愛上表現


毎度おなじみの同期たちと飲み会のためにやって来た、ここの所大人気のこのダイニングバーは今日も満員御礼。そこここから笑いさざめく客の声やら、グラスのぶつかる音やらがひっきりなしに聞こえてくる。壁を見てみれば“女子的にはとってもオッケー!”“アーカラ島で飲むならここでしょ!決まりオブ決まりの新定番!”そんな様々なコピーとともに情報誌を彩っているのが自慢と見え、至る所に取材を受けた雑誌の記事が貼り出されていて目に痛いほどだ。幹事が「キャンセルないですかって店員にウザがられるくらい電話しまくってやっとの思いで予約したんだからね」と、胸を張りながら店の名前を明かした時は、プレサンスだけでなく他の参加者も歓声を上げたくらいだった。
勤め先であるエーテル財団は、ポケモンの保護を始めとする清く正しい活動を行い、クリーンなイメージで売っている。けれど、属しているプレサンスたち職員だって一皮剥けばごく普通の人間だ。仕事が終われば、こうして流行りのスポットに繰り出して色々な話に花を咲かせるくらいする。あのタイトな制服を脱いだという解放感も手伝って、場の空気はますます盛り上がる一方だった。
「あの受付のぶりっ子新人ってば今度はラボの副主任と付き合い始めたって知ってた?」
「うそやだ超ムカつく!私だって狙ってたのにー」
「ドンマイ…でっでもきっとまたいい出会いあるって。そういえばさ、この間入ってきた青い髪の新人くんもいいよね!?」
「そんなコいたっけ?」
「ほら、赤毛の女の新人とそれからカントーのニャースと一緒に入ってきた…」
そんな賑やかな周りの聞き役に徹しつつ、プレサンスは何本目かになるヤドンの尻尾の串焼きを頬張った。みんなホントこういう話好きだなあ、そういえば明日はバレンタインだからやっぱり恋バナが出るのかな。騒がしい店内でも同じテーブルについているから会話は耳に入ってはくるけれど、話の輪に入れるかはそれこそ別の話というものだ…が。
「で?で?プレサンスちゃんはどうなのよー?」
「うんうん聞きたい聞きたい!プレサンスそういうこと全然話さないじゃん、この際だからさあ、ね?ズバリ、気になる人でーきたっ!?」
左隣からは軽く肘鉄でうりうりと脇腹を突っつかれ、右隣からはキラキラした目で覗き込まれ。他の参加者たちも皆興味津々といったふうで視線が痛い。ここで答えないと空気が盛り下がってしまう。
…しょうがない。ここは困ったような顔を作って、よし。
「…えっと。実は、まだいないの」
「ええー!?」
「だ、だって知ってるでしょ、私自慢なんかじゃ全然ないけど、仕事中にそういうこと考えるヒマちっともないって」
「相っ変わらずマジメか!あー…でもまあそうだよね、いくら秘書だからって支部長にあんな色々押し付けてこられちゃねー、気になる人見つけるヒマもできやしないよねー」
話を振って来た相手は、プレサンスの返答にわかるよとでもいうふうに頷いて、しかし顔は顰めつつその人の肩書を口にした。
同時に空気が一変するのを感じる。まずい、また…プレサンスはそう思うけれど、一旦口から出た言葉はもう巻き戻しようがない。先ほどまでのように誰がいい彼がいいとはしゃいでいた雰囲気はどこへやら。同期たちはプレサンスが密かに想う人の名を――正確に言えば、彼が何より誇ってやまない肩書で彼を呼びながら。
「そもそも支部長ってさあ…この間なんか…」
「わかるー!あんなんで支部長とか笑わせるっ」
女心や秋の空くらい、こういう場での話題もまた変わりやすいものだ。恋バナにときめいていたと思えば、話題は今や完全に上司についての愚痴に移ってしまった。同じ職場で働く女が数人集まった場でのお定まりのテーマの一つとはいえ。しかも、支部長たるザオボーの性格が性格なので、その内容が好意的なものになることはまずないとはいえ。出てくるわ出てくるわ、同期たちの口からはこれでもかというくらいに罵詈雑言が迸ってやみそうにない。
もう、だから飲み会は好きでもこういう話になるのは嫌なのに…やめて、やめてってば!プレサンスはそう叫びたいのをこらえながら、カクテルの淵に付いていたカットレモンを無意識のうちに摘み上げ、腹が立ったのを紛らわすようにグラスの中で絞った。搾りかすを空いた皿に放って煽れば、ほとんどジュースのような甘ったるいカクテルに酸味は中途半端に溶け残って、彼女を余計に苛立たせるだけだったけれど。
「プレサンスも支部長のことそう思わない!?ねえ」
ドリンクの嵩が減っていくのと反比例して、好きな相手が言われっぱなしというこの状況が自分のことのように悔しいと思う気持ちはこみ上げていくばかり。そんなところでまた話を振られ、思わず彼の肩を持つ言葉が口をついて出た。
「うーん…でも私ね、実は支部長には何だかんだで色々助けてもらってるんだよ。ま、っていっても、報告書のここはどう書いたらいいとか、それには何が参考になるとかそういうこと教えてもらう程度なんだけどね。だからそのまあ…そんなに悪く言うのもちょっとなー…って…」
周りはプレサンスも同意するものと思っていたのか、意外な言葉にポカンとした表情を浮かべて沈黙した…のは、ほんの一瞬のことに過ぎなくて。
「えっ何それウソでしょあの口だけ支部長が?」
「プレサンス、ウチらあの人にチクるなんてしないからね?こういう時くらいぶっちゃけていいんだってば、ストレス溜めるの良くないし!」
「っていうかありえなーい!あの人言うだけ言って終わりじゃんそうやってフォローするとかないない!多分じゃなくて絶対その時の支部長熱でもあったんだよ!」
「そーだよ〜プレサンスってばぁ〜大丈夫う?酔っ払ってえ〜別のひととぉ、ひっく、とりちがえてんじゃないの〜?」
「何言ってんの酔っ払ってんのはアンタでしょもう毎回毎回!水飲みなってばほら!」
「よっれないも〜ん、うぃ〜…ひぃっく」
「まーたそう言ってこの間なんか…」
けちょんけちょんにけなされるとはまさにこのこと。言い方こそ様々だったが誰一人としてプレサンスの話を信じてはくれなかった。
怒涛の勢いに押された彼女をよそに、弱いのに酒好きな一人がやっぱりというか一番乗りで酔いが回ったようだ。呂律の回らなくなった彼女が一番の世話焼きに介抱され始めるうち、プレサンスにとっては幸いなことに話題はザオボーのことからまた別のことに移りつつあった。
「こうなったらあれだ、将来有望そうな年下にツバ付けとく作戦もアリじゃない?時々代表に招待された島めぐり中のコとか来るしさ。この間もお嬢様がスクールの友達連れて来てたじゃん、ワタシあの中なら褐色肌のコがもろタイプなんだわ。何とか紹介してもらうとかできないかなー」
「そお?あたしならぽっちゃりクンにするけど。今でもカワイイけど、ああいうコって案外成長していい意味で大化けするんだから」
「アタシだったらピカチュウ連れのトレーナーくん一択ね。元気が眩しかったわぁ」
「あーん、代表のお坊ちゃまとお近づきになっておくんだったあ…おねーさんのお色気でメロメロにさせてうまくやればゆくゆくは財団の代表夫人になれたかもなのにぃ」
「ないない」
よかった。いいと思っているひとが悪し様に言われるのを聞かされる時間が、ひとまずは終わってほっとした。
――ほんと、随分な言われようだったなあ。そうだ、あの子の介抱を手伝ってればさっきみたいな話振られなくなるかも。プレサンスはそんな打算で席を立ちあがりかける前、グラスをまた口に運んで、滑り込んできた氷のかけらを奥歯でガリリと噛み砕いた。


あくる日の夜。プレサンスは退勤間際に振られた仕事をようやく片付けて休憩を入れようとしていた。明日朝一番の実験進捗報告会議で使う資料に急遽差し替えが必要になったのだ。カロスの研究機関が今日の夕方に発表した最新の理論のニュースが飛び込んで来たとかで「代表も直々にご出席される重要な会議で、古い情報を出すわけにはいかないのです」…そうザオボーに指示されて。
まったく、体面を重視する彼らしい。エネココアがなみなみ注がれたお気に入りのニャビー柄マグを傾けながら、パソコンとにらめっこして疲れた目を閉じ昨日のことを――悪口はなるべく思い出さないようにしつつ、自分が言った言葉を思い返してみる。
同期たちは、ザオボーに色々押し付けられているせいで“そういうこと考えるヒマ”…つまり、周りの男子職員に目を向けて誰が好みだとか思うヒマもないのだと受け取ったようだった。まるで誤解というわけではないが、その受け取り方を訂正するつもりはない。あれにはもう一つ、プレサンス以外誰も知らない意味が込められているのだ。
「支部長以外、気になる人っていうか好きな人なんていない。他の人、目に入れる気なんかないから…噂好きのみんなに知られたらあっという間に広まって大変なことになっちゃうし、支部長本人にだって言えるわけない。興味があるのはきっと肩書とか地位とかそういうのだけだもんね、好きだとかそういう気持ち、受け止めてもらえるわけないよね」
心の内のモヤモヤを出したくて諦めた口調で呟いてから、それを消し飛ばそうと甘い香りのエネココアを口に含んで至福の時を大いに味わう。ザオボーは、プレサンスがエネココアを味わっているのを見ると、決まって「そんなお子さまの飲み物、よく毎日飲めますね」と眉間に皺を寄せる。そんなところを想像してから、意識するきっかけになった報告書の件を思い浮かべる。
あれは入職したての頃だ、プレサンスはOJTの一環で報告書を作らされていた。やっとの思いで書き上げ、それなりに自信を持ってザオボーに提出しに行った。
だが、目を通した彼は褒め言葉の「ほ」の字さえも言い出さなかった。それどころか、報告書のここがなっていないなどとあれこれと指摘したあと「わたしの素晴らしい仕事ぶりを大いに見習うことですね」と、自分の作ったものを押し付けてきた。腹立たしさを覚えはしたが、読まなかったと知られては後でネチネチ言われるに違いない。そうまで言うんなら見てやろうじゃない、と目を通してみたら、なんと本当に解りやすくて助かった。その翌日ひとまずもごもごとお礼を言ったら、一瞬ポカンとした表情を浮かべはしたもののすぐに「ええ、当然でしょう」とますますふんぞり返られたけれど。
その時点ではまだ恋愛感情を抱いていたわけではならなかった。でも、段々と気が付くようになったのだ。他の職員にはそういったフォローはせず(目に見えにくく回りくどく、おまけにお説教臭いときてはいても)自分だけにしてくれている…と。我ながらそんなことで好きになっちゃったなんて単純すぎ、とは思う。彼が仕事中のブログの更新とかだけでなく、それよりもっと重大な、何かしら他人の目には触れさせたくないらしいことをしているのにも薄々感づいている。それでも、プレサンスはザオボーに想いを寄せていた。だから、退勤間際に明日までの仕事なんて、普通は理不尽としか思えないだろうことでも、彼のためとなればちょっとやる気が出て頑張ってしまうというもので。
でも。あ…これ、まずい。回想の合間に、次第に眠気が体を包み込み始めていたのだ。ちょっと目を休ませるつもりで閉じたのに、疲れに加えてまだ少し残っていた昨日の二日酔いの眠気まで便乗し始めて。せめて膝の上でひっくり返して大惨事が起きないように、薄っすら目を開けまだ中身の残っているマグをデスクの平らな場所に置くことはできた。それでも眠気覚ましには弱すぎて、うつらうつらしてしまうのを止められそうにない…このまま寝たらまずいのに…居住区に行かなきゃ…なのに目が…開かな、い… … …
するとその時。ガコン、入口ドアが開く音がプレサンスをにわかに現実に引き戻した。
「プレサンス!起きるのです!」
「ふぁ!」
続いて聞こえたのは呼びかける声。完全に醒めてハッと目を見開けば、そこには。
「し、支部長…?!なんでここに」
「これはご挨拶ですねえ、何故も何もあったものですか。支部長たるわたしがこのエーテルパラダイスにいてはおかしいと言いたいのですか?」
「い、いえ。失礼しました」
プレサンスは気分がどんよりと落ち込むのを感じた。何してるんだろ私、寝ぼけてたってもっと言いようってものがあるのに…想い人の前での失態に項垂れる彼女の眼には、だから、つかつかと歩み寄って来るザオボーが何やら後ろ手に持っている様子が映ることはなく。
「昨日の飲み会で二日酔いだとあなたの同期たちが話していましたがね。さぞかしわたしのあれこれで盛り上がったのでしょう」
「その通りです大正解!」とはとても言えず、ぼんやりしているフリで聞き流そうとした。だが、プレサンスのデスクのすぐ傍まで近づいた彼は、その反応を待つでもなく話を続ける。
「そしておおかたプレサンスのことですから、仕事は片づけたと。…ふむ、代表にご覧に入れるに足る資料になりましたね。だがしかし、疲れが来るとすぐに眠気を催す体質のせいで、女子居住区まで行く前に眠くなりここで寝そうになっていた。そうでしょう?」
「う…はい」
今度は紛れもなく大正解だ。見抜かれていた気恥ずかしさにまだ顔を上げられない。
「まったく。いいですか、わたしは支部長である前に理性的な紳士です、であるからして目の前に無防備に寝こけているプレサンスに偶然、いいですかもう一度言いますが偶然ですよ、遭遇しようとも邪な思いも抱かずただ起こすことができるのです。ですがこれが他の男に見つかったらどうする気ですか、常にリスクを想定した行動が重要であると言い聞かせてきたというのに」
「はあ。…それにしても支部長、わたしのことよくお解りなんですね」
「当然ですとも、行動パターンなど把握済みですよ」
ザオボーは前半部分は彼自身に言い聞かせるように、後半部分はプレサンスに語りかけるように早口でごちた。彼女は寝起きで頭が働かないの半分、謎の勢いに気圧されたの半分で短い相槌を打つのがやっと。リスクというのは何だろうかとも思ったが、頭の中が徐々にすっきりしてくると、彼が自分をよく解っていたことに少し嬉しくなって、思わずそんなことを口にした。彼がヒゲをいじりながら「支部長たるもの、部下をよく見ることが云々」と続けることだろうとも予想しながら。
でも、その予想は外れた――思ってもみなかった方向に。
「ずっと、目で追っていたのですから」
「え!」
いくらプレサンスにだってその意味くらいは解るのだ。今、支部長は何て?それって、それって…!顔をガバッと上げれば、ザオボーの顔にもしまったと大きく書いてあるではないか。すぐさま体ごと背を向けられてしまったからその様子が見えたのはほんの一瞬だったけれど、立てた襟から半分くらい覗く彼の耳はびっくりするほど赤くなっていて。静かなラボの中、心臓は高鳴るばかり。何を言っていいのか解らなくて黙っていると。
「…部下全員に世話を焼いてやるビッケ君ほどお人好しでもヒマでもないというのに目をかけたのがそもそもの…いえ、出来の悪い子ほど可愛いとはしかしなかなかどうして言い得て妙…ってああああ!違う違うのです!!」
「あの…支部長?」
凄まじい早口の小声で何事か呟いたかと思えば、今度はいきなり大声を出すものだから肩がビクッと跳ねた。が、背を向けている彼は知る由もなくまくし立て続ける。
「可愛いというのはその、そう、言葉のアヤというべきものでっ…ええい!っこ、この際だから誤解の無いよう言っておきますがべ、別にいいですかプレサンスに一目惚れをして支部長権限を濫用してでも秘書として手元に置いておきたく人事計画を捻じ曲げたり他の男が寄り付かないよう圧力をかけていたりなどという事実は存在しませんよ!そこに置いたお子さまドリンクでも飲んで忘れなさい毒など入れておりませんよこうして部下を労うくらいのことはしますともええ!さあさっさと女子居住区に行くんですね、そうしなければわたしが監督責任を問われるからですよ、決してプレサンスの心配などっ」
「ででっ、でも支部長はエネココアなんていつもお子さまの飲み物だってグランブルマウンテンしか飲まな、じゃなくてえっとそうじゃなくて」
「自販機のボタンを押し間違えただけですプレサンスのためにわざわざ買ったわけではないのです!本来は今日らしくお高いチョコレートなり贈ろうかとは思いましたがプレサンスの好みはきっとそういうお安い味なのでしょう!?」
お互いの混乱ぶりはとてもいい勝負だ。一息に言い終えたザオボーが口にした方を見れば、そこには確かに缶入りのプレミアロイヤルエネココア。しかも普段飲んでいるものよりもっと上等なもので、ボタンを押し間違えたなんてウソのはず。だってこれは、休憩スペースの自販機で売っている普通のものとは違ってエーテルパラダイスでは売っていないのに。
エネココアの缶そしてザオボーの背中、交互に視線を向けるのにこんなに忙しくなる時なんてきっとこの先一度も来ないだろう。そうこうしている間に、彼は照れ隠しなのかいつもよりも大股でドアの方へ歩き出している。そうだ、ぼんやりしてる場合じゃない。私も、忘れないうちに伝えなきゃいけないことがある!プレサンスは弾かれたように立ち上がり、深呼吸したあと目一杯息を吸い込んで。
「しぶちょ…いえ、ザオボーさん。ありがとう、ございます!」
「…わたしのことは肩書でお呼びなさいと言っているはずですが?」
ドアまであと一歩の距離にいた彼が反応して振り返った。誰かが肩書で呼んでいないのを聞きつけた時の決まり文句で不機嫌を装ってはいる。でも――口の端は上がっていて、あのユニークなデザインのサングラスの下の青い目に浮かぶ光は妙に強くて、実にご機嫌だということがはっきり判る。
「これが他の部下であれば支部長と呼び直させているところです。ですがこのわたし…ザオボーという名を、肩書ではない名を呼ぶことは、これからはわたしが愛するひととしてのプレサンスにだけは許すことにしますよ」
ザオボーは聞こえるか聞こえないかの音量の早口でそれだけ呟いて、閉まった扉の向こうに姿を消した。
「…ずるい。あんなの」
体中が熱い。頭の中は不器用ずくめの愛情表現でいっぱいだ。おまけに、受け止めてもらえはしないと思い込んでいたところにあんな、あんな…!思わず力が抜けて床にへたり込みそうになって、なぜだか咄嗟に掴んだエネココアの缶に、火傷しそうなくらいの熱が移っていった。



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