ちなみに、同じころ米花町五丁目、喫茶ポアロのカウンター席では。

「おや、微笑ましいこと」
「?」

キッチンの中でコーヒーの抽出に取り掛かろうとしていた梓の近くで、“鶴山のおばあちゃま”こと鶴山麗子は、アイリからのチャットメッセージに若かりし頃を懐かしむように微笑っていたのだった。


さらに十数分後。メゾンモクバの部屋には赤々とした夕陽が差し込んでいる。そのうちの一室、降谷零から安室透になった彼の部屋の和室にて。

「クエストが成功して何よりだね。なるほど、これが欲しがっていたアイテムなんだ」
「ありがとうございます、安室さんがスキル使うタイミングばっちり教えてくれたからですよ。REIさんもユーヤさんも喜んでくれてよかった」

愛理を自分の部屋に上げ、和室で揃って紫蘇茶を啜ったあと。二人はローベッドを背もたれ代わりにして語らっていた。

愛理が先ほど一旦ログアウトしたのは、透が間もなく自宅に帰るからと連絡をしてきたためだった。もちろん彼女はそこでゲームを切り上げようとしたが、彼は続けてこんなことを送って来た――“愛理さんが『怪物コレクション』を遊んでるところが見たいな”と。だから再びログインして、REIやユーヤとクエストをこなし、彼ら、というかほとんどREIのおかげで見事欲しかった装備を手に入れたのだ(ユーヤはどうにも動きにキレが無かった)。

「でも、なんで私が遊んでるところが見たいなんて思ったんですか?」
「そりゃあ」

スマホの中の自分のアバターが、欲しかったアイテムを手にしているのを愛理は嬉しそうに眺めながら訊いてきた。そんな横顔も言うまでもなくとても可愛いけれど、自分の方を向いてほしい。透は彼女の混じり気なしの黒髪に、そっと指を通しながら続けた。スルスルとした指通りの良さに、出任せを滑らせて。

「僕は愛理さんの恋人になったんだから。愛理さんが今どんなものが好きなのかとか自然と興味が沸いてくるし、少しでも知りたいって思うものだからだよ」

ユーヤさん、なんだか元気無い感じだったな。モンスターの攻撃もあんなに喰らっちゃってたし……そう内心不思議がっていた愛理だったが、透にそう言われては、ユーヤが精彩を欠いていた理由なんて(言い方は悪いが)一瞬でどうでもよくなってしまった。優しい指の感触にぽうっと頬が染まっていく。

「安室さんも登録したら一緒にクエストに出ませんか?結構楽しいですよ」
「うん、是非。ポアロに来るお客さん達も、『怪コレ』を長い時間遊んでいるくらいだから面白いんだろうなあ。ただ、登録の抽選が人気なせいかなかなか当たらなくて……気長に待つしかないかな」

本音を言えば、透もとい零にとってのスマホゲームは、潜入先に馴染んで情報収集をスムーズに行うためのツールに過ぎない。割り切って付き合い程度にしか遊ぶ気は無いので、もっともらしい理由を述べながら多少は興味があるように装いつつ流した後。

「それにしても意外だな、愛理さんもそういうスマホゲームを遊ぶなんて。どうしてまた?」
「夏休みの花火大会で、園子ちゃんに会った時に勧められたんですよ。これ面白いから、っていうか新規ユーザー紹介特典が欲しいけどあと1人足りない私を助けると思って登録して!って頼み込まれて」
「あはは、園子さんらしい」
「それでSNSは校則で禁止だけど、スマホのゲームはだめとか特に何も言われてないし、それにいいお席用意してもらったからお礼も兼ねて……ただそれ以来全然遊んでなかったんですけどね、最近ちょっとハマってて、ほら。今ハロウィンにちなんだ、とっても可愛いお菓子モチーフの装備があって、これが欲しいんですよ」
「どれどれ……」

何やら操作をしたあと、愛理にゲームからのお知らせ画面を見せられた透は覗き込んだ。

「カソウっていうんだけど、仮装のカリの字がお菓子のカの字になって菓装なんです。ほら見て」
「へぇー、なるほど!上手いこと考えるね」

確かに愛理の好みそうなものばかりだ――例えば騎士が装備する盾だというクッキーシールドは、よくある市松模様のクッキーがそのまま盾になっている。それから侍の武器である天羽々斬……ならぬ飴羽々斬は、このイベントで手に入る最強の武器だそうで、剣の柄がキャンディの包みの形をしている。そして、愛理が手に入れた念願のマシュマロハープは弦の部分が緑、白、薄ピンクのツイストマシュマロに。甘いもの嫌いだと見ているだけで胸焼けするかもしれないが、なるほどこういったテイストのものが好きなら惹かれるだろうデザインだ。

――だが。透には心配なことがあった。あのユーヤってユーザー、チャットのログを見るに妙に愛理に馴れ馴れしいじゃないか。それに何なんだ、このどうにも拭えない既視感のようなものは…思い出しながら表情が険しくなっていく。

実はクエスト達成後にログアウトする前、ユーヤはこう謝ってきたのだ。

ユーヤ:ごめん、精彩を欠いてしまって……偉そうなことをアイリちゃんに色々教えておきながら失敗だらけだった。これじゃサムライ職なんて務まらないよなあ……

すると愛理、もといアイリはすかさずこう返していたのだ。

アイリ:気にしないで下さい(;´・ω・)それに誰にでも失敗はありますよ!そして大事なのは次にその経験をどう活かすか……でしたよね?この間のユーヤさんの受け売りですけど(/ω\)
ユーヤ:ありがとうアイリちゃん……なんて優しい子なんだ……!

それとそっくり同じ言葉、よく似た名前の奴と飲みに行った時にそいつに伝えた記憶があるぞ……透は眉根を寄せた。

このゲームでは「ごきげんよう」というのが流行りとは愛理からも、あと鶴山さんからも聞いていたが。先ほど別れ際にそう口にしていたのといい、このハンドルネームといい。そして愛理に教えた言葉といい……画面の向こうには偶然よく似た名前の誰かではなくて、もしかして本当に風見がいるんじゃないだろうか?部下の趣味についてとやかく言いたくはない。だがそれでも、恋人がもしかしたら部下かもしれない誰かに「ちゃん」付けで呼ばれるのは、例え仮想の世界の中での付き合いにすぎなかろうと、決して気分の良いものではなかった。

だが愛理は、自分に縁のある人達を悪く言われるのを非常に嫌う。花火大会の日のポアロでの一件でその点を嫌というほど理解したから「こんな馴れ馴れしい奴と付き合うな」と言いたくて仕方ないが耐えるとして。懸念はそれだけではなくてもう1つ……。

「安室さん?安室さんったら!考え事ですか?」
「ん?ああ、ごめんね。確かに少し考え事してたんだ」
「ふふ、当たった。安室さんがそうしてる時はね、ちょっと顔が怖くなるんですよ」
「よく見てるね」
「でしょ!」

ちょっと得意そうに笑う愛理に透も微笑み返して、今度は少し不安そうに言った。

「実は心配なことがあって……他のプレイヤーに、本名とかの個人情報は教えてないかな?愛理さんはしっかりしてるから大丈夫だとは思うけど、悪い奴らはあの手この手で近付いては聞き出そうとするからね」
「それだったら大丈夫ですよ、去年学校の情報の授業の時間に習ってますから。名前とか住所とか通ってる学校のことをネットで教えちゃダメ、って。まあ17歳で高校2年ですって自己紹介と、あと文化祭がこれからとか……そうそう、挨拶に『ごきげんよう』を使うとかそういうお話はしたけど、別にどこの学校かとかは言ってない、から……」

大丈夫、とは言えなかった。透はまたこの前の謎解きの日、愛理に言い聞かせた時と同じ、怖いほど真剣な表情になっていて気圧されたからだ。

「それも危ないな。学校名を出さなくてもね」
「大丈夫じゃないですか?きっと判らないですよ」
「そうとも言い切れないよ。今はネットですぐに情報が拡散するし、検索でいろんなことが判ってしまうから。天気の話と、近所に新しくオープンしたお店の名前や、帰り道に見た火事や交通事故とか、そんな断片的な情報を伝えるだけでも、繋ぎ合わせて行けばやがて誰かに愛理さんのことを知られてしまう可能性は十分すぎるほどあるんだよ」
「やだ、何だか怖い……」
「でしょ?まして『ごきげんよう』なんて挨拶を使う学校は限られてくるから……これからは愛理さんがどこに住んでいるのかとか、あれこれ訊かれたら、本当のことを教えないようにね。それから、そういうユーザーが接触してきたら距離を置くんだ。いいかな」
「はーい。気を付けます」
「それと、良いアイテムをあげるからその交換に君の顔や裸の写真を送れって言ってくる奴がいたら、絶対に相手にしちゃいけないよ。デジタルタトゥーって聞いたことあるかな?」
「あるような……やっぱり無いかも」
「ネットに残った写真だとかは、いくらでもコピーできる分消えずに残り続けるし、相手が悪意を持ってたらばら撒かれて、大袈裟じゃなく一生苦しめられてしまうんだよ……ゲームで知らない人と交流するのは楽しいだろうし、アイテムが欲しくなるのも解る。だけど、取り返しのつかないことになってしまわないようにだけは、どうか気を付けてほしいな。それともし万一、そういうことに巻き込まれてしまったら、独りで悩まず信頼できる大人に相談してほしい。相談窓口もあるし、お母さんでも先生に話してもいい。もちろん、僕もできる限り力になるつもりだよ」

そこまで言われた愛理はコクリと頷き、しかし、透が思いもよらないことを言いだした。

「安室さんと同じこと言ってましたよ、ユーヤさんも。2人って似てますね」
「え?」

僕が、風見(カッコカリ)に似てるって?「どういう意味かな」と透に訊ねられ、愛理は思い出しながらその理由を明かした。

「ちゃんとそういうこと注意してくれるとこ、ですね。このゲームを始めたばっかりの頃に、最初に話しかけてきてくれたのがユーヤさんだったんです。その時、色々さっきみたいな自分のこと喋っちゃったら、今安室さんが言ってたのと同じこと、気を付けないといけないよってユーヤさんに注意されたんですよ。アイリちゃんは危なっかしいからって……」
「そう、なんだね」

聞いた透は少しきょとんとしたが、少ししてフッと笑顔を浮かべながら心の中で思った――風見(カッコカリ)、愛理に馴れ馴れしいのはいただけないが……ちゃんと君も、そういう点は解っているんだな。ユーヤが本当に自分の右腕本人かどうかはこの際置いておくとして、愛理を守ろうとしてくれたことに感謝した。

そこにブブッと愛理のスマホが震えた。この音は彼女の母からだ。もう日はとっぷり暮れている。それにこれから外食に出るそうなので、そろそろ帰って来るようにという連絡だろう。立ち上がったが名残惜しそうに透を振り返る愛理を促し、玄関まで連れて行く。

「じゃあ、今日もありがとうございました。これから文化祭の準備で行き帰りとかもなかなか顔が見られなくなっちゃいそうだから、そうなる前に会えて嬉しかったです」
「僕もだよ。愛理さんと少しでも長く過ごせたらとはもちろん思うんだけど……ごめんね、今日みたいにお客さんの都合に振り回されてしまうことも結構あって」

今は、まだ。真実を明かすことはできないからそう言うしかない。だが、いつかは必ず。

「そっかぁ……大変なんですね。体に気を付けてください」
「ありがとう。それじゃ、お母さんによろしく。あと、さっきも話したけれど、ご挨拶に伺うご都合の付く日を訊いておいてRineで教えてもらえるかな」
「はーい。それじゃあ安室さん、おやすみなさい」
「おやすみなさい、愛理さん。気を付けてね」

結局、今日は名前で呼んでくれなかったな。次こそはそうしてほしいと伝えよう。透はそう考えながら、閉じてゆくドアの向こう、彼女の足音が遠ざかっていくのを名残惜しく耳をそばだて、完全に聞こえなくなってからそっと鍵をかける。よく寝ていたハロが起き出して、尻尾を振りながら寄って来るのを撫でてやりつつ、自分の端末を操作して――。

【遠隔操作アプリをアンインストールしました】

愛理のスマホに仕込んだそれを、消去した。両想いになった今、こんなものに頼るのは今日こそやめるのだ。愛理の秘密もまだまだ知らない色んな顔も。これから先は、僕がこの手で暴くまでだ。

いっそ清々しい気分にさえなりながら、すうっと薄くなり消えていく表示を見送って口角を上げる透だった。



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