ハートが大事


風を切って翼がはためく音は今日も力強い。マリエシティのポケモンセンターを出てすぐに呼び出したリザードンは順調に私を運んでくれていて、今は丁度ウラウラの花園が見えてきたところ。あと少し、もう少し…花園が近づくにつれ下には霧が広がって頬っぺたに触れる風は途端に湿っぽくなる。それがクチナシさんのいるところのすぐ近くに来た合図。花畑の上を過ぎたらあとはポータウンの扉の前に降り立って、そして前もって調べたけどやっぱり今日も一日降るらしい雨さえちょっとガマンすればいい。うんいい感じ、もうすぐ…着いた!
「ありがとねっ」
着地してすぐお礼は言ったけどちゃんと届いてるかな。リザードンはここに着くとすぐいつもより早く飛んで行っちゃうから。タイプがタイプだし仕方ないよね。どんなお天気でも目的地まできちんと乗せるように訓練されてはいても、やっぱりどうしても苦手なんだろうから。
ともかくそれはそれ、着いたからには私もリザードンみたく濡れちゃわないうちに、ただし空は飛べないから交番に向かってダッシュあるのみ!ポータウンへ続く扉に背中を向けて水をパシャパシャ跳ね上げながら石畳の上を走っていけばポー交番に段々と近づいて来た。「今日会えるかい」って誘ってくれたんだけど、ここの所私の家とかで過ごすことが多かったから久しぶりに交番で会いたいって言ったんだ。思い出しながら自然とニヤニヤしそうになっちゃう…でもまったく、この短いようで実はちょっとある距離って何とかなんないのかなあ、いっそ交番の前で降りていいならクチナシさんにすぐ会えるのに。ライドギアは禁止されてる所でなければ大体どこで乗ってもいいのに、降りるのは決められたところじゃないとダメなんだよね。警察官の彼女がルール破りなんてするわけにいかないからしょうがないけど。
そうしてようやく交番の扉の目の前に着いた。ちょっと深呼吸なんかしちゃったりして、見苦しいところがないように掲示板のガラスに映った自分を見ながら軽く整えて、これでよし。
「クチナシさん、みんなー!アローラ!」
「ミャオー!」
「ふみい!」
入ってきた私の姿を見るなり、入り口近くのスペースがお気に入りの2匹が私に駆け寄ってきた。
「アローラ。お迎えありがと、ってちょっとどうしたの?」
と、思ったら。そのまま2匹は私のズボンの裾をクイクイ引っ張って奥に連れていき始めた。この間あげた限定フーズが気に入ってもっと欲しいのかな、でも今日は持って来てないんだよねごめんね…返事をしながらそう思いかけた。けど、どうもじゃれてる雰囲気ってわけじゃないみたい。しきりにウニャウニャ言ってるけど何が言いたいのかなんてわかるはずもないし。そういえばクチナシさんはどこ?パトロール中?一体どうしたのかな…そう不思議に思っていたら。
「わあ!」
「…」
びっくりした私に足元のニャースたちもびっくりしたのか離れて行っちゃった。わけがわからないまま引っ張られるうちにいつの間にかクチナシさんのそばに来てたんだ。
クチナシさんは黙りこくって頭を抱えて、いつもよりもっと背中を丸めてソファに座ってた。さっきのニャースたちが私を見るなりこっちに来てって言いたそうに引っ張ったのは、いつもと様子が違うのをどうにかしてってことだったのかな。他の5匹もなんだかちょっと遠巻きにしてる。いつもは交番のそこかしこで好きにやってるのに、今は机のあたりに一か所に固まってクチナシさんの方を心配そうに見てた。
「あの…クチナシさん?」
「ん…プレサンスか。よく来たな。タオルそこにあるから拭いときな」
「うん。ありがと」
よかった、気づいてくれた。私を迎えてくれながらこっちを見てゆるく手を上げた…それだけ。ソファに座ってる時に私が来ると、いつもだったらこっち来るかい、って言いながらソファの横をポンポンしてくれるから(まあその前に座っちゃうことも多いけど)その言葉に誘われて横に腰掛けるんだけど…今はしてくれなかった。どうしちゃったのかな。体や服に付いた水滴は拭けても不安が消えない。頭抱えてたしひょっとしたら具合がよくないのかな。いつもしてくれることをしてくれないからって不思議に思ってる場合じゃない、今のクチナシさんの状態の方が心配。もしどこかが痛いならそれに響いたりしないように、タオルを畳んで邪魔にならないところに置いたあと、そっと覗き込んで訊いてみた。
「頭抱えてたけどどうしたの?痛いんですか?」
「まあ、ある意味な」
「私のラッキー出します?この間いやしのはどう覚えたからちょっとはマシになるかも」
「気持ちはありがたいねえ。でもそういう意味の頭痛じゃねえんだ」
「じゃあどういう…」
「ホワイトデーってやつの礼を用意したのはいいけどよ、あんなもんでよかったのか悩んでたって意味だよ」
クチナシさんはそう言いながらソファテーブルの方を指差した。だから見てみるとそこには白い包装紙に金色のリボンがかかった包み紙。箱、かな?しかも「プレサンスへ」ってクチナシさんの字で書かれたカードまで付いてるから、私宛っていうことでいいんだよね。嬉しい…でも待って、今日は誕生日や記念日じゃないのになんで?ちょっと考えかけたけど、その答えはプレゼントのすぐそばにあるパソコンの画面が教えてくれた。デスクトップには今の時間と、それから3月14日っていう日付が映ってて…そこでそうだ、って思い出すことがあった。
ここ何年かアローラでは、バレンタインにあげたお返しをその1ヶ月後、つまり今日彼氏におねだりするっていうのが女の子の間でちょっとしたブームみたいになっていた。カントー地方にならってホワイトデーって呼んでるんだけど。そもそもアローラのバレンタインは男の人から何かを贈るだけで、女の子はお礼に何かあげるなんてことはしてなかった。けど、あっちじゃ反対に女の子のほうからお菓子とかを渡すみたい。で、男の人はその1ヶ月後にそのお返しに色々プレゼントをあげるんだって。そして、あげたものの3倍くらいのものをもらうのが女の子にとっては一番幸せ、とか何とか言ってたっけ。
とにかく私も生まれて初めて彼氏ができたわけだからちょっと興味を持って自分もしてみることにした。って言ってもそういうブームなんかにちょっと乗っかるというか、つまみ食いがしてみたかっただけっていうか、とにかく本格的にってつもりじゃなかった。あげる時にはカントー地方のバレンタインやホワイトデーのそういうもろもろを教えるついでに、クチナシさんの口調をマネして「お返しくれなくちゃスネちゃいますよー、なーんて」って、冗談めかしてそう言ったんだ。何が何でももらわなきゃ、なんて気持ちじゃなかったんだけどな…そっか、今日かあ。すっかり忘れてた。だから会えないかって誘われたんだ。そこまで強欲なつもりじゃなかったんだけどな――具合が悪いわけじゃなくてホッとしたけど、そんなに悩ませちゃってたなんて思ってもみなかった。
「もしかしたらプレッシャーになっちゃってた?」
「大正解。流行りに疎けりゃセンスもないおじさんに何か喜びそうなもん選べなんてさ、無理させてくれるなっての。だからって何がいいって訊くのも野暮だしよ…これでいいのかそれともあれがよかったのか、って悩んでるうちに当日が来ちゃったわけよ。ほら立ってねえでこっち座りな」
「はーい。…でもありがと、軽い気持ちで言ったのにちゃんと選んでくれたんだ」
「もらえなきゃスネるって大事なお姫さんが言うからにはな。ご機嫌取りだって全力にもなるよ」
クチナシさんはニッと笑った。
「ま、期待通りでもなんでもなくてむしろガッカリさせちまうかもしれねえけどな」
「ううんそんなことない!私、その気持ちだけでとっても嬉しい!何かもらえること以上に、私のためにすごーく悩んでくれたんだっていうことだけでも」
よかった、いつものクチナシさんに戻ってくれた。プレゼントもだけどそのことも嬉しくて、まだ開けてもないのに勢い込んだ言葉がスラスラ出てきた。私の勢いに驚いたのか、少しこっちを見ながら何も言わずにいたんだけど。
「プレサンス」
「なに…きゃあ!いきなりびっくりさせないでよー」
「プレサンスが可愛いこと言ってくれちゃうから悪ぃんだ」
気がついたらクチナシさんの腕の中に抱きしめられてた。こ、こんなの初めてなのに!心の準備ができてないのにー!心臓が一瞬でドクドク騒ぎ始めてうるさいくらい。こんなに密着してたらきっと聞こえちゃうよ…そういえば肝心のプレゼントまだ開けてないのに。こうされたくないわけないけど、せっかくもらえるんだから早く中身が見たいのに。
「あ、あの、クチナシさん」
「何だい」
「プレゼント開けたいから、離してほしいなーって…」
「だーめ。可愛いすぎる罪でおじさんが逮捕したから離してやらねえ。しばらくこのまんまな」
「そんなー何それ!」
しかも、ひょろっとしてるように見えてクチナシさんも男の人。私の背中に回された腕は、振り払うつもりなんて全然ないけどしっかり私を捕まえてビクともしそうにない。なのに冗談みたいなことを言うからドキドキしていいのか笑っていいのかよく分からなくて。
でもこの状況で一つだけ分かるのは、ああでもやっぱり私はお茶目で、私のために色々悩んでくれちゃう、私が大好きなクチナシさんが好きなんだってことくらいかな。



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