お相手しましょう


一昨日に少し降った雪の名残で、バトルシャトーはさながら粉砂糖をまぶされたお菓子の家ならぬお菓子の城のよう。寒さの名残はまだ残ったままだから当分溶けそうにはないだろう。
そんな冷え込む日は屋内で温まるに限るというもの。シャトーの一番奥まったところにある部屋、マーショネス以上の爵位を持つものだけが入ることを許されるサロン。約束はしていなかったが偶然出くわしたザクロとズミは、バトルを楽しんだあと、大きな窓の外に広がる雪景色を眺めながら時々思い出したように会話を交わしていた。天気が天気だからか、今日の城内に他の来城者の姿はまばらだ。その上、この部屋を使う資格を持つ者はもともと少ないから今のところは彼ら以外の姿はないので、暖炉を模したストーブの近くという特等席で寛ぐのに誰にも遠慮は要らなかった。
「フリーズドライには毎回苦しめられます」
「ズミさんにそのように言っていただけるとは。これからも高い壁を乗り越えられるよう…」
ふかふかのソファに腰を掛けている二人はそんな話をしつつもどこか気もそぞろ。第一、ズミはフリーズドライ云々などと言ったがザクロの手持ちにはその技を使えるポケモンはいないというのに。ザクロも受けた賞賛に礼を述べてはいても、自分で言葉を紡ぐというより口が勝手に動くのに任せているといったふう。コレクションの準備が大詰めだと話していたから今日ここにいないマーシュが見たら「お二人さんともえらいぼんやりしはって」と不思議がったに違いない。
…今日は、
(逢えないだろうか)
(お逢いできないのでしょうか)
二人は窓の外の銀世界に想い人の横顔を描いて焦がれる。高みを目指しあう者同士、ここを訪れた本来の目的はもちろんバトルをすることだ。しかしそれを終えた今、彼らは既にある一人の女性を思い浮かべる恋敵同士になっていた。
ある時ふらりと現れ、あっという間にマーショネスまで上り詰めたばかりか、その麗しさと実力で紳士たちを惹きつけてやまず、淑女たちの憧れの的となった女性、その名はプレサンス。ザクロもズミも幾度か彼女とバトルをしてきたので面識があるとはいえ、確かに知っていることはといえば名前と顔と手持ち、そして高い実力の持ち主で…ということぐらい。素性を明かそうとせず連絡先も教えようとしないから、今日必ず姿を現すなどという保証はどこにも無くとも、一目会いたければ一縷の望みにすがるほかはない。二人は多忙な生活の合間を縫い、時間ができればここに足を運んで招待状を出すようになっていた。
「城内の皆様に、お伝え申し上げます…」
かたやジムリーダー、かたや四天王。役職に加えて他にも様々なことを抱えているからここにたむろしてばかりいるわけにもいかない。プレサンスにだって他に色々な用事やら何やらがあるはず、都合がつくとは限らない。ここ最近は空振り続きだが、今日ももしかしたらそうなってしまうのか…だがどうか、驕らず挑み続ける姿を、バトルに真摯に向き合うあの瞳を、もう一度。脳裏に焼き付いている恋に落ちた瞬間を思い返しながら、どうか来てほしいとザクロもズミもひたすら祈る。
そんな二人の耳を、アナウンスはまるで気にも留められず素通りしていくだけ。――ただし。
「マーショネスであらせられます、プレサンス様がご来城になられました…」
まさしくそのひとが訪れたのを告げたとあっては、話は別だ。
先ほどまで聞き流していたというのに、二人は名前を耳にするが早いか、先を争うようにソファから立ち上がるとドアを開いてサロンの外へ出た。じきにこの部屋へ通されるはずとはいえ、一秒でも早く、隣にいるライバルよりも早くその顔を見たかったのだ。
「ズミさん、お急ぎのようですがもうお帰りですか?」
「そのようなわけでは。ところでザクロ、先ほどダッチェスの方にバトルを申し込まれたと話していませんでしたか?ご婦人を待たせるなどあってはならないことと思いますが」
「それは先日の話ですので御心配には及びませんよ」
彼らはにわかに競歩の選手にでもなったかのようだ。長い足をこれでもかというほど早く動かして、とにかく互いより一歩でも早く前に進まんとしている。そんな彼らを、廊下にいた執事とバロンが勢いに飛び退き慌てて道を譲りながら驚きをもって見送る。手入れの行き届いた床に二人分の靴音がカツコツとよく響く。これがもし雪の積もっていない屋外だったなら、きっと土煙が立っていたはずだ。
(――ザクロ、あなたといえど譲りませんよ。)
(私こそ、このことだけはズミさんに負けるわけにはいかないのです――。)
視線にそんな思いを込めて互いを見やると同時に角を曲がり、玄関ホールへ出てみれば…いた!丁度プレサンスは玄関に控えるメイドにコートを預け終わったところだった。少しウェーブのかかっている銀色に近いプラチナブロンドの髪。少し吊り目気味で大きな灰色の瞳。藍色のシンプルなデザインだが上質そうなワンピースに身を包んでいて、その襟元にはキーストーンが埋め込まれたブローチが燦然と輝いていた。
「こんにちは、プレサンスさん。ザクロです。またお会いできて光栄です。寒い中お疲れでしょう、よろしければバトルの前にサロンでお茶をご一緒しませんか」
まずザクロがズミより早く彼女に近づくと、一気に挨拶を述べ誘いを掛けた。一歩リードした形だ。恋愛の地カロスの男たるもの、恋い慕う女性に逢ったのならばこちらから行かなくては失礼になるというもの。いや、もし失礼に当たらなくたって、向こうが気が付き話しかけてくるのを悠長に待ってなどいられない。
「お久しぶりです。プレサンスさんの芸術的なバトルの相手には是非このズミを。ご婦人との会話を冬の玄関先での立ち話で済ませるなどあってはならないこと、サロンまでご案内させていただけますか」
しかしズミも負けじと進み出て、しかもさりげなく腕を差し出しエスコートを買って出た。もてなしの粋に通じる者としての気遣いを見せ、後れを取った分を取り戻すつもりなのだ。
「ごきげんよう、ザクロ様、ズミ様。お目にかかれまして嬉しゅうございます。ご案内をいただけますか?」
果たしてプレサンスは、たおやかなほほ笑みを浮かべて挨拶を返してきた。寒空の下から来たせいだろう、間近で見る真珠色の肌にほんのりと赤みが差しているのがまた美しい。二人は先ほどまでの“戦い”も忘れて見惚れたのち――。
「「喜んで」」
図らずも同時にそう応えた。

プレサンスがズミのエスコートを受け、サロンに落ち着いて数分後。メイドがティーセット一式を用意し終え恭しい礼をして下がっていった。
「ご招待いただきありがとうございます。最近はバトルハウスに籠りきりでご無沙汰しておりました…ふう、美味しい」
対面のソファに掛けたプレサンスは、香り高い紅茶の温みを有難がるかのように飲んだあと、言葉通りほっとしたように息を吐きソーサーにカップを置く。
その姿、やはり美しい。ザクロもズミも瞬きをしないようにしながら、一挙一動を見つめてそう思った。バトルの時はさすがに見られない所作、例えば今のように紅茶を飲む時のそれといい、美貌と相まって一つ一つがとても画になるのだ。優雅で洗練されていていつまでも何度でも見ていたくなるほど。
彼らに他人の出自を探る趣味などないし、プレサンスも自身の素性については一言も語ったことがない。だが、こういった場には噂がつきものだから嫌でも耳にしてしまうのだ。
とにかくそれによれば、昔の王家の直系であるどこぞの御令嬢だとか、はたまたかつてイッシュ地方で絶大な人気と天才的な演技力を誇った伝説の大女優の孫娘だとか。バトルシャトーは、ポケモンバトルを礼節をもって楽しむ場としてももちろんのこと、礼儀を重んじる社交場としても知られている。そのことから、良家の子女が一通りの礼儀作法を身に付けるために出入りすることもあるのだ。そして仕草や立ち居振る舞いからして、プレサンスもそうした一人であろうことは疑いようが無かった。なのに美貌もバトルの実力も鼻にかけることなく、どのような相手に対しても礼を尽くし一瞬一瞬の積み重ねに向き合い高みを目指しているとあっては、そんなあらゆる意味で美しい姿にどうして魅了されずにいられるだろう?
「またプレサンスさんのバシャーモと相まみえることができればと、前回お目にかかった時以来ずっと首を長くして待っていたのです。自身の力を信じていること、あなたを誇りに思いまた深く信頼していること、大変印象的だったのです。今日のバトルでも是非、お相手いただければと」
「恐れ入ります。バシャーモもきっと喜びますわ」
先ほどはズミにエスコート役を譲ったザクロは、ここぞとばかりに彼女を褒めちぎった。さり気なく、ズミが訪れていなかった時のことも織り交ぜて。彼が鋭い視線を寄越してくるのにも、これでおあいこですよとちょっと悪戯っぽい光を湛えて返してやる。
しかしズミもそこで退いたりする性質ではない。いつもならここで腹を立てているところだろうが、今はそれよりもプレサンスについてさらによく知ることが先決だ。手持ちの話から広げて出身地を訊くくらいは失礼に当たらないだろう、そう踏んだズミは話題を変えてしまおうという意図もあって口を開く。
「ところでプレサンスさんはホウエン地方のご出身ですか。バシャーモはホウエンの初心者用ポケモンの進化形でしょう。わたしとのバトルではジュカインをメガシンカさせておいででしたが」
「ええ、生まれも育ちもホウエンです」
ザクロもズミも、自慢ではないが異性には人気がある。だがそれはいいとして、彼女たちの多くはなぜ頼まれもしないのに自分のことを明け透けに語りすぎるのか。共通の友人であるマーシュは別として、そうした姦しさに嫌気がさす…その繰り返しだった。
なのに、プレサンスの場合訊かれたことには答えるけれど自分から自身にまつわることを明かそうとはしない。あれはいつだったか、なんとも無粋なことに「バトルに勝てたら教えてほしい」などと食い下がったヴァイカウントがいて、プレサンスは表向きはいつも通りににこやかにそのバトルの申し込みを受けた。だが結果はといえば、彼の手持ちはメガラグラージ一体に一瞬で完膚なきまでに叩きのめされてしまい、勝てなかったからには当然教えてはもらえないわけで…それ以来件の彼の姿を見かけていない気がする。
ともかくそんな秘密めいた仮面を頑なに纏い続けているとなれば、却ってこちらからその下を暴いてみたくなるというもの。隠されれば隠されるほど気になるし追いたくなる、プレサンスには不思議なことにそんな本能を刺激されてやまないのだ。
それはさておいて。彼女がこの地の出身ではないと判っただけ収穫といえた。では次はどうしよう?決まっている、この地を、自分をより知ってもらうために誘いをかけるだけだ。
「プレサンスさんはこれまでショウヨウシティにおいでになったことはありますか?海と山両方の美しさを感じられる、わたしの自慢の街なのです。ご都合がよろしければご案内させていただけませんか、早ければ来週の日曜日にでも」
「実は新しいメニューを披露する予定なのですが試食にお越しいただけませんか。プレサンスさんのように洗練された上品な方に捧げるコースを構想しておりまして、ご感想を頂ければと。早ければ来週の日曜日にでも」
「え、はい」
プレサンスは同時に声を掛けられ戸惑ったのだろう。どちらに先に返事をしたらいいやら、といった顔でズミの方を見たと思えばザクロの方を見やり、その繰り返し――つまり、彼女の視線を独り占めすることがかなわなくなってしまったわけだ。
ああ、こんな時にまでシンクロしなくともいいだろうに。ザクロもズミも再び互いを見やった。今度ばかりは、視線をぶつけ合うだけでは済みそうにない。
「ザクロ、わたしの誘いを遮らないでいただきたい。スイーツを控えている時期の食事会にスイーツだけ出しますよ」
「そのようなことをされたら、わたしは悲しみのあまり…プレサンスさんを始め、誰彼かまわずあのことを“ついうっかり”お話してしまうでしょう」
「あのこと?」
「実は自転車に乗るのが苦手だということですよ。秘密にしていらっしゃるのでしょう?」
「なっ…それはザクロだから打ち明けたことです!“うっかり”であろうがなかろうが漏らすなど承知しませんよ!」
「お、お二人とも先ほどからいかがなさったのですか。どうぞ落ち着いてくださいませ」
プレサンスはオロオロしながら宥めようとする。だが恋は盲目とはよくいったもの、恋に落ちれば常識も理性も失うどころか周囲さえ見えなくなりかねない。対抗心をエスカレートさせた彼らは、想い人の眼前で合戦を始めそうになって――だからその時、責任者も兼ねる執事が、高貴な身なりの青年を伴って「失礼いたします、マーショネスのプレサンス様にお客様がお見えです」とサロンに入って来たことには、その彼が言葉を発するまで気が付かなかったのだ。
「プレサンス!やっぱりここにいたのかい、心配したんだよ」
「…お兄様!?」
彼女の、兄?ザクロもズミも思わず一旦矛を収め声のしてきた方向を見た。新たな恋敵ではないのは喜ばしい。ただ、プレサンスの声色はおよそ家族との再会を喜んでいるようには取れない響きだったとあっては気にならないはずがない――そして、驚愕した。無理もない、だって今入ってきたのは誰あろう…!
「どうして、ここにいることが…」
「まず1つはチャンピオン同士のネットワークのおかげだよ。カルネさんから「妹さんの特徴によく当てはまる方が出入りしている」と教えてもらってね、探しに来たことを告げれば入城できるよう手を回してもらったんだ。リーグとは違う勝負ができるこういう場所も楽しいものだし、入り浸りすぎたせいで戻って来るようカゲツに呼ばれるボクといい、やはり兄妹というべきかな」
仕立ての良さそうな服に身を包んだ“お兄様”は、これまた服に似合う上等そうな靴でコツリコツリと大理石の床を踏んで歩み寄りつつ話を続ける。
「それから、もう1つはカンかな。今日はここを訪れているだろうって強い直感があったけれどやっぱりだ、我ながらよく当たるものだよ。…それよりも」
日差しの差し込む窓の近くを通り過ぎた時、彼が身に付けているラペルピン――メガストーンが埋め込まれたものだ――が窓から差し込む日差しを受けて煌めく。そしてとうとうプレサンスの掛けるソファの近くに着いて立ち止まるや、途端に彼女と同じ形のいい目を吊り上げ険しい表情になって。
「突然家を飛び出すなんてどういうつもりだったんだい?ボクが居ない間に出かける時には書き置きでもマルチナビでもいいから“どこそこに行っていつ帰る”って連絡をしておく約束だっただろう、なのにそれもなかったしボクからコールしてもいっこうに応答がない!石の洞窟から帰ったら使用人たちが泡を食って探していたし、ツツジにもトウキにもミクリにもルチアにも四天王の皆にも訊いたけれど居場所を知らないというじゃないか!ラティアスとラティオスにもホウエン中を飛び回ってもらったのに見つからなかった時は生きた心地がしなかった!フウくんとランちゃんがカロスにプレサンスの気を感じ取ったと教えてくれたからいいものの、それが判るまでは誘拐されたか事故にでも遭ったかとどれだけ心配したか!」
そこまで一息に言い切って大きく息を吐く。安堵のため息と表すのがぴったりで、口先だけでなく心底妹の身を案じていたのがよく窺えた。
「ご…ごめんなさい。お兄様や皆様にご心配を掛けてしまいましたこと、謝ります。修行がしたくて…」
「それならホウエンですればよかっただろう。そうすればボクの眼も届いて安心できたし、色々教えられたのに」
と、そこでプレサンスは打って変わってキッと兄を見据えたではないか。数秒前まで彼の剣幕に圧され項垂れていたのがウソのような変わり身の早さで、ザクロは思わず目を見張った。
「それでは意味がありません!カロスを選んだのは色々な意味でお兄様から離れて腕を磨きたかったからなのに…それにもし行先を知らせたりしたら、これまでのようにわたくしがどんなに嫌がっても結局は後から付いてくるつもりだったでしょう?」
「もちろんさ」
即座に力強く頷いてみせた兄に、妹は今度は思い切りしかめ面になって抗議を始めた。
「もう…お兄様は過保護すぎます!何も伝えずに出発したことやコールにも応えなかったことでご心配をかけたことは深く反省します、でも、でも…いつもどこにでも付いてこようとするのだけはもうやめてほしいのです!アローラにバカンスに行ったときもそう、シンオウの別荘に行った時もそう、何か用事があってもそれが終わったらすぐに追ってくるんですもの!小さい子供ならまだしもわたくしだって10代になったのです、お兄様がそばにいなくてもできるようになったことも自由にしてみたいこともたくさんあるのですっ」
「過保護だって?大事にしているだけだよ。ほんの小さかった頃からいつも言い聞かせてきただろう、世界でたった一人の可愛い妹にキズが付くなんて耐えられないって。おやじはあの通り放任主義だし、しっかりプレサンスに寄り添える家族なんてボクをおいてほかに誰がいる?石のように大事にしまっておければ本当は一番いいんだけれど、それはさすがに色々と問題だしプレサンスが磨かれることにならない。でもその代わり、四六時中は無理でもできる限りは一緒にいたいしどこへでも付いていって見守りたいんだよ。そういう兄心が解らないかな」
「気持ちはありがたいけれどやりすぎなのです!」
プレサンスは先ほどまでの優雅な物腰をかなぐり捨て半ば叫ぶように答える。その様子はまだ幼いトリミアンがキャンキャンと吠えているのを思わせた。対する兄はしかし「自分にとってどれほど妹が大事だから一緒にいたいのか」という理由を滔々と述べてはいるけれども、彼女が辟易していることをまるで理解してはいなさそうだった。
そんな美形の兄妹の応酬はなかなかの迫力だ。もし今日の来城者が多かったら、たちまち物見高いギャラリーが周りを取り囲んでいただろう。
しかし、予想外の事態の成り行きをただ見守るしかなかったが、ザクロもズミも時間が経つにつれ段々とこの闖入者に腹が立って来た。儀礼を重んじる場でありながらこちらに未だ挨拶の一つもしてこないということ以上に、せっかくプレサンスと過ごせるはずだった時間が台無しにされてしまったからだ。
とはいえ喧嘩に割って入るというのはなかなかどうして難しいもので糸口が掴めないまま、そんな彼らをよそに彼女と兄のやり取りはまだ続いていて。
「それにしても、よりによってカロスにいると知った時はまた別の意味で心配したよ」
「別の意味での心配って?」
「誑かされた挙句誰かの毒牙にかかってはいないだろうかっていうことだよ。この地方の男は女性とみれば声を掛けずにいられないそうじゃないか。ましてルビーのように華やかで、サファイアのように麗しくて、エメラルドのように人を惹きつけてやまないプレサンスが放っておかれるはずがないからね。何かされてはいないだろうかって気が気じゃなかった」
「ご心配なく、付け入るスキは見せません。治安の悪い辺りはよく調べて近寄らないように心掛けていますし、素性だって明かさないようにしてきましたもの。大体護身術をどなたに何年習わされたと…それに何よりこのシャトーに集う方々は皆様紳士です、ここにいるわたくしのお友達も含めそのようなことはなさらないわ。そういえばお兄様はまだご挨拶の一つもしていないでしょう?チャンピオンがそんなことではホウエンの恥、いくらなんでも失礼です!」
「友達?挨拶?…!」
プレサンスが手で指す方を向くや青年はたちまちハッとしたような表情を浮かべた。妹に全ての意識を集中させていたせいか、悪気があってわざと無視し続けたのではなく、本当に今の今までズミとザクロの存在に気が付かなかったようだ。カロスの男性を悪し様に言った、すなわち目の前にいる彼らを間接的ながら非難してしまった手前少しバツが悪そうでもあったが、それをすぐさま打ち消して。
「…まずはご挨拶が遅れました無礼を、心よりお詫びします。ホウエン地方ポケモンリーグチャンピオン、ツワブキ・ダイゴです。妹のツワブキ・プレサンスがお世話になっているようで」
妹の方に向けていた体と意識をようやく二人の方に向けた青年――もといツワブキ・ダイゴは、非礼を詫びたあと一礼してみせた。その身のこなしはやはりプレサンスのそれと本当によく似ていてスキがない。さすが彼女の兄にして、デボンコーポレーションの社長令息といったところか。
「カロス地方ポケモンリーグ四天王が一人、ズミです。美食と強さを求め、みずタイプを極めるべく邁進しております」
「お会いできて光栄です、お噂はかねがね。友人のみずタイプ使いもよく話題にしていますよ、特にあなたのブロスターが技を繰り出す様子は何度見ても惚れ惚れするほどと評していました」
「恐縮です」
「ザクロと申します。カロス地方ショウヨウシティのジムリーダーを務めております。いわタイプが専門です」
「お初にお目にかかります。いわタイプ使いですか。珍しい石を集めるのを趣味にしているもので、この地方の石のことなど次の機会に是非伺いたく」
「わたしでお役に立てるようでしたら」
ダイゴが自己紹介をしたのを皮切りとして、ズミとザクロも続けて名乗り彼と握手を交わした。
とはいえその雰囲気は、暖炉風ストーブのすぐ横での出来事にもかかわらずなんとも冷え冷えとしていた。ズミはチャンピオンの顔にそれはもう大きく「大事な妹に気安く近づかないでほしいね」と書いてあるのを見て取り少し顔を顰める。父親の放任主義の反動として妹を大事にしすぎるようになったあまりに、却って彼女から煙たがられているというのに…と思ったのだ。そしてザクロは非公式の場とはいえ、カロス四天王の一角たるズミが他の地方のチャンピオンに対して、そしてプレサンスの前で無礼な振舞いを見せてはならない、ということで彼にしては相当自制しているのだろうと察していた。
「さてと、帰ろうか。外に車を待たせてある」
そのまま沈黙が下りようとした寸前、ダイゴがプレサンスを促した。「挨拶を済ませたのだからもういいだろう、失礼するよ」と口に出さずとも内心ではそう思っているのだろう。だが、彼以外の三人にしてみればせっかくのバトルの機会を取り上げられてしまうということにほかならない。ズミは何と言って引き留めればと考えかけたが、それよりも先に彼女が再び抗議の声を上げた。
「そんな!お兄様のおかげでお預けになってしまいましたけれど、ザクロ様とズミ様にバトルのご招待をいただいたからここに来たのに」
「残念だがまたの機会のお楽しみということにすればいい。シュールリッシュのグランスイートでおやじが待っているから早く一緒に行こう、心配をかけたことを謝るんだ」
「えっ、お父様までこっちにいらしているの?」
「そうだよ。自他共に認める放任主義のおやじもさすがに今回は心配しているっていうことさ。カロスに来たついでにここの企業といくつか商談をまとめたとかでまだ上機嫌なはずだから、今のうちに発ちさえすればそこまで大目玉はくらわずに済むだろう。ほら、早く」
少し強く言って手を差し出す。ダイゴはプレサンスの物心つく前からそうしてきた。こうすれば、妹は自分の手を取って離れて行かない、ちゃんと横にいてくれるから――すべては多忙な上に、放任主義の父の分まで妹を守るため。そんな使命感をもって、彼女の小さくて壊れそうな手をぎゅっと握るたびそう思ってきたものだ。
でも、今回は違った。差し出された手を取ろうとはしないまま、妹は意を決したように口を開いたのだ。
「お兄様、わたくしとバトルしてください。そして、カロスに留まることを許してください」
「な…!?」
ダイゴも、それにザクロもズミも、驚いてプレサンスを見つめる。
「わたくしはもう、守られてばかりの妹ではなくて、立派なポケモントレーナーになったのだということを。覚悟を、気持ちを、ご覧に入れます。単に口先でわたくしだって成長したのだと言ったところで信じてくださらないでしょうから、一番目に見えやすいはずのポケモンバトルという形で。お兄様は前に言っていましたよね、相手の見てきたこと、考えてきたことは、バトルを通して感じるものなんだって…だから、バトルを通じてそれを伝えたいのです」
予想もしていなかったバトルの申し込み。さしものダイゴも驚きに目を見開いたが、兄だからこそわかる。プレサンスは、本気も本気だ。
「わたくしもカロスでふらふらと遊んでいたわけではないのです。さすがにまだお兄様にはとても及ばないでしょう。ですがこのバトルシャトーや様々なところで実力を付けてきましたし…」
そこで言葉を切ったプレサンスは、今度はズミとザクロの方を誇らしげに見ながら続ける。
「ズミ様とザクロ様という、尊敬するお友達に出会えて知ったことを、お兄様にも見ていただきたいのです」
「「!!」」
「諦めない心はザクロ様に、信念を貫きとおそうとすることはズミ様に教えていただいたこと…お二人に学んできたことはこれ以外にもまだまだたくさんあるのです。どうか…お願いします」
彼女がまだ自分を友人として意識しているのか、などと落胆したのは一瞬のこと。自分の信条に共感を覚え、そしてまだそばで学びたいと話すのを耳にしたときに湧いた喜びは、些細な落胆など消し飛ばすにあまりあるものだった。
ダイゴはそれを受け、何やら顎に手を当て考え事を始めた。三人はそんな彼にじっと視線を注ぎ、結論を出すのを待つことしばし――すると。
「…わかったよ。おやじの機嫌のことはこの際おいておくとして」
フッと微笑をこぼして頭を軽く振った彼は、昔を懐かしんでいるようでいて、同時に寂しげでもあった。
「それほど強い意志を持ってものを言うようになったなんて…成長していたんだね、プレサンス。あともう少しだけ、せめてもう少しだけ傍にと願ってきたけれど、ボクもそろそろ妹離れをするべき時期ということなんだな。寂しいような、嬉しいような。複雑な気分だよ。…いいよ。そのバトルの相手、喜んで務めよう」
「本当!?お兄様、ありがとうございます」
「だけど、相手はプレサンスだけでなくて」
「え?」
そこでダイゴはザクロとズミの方を真っ直ぐ向いた。
「プレサンスがそれほどに影響を受けたあなたがたの戦う姿を、是非見てみたいんです。お相手願えますか」
ホウエン地方の頂点に君臨する強敵と相まみえることができる。その上、プレサンスとともに戦うことができる。トレーナーとしてプレサンスを想う者として。このバトル、受けるべきか――?訊くまでもない。二人は互いを見やったが、今度は火花を散らすためではなく確かめ合うように頷き合って。
「このズミ、ホウエン地方チャンピオンよりバトルの申し出を受けるというこの上ない栄誉に是非浴したく。謹んで受けましょう」
「ダイゴさんという高みに挑む機会をいただいたこと、感謝します」
「ありがとうございます。では…1VS3でいこうか。チャレンジャー側は1人につき2体、ボクは6体とすれば平等になる」
「異存ありません」
「同じく」
3人と十分な距離を取ったのち、チャンピオンはよく通る声でチャレンジャーに語りかけた。
「それでは…この美しい地で芽生えたあらゆる思い全てをぶつける気で来てほしい。一番強くてすごいホウエンの頂点として、そしてキミたちが様々な意味で超えるべき者として…お相手しよう!全力でね!」
一礼してから姿勢を正した高く固い壁が、退く気はないという強い意志を湛えながら妹、そしてその友二人を見たとき。相対する二つのキーストーンは眩く光った。持ち主に共鳴するかのように。彼らの昂ぶりが乗り移ったかのように。



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