福はいつでもいつの間に


あと数歩、あと数歩だというのに。ようやくエーテルハウスに帰り着き、ザオボーはヨタヨタと玄関扉をくぐった。ハウスの“えんちょう”、もといそんなあだ名で呼ばれているヤレユータンが彼に気が付き、受付カウンターの奥から大丈夫かとでも問いたげな眼を向けてくる。お子さまたちの部屋とは別にある職員用の部屋へ続くドアまでの距離など、いつもならどうということはないのに、くたびれきった今は途方もなく遠くにあるように感じられてしまう。
ああ、まったく忌々しい!だからお子さまという存在はフリーダムすぎて嫌なのです!今の彼の状態とシンクロするかのようにヨレヨレなそれ――エーテルハウスのお子さま特製、厚紙を切り貼りして作ったボルトロスのお面を右手に持って、そんな気持ちを込めて睨みつけてやった。

ザオボーは今日、エーテルハウスで暮らす子供たちを、マリエシティにある保育園に連れて行ったところだった。毎年合同で行っているというジョウトの伝統行事、ポケマメまきに参加させるためだ。
エーテル財団はポケモンの保護やそれに関する研究といった事業でよく知られているが、それ以外にもこのエーテルハウスの運営をはじめ、トレーナーになれる年齢に達する前の子供たちを対象にした教育事業も展開している。教育といってもタイプ間の相性とかを習わせるのではなく、例えば傷ついたポケモンを見かけたらどうしたらいいかといった接し方について教えたり、それから世界の色々な文化や行事を体験させたりするのだ。
“とりわけアローラの支部では、この地が様々な地方から移り住んできた人々によって成り立ったという背景を持つ分、小さいうちからの相互理解のために後者には特に力を入れています…”
遠い昔入職したばかりの頃、新人研修で配られたテキストにはそんな一文が書かれていたのをぼんやりとだが覚えている。
しかし。あれから少なくとも十数年以上が経った今、まさか自分がそれに関わることになろうとは。おまけに、お子さまのお守りだけならまだしも、なぜボルトロスのお面を被らされ追いかけ回されながらポケマメをぶつけられる羽目になるのか。お子さまとは一切関わり合いにならずに研究一筋で出世街道を驀進するはずだった、このザオボーが…。昔々ジョウトの伝統行事が持ち込まれたけれど、本当ならこの時に使うための豆がこの地方では採れなかったのでアローラにやって来た人々はポケマメを使うようになりました、撒いたポケマメは後でちゃんと拾ってマリエ庭園で冬を越しに渡って来たポケモンたちにあげましょう…それだけ教えておしまいでよかったはずでは。毒づくように苛立ち混じりの呟きを零した。
「まったく。そもそもボルトロスにポケマメをぶつけて追い払って福を招く、ですって?昔のジョウト人が考えることときたら複雑怪奇としか言いようがありません。わたしを何かと目の敵にするメタモンのいる保護区とおさらばできたと思いきや、次はよりによってこのお子さまの巣窟とは…出世の道も一歩からとはいえ、有難くて涙が出そうですよ」
発端はレインボーロケット団の一件から数か月ばかりが経ったころ。ルザミーネは久々にザオボーを呼び「その後、中々励んでいると報告を受けています」と切り出した。
ええそうですとも、それもこれも再びの出世のためとあらば。あとは一日も早くお赦しが出るのを待つばかりなのですがねえ…「恐れ入ります」などと答えて殊勝な態度を見せつつ、しかし内心ではそう呟きながら次の言葉を待った。「懸命な働きに免じ、そろそろあなたを副支部長に据えるのもやぶさかではありません」とか、そういったことを告げられるのを。
が、勝手な期待はいともあっさりと裏切られた。ルザミーネは何やら少し厚い紙を手渡してきながら予想だにしなかったことを言い出したのだ。
「この調子で、パラダイス以外でも様々な経験を積んでおいでなさい」
「…へ?」
パラダイス以外で、とは一体…少し動転しつつも、財団のエンブレムの透かしが入った高級な紙に目を通せば。

“辞令
ザオボー殿、貴殿にエーテルハウスへの異動を命ず。なお任期は来月より半年間とする。
エーテル財団代表 ルザミーネ”

あ、あ、ありえないでしょう!?ぎゃひーんと叫びそうになったのをどうにか抑えただけ褒めてほしい。お子さまの巣窟へ行けとはまたなんのご冗談で?そう訊きたいのをこらえて顔を上げれば、それは麗しい笑顔を浮かべる代表と目が合った。
「今回はイッシュのホドモエ支部へ赴任する職員の代替要員として行ってもらいます。あなたならばもちろん理解しているものと承知していますけれど、財団の事業はパラダイスでの研究や保護区の運営のみではありません。全体像を自分の眼で見て掴んでおくのも、今後再び部下を持つ立場になった時のよい経験になるでしょう」
硬直するザオボーに向かって、彼女はにこやかな表情のままこうも続けた。
「あのようなことをしたからには、しばらくはこうしなくては他の職員にも対外的にも示しが付かないわ。でも、あなたの優秀な頭脳は今後も財団に必要よ。手放すにはとても惜しいの…解るわね?」
「は、はひっ!」
今後のことを、それも部下を持つ立場になったら云々などと上の地位へ戻すことを匂わされては、それ以外どう答えろというのだろう。ザオボーはこの時ほど、いつかの自分にこう教えたいと思った時はなかった――「聞きたいのは「はい」という返事だけなのだ」と強制されるのは、とても嫌なものなのだ…と。


ああ、肩で風を切って颯爽とエーテルパラダイスを闊歩していた輝かしき日々よ。職員用の部屋のドアノブに手を伸ばして自嘲しながら懐かしんだ。これがエーテル財団の元アローラ支部長のすがたとは、ね…。
レインボーロケット団と内通したかどで支部長の地位を剥奪の上降格されてからしばらくは、やれ荷運びだの保護ポケモンの世話だの、もともとの研究からはかけ離れた仕事ばかりさせられていた。周りの職員も実に冷淡だった。第一多くの職員たちは、エラそうにふんぞり返っていた元支部長を快く思っていたはずがない。同格になったザオボーのことを、これまでのうっぷん晴らしのようにここぞとばかりにこき使ったり聞こえよがしに好き放題言ってくれたりしている。例えば、辺りをはばかることなくこんなふうに。
「ヒラにされてもまだ辞めずに居座ってるとかヤバくない?あたしだったらマジムリなんだけど」
「そうそう、図太いっつーかなんつーか。“あついしぼう”じゃなくて“あついつらのかわ”って感じだよな」
「何それウケるー!」
それに、息のかかった職員たちだって既にほとんど皆辞めてしまっている。周りに味方といえる者などもう居ないに等しかった――とある一人を除いては。
「あ、ザオボーさん。ポケマメまきお疲れ様でした〜」
そのまさしくとある一人…ハウス付きの職員のプレサンスが、労いの言葉をいつも通り間延びした調子で掛けてきて、不思議なことにたちまち疲れの半分くらいが吹き飛んでいく。
「まったく…どこかのしまキングがお子さまたちを「ボルトロスにたくさんポケマメを投げろ、ボルトロスはイッシュにいるあちこちを逃げ回るポケモンだけど諦めずに追いかけろ」などと煽ってくださったおかげでお子さまに追いかけ回されるわポケマメをぶつけられるわでヘトヘトですよ…あの四天王のお子さまが呼んだのでしょうが身に余る光栄でしたとも、アニメ登場まで体力を温存していればいいものを。ま、きっと顔芸をさせられることでしょうからそれを見て溜飲を下げる日を楽しみに待つことにしますよ、はい」
「大変でしたね〜、でもボルトロスのお面似合ってましたよ〜。エネココア飲みますか〜?」
プレサンスは積もり積もったものを一息で吐き出したザオボーにそれだけ答えて、今度は彼の使っているマグを差し出してきた。そういえばエネココアを淹れる時に調子外れの鼻歌を歌うクセがあるけれど、それが聞こえていたような…。
「はン、エネココアなんてお子さまの飲み物など飲まないと言っているでしょうが」
似合っているなんて、プレサンスは別にそういう意味で言っているわけではないのですから…舞い上がりかけた自分に、内心そう念を押すよに言い聞かせながらつっけんどんに言い返す。けれど、その中に照れ隠しが混じっているのは自分でもはっきり解っていた。顔が赤くなる理由も、エネココアがなみなみと注がれているマグを突っ返さない理由も。
最初こそ“ゆるい”とでも表現すればいいのか、独特の間延びした調子で話しマイペースを貫くプレサンスに少し苦手意識はあった。でも、彼女の態度や接し方はエーテルパラダイスでの職員たちのそれとはまるで正反対。気にしないふりをしてはいたけれど、やはり意識しないうちにザオボーを苛んでいた接し方とは対照的で、彼を下に見てこき使うわけでもなく…最近では彼女がいるならば、このお子さまの巣窟も悪くはないと感じるようになっていたのもまた事実なのだ。
「でも確かに〜、ポケマメくらい小っちゃいものなら痛くないって思ってたら意外とそうじゃないんですよね〜」
「ええ、ええ、手加減など理解できるはずもないお子さま集団に四天王としまキングまでもがゼンリョクで投げつけてくださいましたからね、なかなかの威力だったのですよ」
そう、傷がつくほどではなかったけれど、チクチクともヒリヒリともいえないがとにかく気持ちが良くない感触は何ともむずがゆかった。
「それにしても…」
「うん?」
「ザオボーさん、よく辞めないですね〜。研究から外されちゃって色んな部署をたらい回しにされちゃってるのに。もしわたしが同じ立場だったらヤだけどなあ、なのに頑張ってるのってエラいな〜って思って」
他の職員から言われたら嫌味にしか受け取れなかっただろう。でも、なんとも素直に感心したように言われては気を良くしないわけがない。
「決して屈しはしない、それがこのザオボーの持ち味ですからねえ。降格されて以来、今プレサンスが言ったような扱いに屈辱を覚えなかった日はありませんよ。でも、辞めたいと思ったこともありません。どんなに無様なすがたを笑われようが、耐えて耐えて執念でしがみつき続けますよ。出世の道は限りなく遠い、しかし完全に閉ざされたわけではないのです。ボルトロスよろしく追い払われずに済んだのだから、財団にいる限りはいつかまた這い上がれる可能性があるのですからね」
「そうなんですか〜、なんだかすごいですね。がんばってください〜」
「…ええ。また返り咲くためなら、地道な仕事だろうがお子さまのお相手だろうが、せいぜいうまくやっていくだけですよ」
エネココアのマグを傾けながらというのは少し決まらないしプレサンスにどこまで通じたかはわからない。けれど、いつかの調子を取り戻してふんぞり返ってそう言ってやった。



目次へ戻る
章一覧ページへ戻る
トップページへ戻る


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -