さらけ出して(後)


カキは温泉に実際に入るのは今日が初めてだが、色々な効能があるのは知っている。いつかテレビ番組で、シンオウ地方の温泉について取り上げているのを見たことがあったのだ。それから湯の成分にもよるらしいが、例えば打撲だとかの怪我だけでなく、消化器官のような内面のもろもろに効くものもある、などと紹介されていたのも覚えている。ちなみに、ここの湯は火傷に特にいいそうだ。

だが。そうしたことに効果があるのはいいが、おれが抱えているこの悩みを解決に導いてくれるような都合のいい効能のある温泉なんか、このリゾート中、いやアローラ中どころか、世界中探しても見つからないのだろうな……カキは湯船に浸かりながらそう考えていた。

現地の温泉が、実際に丸々この浴室の通りなのかはわからない。とはいえ、違う地域である分細かな違いはあるのだろうが、あの時テレビで見たシンオウの温泉と同じ部分が多々あるので、カキにとっては再現したと謳うだけはあるように思えた。

まず、湯船の近くの壁に山の壁画が描かれていること。浴室に入って最初に目に飛び込んできた時は、頂上の部分が雪が積もったように白いので、ラナキラマウンテンの絵かと思っていた。しかし、このコーナーのコンセプトなどをより詳しく説明する掲示があるのを見つけ、プレサンスも見入っているだろうかと思いながら読んでみたところ、山についての見当は外れだった。この山は「カントー地方とジョウト地方に跨がって聳えるシロガネ山といい、温泉の浴室の壁画といえばこれというくらいスタンダードなもの」らしい。

それから、備え付けの桶やら何やらが黄色で、しかも何故かそれら全部に人間用の鎮痛剤の広告が入っていること。これについては「カントー地方では公衆浴場といえばこの黄色い桶などがワンセットとされるくらいに馴染み深いものであり、更にロングセラーの薬の広告が入っている点も再現した」ためだということも書いてある。あの番組ではそれらの部分についての解説はなかったので、カキはなるほどな、と思いながら読んだ。

ただ、はっきりと違うと言えそうな点を挙げるとするなら、ここの湯はとてもぬるいということだろうか。あの番組では浴室の様子も映し、訪れた人々にインタビューもしていたが、湯面からはもうもうと湯気が立ち上っていて見るからに熱そうだったのに。彼にとっては、この湯船は限りなく常温に近い水風呂のようにさえ感じられる。とはいえ、今に限ってはこれくらいの温度が丁度いいし助かったとも思う。

だって、もしあの悩みをあれほど熱そうな湯の中で考えようものなら、きっとオーバーヒートしてしまうに違いないのだから。

そう感じると同時に、カキはもう一つあることを思い出す。インタビューを受けていた利用客の中には、カロス地方から来たと話すハルナとかいう女性がいたが、感想を訊かれて「お肌がスベスベになるのはいいけど、恋の病に効けばもっといいのに」なんて答えていたのを。

あの時は何を言っているんだとしか思わなかった。だが、今では少しだけ解る気がする――振り返り終えてふう、と吐いた息は、あっという間に湯気と混ざり合っていく。



プレサンスをリードしたいのに、上手くできない――それは目下カキにとって最大の悩みと言えた。付き合いだして半年が経ったというのに、どうにも緊張してしまい、その一歩が踏み出せないままきてしまったのだ。

カキだって何から何まで受身のままでいたいと思ってなどいないが、恋愛をするなんて初めて。いきなりデートの完璧なプランを立てるなどまだ無理な相談だ。だから、まずはできそうなことの最たるものである手を繋ぐことくらいは自分からしようとしてきた。事実、今日も心臓をバクバクさせながらも何でもないふりをしてそうしようと試みたし、これまで何度も今度こそと念じながらそうしてきた。

なのに、いつもプレサンスはカキがする前に自分からヒョイと手を繋いでくるし、今日だってそうしたものだから結局できずじまい。それを振り払うなどできるはずもないし、何より可愛い恋人の手が心地よいのでそのまま、というわけだった。プレサンスは強引にではなくごく自然にそうしてくるので嫌ではない。でも、どうしたら気負わずにそういうことができるのか、ということを、よりによって恋人に訊くというのは何とも情けない気がしてならないのだ。

つまるところ、カキはプレサンスが大好きなのだ。大好きな相手にはいい所を見せたいのだ。彼女と付き合い始めてから踊りの修行に一層ハリが出てきたと感じている。それにプレサンスもメガやすに勤めていて、あの一件があった日もシフトに入っていたから目の当たりにしていたけれど、あんな無様なところをもう見せるわけにはいかないと思えば、バトルの腕を磨くことにも更に身が入るというもの。それはプレサンスがいてくれるからこそなのだ。

彼女のように「カキ大好き!」とストレートに言葉にすることは、カキにはとても照れ臭くて難しい。けれど、好きだという気持ちにはウソも揺るぎもない。喧嘩もしたが修復できないほどの亀裂が入るほどのものではなかったし、プレサンスもカキもどちらが悪くとも2、3日して頭を冷やしたら素直に謝って仲直りしてきた。おまけに、付き合い始めたことを周りに告げたら皆に祝福され公認の仲にもなれた。順調そのものなのだ、傍から見れば。

でもだからこそ、唯一にして最大のその悩みを誰にも打ち明けられずに悩んでいた。これ以上何を望むのか、と言われそうで。踊りなら、練習を積み重ねていけばいつかは上達を望める。でも、恋愛とは続けていったとしてもそうはいかないものなのだろうか。そう考えた時だった。

「カキー!聞こえるー?」
「うおっ!?」

突然思考を破る声がして、カキの肩も湯船の湯も跳ねた。プレサンスの声がいきなり浴室中に響き渡ったのだ。

「カキってばー!いないのー!?仕切りの壁の上の方に隙間あるでしょー、聞こえるかなって思って話しかけてるんだけどー!」
「あ、ああ!聞こえるぞ」

どこから聞こえてくるのかと、慌てて浴室を見回しそうになったがそういうことか。カキも声を張り上げて答えながらその方を見上げれば、確かに彼女の言う通り仕切りの壁の上の方に隙間がある。

他の利用客がいるならともかく、自分たちだけしかいないこの状況で話し声が迷惑になるとも思えない。上がるまで待てないほど……ということだと思っていいだろうか。カキは自惚れに少し頬を緩めて、こうして壁越しにするなら咎められないだろうと話を続けることにした。

「よかったーいたんだ!先上がっちゃったかなって思った!そういえばコンセプトの説明読んだ?お風呂で使う道具に広告載せちゃうなんて面白いよねー」
「そうだな」

やっぱりプレサンスもあれを読んだんだな。返事をしながら予想が当たってもっと嬉しくなった……ら。

「でもさー、ホントなら裸で入るんでしょ!ビックリだよね」
「!?」

彼女が予想外の爆弾を、しかも思春期の男として反応せざるを得ない単語とともに放り投げてきたせいで、今度は先ほどとは違って驚くよりも一気に体が熱を帯びてしまった。おまけに普段からよく通るその声が、浴室というこの場所の性質と相まって反響してやまない。

な、なんでいきなりそんなことを言うんだ!カキの動転は止まらない。ビックリするのはこっちだ!そもそもそんなことは書いて……あった。確かに、説明書きに目を凝らせば最後の方にそういう記述がある。そういえば途中までしか目を通していなかったのだった。

「今水着で入ってても結構熱いのにねー、カキはこれくらい慣れてるだろうけどあっちの人たち裸で入って火傷しないのかな?」
「え、あ……いや、どうだろうな」
「まいっか。私先出てるねー」

プレサンスは壁の向こうのことなどつゆ知らず、喋りたいだけ喋ってさっさと出て行こうとしているようだ。そして足音が遠ざかり、出入口の引き戸がカラカラと閉まるのが聞こえた。

……裸、か。今までプレサンスのそれを想像したことは……正直に言えば、ある。しかも先ほどの言葉が引き金になって、おまけに目の前にいない分かえって想像力が働きすぎてしまう。

悶々、悶々……お、おれは何を考えてるんだ!カキがそうして頭を抱えて自分を叱る間にも、体は火照っていき燃え滾らんばかり。ボイラーか何かではなくて、自分がこの湯を沸かしているのではと錯覚しそうになるほど全身がカッと熱くて仕方がない。

どうしてこの風呂は水風呂じゃない上に悩みをどうにもしてくれないんだ!水、とにかく水だ!カキはプレサンスを責めこそしなかったが、声にできない八つ当たりをしながら一目散に湯船を飛び出し、一番近くにあるシャワーのコックを捻って思い切り水を浴び始めた。



恋人をリードできない上に……あんなことを考えてしまうなんて。おれは最低だ……穴があったら入りたい、というより冷水があったら浴び続けたい、というくらいの熱を何とか鎮め、カキは自己嫌悪に陥りながらも浴場入口前のロビーまで出てきた。

プレサンスは先に上がっているはずだ、待たせてしまった。どこだろうと見回すと、果たしてデフォルメされたミルタンクが描かれたモーモーミルクの自販機横、二脚並んだマッサージチェアに掛けてスヤスヤと寝息を立てていた。傍のテーブルには、先に飲んだらしい空き瓶ともう一本、恐らくカキのために買っておいてくれたらしいカフェオレ味の瓶が、未開封のまま乗っている。

「……」

起こさないようそっと近寄り、並んだチェアに音を立てないように座って、プレサンスの顔を覗き込んだ。湯上がりで上気した頬にトロンとした寝顔で何とも色っぽい。また心臓がドキドキと騒ぎ始める。

次に行くコーナーは決めてと言われたが……だが、それはもう少し後に考えておくとして。もう少しだけでいい、このまま見ていたい。おれはプレサンスに翻弄されてばかりいるな、とカキは苦笑いする。それが嫌なわけではないが……そこで気が付いた。肘掛けから少しはみ出してカキの近くにあるその手が、お留守だということに。

よし……今、なら。喉がゴクリと鳴る。恐々と手を伸ばして――ギュッと、でも起こさないよう痛がらないよう加減をして。やった!カキは達成感に打ち震えた。ついに、できた。自分から手を繋げた。できた。プレサンスの状態が状態とはいえ、ともかく。

「ねえ……」
「!」

寝ているとばかり思っていたところに、プレサンスが突然口を開いたのでカキはその状態のまままたもビクッとした。もしかしたら寝たふりをしていただけだったのか?

「マオ、スイレン…」
「ん?」

そう思ったところに次は自分ではなく、ここにはいないはずの二人の名前をどうしてか呼んだ。どうした、もしかしたらさっきの温泉には混乱する成分でも入っていたのか?大丈夫か、おれはカキだぞ?わかるか?そう呼びかけた方がいいのだろうか。

「ね、きいて」

ミルクのほのかに甘い香りがする吐息を途切れ途切れに立ち上らせながら、プレサンスの口の動きはゆっくりではあるがまだ続きそうで……そこでカキは気が付いた。もしかしたら寝言だろうか?ここにいるはずのない二人の名前を呼んだのは、夢の中に出てきているからなのかもしれない。おれは目の前にはいるのに夢の中にはいないのか、とも思ったが、他の男の名前なんかを口にされるより何倍もいい。その時だ、顔を綻ばせた彼女は。

「カキ、ね……こない、だ、あっちから、……はじめて、てー……つないで、すぅ……くれたんだ。すっごい……うれしかっ、た……くぅ……」
「!!!」
「あたしから、するばっかり、だったしさ……いつ……してくれる、のかなって……すぅ……おもっ、てた、けど……すぅ……やっと……」

寝言は寝言と言ってしまえばそれまでかもしれないが、一方で本音だという説も聞いたことがある。もしそうなら、プレサンスもやはり気にしていたのだろうか。そしてもしかしたら、彼女が今見ている夢の中は少し先の未来で、今こうして手を繋いだことをマオやスイレンにこの間のこととして話しているのだろうか。確かめることはできなくても、寝顔以上にその言葉に意識が釘付けになったままでいると――プレサンスは、今度は寝顔いっぱいに満ち足りた表情をくっきり書いて。

「やっぱ、あたし……カキのこと、だい、すきだな……えへへ……」
「……おれも、だ。大好きだ、プレサンス」

夢うつつのままの彼女にはきっと届かないだろう。でも、でも、そんなことは関係あるものか。ただ、今度は起きている最中に喜んでもらえるようにそう言ってもらえるようにするんだ。次こそは、できる。温泉がどうにかしてくれなくたって、きっと。

そんな確信を抱いて決意を新たにしたところで、カキも急に瞼が重くなってくるのを感じた。踊りが上達したと実感した時にも勝るとも劣らない、満ち足りた気分が急に体を包み込んでいくのが解る。ああ、体が勝手に背もたれに寄りかかっていく、…… ……。

結局、手を繋いで仲良く夢心地な二人を施設のスタッフが見つけるのは、モニターの終了時間間際になってのことだった。



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