ルックミーヒアミー(後)


「なんだってズミ君をそんなにじっと見てるんだい?…ひょっとして格好いいから?」
プラターヌは段々とモヤモヤした苦い澱が心に沈んできたのを感じていた。
面白くない。せっかく来たというのにプレサンスの心はすっかりお留守だ。久々に会いたいのと驚かせたかったのとで予告なく訪ねたのだから、くつろぎたいところへのありがたくない来客になってしまったかもしれない。果たして彼女は特に文句を言うでもなく迎えてくれたから、それに感謝しつつ弁えてあまり邪魔をしないようにはしている。
が、数週間ぶりだというのにお茶を出されてからほとんど構われていないというこの状況は、恋人の性格を分かっていても何とも寂しい。おまけに見ている動画に映るは美男子と名高いズミ。ますます面白くない、気が付けば自然と眉根が寄っていた。
「どうせ四天王を見るならドラセナさんやパキラさんを見ればいいじゃないか、いや別にこの際ガンピさんでもいいだろう?」
「バトルを見る見ないに映るトレーナーの顔なんて関係ないですよ。それに水タイプへの対策を練ってるんですから四天王っていうくくりなら誰でもいいわけじゃないし、ズミさんをじっと見てるんじゃなくてズミさんのバトルをじっくり見てるんです」
よくよく聞けばガンピに対して失礼な発言だが、苦い澱を何とか紛らわそうと訊いてもプレサンスの答えは実にあっさりしたもので。今頃四天王たちはくしゃみを連発していないだろうか。そんなことを思いながら、目線で無理ならせめて言葉でだけでも恋人の気を引きたくて、なんとか話を繋げようと試みる。
「ふうん。バトルを、ねえ」
「今はいかに水タイプ対策をするかっていうことを研究してるから、今までで一番苦戦したズミさんのバトル動画を見て考えてるんです。そもそも水タイプのポケモン自体も多いから水使いのトレーナーも間口が広い分多いんですよね、たとえばホウエン地方のチャンピオンとか、あとカントーやシンオウとかいろいろな地方にもそれぞれ違ったバトルスタイルの水使いがいるっていいますし。でも参考に見るならまずは同じ地方の強い人がいいかなって」
「まあ…そうかもね」
相変わらず画面を見つめたままのプレサンスの答えにひとまずは同意してみせたけれど。
確かに彼女の言うことには一理ある。トレーナーにとってバトルから学ぶものが多いことは知っている。それにより良い結果を追い求めたいという気持ちも分かるし、研究熱心で向上心あふれるプレサンスに鼻が高くならないでもないのだが。
――でもそれって、仮にも恋人のいる前でするものなのかい?もともと吊り気味の眼をさらに吊り上げて真剣に指示を飛ばす画面の中のズミ。彼、ではなく彼のバトルに釘付けになるプレサンス。…そして横でほったらかしにされている自分。プラターヌはこの構図をもう一度認識しながら溜息を吐いた。
自分を磨き続けるプレサンスは確かに誇らしいよ。でもバトルを見てるだけ、とはいってもさ…そんなにズミ君が映ったものばかり見ていては思わず不安になってしまうじゃないか。思わず心中でひとりごちた。
大体の女性なら、険があるもののズミのルックスに惹かれることだろう。いや、むしろちょっと近寄りがたい雰囲気が逆にたまらないという声もあるというではないか。加えて自分にはついぞ花開くことのなかったトレーナーとしての才能もあり、極め付けに料理の腕は伝説とまで称されるほどで。
一部で色男などと評されているらしい自身が異性に人気があることは自覚している。事実プレサンスと付き合う前はそれなりに遍歴を重ねてきた。でもズミだってあれほどの実力と容姿を兼ね備えているのだ、放ってはおかれないだろう。いや待てよ、もしかしたらプレサンスだってチャンピオンになるからには今後四天王の彼と距離が近くなって急接近するかもしれない、そんなのは嫌だ――
そこまで考えてはたと気づいた。何を考えてるんだろうボクは。画面の向こうの人に嫉妬するなんてさ。プラターヌは自分が女々しく嫉妬していることを認め、そして自嘲しないわけにはいかなかった。

「えっと、ここでこおりのキバがきたとして」
しかしプレサンスは彼の心情を余所にすっかり分析に夢中だ。彼女の名誉のために言っておくが決して冷たい子だというわけではない。あくまで集中していることを中断するのが嫌いだし恋人同士とはいってもあまりベタベタしたがらない性質だからであって。それに見ているのはあくまでバトルなんだ、ズミ君でなくてバトル…自分に言い聞かせるように何度か繰り返してみようか…でもああやっぱり駄目だ、そう言い聞かせてもモヤモヤは晴れるどころか濃くなるばかり。恋人はこちらを見てくれないし、自分が独り占めするはずだった彼女の視線はあろうことか液晶の中の美青年(が繰り広げるバトル)に奪われているし。いくらズミ自身を目当てに視聴しているわけでなくても、こんな状況を楽しめる男などいるわけがない。そろそろ我慢の限界を迎えて――

ごめんよー、集中してるプレサンスもかわいいけどボクも寂しいからね。
彼女に聞こえるはずもない謝罪を呟いて、行動に出た。

「はい、そこまでだよー」
「え?あ、ちょっと博士っ!?」
プレサンスが見入っていたタブレット端末をひょい、と取り上げる。そして素早くそれを自分の横に置き彼女がすぐに取り戻せないようにした。
そんなことをされようとは思っていなかったプレサンスはたやすくそれを許してしまう。しかし最初こそ不意を突かれて驚きの表情を浮かべたが、すぐに状況をのみ込んで不満そうな声を上げようとしていた。一方で画面の中の険しい顔をした恋敵は当たり前ながらこの状況を知る由もない。あえて再生したまま音量だけ絞っておく。最後にこれ以上できないくらいプレサンスに体を近づけてこっちを向かせて、これでよし。準備は整った。
「博士ったら何」
プレサンスはいきなり状況の変化をもたらしたプラターヌの行動を訝しみかけた――
が、その言葉は最後まで音になることはなかった。何故なら。
(…!)
思わず心臓をひときわ高く高鳴らせ抗議を忘れた。眼の前にはプラターヌの整った顔。自分を近くで真っ直ぐ見つめてくる恋人の姿。近くなる彼の体温。それを感じて目の当たりにして、次に何を言おうとしたのかさえ頭の中から消し飛んでしまった――。
「ん、ふぁ、あ!」
そのまま唇が重なって、深く激しい口づけがプレサンスを翻弄し始めたではないか。キスなんて今まで何度もしたことがある。だが今回のそれは今までにしたものよりもいっそう激しい。どういうこと、と驚きながらも、先ほど以上に密着されて体を少し動かすことさえもできない。プレサンスはプラターヌの突然の激しい愛情表現を目を白黒させながら受けるほかなかった。
ひとしきり恋人の唇を貪って酸素を補給しまた口づけて。普段あまり変わることのない彼女の表情が動いていて。そしてそうさせているのは、ほかでもない自分で。――それの何と嬉しいことだろう。この状況に微かな興奮さえ覚え始めていたプラターヌは、それに操られるかのように唇を奪い続けた。

口づけを何度も何度も重ねて、どれくらい時間が経っただろう。
「、博士ったらっ、急に、どうしたんです、か」
「見せつけたげようと思ってさ、ズミ君に」
「み、見せつけるも何もこっち見るわけ、」
年の割にクールで大人びたプレサンスが今見せているのは、驚きと照れとが入り交じった表情。すっかり上気した頬に荒い呼吸音すら丸ごと愛しくてならない。そうだ、キミの表情が動くところが見たかったし聞きたかったんだ…どうだい羨ましいでしょ?プレサンスを誰よりも直に感じられるのはボクなんだからね。プラターヌは液晶の中へ届くはずのない半ば八つ当たりのこもった視線をタブレットに一瞬だけくれてやった後、プレサンスに向き直った。
「びっくりした?」
悪戯っぽく笑って顔を覗き込めば、コクリと首を縦に振る。
「あ、あれでしないわけ、ないです」
「あんまり構ってもらえないからつい、ね」
そこまで言えば聡いプレサンスのことだ、プラターヌが仕掛けてきたことの動機を悟ったのだろう。少しばかり決まり悪そうに目を伏せて、謝罪とほんの少しの言い訳を紡ぐ。
「ご、ごめんなさい…でも私は好きな人と過ごせたらそれで幸せだし、それに確かに博士のことは好きだけど、あんまりベタベタしたくないの知ってるでしょ。だから動画もっと」
続いたのはおそらく見てたいんです、あたりだろう。が、言葉を遮って深く啄むような口づけをもう一度送る。色白な頬がもっと紅く染まるのが分かった。
「ボクだってプレサンスと一緒にいられるのはこの上なく幸せだよー、でもキミがこっちを見てくれたらもっともっと幸せなんだけどなあ…?あと今日はタブレット没収ね」
「えー!あのビデオもうちょっとで終わりますからぁ」
「だーめ」
「何でですか」

端末の没収を言い渡されてプレサンスは唇を尖らす。途中でものを投げ出すのが許せない性分がそうさせるのだろうが、プラターヌはそんな恋人の仕草に心がグラリと傾きかけるのを押さえつつどうにかなだめながら耳元で囁いた。
「だってさ、キミが隣にいるボク以外を見つめるなんて嫌だからねー?ましてや他の男なんか瞳に映してほしくないんだ。それだけだよ」



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