ほほえみおくり


そろそろ夕方に差し掛かろうかというころのハウオリの船着き場はがらんとしていて、係員の人数の方が利用客よりも多そうなくらいだった。これが朝一番ともなれば、アローラ地方の名所をできるだけ多く訪れるために早いうちから出発したいのだろう観光客や、もちろん学校や職場に向かおうとする地元の人々でごった返す。それだけでなく、おこぼれを期待して群れをなすキャモメたちまで加わってそれはもう賑やかなのだけれど。

そんな時間帯と比べれば静かな空間の隅、プレサンスとグラジオは3列に並んだソファの一番右側に並んで腰掛け、船の到着までの時間をカントー地方――プレサンスの故郷にして、彼が間もなく赴くかの地にまつわるあれこれの話をしながら潰していた。

「そっか。ジムとかそれだけじゃなくてポケモンリーグにも挑戦する感じかあ」

先ほど「あっちでどうするつもり?」と訊ねて返ってきた答えをなぞりながら、プレサンスはサイコソーダの缶を意味も無く弄び呟く。パキパキと音を立てる缶はとっくに空になっていたけれど、捨てに行くのは後回し。ゴミ箱が見つからないわけでも、捨てに行くのが面倒なわけでもない。席を立つ時間さえ惜しいだけ。1分もかからないのは知っていても、あともう少しだけでもグラジオと長く話していたかったのだ。

「ああ。ロイヤルバトルも面白いが、違う地方で基本に立ち返って1対1のバトルをより極めようと思っている。それに……」

きっぱりと、迷いなく言葉を紡いでいくグラジオ。カントー地方で名前も声も知らない強敵と競い合い、誰も知らない高みへ上ることを心待ちにしているのだろう。そんな様子がはっきりと見て取れる。

だが、プレサンスは聞いているふうに見せかけてはいたけれど、その実頭の中は焦りでいっぱいだった。行かないでなんて口出しできるわけないの、解ってるから言わない。けど――「素っ気ないのに、家族とか手持ちを大事にしてるとこが好き」……つたない告白の言葉まで伝えられないままなのは嫌でも、勇気が出なくてタイミングもつかめずにいたから。

グラジオがそのことを告げてきたのは、プレサンスが初めて彼に挑まれた防衛戦に辛くも勝利を収めたあとだった。

「本格的な修行を、カントー地方で始めるつもりだ」

武者修行のために1か月ほどアローラ地方を離れていたが、その短い間にもさらに腕に磨きをかけたのだろう。最後にラナキラマウンテンの麓でバトルをして以来だったが、あのときとは段違いの強さだった。お互い最後の1匹までもつれ込んだし、プレサンスはアシレーヌが相性上不利な彼のルカリオの急所にZワザを当ててくれなければ負けていたと思う。そして、あれほどの実力があればジムリーダー全員に勝つのはもちろん、先ほど言った通りカントー地方のチャンピオンになるはずだとも信じている。

ただ、8か所あるジムを全て巡ってリーグに挑戦となればそれなりに時間がかかる。本格的にと話していたからには、一旦向こうへ渡ったらちょくちょくアローラへ戻ってくるつもりでもなさそうだし、グラジオが遠くへ行ってしまう時間は長くなるはずだ。寂しくない、などとどうして言えるだろう。

こうなる前に告白してれば良かったかな。プレサンスは唇を噛んだ。いつかグラジオは「オレたちは悪くない関係だ」なんて言ってたし、良くてライバルの1人としか見てないかもしれない、強さを追い求めることに夢中だから相手にしてもらえないかもしれない。それが怖かったからといって、尻込みしているうちにとうとう別れが来てしまった……。

結局踏み出せないまんまなの?相槌を打ちながら後悔の念が押し寄せる。今こうして会ってみても、やっぱりグラジオの頭の中には恋愛のことなんて無さそうなのを目の当たりにして勇気がしぼんじゃったから……?ううん、違う。グラジオのせいなんかじゃない、ただ私が意気地無しなだけじゃん。プレサンスは心の中でそう言いながら、自分への苛立ちを指先に込めてそっと空き缶をへこませる。空き缶からパキリと音が立った。

ホウエン地方からの船が入船したというアナウンスが流れてくる。「到着記念に自撮りをしよう」などと言い合ってはしゃぐカップルやら賑やかな家族連れやらがそばを通り過ぎていく。電光掲示板はアローラフォトクラブの広告を延々と流している。デジタル時計の時刻が音も立てずに変わる。それと同時に、グラジオが乗る予定だと話していた便があと10分くらいで到着するという表示も出た。

……時刻表通りになんか、来ないでよ。欠航になっちゃえ。隣で乗船チケットを取り出し始めたグラジオの横顔をちらりと見てプレサンスは思う。彼が初めてカントーに行ったときは、他の用事があって見送りに行くことができず歯がゆい思いをした。だからカントー地方へ行くつもりだと告げられたあの日、すかさずこう言ったのだ。「あの時見送りに行けなかったから今度こそはちゃんと見送りたいの、だからいつ出発するのか教えてよ」と。断られずに済んだのは嬉しかったけれど、本当の目的は果たせないままだろうか。先ほどまでの会話の中でも「メールとかでも連絡は取れるけどほら、時差だとかのこと考えるとさ、なかなか連絡も取れなくなるかもって思って。こっちがお昼だからってうっかり連絡したらそっちが真夜中だったりとかで迷惑かけちゃうかもしれないからさあ」とかなんとか、余計なことだけはすらすら出てきたのに。

「ところであの……リーリエやルザミーネさんはこれから見送りに来るの?財団の人たちも、ほらビッケさんとかさ」

見送るのが自分だけらしいのは(口には出さないが)プレサンスは正直に言って嬉しかった。しかし家族やエーテル財団の職員の誰かもいるものと思っていたが、もうじき出発なのに姿が見当たらないのはどういうことだろう。家族を大事にしているグラジオが、修行の旅に出ると伝えていない線も考えにくくて、もしかしたらこれから遅れて来るのだろうかと気になって訊いてみた。

「いや、来ない」
「え!なんで」
「見送りは遠慮してもらったんだ。プレサンスはオレが初めてカントー地方に発った時は居なかったから知らないか……あの時は母やビッケ以外に職員たちも来てくれたからな、今回は気を遣わないでほしいと言っておいたんだ」
「そう……なんだ」

返事をしながらプレサンスはハッとした。今、チャンスなんじゃない?係員さんとか他の人もいるけど、小声でなら……好きなのに伝えられないままなんて、やっぱり嫌だから。好きな相手と離れてしまうその時は刻一刻と近づいているのだ、今を逃したらもうあとは当分会えない。大事なことだから、メールで伝えないで直接顔を見て自分の口で言いたいんだ。だからここに来たんだ。たとえフラれちゃったってそれはそれ、だよね。

自分に言い聞かせて、まだ続いているアナウンス音に紛らせてプレサンスは深呼吸をする。決めた。やっぱり、伝えるんだ。

「あの、ね。グラジオ」

アナウンス音が途切れたのを見計らって口を開いた。声を掛けられたグラジオが、プレサンスの方を向くか向かないかのところで。

「私、グラジオのことが好き。カントー地方に行っちゃったらもう直接伝えられないかもしれないし、グラジオにとっては私ってそういう対象じゃないかもしれない、けど。言えずに終わるの、やだった……から」
「……!」

ついに、言えた。緊張のせいで思い描いていたようにはいかなくてつっかえつっかえでも。グラジオが顔いっぱいに驚きを浮かべて見返してくるのがこんなにも近くに見える。プレサンスと彼は視線を交わしたまま、言葉を忘れたかのように黙っていた。小声で早口過ぎではあっても、反応からしてなんとか耳には届いたようだ。

けれど、それならどうしてそのまま何も言ってくれないのだろう。何も反応が無いのは断られるより辛いのに……だがプレサンスがそう思いかけたと同時に、グラジオはいつかしていたように左手を顔に翳してボソリと漏らした。

「実力といい……何から何までプレサンスには、いつもオレの先を行かれてばかりだ」
「どういうこと?」
「先にオレから言うつもりだったんだ、その!そういうことは」
「えっ!」

今度はプレサンスが驚きを顔に浮かべる番だった。それってまさか、うそ。嬉しいのに信じられなくて、頭の中が大変なことになってしまっている。

「プレサンスに釣り合う、いやプレサンスを倒すくらいの強さを得てからでなければ、オレは相手にはされないだろうと……そう思っていた!だから、あちらで実力を付けて帰ってきて振り向かせるつもりでいたんだ。なのに今、思いがけずそう言われて……その、だから。先を越されてばかりだと、そう言ったん、だ」

耳が、熱い。夕陽に染められたような色をしているに違いない。プレサンスがグラジオの方を見れば、彼も今まで見たこともないほど顔を真っ赤にしているではないか。しかもいつもの冷静な口調はどこへやら、つっかえぶりはプレサンスといい勝負。こんな反応が――しかも嬉しすぎるそれが返って来るなんて。予想だにしていなかった。

「なんだぁ……じゃあ私たち、両想いだったんじゃん。グラジオは前に悪くない関係だなんて言ってたからさ、てっきりよくて友達止まりかなって思っちゃってたよ」
「あれは照れ隠しというか言葉の綾のようなもので、いや、それはともかくだ。そもそも、どうして母上にもリーリエにも見送りは要らないと言っておいたと思っている?プレサンスと2人だけで居たかったからだぞ」

ライバルであり、そして今しがた恋人となったばかりのプレサンスとグラジオは、そこで目を合わせて笑みをこぼし合った。出会ったばかりの張りつめた雰囲気を纏う彼は、もういない。

良かった、笑ってくれた。私も笑ってられた。そういえばいつか「大切なひとを見送る時には笑顔だぜ…!」って、誰かが言ってたの聞いたっけ。何のセリフだったのかは思い出せないけど、とにかくそうだよね、湿っぽく送られても嫌だから。泣きたいくらい寂しいしそれ以上に嬉しいけど。泣いちゃダメ、泣いちゃ……好きなひとなんだもん、せめて少しでも笑って送るんだ……プレサンスはそう決めた。

“お待たせいたしました。これより、ハウオリ船着き場発カントー地方クチバ港行き定期便、シーギャロップAK0331便の乗船手続きの受付を開始いたします。ご乗船の方はチケットをご準備の上ゲートまでお越しください……”

しばしの別れのときが、ついにやって来た。言いたかったことを伝えたいま、さっぱりした気分で送り出せそうだ。ソファから立ち上がるグラジオに続いてプレサンスも席を立った。

「また、ね。体に気をつけて」
「ああ……プレサンス」

そのときだった。アナウンスが鳴り止むや、グラジオは「行ってくる」とプレサンスの耳元で囁いて――続いて彼女の頬に、何か柔らかい感触がした。それだけでなく、チュッという微かな音も。

プレサンスはその場で固まってしまった。無理もない、だってこんな!今のって、これって……!その様子を見たグラジオはフッと笑って乗船ゲートに向かっていた。

もう、最後の最後に不意打ちくらわさないでよ……笑うのを通り越して顔が際限なく緩んでしまいそうになるのを何とか止めながら、プレサンスはゲートをくぐり奥へ進むたび遠ざかっていく彼の背中を見て気が付いた――防衛戦の時よりも、明らかに何センチか伸びていたのを。

(空き缶を持ったままという締まらない雰囲気だけれど)急いで船着き場の外に出れば、グラジオも待っていたかのように既にデッキに出てきていた。その姿を見て、誓った。彼もきっとまた、いろんな意味で成長して帰って来るはず。だから私も負けないように、胸を張って帰って来る彼に恥ずかしくないようにするんだ――。

そして、船が出てからもデッキで手を振り続けるグラジオに、プレサンスも手が痛くなってもまだ振り返す。そしてとうとうお互いの姿がポケマメくらいに小さくなるまで、2人は黄昏時の訪れる間際まで、頬を夕陽に真っ赤に染め上げられながら手を振り続けていた。



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