冗談じゃない!


四月馬鹿。今日がそう呼ばれる日だからといって、例えウソでも罪のないものであれば吐いてもいい日だからそうしたといって。なぜあの時あの場所でそんなことを言ってしまったのだろう。そして責めても仕方がないが、なぜよりにもよって冗談が通じなさそうな恋人に誤解されそうなことを聞かれてしまったのだろう。困ったプレサンスはこの状況から思考だけでも現実から逃がしてしまいたかった。そのあまりに、もしも時を遡れる装置でもなんでもあるなら、すぐにでも使って午前中の自分があんなことを言う前に遡って止めてしまいたいと願った。ただ残念ながら、我がエーテル財団どころか世界一の科学力をもってしてもかなわないそれを今すぐに、と望むのは無謀も無謀としか言えなかったけれど。
「聞いているのか、プレサンス」
目の前にいるグラジオは、彼女の方を真っ直ぐに見つめてきている。思考も身体も視線で縛り付けて逃がすまいとするかのようで、もはや痛いほどだ。頭がうまく働かない。そう思う間にも彼はもう一度口を開いた。
「もう一度訊く。……誰に、キスをされたんだ」
問い詰める彼の声は、平静を装いながらも震えるのを抑えられずにいた。


午前中は平和だった。先日保護したポケモンたちの様子のチェックも、午前中の分は終わったしみんな異常はなかった。それに加えて嬉しいことがもう一つ。一番ケガがひどく集中的に経過を見ていたチョロネコの具合がよくなりつつあることがわかったのだ。保護に当たった他の職員の話では、ひどく怯えていて近づくのも一苦労だったというし、プレサンスも世話の最中何度か引っかかれもした。けれど、辛抱強く接するうちにようやく警戒を解き心を開いてくれたようだ。
うんうん、こういうやりがいがあるからこの仕事はやめられない。そんな弾む気持ちでいるときは、午前中の仕事なんて早くに切り上げ早めにランチを取ってしまうに限るというもの。カフェテリアへ向かっていると、途中の廊下で部署は違うが仲のいい同期と出くわした。そして自然と一緒に歩きながら話す途中、人気もなかったし構わないだろうと、何の気なしに冗談を放った――それが思わぬ事態の発端になろうとは予想だにしないで。
「ここだけの話なんだけどね…実は私さっきラボの新人の男の子にちゅーされちゃったの!あんなにたっぷり愛情表現されちゃうなんて思わなかったあ〜」
「そっかあ、顔だけはいいのにモテないプレサンスにとうとうそんなに熱烈に愛してくれるひとができたんか…!あたしゃ嬉しいよぉ泣いちゃうよぉ」
「けなすかお祝いするのかどっちかにしてよ、もう」
でもなあ、ホントはグラジオとこうして言い合えたらたらな。そういうの好きじゃなさそうだから止めておいてるけど…第一彼以外にキスされたなんて内容が内容だから、ね。プレサンスは他愛ないお喋りを続けながらも、エーテル財団代表にして秘密の恋人であるグラジオのことを思った。
出奔、そしてウルトラビースト騒動から数年。様々なことを経てグラジオが正式に代表に就任しそれなりになるが、彼の雰囲気はいい意味で前とは違うものになっていた。プレサンスは以前は長いことタイプ:フルのケアに当たっていたから、グラジオがまだ幼かった時から面識があり弟のように思っていたものだ。が、彼はそうではなかったらしく、代表代行として戻ってきて間もないころのある日「プレサンスはオレを弟か何かのように思っていたかもしれないがオレは違う。初恋の相手だしずっと好きだった」と告白してきたからそれはまあ驚いたけれど――。
ともかく、プレサンスは長く見知っている彼の変わりようを思い浮かべてまた嬉しくなった。尖っていた雰囲気は随分と和らいだし、ぎこちないけれど少し笑うようにもなった。いつだったかそれを目撃したらしい他の女子職員たちが「普段はクールなのにあのギャップがたまらないよね!」などと、きゃあきゃあ言いながら話題にしていた横で、密かにうんうんと頷いたものだ。白一色の檻に飾りとして閉じ込められていた彼の世界は変わった。色鮮やかな広い世界で、色々なものやことを見聞きして、悪くない関係といえる人々に巡り会えたのだろう。よかった、心からそう思う。
でも、年月が人を丸々変えてしまうとは限らない。変わらないところも十分にある。グラジオの場合、まずポケモンに注ぐ真っ直ぐな愛情。それから冗談は嫌いだから言わないだろうし、内容によっては真に受けてしまいそうだということだろうか。だからこれまでもエイプリルフールの冗談を彼の前では言わなかったにせよ、せっかくだし他の誰かに言うくらいはいいだろう。そう思っていた。
そこに正午を告げるチャイムが鳴り響いた。なんでも、エイプリルフールの午前中にウソを吐いたら午後はそのネタばらしをしなくてはいけないというし、ここでそうしてしまおう。
「ま、男の子って言っても実はね…」
「やっぱり?そんなことだろうと思った!」
相手は一瞬ポカンとしたけれど、すぐにプレサンスの肩を軽くパシパシ叩きながら笑う。二人は顔を見合わせてプッと吹き出したあと、今度はランチの話に花を咲かせ始めた。
だが、プレサンスたちは気がつかなかった。彼女たちの後ろにある死角で、グラジオが驚きのあまり持っていた資料をバサバサと床に落としていたことを。

抱えていた資料の最後の一枚が床に落ちパサ、と微かな音がする。他のファイルやら何やら、足元に広がって散らばってひどい有様だ。プレサンスたちの話はまだ続いているようだったがまるで耳に入ってこない。衝撃に散乱したファイルなどうっちゃったままでいた。
グラジオの頭の中にプレサンスの言っていたことがガンガン響く。
キスをされた、だと?誰に?オレのプレサンスがか?まさか浮気か?いや、プレサンスに限ってそんなことはない、はず。第一「キスをした」のではなくて「された」と言ったからには自分からしたわけではないだろう、無理矢理されたに違いない……自分を納得させようと色々と考える。だが、プレサンスは嬉しそうに話していたじゃないか。自分の意に反してされたのなら、あの様子の説明はどう付けるんだ…。
悶々、悶々。グラジオは廊下に立ち尽くしたままモヤモヤした思いが膨れ上がっていくのをはっきり感じた。そしてこれをそのままにしておいては午後の仕事などまるで手につかないだろうことも確信した。
こうしてはいられない、早く確かめなくては。手早く資料を掻き集め持ち上げると、踵を返し自分のオフィスへ足早に急いだ。


「昼食が終わったらオフィスへ来てくれ」
そんなメッセージを私用の端末で送って数分。普段なら仕事中には二人きりにならないことにしているのにそれを破ってしまうとはな、とグラジオは苦笑した。だが言い訳をさせてもらうなら、居ても立っても居られなかったのだ。
そこに足音が聞こえてきた。これはプレサンスだろう。コンコン、というノック音がした。
「失礼します」
「入ってくれ」
外から聞こえてきた声はやはりプレサンスだった。促されて入ってきた彼女の顔には怪訝そうな表情、そして一体どうしたの、と大きく書いてあるのがありありと見て取れる。
「参りました。代表、私をお呼びと伺いましたが」
「…これから先はグラジオと呼んでくれ。二人きりの時にするように」
「え? …は、はい」
プレサンスは当惑した。いつもなら恋人に戻れば堅苦しい口調なんて一瞬でどこかへ押しやってしまえるのに、驚いて答えはぎこちないものになってしまった。
仕事を離れればもちろん肩書ではなく名前を呼ぶけれど、そうするのはいつもプレサンスからだった。そのときが、代表と数いる部下の一人ではなく、対等な恋人同士としての時間が始まるという合図なのだ。
ただ、グラジオがそうしてくれと言ったのは今日が初めて。彼は公私混同を嫌う。まして公の場では片やトップ、片や部下の一人。この立場上、特にパラダイスでは親しく話さないよう決めておいてあるのに。最近は二人で過ごす時間も取れなくなってしまったから嬉しくないと言えばウソになる。「なあに、私に会えなくて寂しくなったの?」って訊いてみようかな…。
だが、それはかなわなかった。つかつかとプレサンスに歩み寄り、彼は。
「手短に訊く。…昼前に廊下で、他の男にキスをされたと言っていたな」
「え…! 聞いてた、の?」
プレサンスは浮かれ気分が動揺に変わるのを感じた。一瞬息が止まったかのような感覚に襲われ何と言っていいのかわからなくなってしまう。グラジオはその反応に眉間に皴を寄せた。
「たっ、確かに言ったけど」
「しかも嬉しそうだったのはどうしてだ」
グラジオは問い詰めるうちに整った顔を怒りで歪め始めた。比例するようにプレサンスの焦りは募っていく。しまった、でも後悔してももう遅い。マジメでそういったことが許せないだろうと言わないでおいたのに。出張に出ていて今日の夜ごろ帰るということだったから、まさか耳にしていたなんて思わなかった。どうしよう。仕事中に浮気をしていたと思われているのだろうか、だとしたら急いで申し開きをしないと。この様子だとネタばらしの部分は聞いていなさそうだし。だが、鬼気迫る勢いの彼にどうしたら話を聞いてもらえるのだろう。
「もう一度訊く。誰にされた?オレがありながら他の男に唇を許したりなどしないことは分かっている。無理矢理されたんじゃないのか、それならそいつを異動させでもして遠ざけておく」
「あの、ちが」
「何がどう違うんだ。どうして言わない?もしかしてそいつを庇っているのか」
「違うのよ」
空調はしっかりと利いているのに一筋の汗が伝う。でもここで本当のことを言わないと誤解されたままになってしまう。それは避けたい。
「確かに、男の子にキスはされたわ」
「なっ!」
「でもね聞いて、人間じゃないの」
「どういうことだ?」
「この間保護したチョロネコよ。お腹のあたりのケガがひどかったけど、最近よくなってきたみたいだったから状態をよく見ようとして顔の近くに抱き上げたの。そしたらすごく人懐っこい子だったみたいで、唇をペロペロしてきて…その子がオスだったから男の子って言ったの。そうしてくれるぐらいなついてくれたんだって嬉しくて」
「な…」
「だってよく考えてもみて、うちに男の子って言える年の職員はいないでしょ?」
「…そうだな」
「それに、その、唇を舐められたならキスしちゃったって言ってもいいかしらって…ともかくね、エイプリルフールの冗談よ」
グラジオはそこではたと気が付いた。確かに財団に男性はまだしも男の子といえる年齢の職員はいない。一番年少の職員でもプレサンスと同じく20代そこそこなのだから同年代をそう呼ぶのは不自然だ。その他に財団に関係があって子と呼べそうなのはエーテルハウスにいる子供たちだろうが、あくまでも保護されているだけであって正式な職員というわけでもないからその線もない。
何だ、冗談だったのか…何してやがる、オレ。自然といつかしていたように顔に左手を、それでも足りない気がして右手も翳した。あの時のように格好をつけるためではなく、気恥ずかしくて紅に染まってしまう顔をどうにか隠すために。とんでもない暴走をしてしまった――!プレサンスがクスッと笑う声が聞こえて、顔の赤みがますます強くなる。
「10分でマラサダを100個食べることに成功したとか、もう少しマシなウソを吐いてくれ。本気で焦ったんだ」
「そう言われても」
とある友人に吐かれたすぐにばれるウソを引き合いに出して思わず八つ当たりめいたことを口走ってしまう。だがもっともな反論に何も言いようがなかった。
「でも、そんなに嫉妬しなくたって大丈夫。私が好きなのはグラジオだけだよ」
「知っている。…わざわざ呼び出して悪かったな」
「いいの。誤解させちゃってごめんね。じゃあ私仕事に戻…わっ」
プレサンスは急にバランスを崩した。グラジオが手を握りクイと自分の方に引き寄せて。
「消毒だ」
「んっ」
そう言うなり唇を重ねてこられてプレサンスは言葉を奪われた。目を白黒させていると、
「消毒だ。人間でなくオスのポケモンだろうが、オレ以外に触れられた唇をそのままにするとかないからな。あと…いくら今日がウソを吐いていい日だからといって…焦ったと言ったのは、ウソじゃ、ない」
プレサンスの背をいつの間にか追い越していた彼は、だから彼女を腕の中に閉じ込めて、上からそう言ったのだった。



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