同室にいる君、ドギマギする僕(後編)


「おかげさまであったまれました」
「それはよかった。和室に抹茶を用意してあるのでどうぞ、茶道部の子のお点前ほどじゃないかもしれませんが」

上がるまでにかかった時間は30分くらいか。なかなか早風呂なんだな、髪の量も結構多いのにもう乾かしたようだ。下着が透けないように黒いシャツとスラックスを貸したから、ほのかに上気した白い肌がよりいっそう映えている。襟元から覗く綺麗に浮いた鎖骨に目が吸い寄せられてしまう。

本当は首元まできっちりボタンが締まるシャツもあるにはある。だが、沖矢昴を思い出させられるそういう服を、たとえ数時間だろうと愛理ちゃんに着せたくなかったんだ。ボトムも長くて大きすぎるだろうからと、裾上げのために安全ピンとずり落ち防止にベルトも置いておいたが、思惑通り使ってくれてよかった。あとで摩擦がどのベルト穴にあるか見てウエストサイズの割り出しに使おう……。

「安室さんのってやっぱり」
「ん?」
「おっきい、ですよね」
「!??なっ……ななななんのことですか突然」

和室へ向かう愛理ちゃんの纏めてある髪から覗くうなじ。それに見とれていた時、突然そんなことを言うものだから僕は動揺してしまった。“僕のが大きい”って?意味深だな、実は小悪魔か?

「え?シャツのことですけど。ほら」

だがきょとんとした顔で、腕捲りしていた袖を下ろして振って見せてきて合点がいった。ああなんだ、「シャツのサイズが」自分には大きいってことだね。主語をちゃんと言ってくれないからなんの話か解らなかったなあ、思わず“そういう”意味に取ってしまったよ。

……いやいや今のは無かったことにしよう。和室に正座した彼女のそばにスクールバッグを置いて促す。

「親御さんに連絡をしておいてくださいね、心配されるでしょうから」
「はい……ん?なあに?」
「ワフッ」

愛理ちゃんはお茶を一口飲んでから携帯を操作し始めた。するとそこへハロが和室に入って来て、そのまま彼女の周りを鼻をひくつかせながら行ったり来たりしている。飼い始めて以来、僕以外の人間と接する機会といえば動物病院に診せる時か散歩に行く時ぐらいのもの。愛理ちゃんとも散歩の行き帰りで会ったことは何度かあるとはいえ、この家で顔を合わせるのは今日が初めてだし、今までにないことに少しそわそわしているようだった。

そうだ!見たところ犬が嫌いではないようだし、折角だからこの際ハロには愛理ちゃんをリラックスさせて、そして色々な表情を引き出すための協力者……ならぬ協力犬になってもらうことにしよう。

「犬アレルギーとか犬が苦手とかそういうのが無ければ、もし良かったら抱っこしてみませんか」
「そういうのは無いですね。よし、と。これで母に送れました」
「じゃあやり方はこうして、こうするといい」
「ありがとうございます。わあ!ふかふかですね」

協力犬【0086】(ハロ)、投入成功……なんてな。微笑ましい光景を目にして表情が緩んだように見せかけながらほくそ笑んだ。

「愛理さんは何かペットを飼ってたことってあります?」
「初等部のときにウサギと、あとペットかは微妙ですけど本宅のお庭の池に錦鯉が……あれ?」

鯉?ああ、今住んでいる家こそこのメゾンモクバでも、渋谷――あの正体不明の爆弾魔と対峙したところだな――の梅濤に(愛理ちゃんの母親とポアロで話していた女医いわく)「だだっ広い日本家屋」もとい本宅があるとは聞いたが、庭に池もあって鯉までいるのか。

「あのー、安室さん。この“あでしい”って何ですか?“っされかう”っていうメッセージも入ってるんですけど」
「え?そんなものは送っていませんよ」
「だって安室さんから送られてきましたけど。ちょっとごめんね……ほら。探偵のお仕事で使う暗号とか何かを間違えて送っちゃった感じですか?」

ハロを一旦腕の中から下ろして、怪訝そうな表情のまま僕とのトーク画面を見せてくるから覗き込んだ。するとそこには確かに意味をなさないひらがなの羅列。だが暗号なんて使っていない。気を付けてはいるとはいえ、知らない間に何か悪質なアプリにやられたか?

「おかしいな。そんな意味の解らないメッセージを送った覚え、は……」
「クアンッ!」

これでも公安か?情けない……自分を戒めかけたが謎が解けた。ハロがドヤ顔をして見せてきてハッとしたんだ、いたずらのあとは時々こうするし。こいつめ。和室に入って来るまでの時間と表示されている受信時間から見るに、さては目を離した隙にダイニングテーブルに登って、置いておいた携帯を肉球でいじったんだな。

「すみません、ハロの仕業ですね。躾けてはいるんですが車にはよじ登るし、ベランダ菜園のセロリの苗は盗み食いするし」
「なんだぁ、そうだったんですか。私知らない間に変なアプリとか入れちゃったかなって怖くなりましたけど、そういうことなら安心です。いたずらっ子なのね」
「アンアンッ!」
「褒められたわけじゃないんだぞ、って言ってるそばから!」
「ふぁ、ん、くすぐったいっ」

怪しまれるのを避けるために、アプリ云々には反応せずにハロを叱ったが……羨ましいぞ。ものすごく、羨ましいぞ。もう一度抱っこされたハロは、今度は愛理ちゃんの顔を舐め始めたんだ。しかも反応を楽しんでいるみたいに何度も。

思わず歯噛みしてしまいそうになる。落ち着け、ペットにまで妬かなくたって。だけど僕だってまだまだキスなんかできそうにないっていうのに!それでもくすぐったがって体を捩る愛理ちゃんが可愛いから帳消しかな……あいつらのうちの誰かが言っていたが、確か「くすぐりに弱い子は感じやすい」んだった、よな……なんでこんな時にそんなことを思い出しているんだ僕は!?

「やん、も、だめ……きゃー!ちょ、ちょっとやめてぇ」

悶々としながら釘付けになっていた最中、不意に悲鳴が聞こえて何かと思えば!

「あ、コラ!ハロっ!!」

なんてことだ、ハロが愛理ちゃんの胸元に顔を突っ込んでいるじゃないか!遊んでいるつもりなのか尻尾まで振っているから、それに顔を撫でられているせいで前が見えていないようだ……やっぱり羨ましい、じゃなくてお客さんで遊ぶんじゃない、それにボタンだって取れてしまうっていうのに!

慌ててハロを引き剥がしたから不可抗力だったんだ、その拍子に前の方に引っ張られたシャツの下なんか、少なくともCはあるはずのボリュームの何かとそれを包んでいるブルーのギンガムチェックの何かなんか一瞬たりとも僕は見ていないんだ、断じて。

「びっくりした……」
「明日はジャーキー無しだからな?よく反省するんだぞ」
「クゥン」

ハロを抱き上げて叱っていると次はどこからかぐぅぅ、という音。その方を向くと、愛理ちゃんがギクッとなったあと耳まで真っ赤にしているのが見えた。テーブルに置かれた彼女の携帯の時刻を見ればもう18時半を回っている、そういう音が聞こえてくるのも当然か。

「ハロが申し訳ありませんでした、よく躾けておきます。これからすぐに夕食の支度をしますね、食物アレルギーはありますか?」
「だっ大丈夫です!お風呂も替えのお洋服もお借りしたのに食事までなんてさすがに」
「お腹は欲しがってるみたいですけどね?」
「でも、チョコレート持ってますしそれ食べれば十分」
「ダメですよ。それはあくまでおやつであり食事とは言わない」

全く。風見といいこの子といい、チョコレートを食べて食事をした気になるのが最近のブームか何かだっていうのか?厳しい口調で遮ったからか驚かせてしまったようだが、これだけは強調させてもらう。体調を整えておくのは高校生だろうと誰だろうと大事なんだから。険しい表情を緩めて笑いかけながら、でも少しばかり強引にことを運んでいく。

「運動をしてきた育ち盛りに何も食事を出さないなんて酷なことはしませんよ。雨で冷えた体が暖まって、タンパク質も野菜も摂れるメニュー……和風仕立ての豆乳クリームシチューが良いかな。もう一度訊きますけど食物アレルギーはないんですね?」
「無い、です……ご馳走になります」

よし、豆乳をベースにしつつ出汁も加え、合わせ味噌をアクセントに。具は人参とほうれん草とエリンギとチキン、純米酒でフランベして柔らかい口当たりに仕上げよう。あとそうだ、これも忘れちゃいけない。

「僕はセロリが好きなのでシチューには多めに入れてるんですが、愛理さんは好きですか?」
「セロリだけは苦手なんです!作っていただくのにそんなワガママ言っちゃだめだっていうのは解ってるんですけど、でもどうしてもあれを多く入れるのだけはご勘弁をっ!」
「あはは、了解です。控え目にということで。ハロ、料理の間中和室で待て」

セロリと言っただけで思い切り顔を顰めるあたり、本当にダメなようだ。うーん、多く入れればそれだけ風味が増すんだけどな、風邪予防にもなるし。ハロに風見に愛理ちゃんまで嫌いとは残念だ。

「出来上がったら持ってきますから。それまで寛いでいてくださいね」
「でも」

そう言い置いてキッチンに向かおうとしたら、愛理ちゃんが素早く立ち上がった。長く正座していたのに足が痺れていないのは、さすが現役茶道部員にして合気道経験者といったところか。

「せめて何かお手伝いさせていただけませんか。お世話になってばかりなのも申し訳なくて」
「いえいえ、お客さんを働かせるなんてそんな……でもそこまで言うならそうですね、顔を洗ったら食器の用意とか、そういうことをお願いしましょうか」
「はいっ!」

これは殊勝な心掛けのお客さんもいたものだな。申し出をありがたく受けることにした。キッチンの前に、まずは洗面所へ愛理ちゃんを連れて歩きながら、背中を向けていて本当に良かったと心から思った。そういうところがたまらないんだ、しかも今からすることは――共同作業と言っていいはずだよな、って。顔が緩みそうになるのを必死にこらえていたから。



シチューが出来上がるまでの時間は矢のように過ぎて行った。お盆にスプーン、茶碗によそったご飯、シチューの入った深皿を載せて持って行ってもらう。愛理ちゃんがそっとお盆をローテーブルに置いて、各々の分を配膳して。その間に僕はハロにドッグフードを一足先にあげて「食べていいぞ」と言ってから、揃って正座をしてお待ちかねの……。

「「いただきます」」

手を合わせるのも、そう口に出すのも。全く同じタイミングになったことに、顔を見合わせて少し笑い合った。

「重なりましたね」
「ふふ、お揃いですね」

普段は「いただきます」を言わないけど、僕が口に出したからつられて言ったというわけでもないようだし、先を越されたわけでもない。とにかくただそれだけのことが、無性に嬉しくてたまらない。

「んー!美味しいですっ、優しい味がします」
「いやぁ、そう言ってもらえると作り手冥利に尽きますよ」

空腹は最高のスパイスなんていうけれど、顔を綻ばせて味わってくれる様子もまた最高のスパイスじゃないだろうか。食事がいつも以上に進んでいる。

……誰かに料理を振舞ってその反応を直に見るなんて、ポアロの仕事を除いたプライベートではいつぶりのことかな――楽しみにしてくれていた奴らはみんなもう、いなくなったから。さっき作っている最中も材料を刻む手に力が入ったのは、僕が作ったものを喜んでくれる相手がすぐそばにいたからこそなんだろう。お裾分けだと、目の前でこうして食べる所を見るわけじゃないから。フランベを披露すれば「レストランではみんな洋風のお酒使ってたけど、日本酒でもできるんだぁ」と目を丸くしていた。多分母親とレストランにでも行って目にしたことがあるのかもしれない。ただしそこはやはりまだ未成年だから、お酒に詳しくない分具体的な名前を挙げられないようだけど。忘れかけていたけど改めていいものだな、誰かと食卓を囲むって(“ビジネス”の話をしながらというのは遠慮したいところだが)。

でも。そんないつかを懐かしんでしんみりする僕を苛むものが――ローテーブルの向こう側、愛理ちゃんは背筋を伸ばした綺麗な正座をキープしていて崩れる気配を見せない。そんなふとした瞬間、例えばスプーンを口に運ぶとき。

「最近『neo探偵左文字』にまたハマっちゃって。原作者の新名任太朗先生はもうお亡くなりになってるんですけど、それでも打ち切りにならなかったのは、娘さんの香保里先生がシリーズを受け継いで書いてるからで……」

オーバーサイズのシャツの下、現れては消え、消えては現れる愛理ちゃんのボディライン。下手に体の線が出るより却って想像を掻き立てられてしまう。もっと探りたい、その下を暴きたいという衝動が沸きそうになって全力で蓋をした。

なんだ、この破壊力……!いけない、女の子をあまりジロジロ見るものじゃない。他の場所へ眼をやるんだ、と言い聞かせても視線は薄桃色の唇へ。白くてトロリとしたルーが一滴付いている。狙ってシチューを拵えたわけじゃないが、色といい形状といい“そういうもの”を連想してしまう。

おまけに今の状況、僕が作った白いものが、愛理ちゃんのナカを満たしているってことであって――正直に言ってものすごく、興奮する……いや馬鹿馬鹿しい妄想はやめろ!一体何を考えているんだ僕は!気を紛らわそうと茶碗のご飯を掻き込んでから切り出した。

「意外でしたよ、愛理さんが忘れ物なんて」
「そうですか?」
「ええ。歳の割にしっかりされてるなと思っていましたから……なのに今日はどうしてまた、そんなに急いで合気道のお稽古に向かったんですか?」

愛理ちゃんはそこでちょっと照れ笑いを浮かべた。

「合気道って昇級に審査があるんですけど、この間は不合格になっちゃったんです。実はその前もダメだったから次こそは合格したい、期末テストの前に少しでもお稽古の時間を確保しなきゃ、っていう気持ちで頭がいっぱいになってたらそんな忘れ物しちゃいました。本宅で暮らしてたころは鍵忘れちゃっても何とかなったんです、お手伝いさんが住み込みでいてくれるので……母には怒られちゃいますけど。あと、ついでに晴れてたからいいやって、普段使う傘も置いてっちゃってあの通りびしょ濡れに」
「なるほど、そんなところも可愛らしいですね。合気道はいつからどんなきっかけで?」
「2年前ですね。理由は2つあるんですけどまず友達が、もうその子は他の習い事に集中するから止めたんですけどやってて、演武を見に行ってかっこいいなって」
「へぇー、そうだったんですか」
「特にその時は大阪の道場の子たちも招待されてるとか言ってたんですけど、その中でもすごい子がいたんですよ。今でも名前覚えてるんです、トオヤマさんっていう子で。同い年でその時中学生だったのにもう初段ってすごくないですか。あと、もう1つの理由が……」

中学生だった愛理ちゃんか。2年前も可愛かったんだろうな、いやずっとそうだったに違いない。もっと早く出会えていたら。話を聞くふりをしながら少し悔やんだ。

「そうだ、合気道の時にいつもポニーテールにしてるって話してましたけど、それはやっぱり体を動かすときに邪魔になりにくい髪型だからですか?」
「それもありますけど、そのさっき言ったトオヤマさんって子もそうしてたから、あの子くらい上達したいな、私はまだまだだけどせめて髪型だけでも同じにしてあやかりたいからっていうのもあるんです。はぁー美味しかった、お腹いっぱい」
「お粗末様でした……それじゃ」

今度は顔を見合わせて。

「「ごちそうさまでした」」

示し合わせて一緒に口に出すのも、いいものだ。食器を下げるというのでお言葉に甘えることにして、その間にデザート代わりに用意したジンジャーハニーレモネードをマグに注ぐ。和室に戻って渡せば、ニコニコしながら受け取る愛理ちゃんと目が合って、嬉しそうな様子につられて僕も笑顔になる。

「どうしました?何か良いことありました?」

だが、一口飲んでから彼女が口にした一言は僕にとってはちっとも嬉しくはなかった。

「安室さんはきっととってもいい旦那様になるんだろうなあって。お料理上手で、気配り上手ですしね!」
「それは……ありがとうございます」

その時、隣にいてくれますか。訊きたい。どんな顔をするだろう。でもこの子はきっと、僕が彼女の隣にいることじゃなく、自分の母親の隣にいることを想像してそう言っているんだろうな……。

「母にアタックするチャンスが全然作れてなくてごめんなさい、アトリエからやーっと出てきたかと思えばその間安室さんはお仕事で連絡もできないし、その逆も……あっ責めてるわけじゃないですけど。安室さんのことどう思うとか話しかけてみたら喜んでくれるはずだよとか、朝はうちと同じで和食派なんだってとか、私も色々興味を持ってもらうように試してはいるんですよ。でもまずはアトリエから引っ張り出すのがほんとに難しくって。やっと出てきたかと思ったらフランス行っちゃうし。お役に立てませんで」
「いえいえ。それはそうと、そろそろお母さんから連絡が来てるかもしれませんよ」
「ですね、見てみます」

そんなに心底申し訳なさそうに謝らなくていいんだよ。母親の話を切り上げる意味もあって、さり気なく誘導して終わらせた。

「ふぁあ……あっ来てる来てる」
「何て?」
「“運転手さんに無理言って今首都高飛ばしてもらってるわよ、安室さんがご親切な方でよかったわね。明日お詫びのお菓子お小遣いから買って差し上げなさい”って」

華奢な手で欠伸を覆い隠した後、携帯の画面を見せてきた。メッセージアプリのトーク画面は母親とのもので、今彼女が言った通りの内容と、ドヤ顔をしてみせながら足元を渦巻きにして走るよくわからないキャラクターのスタンプがピコピコ動いている。

すると。

「安室さんは、どうして」
「ん?」
「どうしてこんなに、ご親切に色々してくださるんですか?」

またあの考え事をするときの仕草だ。僕が下心をもって接していることなんて、まるで考えも及んでいないようだ。ただただ不思議がる、そんな純粋すぎる目――汚してしまいたい。ただ、そう思った。

「そりゃあ……」

僕も男だから、だよ?あわよくば、隙あらばって。君くらい魅力的なひとを前にしていたら当然そういうことを考えるし、現に先ほどまでどれだけ悶々とさせられていたか。

愛理ちゃんがいけないんだよ、大体男と二人きり、この至近距離、無防備にもほどがある。ああなるほど、生粋の女子校育ちだから解らないのかな。せっかくだし教えてあげようか。

「ゆくゆくはこういうことを、したいと思ってるから……と言ったら?」
「きゃ」

携帯とマグをローテーブルに置くのを目にするが早いか、僕は素早く近寄って愛理ちゃんを腕の中に閉じ込めた。そのまま意味深な手つきでそっと腰をくすぐると、流石に意味が解ったようだ。色が白いから顔がかあっと赤くなっていくのが手に取るように判る。技をかけて逃げるつもりらしく一生懸命僕の腕の中でもがく様子も可愛いが……離してなんか、あげないよ。

「やだっだめ!」
「だめはダメ、ですよ。愛理さん」

低い声で耳元で囁いてから、唇を奪おうと顔を近づける。いや唇だけじゃ物足りない、このまま愛理ちゃんの全部を、おあつらえ向きにすぐそばにはベッドもあることだから――。





「……さん!安室さんっ」
「っ!?」
「どうしちゃったんですか?怖い顔して黙っちゃって」
「あ、ああ……言ったでしょ、お隣さんですからって」

どうしちゃったかって?君にいけないことをする妄想をたくましくしていたんだよ……なんて口が裂けたって言えやしない。危うくジンに始末されそうになった時にも負けないくらい、心臓がバクバクいっているのを隠して答えながら思う。

本当に、本当に、妄想だけで済ませてよかった。確かに僕はこの子を好いてはいるが、この国のために働くという使命だって大事なんだ。もし手を出したらそれを果たせなくなるばかりじゃない、色々な意味でお終いだ!第一僕は警察官なんだぞ?いくら想いを寄せている相手と同室で二人きりだからと、理性の限界が来た挙句に淫行だなんて。冗談じゃない。君を悲しませてしまうことなんか、思い浮かべはしたって実際にするものか。さっきのはあくまで妄想だ、君に触れたが最後法律にも触れることになるんだから。

「それにスマホに結構着信入ってますよ。お客さんからじゃないですか?」

ダイニングの方を指差すから耳を澄ませば、また携帯が震えて……このバイブレーション、風見からか!例の件で何かあったな。

「すみません、ちょっと出ますね。ああやっぱり“お得意様”からだ……こんな夜だっていうのに全く、探偵使いの荒いひとなんだからなあ」
「ふぁい」

欠伸をするタイミングが、隅でお腹を見せて寝るハロと一緒だった。ベランダへ出てすぐに引き戸を閉めて、よし。

「僕だ、遅れて済まない。ああ、……そうか!よし、よくやってくれた。月曜に詳細な報告を受けたい。そうだな、本庁の3階で11時に。ありがとう、ゆっくり休んでくれ」

部下の働きに感謝しながら、また部屋へ戻ると。

「……すー……」
「ちょっと、愛理さん?ほらここで寝たら風邪をひきますよ!愛理さん……参ったなあ」

ローテーブルに腕枕を作って、寝ていた。起こそうとした声は段々と小声になっていく。起こしたらかわいそうじゃないか、なんて言い訳をしていたけれど、見え透いた言い訳をしているな、と自分を嗤った。寝顔を見ていたかったから。

仕方ない。そっと、いわゆるお姫様抱っこで持ち上げた。軽いなあ……子供の体温だ。優しく、優しく、起きないようにそっとベッドに降ろして様子を見る。黒髪が同じ色の枕を伝って滑り落ちた。

「ん……」

……熟睡しているが、親御さんが迎えに来たら起こさないと。だが、男の部屋でそれはないんじゃないか?僕は頭を抱えてしまった。無防備な寝顔を見られるのは嬉しいが、警戒心が無さ過ぎるのも考えものだぞ……部屋に上がったらという提案を断ろうとしたのは、もしかしなくても警戒心がそうさせたんじゃなく、単に遠慮していただけだろうな。僕は男として見られていないってことか?満たされて眠くなったのか?……どうか後者であってくれ。

寝顔を記憶に焼き付けるだけなら罪にはならない。そう、それだけなら。アプリは……そう、バレなければどうということはない。仕方ないんだ、君との距離を縮めるにはこうするしか。

はあ、思わず溜息が漏れた――こんなにも近いのに。どうして限りなく、遠いんだろう。

「ともかくは雨に感謝、だな……」

携帯で明日以降の天気を調べれば、東都は降水確率ゼロ。“絶好の洗濯日和”と出ている。

でも――スンと鼻を鳴らせば、同じシャンプーやボディソープを使ったはずなのに何故だか甘い香りがしてきた。シーツや枕に移るだろうこの香りを消してしまいたくないから、薄れてしまうまで寝具だけは洗わないでおきたいところだ。そうだな、少なくとも向こう2、3日は。

「……くぅ……」

風の勢いはもう収まっていたし、激しかったはずの雨ももういつの間にか、愛理ちゃんが立てる寝息の方がよく聞こえるほどの小雨になっていた。



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