放ってちゃんにまっしぐら(後)


「構われないと寄っていきたくなるもんなんだ、…寂しいんで」
あれは付き合い始めてしばらく経ったころの非番をクチナシさんの家で過ごしていた日のことだった。クチナシさんは、付き合いだしてすぐの頃からスキンシップをよくしてくるようになった。例えば書類を書いてたらペンを持ってない方の手を後ろから握って指を絡めてきたりとか。別にそれ自体は嫌なわけじゃない。でも仕事に集中したいから仕事中は控えてほしくてそう言ったら、少し言い訳するような声でそう返されたのを今突然思い出した。あの時は大の大人なのに、それもいつもみたいな眠たげな眼のまんま寂しいなんて言うのにすごくキュンときて。じゃあ今日はたっぷり構ってあげますって、甘噛みするように頬っぺたを軽く抓ったんだけど全然伸びなかったっけ。で、伸びないなーなんて言いながら抓り続ける私に少しの間はされるがままになってくれてたけど、やり過ぎたのか「構いたがりのイタズラっ娘にはお仕置きしねえとな」ってニヤッとしながら腰に手を回してきて…で、まあ、その後色々(わかるでしょ?)して、ね…。
ところで、私とクチナシさんは表向きは上司と部下の間柄。だけど実は恋人同士でもあるから職場恋愛してるってことになる。テレビドラマとかなら、職場恋愛をいかに周りの誰にも、例えば目ざといお局様だとかお喋りな新人だとかの厄介な人たちにバレずにすり抜けるか…ってところに見応えがあるんだと思う。けど、少なくとも私のいる現実はそんなドラマみたいにはいかない。だってこの交番には私とクチナシさん以外誰もいないんだから。つまり恋人と二人きり、しかも仕事も周りの目もほとんど無い。まあ時々アセロラちゃんたちが来たりはするけどいつもじゃないし――そんな環境をいいことに、クチナシさんは。
「な…少しくらいはいいだろ?ご無沙汰なんだしよ」
「い、いけませんっ!」
ほら始まった。ニャースたちが動き回るのが新鮮で、その様子を窓からチラチラ見たりしながら掃除に使う道具なんかの準備が大体終わってさあ取り掛かろうか、ってところに。プレサンス、って名前を呼ばれて振り返ったら…いつの間にかクチナシさんが近くにいた。避ける間もなく私の顎を素早く捉えてクイッて持ち上げて、まっすぐにこっちを見てきて。
「プレサンス」
クチナシさんの声が私の名前をなぞっていく度、顔がその真っ赤な目の色を丸ごと移したみたいに染まっていく。ずるいなあもう、私が今みたいに真っ直ぐ見つめられながら低い声で囁かれるの弱いんだって知っててやってるんだもん。キッパリやめてって言おうとしたのにドキッとして声が裏返った。クチナシさんはいつものだるそうな表情はどこにやったのか、私の反応が面白かったみたいでクツクツ笑う。警察官とは思えない悪人顔しちゃって。でもそこがかっこいい、そこもかっこいい…じゃなくて!今は仕事中なんだからこういうことするの勘弁してほしいしそう言ってあるのに。でもだからって、私がワンテンポ遅れて顎から手をそっと剥がしたくらいで引き下がるひとじゃなくて。
「どのみち誰も来ねえさ」
「ん…」
今度はそう言いながらちょっと屈んだ、と思ったら私の頬っぺたに顔を近づけて…チュ、って音がした。他ならない彼氏にしてもらったんだから嫌なわけないけど、むしろ嬉しいけど…キスが終わって顔が離れたところでやんわり距離を置く。
「そう思ってるところに限って来たりするものなんですよっ」
「見せつけちまえばいいじゃねえか」
次は動きからして肩に手を回すつもりらしかった。でも置いてあったウエットティッシュをその動きを遮るようにして咄嗟に渡すと、クチナシさんは途端に怪訝そうな顔になって訊いてきた。
「何だいこりゃあ」
「掃除用具です。せっかくの晴れだしニャースたちも外に出てるから捗りそうなので、今日はお掃除したいんです」
「分かったよ、恋人の手も借りたいってか」
手の中のそれを見てしぶしぶって感じではあるけど頷いてくれた。こんな風に上司だからって威張らないところもいい…ああ、のろけちゃいけない。
「そうです、誰かさんの可愛いニャースたちはとても貸してくれそうにありませんから。あと問題です、いい大人、それもお巡りさんたちが仕事中にイチャイチャしてるところを守り神様が目撃したとします。さてどう思うでしょうか?」
「流石はしまキング、プレサンスのような美人とよろしくやってるとは選んだ我も鼻が高い…守り神さんが我って言うかはともかく、これ以外は思い浮かばないねえ」
「ブッブー。いくら一番優しいカプだって呆れちゃいますよ、腕利きのお巡りさん?それにいつも言ってるじゃないですか、私は仕事中にそういうことして、守り神様だけじゃなくてアセロラちゃんとか地域のみなさんに白い目で見られたくないって」
「地域のみなさんってもなあ、そういないだろ。…つれないね」
ちょっと拗ねたようにボソッと言ったけど、私の態度にこれ以上はやめておこうと思ったらしい。パッケージの蓋を開けてティッシュを一枚取り出すと、窓の桟を拭くのに取り掛かり始めた。

ふう…カーペットを日当りのいい場所に広げ終わったあと、音がしないように小さな溜息をついた。クチナシさんに気にしてほしいこと――それはさっきみたいに、仕事中なのに隙あらばイチャイチャしようとするのを私が気にしてるってこと。困り顔のまま洗濯するものを水に漬け終わって、洗剤を流し台の下から取り出した。私だって何も本気でクチナシさんのことを拒みたいわけじゃない。腰に手を回されたらそのまま寄りかかっちゃいたい。ソファでコーヒー飲みながら休憩してる時、横に座って手を握ってずーっとイチャイチャしてたい。…ただ全部、仕事中でさえなければ。蛇口を捻って出てきた水にもう一度出た溜息を押し付けて布類をゴシゴシ洗う。職場以外で二人きりになるにしたって難しいとはいってもね。私の実家兼自宅はポニ島のはずれもはずれ、ウラウラ島からは半日がかりだから冗談抜きで日が暮れちゃう。しかもクチナシさんは一人暮らしだけど、女子は独身ならよっぽどの理由がない限り寮に入らないといけないから今はマリエシティにある女子寮暮らし。言うまでもないけどもちろん男子禁制が徹底されてるしセキュリティが物凄く厳しくて、それをすり抜けて彼氏を連れ込むなんてできるはずがない。っていうわけで、それを口実にして周りの目が少ないこの交番で思う存分いちゃつこうってつもりみたい。…でも。やっぱりなりたくてなったからには、たとえすることが少なくたってちゃんとするべき仕事に集中したい。おカタいつもりなんてないけど、こればっかりはどうしても譲れない。休みの日に二人きりで会う時なら例外だけど、いくらポー交番は周りの目があんまりないとはいえ、そういうことしないようにしていたいって今までも伝えてきたのに…。
「そういえばよ」
「何ですか」
左側の窓のところからしてくる声にちょっと振り向いて聞き返す。クチナシさんは窓を拭き終わって今度は机を拭くのにとりかかっていて、ちょうど使い終わったウエットティッシュを屑籠に入れたところだった。離れたところから投げ入れたりせずにちゃんと前もって足元に置いてある。洗濯物にしてもいつもちゃんとハンガーにかけてるし、無精に見えてそういうところ几帳面なんだ。
「いや何、もっと掃除のやる気が出そうな方法を考えついたんでやってくれねえかなって」
「…どんなのですか」
妙な予感がしたけど一応相槌を打つと、またちょっとニッとして。
「…プレサンスがもっとして、っておねだりしてくれることかね。アノ時みたいに」
「〜〜っ!! 誰が聞いてるかわかんないんですよ、そんなこと言いませんっ!」
「今言いたくないんなら今夜言うってのもアリ…いや大歓迎だぜ?明日お互い非番だろ」
触れさせてもらえないなら言葉で、ってこと?そういうことじゃないから!確かにあの時はもっとして、って言ったけど。言った、けど!あの時感じた手の感触、体温、吐息…そんなのが一瞬でフラッシュバックして体が火照りそうになる。ダメダメ、掃除に集中しなきゃって振り払おうとして…
そこではたと気付いた。そういうコトしたの、よくよく振り返れば随分前じゃない?いつぶりかな。交番勤務はシフト制でもちろんポー交番も例外じゃない。だからなかなか休みが合わないし、いざ非番でも丸一日付き合ってる人と会うためだけに使うわけじゃない。趣味だって楽しみたい、不規則な仕事の疲れを癒すために一人で過ごしたい時もある。それにお互い用事とか、クチナシさんにはしまキングとしての仕事もあるんだし。…でもそっか、明日お互い休みなんだ、本当に久しぶり。じゃあ…あああダメダメ、私は真面目な警察官なの!仕事中にそんなこと考えちゃだめ、そんなことっ…勝手に体にまとわりつこうとする熱を振り払いたくて頭をブンブン左右に振った…そしたら丁度窓の外ではニャースが大ジャンプして木にとびかかったところで、思わずそっちに視線が向いた。そういえば外に出たのはいいけど、どこかに脱走したりしてない?確かめようとして窓際に寄った。1、2、…うん、目の届くところに全員いる。そして人間の事情なんかつゆ知らず窓の外で相変わらず戯れてる。あの物音に敏感な子はオニスズメにちょっかいかけようとして…あ、逃げられた。まさにその瞬間を私に見られてたことに気が付いて一瞬固まったけど、でも失敗なんか何もしてません、ってふうにツンとして顔を洗い始めた。その時ニャースが初めてちょっとかわいく思えて小さくクスッと笑った。クチナシさんも今みたいなああいう一面が好きなのかな。そういえばクチナシさんのこともっと好きになったの、実は寂しがり屋だったギャップが可愛かったからだったっけ…
「なーに見てんだ」
「ニャースのこと。結構動きが面白くて…あっほら見て」
またいつの間にかクチナシさんが近くに来てた。それで、ニャースたちは今度はどこからか拾ってきたきのみを取り合おうとして、でもコロコロ転がっていくからみんなして追いかけ始めたところだった。喜ぶかな、なんて思いながら窓の外を指した…けど。
「ニャースたちはいいよな。おれはあれこれしてもあんまり構ってもらえないけど、ああしてるだけでプレサンスに見てもらえてよ」
「…!」
クチナシさんはいつも以上に覇気のない声でボソッと零すと、私のそばからノロノロ離れた。その声に振り返ると、今度は机を動かし始めてた。やっぱり男の人の力だからか机はスムーズに動き始めて、机があったところの隙間に積もってた綿埃が見えてきた。
でも、私はさっきの声が耳について離れなくて動きが止まっちゃった。怒ってるわけでもなく、不機嫌って感じもしない。でも――ホントに寂しそうな気持ちが滲んだ声だったから。視線の先には丸まり気味の背中が目に入ったけど、それもあってなおさらそう感じられて…。いくら何でも冷たくしすぎちゃった、かな。心がすごく痛んできた。私は仕事中にはイチャイチャしたくないっていう自分の希望…見方によってはワガママを主張しすぎてたんじゃないの?それを押し通そうとするばっかりに融通が利かなくなって、大好きな人に寂しい思いさせちゃってたんじゃないの?今ようやくそのことに気が付いた。どうしよう、大好きな人に立ち直ってもらうにはどうしたらいいんだろう…。なかなか回らない頭で考えて…うん、したくないとか言ってる場合じゃない。時計を見ればもうお昼ちょっと前だ。なんとか話のきっかけを掴もうとして話しかけた。
「休憩、しましょっか。飲み物淹れてきますね。エネココアでいいですか」
「おう、頼むわ」
応えてくれなかったらどうしようって思いながら口を開いたから少し声が震えた。でもよかった、ちゃんと返事が返ってきた。つれなくした私にもちゃんと応えてくれて、よかった。それに感謝しながら飲み物を準備して、先にソファにかけてたクチナシさんのところへ運んで行った。私の態度を気にしてるのか、さっきまでと違ってちょっとぎこちない。いつもなら伸びてくる手も今はない。でも…だから、今度は私から。拒否されたらどうしようって勇気が要ったけど、そっと自分から指を絡めて囁いた。
「今晩、…もっと、しませんか」
こんな言葉でいいかはわからないけど、まだ明るいうちだけど。絡めた指にもっと力を込めてギュッとした意味はあえて言葉にしないまま、自分からそっと唇を重ねた。クチナシさんならきっと察してくれるはずだって信じて。



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