桃物語〜贈った言葉と贈れなかった言葉


今日最後のお客様が出ていくのを見送りながら「ありがとうございました」って言う接客担当の子の声は掠れ気味だった。

コニコシティはお世辞にもアクセスが良くないのに、ここのところお店は前にも増して大繁盛、今日も何十人もお客様が来たから無理もないけれど。

「このお店のパワーストーンを身に着ければ、オーナーのライチさんにあやかって仕事運にも恋愛運にも恵まれて幸せになれる」

……そんな口コミで女の子たちが続々来るようになってもう随分経つ。今日は特に私が手掛けた商品がいくつも売れた。先週注文をしたばっかりなのに、この分じゃあ今週もう一度発注が必要になりそう。他のスタッフたちが帰った後、そう思いながらひとり遅くまで残って在庫の確認を終えて、思惑通りライチさんにお店の並びにある食堂で食事に誘われたところだった。お誘いを受けた時には狂喜したいのを抑えるのが大変だった。行かないわけがない、むしろそれを狙って最後まで残っていたのだもの。このお店のオーナーとしてしまクイーンとして四天王として……加えて結婚前のあれこれでなおさら忙しくなって、前のようにはゆっくり話せなくなってしまったから。

ああ、今日もライチさんは綺麗。目の前に慕うひとがいてドキドキしないでいられる?そして自惚れが過ぎるなんて百も承知で言うけど、私が贈って今はZリングに付けられているチャームも相まって更に。それにしても今日はいつもにまして嬉しそう。今日のZ定食スペシャルに好きなものが沢山入っているとか――そう思っていると、それをそっと撫でながら理由を話し出した。

「今日もプレサンスからもらったこれ、綺麗ですねって羨ましがられたんだ」
「ありがとうございます、……嬉しいです」
「あたしは幸せ者だよ。プレサンスからのこれも、彼からの指輪も……想いの籠ったものをこんなに貰ってさ」

愛おしそうにそれを見やる姿をこうして目の前で見られるなんて、その声で私の名前を、プレサンスって呼んでもらえるなんて……私こそ幸せ者でなくて何なの?

ああでも、でも!美しい手に、口に出すのも目にするのもおぞましいそんなものを付けてしまって……!Zリングは左腕にある。だから見る時にはどうしても、薬指に我が物顔で嵌る忌々しいそれも同じ視界に入ってしまう。チラと見るだけで泣き出しそうになるっていうのに。それでもぐっとこらえて笑顔を作ったところで、Z定食が運ばれてきた。



食事を終えてライチさんと別れて家に向かって歩きながら、あのチャームのことやあれこれを思い返す。

「アーカラ島のしまクイーンを祝福して贈るからには、ふさわしいものをって思って」

独り身をずっと気にしていたライチさんだったけれど、お付き合いしていた人との恋を実らせてついに婚約したのは今から半年と少し前のこと。私はその発表を受けてしばらくは、仕事中は何でもないふりをしていたけれど家に帰ってからは泣いてばかりいた。

それでも少しして、お祝いに自分でデザインしたチャームをそんな言葉と一緒に贈った。色味の濃いモルガナイトを、月の満ち欠けの様子を模った彫刻を施した縁取で囲ったもの。アーカラはアローラの昔の言葉でピンク色、この島の守り神のカプ・テテフも同じ色、そしてライチさんはこの色が一番好きだし私もよく似合うって確信しているから。いつだったか「好きな色だけど似合わないのかな」なんてポツリと言った日にはものすごい勢いで否定したくらいには。

ともかくだからライチさんの好きな色をした、これから幸せになるひとに贈るにふさわしい意味を持つモルガナイトをあしらった。そして一番のパートナーのルガルガンとも関係が深いし、欠けてもまた満ちるように幸せが終わることなく繰り返しやって来ますように、って意味を込めて月をモチーフに選んだ。加工次第でペンダントトップにも指輪にもピアスにもできるようにしてあるのを。

宝石に関わるお仕事をしているライチさんだから、あらゆる石についてあらゆること……名前も産地も、それから石言葉だってよく知っている。石言葉はあまり厳密に決まってはいないから、モルガナイトにも色々な意味があるけれど愛情にまつわるものが多い。その中でも一番有名なのは「幸せな結婚」。私は口には出さなかったけど、ライチさんはすぐその意味を察してくれたみたい。贈ったその瞬間に笑い泣きして喜んでくれて、2、3日もしないうちに早速Zリングにしっかり留めつけられるよう加工してずっと付けてくれている。

あの時は私だって嬉し泣きしたかった。嬉しさ半分、悲しさ半分の涙を流したかった。ライチさんが気に入ってくれことはもちろん嬉しい……でも。さっきの光景を思い出して、今度は思い切り唇を噛んだ。あれを贈るのが私だったなら……地団駄踏みたいくらい悔しいけれど、さすがに指輪を贈るのは旦那様のすること。それを差し置いてなんてできないから。旦那様の気持ちを尊重するためっていうのは違う。ライチさんを困らせるなんてしたくないから、泣く泣く身を引くほかはなかった。

私は同性だけどライチさんが好き。恋してる……ううん、恋してた。お付き合いがしたいキスがしたいとかそういう気持ちじゃない。こっそりお揃いのヌイコグマのぬいぐるみを持って、そばにいられるだけで一層焦がれてやまない、そういう感じの好き。憧れって表すには淡すぎる、でも愛してるっていうんじゃ濃すぎる、そんな想いをずっと抱いてきた。そばにいられるだけでよかったから、想いを告げたいとは思わなかった。でもそうしているうちに叶わなくなってしまって、結婚するからには美しい思い出として封印しようっていう決心がようやく付いたところだった。

家に帰って、自分の部屋がある二階に上がってドアを開けた。部屋の奥のベッドに寝転がると同時にヌイコグマのぬいぐるみを抱く。見習い期間に初めてお給料をもらってすぐに買いに走った、ライチさんのとお揃いのそれは、本物とは違ってぎゅうっと強く抱きしめても暴れもしない。あのひとの好きな色をしたこの子に思い出を重ねてみながら、また胸がツンとしてくる。



ライチさんは、遠巻きに見る憧れのお姉さんだった。最初は。宝石に囲まれてるのにそれに負けないくらい綺麗で、しかもその頃からバトルも強くて、なのに気さくで。いつか私もああなりたい、そう思ってた。

ただ、トレーナーになった私にはバトルの才能が全く無かった。これからの伸びしろも期待できそうにないくらいに無かった。カプに選ばれてしまクイーンになったライチさん、私の後にトレーナーになったのにメキメキ腕を上げてキャプテンに任命された同じ街のマオやスイレン。腕の立つトレーナーで今は本業のほかに試練サポーターもしている両親。その姿を眩しく思いながらなのに自分は、って比べては落ち込んだ。理想に届かない悔しさや惨めさは、唯一の取り柄……絵を描いて紛らわすほかはなかった。

そんなある日、しまめぐりで他の島からやって来たトレーナーとのバトルにまた負けて、トボトボ帰ろうとしているところにライチさんと偶然会った。私の落ち込み具合を見て「どうしたの」って。

その声があんまりに優しくて思わず泣きながらわけを話したら、ライチさんは笑いもせずに聞いてくれて。そして「プレサンスはプレサンスでしょ。ゼンリョクを出せる世界が誰にだって……もちろんプレサンスにだっていつか必ず見つかるよ」って頭を撫でてくれて――その感触に思わず蘇ることがあった。

小さいころに母に連れられてライチさんのお店に行ったことがあったけれど、私はその頃から絵を描くのが好きで、紙とクレヨンさえ与えていれば大人しかった。その時もお店の隅にいて、商品を見よう見まねでデザインもどきみたいな絵を描いていた。親ならまあ褒めるかもしれないくらいの他愛のないもの。それを何を思ったかライチさんに見せた。

そしたら「あたしはこの部分のデザイン好きだな、プレサンスはセンスあるよ」って、その部分を具体的に褒めて頭を撫でてくれたことがあった。自分さえ忘れかけていたそんなことまで覚えてくれていて、コンプレックスを粉々に砕いてくれたその言葉は、昔からの密かな憧れを恋にも似た想いに一瞬で変えた。このひとのそばにいたい、認められたい、そんな決心をした。

その晩、そのためにはどうしたらいいのかを考えて、才能が活かせて宝石に関われるジュエリーデザイナーになるって決心した。しまめぐりはせずに、すぐにハウオリシティにいる有名なデザイナーに住み込みで弟子入りして、辛かった見習い期間も耐え抜いた。小さなコンペだったけれど優勝して独り立ちを認めてもらえてすぐ、ライチさんの下で働きたいって伝えた。「わかった、でも試験はするよ。顔見知りでも無条件で雇えるわけじゃないからしっかり準備しておいで」って言われたから、絶対に受かるように猛勉強した。

いざ試験に臨んだらその言葉はウソじゃなくて。色々試されて訊かれて緊張して仕方がなくて、でも言葉に詰まりながらも一言一言に「ここで頑張りたい」って気持ちを込めて伝えたら「プレサンスの決心、確かに本当だね。来週の3月9日からよろしく」って告げられた日の嬉しかったこと!ライチさんの下で働き始めてから初めて手掛けた品物が売れた日に、自分のことみたいに喜んでくれた日の感動!忘れられるわけがない。

そういえばそのころから、私のどこがいいのかなんてわからないし訊く気も無かったけれど、カッコイイって言われているらしい男の子たちが色々寄ってきた。でもライチさんを見つめるのに邪魔でしかないし目なんかくれている場合じゃなかった。ライチさんには羨ましがられて「頼むから紹介してよ!」って本気7対冗談3くらいの感じで言われたけれど、私にとっては言葉通り冗談じゃない。だから、その次の日には自分から男の子たちに「もう私の前に現れないで」って言っておいたあと、ライチさんに「フラれちゃいました〜!慰めてくださ〜い!」なんて泣きついた。

でも。誰より近くにいたい……私が秘めてきた想いは、もう叶うことはない。ライチさんの魅力を全然解ってない男の人は憎らしくて仕方がなかったけれど、でも近寄って来るひとがいないって安心していたのに掠め取られてしまった。どんな経緯で旦那様と知り合ったなんてかけらも興味はないけど、ライチさんが話してくれるから聞いた話だと、ポケモンリーグの挑戦者だったみたい。勝てばチャンピオン戦っていうところで毎回見事に負けるばかり、でも諦めずに何度でも来る姿に惹かれるようになって。そして、オフの日にハウオリショッピングモールのレストランで偶然その人がモリモリご飯を食べてるところを見て一気に好きになって……だって。意志の強くて沢山食べるひとが好きだけどそうそういないって嘆いてた分、喜びもひとしおだった、って。

ああしたい、でもこうも思う――私の心は、ライチさんが嬉しそうに婚約指輪を見せてきた時から自分でも戸惑うくらいに光と影を行ったり来たり。自分が真っ二つに裂けたみたい。結婚なんて決まらなければよかったのに、って思う私と、ずっと好きだったひとがどうか幸せになりますように、って願う私とがずっといる。ライチさんの結婚が決まって心が張り裂けちゃったせいかもしれない、だなんて馬鹿馬鹿しいことを思って紛らわす。けれど、そうしたらそうしたで、旦那様に向かって「どうして私が恋するひとを取るの!?」って叫びたくなる。

でも、それも終わりにする。終わりにしなくちゃ。机の上のエアメールの封筒から中に入っていた通知を広げる。カサッと小さな音がして開いた紙の、最初の何行かをもう一度読み返した。

『拝啓 プレサンス殿

この度のコンテストにおいて、貴殿の応募作品は厳正なる審査の結果最優秀の成績を収められたとともに、これをもって副賞であるミアレデザインアカデミーへの特待生入学を許可されたことをここに通知するものです。……』

優勝すればカロス地方にある世界的に有名なデザイン学校に卒業まで学費免除、生活費全額支給の待遇で留学できて、しかも一流ジュエリーブランドの入社試験でも優遇してもらえる。そんなまたとないチャンスをもらえるコンペに、ライチさんに贈ったチャームをデザインし始めたのと同時に応募していて、その最終結果がおととい来た。最優秀賞だった。誰かをもっと輝かせるジュエリーをずっと作り続けられるよう、デザイナーとして自分を高めていくためにも、何よりこの想いに封をするためにも。入学は9月だからまだ先の話だけど、明日にでもこの話を受ける返事を投函して、その後すぐライチさんに話を切り出すつもり。カロスへ出発する日だってのんびりしていたらあっという間に来ちゃう、手続きもろもろすぐにでも始めないと。

ただ、自分からさよならを言い出す勇気だけはどうしても出てこない。だからライチさんに「行ってもいいですか」って訊くの。そしたらきっと「あたしがいいとかダメとか指図できることじゃないよ。けど、プレサンスならきっと頑張れるはずさ」って背中を押してくれるはず。そうしたら、自分の中でも区切りがつけられるし後戻りはできなくなくなる。これでよかったって言い聞かせて、行かないでって引き留められたかったっていう本音を封じ込めて「もしかしたらディアンシーが見られるかもしれないです」って無邪気に言うつもり。あっちで上手く行っても行かなくても、アローラには多分帰らないことは言わないつもり。


ぬいぐるみを抱えてそのままぼうっとしていたら、ベッドの前の窓の向こうに月が上っているのに気が付いた。月は世界にただ一つ。私が慕う人も世界にただ一人。月は誰のものでもないから、カロス地方にいたって同じ月を見ることはできる。でも、ただ一人のあのひとは私じゃないひとと歩んでいく。同じ想いには、なれない。

弟子入りしてた先では、感性を磨くためにって自由時間には美術展に行ったり色んな本に触れたりするように勧められてた。その一環で「月が綺麗ですね」なんて昔のカントー地方かどこかの作家は言ったとか言わないとかの話を読んだのを突然思い出した。

「あなたが好きです」そんな意味らしいけれど、その時代のカントー地方の人たちには直接的すぎてとても言えないからそう言ったんだ、って。そんなこと直接言えばいいのに、そもそもどうして月が云々なんて?その時はそう思っていた。今思うに、その作家は「月のようにただ唯一の存在である美しいあなたを想う」って言いたかったのかな。口に出さない言葉も想いを運んでくれるって思ったのかな。とっくのとうに死んじゃってるその人に、もしも訊けるならそう訊いてみようかな。私の考えは外れですか、それとも、って。

花言葉みたいに、石言葉にも色々ある。そして誰かに贈る時には、その意味に従って思いを込める。直接口にする言葉と違って、石言葉には色々意味がある。曖昧ではあっても、その分受け取る相手に考える余地を与えて、そして中からメッセージを選び取ってもらえる。その点では、とても優しい贈り物。私の代わりに寄り添って、そして私が言えなかった分も【魅力的な】あのひとに、どうか【愛情】溢れる【幸せな結婚】をもたらしてね。心の中でモルガナイトにそう呼び掛けて。

「月が綺麗でしたね、ライチさん」

そう呟いた途端に、きっとせせらぎの丘にある滝全部よりもすごい勢いで涙がドッと溢れてきた。私が零すもの全部……伝えないことにしたのに抑えられなかった呟きや今みたいにボタボタ垂らす涙を、ちょっと動きはしても文句も言わずに受け止めてくれてきたこの子に顔を埋めようとして……その直前、窓の外に見た遠くて遠くて届かない月は、今夜は何故か悲しいくらいに綺麗だった。



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