中毒症状、重篤


ダルスの色素の薄い瞳は爛々としていて、霧の中で妙に光って見えた。彼がプレサンスとの距離を詰めるように一歩、二歩と近寄って来る度さらに強くなっていくかのようだ。強い日差しの下で活動する際は日よけゴーグルが欠かせないが、ここ月輪の湖の辺りのような天気ならしばらくは着けていなくても問題ない。いつかそう教えてもらったことがあった。

……ほんと、夢中になっちゃって。プレサンスはダルスを見つめ返しながら、彼が“そのこと”を知って以来随分変わったものだと思う。これから何をしたいと言い出すのか、もう聞かなくても予想がつくようになっているから賭けてもいい。ダルスは彼女が姿を見せた時からどことなくソワソワしていたが、先ほどまで一緒にいたアマモが気を利かせて「あたしウラウラのはなぞのでちょうさしてくるね!ごゆっくりー!」と走り去って行った。

そして、彼女の後ろ姿が霧の向こうに完全に見えなくなった今――とうとう、待ち切れなくなったのだと。すぐにでもしたくてたまらないのだと。いつも通りの無表情のその下に、ありありと静かな興奮が見て取れた。

「なあ」

少し掠れ気味な、熱っぽさを帯びている声がよく聞こえる。周りには自分たち以外誰もいなくて静かすぎるほどだから……でもそれだけではない。耳打ちする必要なんてないはずなのに、長身を屈めてプレサンスの耳元ゼロ距離で囁いているせいだ。

「……ダメ、だろうか」
「またぁ?しょうがないんだから」

ほらやっぱり、予想は見事に的中した。プレサンスは呆れるように答える。けれど、無理強いなどしないばかりか、なんとも律儀に訊ねてくるダルスのなんと愛おしいことだろう。だから、いいよともダメとも返さないうちから彼が唇を重ねて来ようとするのを拒まずに受け入れるのだ。

一方のダルスも、プレサンスがそう答える時は「いい」と許可しているのだ、との“調査結果”を既に得ているからには。

――かたや色素も厚みも薄いもの、かたやサニーゴの体の色のような淡いピンクで彩られた少しぽってりしたもの。色も厚みも異なる互いの唇が、そっと近づいていって。

「……」
「ん……」

重ね合わせられたそこから、幸福感が少しずつじんわりと溢れ出す。段々と二人の身体中の隅々まで行き渡り、ついには全身を包み込んでいく……。

そのまま、どれくらいそうしていただろう。どちらからともなくスッと離れて行った唇の感触を名残惜しく見送りながら、その余韻に少しでも長く浸っていたいと思いながら、ダルスは言葉を紡ぎ始める。

「……不思議なものだ」
「何が?」
「キスをする度、何故これほどの例えようもない充足感……それとも幸福感とでもいうのか?そういった感情が溢れてやまないのは、何故なのだろうな」

疑問を口にするダルスも、それに聞き返すプレサンスも半ば夢心地のまま。姿勢を正した彼はプレサンスを見下ろしながら、考え事をする時の癖で右手を顎に当て、一方で左の人差し指の先は彼女の唇に乗せ左右に滑らせていた。正直に言えば、グローブに覆われた指先の感触はプレサンスにとっても心地よいものではない。けれど、好きなひとが唇に触れてくれているという喜びは、そんなことなどすぐに忘れさせてしまうというものだ。ダルスはその状態のまま、ポツリポツリと続ける。

「プレサンスと出会うよりも前に、キスをしている者たちを目撃したことはある。何のために粘膜同士を接触させているのかと興味深くはあったが、あの時は本来の目的の調査に専念していたしな。結局、この世界での愛情表現だということはプレサンスに教えられるまでは知らないままだった」

粘膜同士を接触、ね。確かに間違ってないけど……キスをこんなにもムードも何もあったものではない言葉で表現されたのは初めてで、プレサンスは思わず内心で苦笑いした。

ダルスによれば、なんとキスをするという行為というか文化自体がウルトラメガロポリスには無いのだそうだ。だから彼が言うようにプレサンスに教えられて……より正確に言えば、折角想いが通じ合ったというのに中々キスをしてくれないことに、彼女が痺れを切らしてせがんだ時に初めて、この世界の愛情表現だと知ることになったが。

「説明を受けた時は大いに驚いたけどな。何の役に立つのかとも思った」
「今でも覚えてるよ、そう訊いてきた時心底“リカイできない”って大きく顔に書いてあったの。あっちでも普通にするものだって思い込んでたから、あんなカオされてショックだったけどね。私のこと好きじゃなかったのかな、嫌なのかなって」
「すまなかった。いや、だがもちろん今ではよく解っている……愛おしい相手と互いの心を満たし合うのに役に立つと。そして、何度でもずっとああしていたいと願ってしまうほど心地よいものなのだと」
「ね?実際にしてみたらいいものだったでしょ、そこまで言うならしようって言った直後にあんな夢中になっちゃうくらいに」
「そう、だな」

少しばかりからかうように訊ねると、ダルスは同意しながらも真っ直ぐプレサンスの方へ注いでいた視線をフイと逸らした。横顔には隠し切れなかった気恥ずかしさが微かに浮かんでいる。

あの時は思いがけないリアクションに戸惑いはしたけれど、プレサンスはどうにかこうにか好きな相手とキスができたことは嬉しかった。一方のダルスも、知らない文化の一端に触れ、そして彼女との絆が深まったことに喜んだ。

……いや、そんな生易しい表現では足りない。初めてのキスの後、ダルスは目の色を変えてもう一度、またもう一度とせがんできたのだ。そう、虜になってしまったような、もはや中毒といってもよさそうなくらいに。未知の食べ物を物は試しと口にしてみたら、それが思いがけず美味しくて病みつきになった…といったところだろうか。

「おれもあれほどにまで求めてしまうなんて、自分のことながらおかしいとは思ったのだ……だが、止められなかった。気が付けばプレサンスに逢う度キスがしたいと思ってしまう。あれ以来ずっと、今も……だから」

プレサンスの正面に向き直った彼は不思議でならない、といったふうに零す。だがその眼はまた、先ほどまでのような熱を帯び始めていて――これも賭けてもいい、きっと数秒後には再び、律儀に「ダメか?」と訊いてきて、プレサンスは「しょうがないんだから」と呆れるように言いながらも拒まないことも。



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