お手をどうぞ


『明日はカロス全土で晴れますが、特にハクダンシティとミアレシティ周辺で強い北風が吹くでしょう。十分暖かくしてお出かけください』
――天気予報ってお出かけの日なのに雨だったり寒かったりする時に限って当たると思うんだけど気のせいかな、季節のせいもあるかもしれないけど…プレサンスはからっと晴れた終わりかけの秋の空の下、吹いてきた北風の冷たさに昨日の天気予報を思い返しながらイベールアベニューを歩いていた。カレンダーの上ではついこの間まで秋だったけれど、もう季節は一足先に冬の門をくぐったかのように最近ぐっと気温が下がってきている。まとわりつく空気も冷たく体を包み込んでいるし、先ほどひときわ強い風が吹き付けてきた時には元々寒がりなこともあり体を思わずぶるっと震わせてしまったほどだった。
それにしても、と何も付けていない手を見下ろして内心小さな溜息を吐く。指先の感覚がほとんど無くなりかけているそこはむき出しで外気に晒されている。手袋やっぱり付けてくればよかったかな…うっかりしたことに、コートはもちろん着てマフラーも巻いたのに手袋を付けるのだけ忘れてきてしまったのだ。だからそういった寒さ対策をしっかりとしてあるというのに、手袋が無いものだから何だか全体が妙にちぐはぐに見える。それにやはりというか手がかじかんで仕方がない。自宅を出てすぐに気が付きはしたし、引き返す時間さえなかったわけでもない。だが早く恋人のもとへ、プラターヌのもとへ行きたいという思いは、取りに帰ろうかという考えを頭の中から一瞬のうちにきれいさっぱり消し去ってしまっていたのだ。そんなわけで北風吹きすさぶ中をやって来た結果が今の状態というわけだ。手土産の袋を持つ左手ももうコチコチになっている。いくら久々に会えるのが嬉しくて浮かれちゃったっていってもね、と自分に苦笑いしながら次の角を左へ曲がった。彼の自宅はもう少し行った先だ、そう遠くはないし急ぐこともない。だが寒さから逃れたいということも否定できないけれど、それ以上に早く会いたくて自然と足は速く動いた。

やがて見えてきた玄関にたどり着き、無意識に深呼吸を一つした。ミアレシティでも一番スタイリッシュだと名高い地区、レンガ風の壁と絡まったツタがおしゃれなアパルトマンの1201号室がプラターヌの部屋だ。心臓がドキドキと音を立てているのが解る。走ってきたわけではないのに弾む息も心臓も、すべてはドア一枚隔てた向こうにいる彼のことを思えばこそ。久々に一緒に過ごせる時間だから結構張り切ったのだ。お洋服この間可愛いの買ったんだけど褒めてもらえるかな、お菓子も喜んでくれたらいいな。手土産のお菓子は、最近イッシュ地方から進出してきたスイーツショップ【アンクル・ゴールデンボール】の人気商品キノココ型マフィン。「前にテレビで見たんだけど美味しそうだなと思っててねー、次のデートで一緒に食べようね」とこの間ホロメールで言っていたのを覚えていたのだ。これから彼と二人で過ごす甘い時間を思い浮かべ胸を高鳴らせながら、かじかんだ手をドアノッカーに伸ばす。これもやっぱり北風に当たっていた分冷たいけれど、もうちょっとで博士に会えるんだし我慢我慢、と言い聞かせて、と。
コン、コン――薔薇を象ったクラシカルなデザインのノッカーをドアに軽く打ち付け始めた。自分の来訪を知らせるノックは短く3回と取り決めてある。そして最後の1回を打ち鳴らし終えるかどうかというところで、それを待ちかねたかのよに間髪入れずにガチャリと開いたドアのその向こうには。
「ようこそプレサンス!待ってたよー」
「博士っ!」
果たしてドアを完全に開けるや満面の笑みを浮かべ、長い手をこれでもかというほど広げたプラターヌの姿がそこにあった。まるで全身で「こっちへおいで」と言っているかのようだ。プレサンスはその姿を見るが早いか、瞳を輝かせ始めながらまっすぐに腕の中へ飛び込み背中に腕を回した。同時に彼の腕も自分の背中に回る感触がして、触れ合った部分が温もりを交換し合っているかのようにじんわりと暖かくなってくる。
「ずっと会いたかった!お仕事お疲れ様」
「ボクもだよー!そう言ってもらえると論文頑張って書いた甲斐が…おっと、ドア閉めないとね」
回されていた手が一瞬離れてドアを閉めるけれど、そのぬくもりが少しでも離れてしまうのさえ寂しく感じてしまう。私って意外と欲張りだったんだと思いながら、寒がっていたことも今は忘れてお互い会えたことを喜び合いながらひとしきり何も言わずに玄関先で抱き合ったあと。そこでそうだ、お土産を渡さないとと思い出した。丁度プラターヌの手も離れたし丁度いい、抱き合っている間中手に持ったままだった袋を差し出した。
「そうだこれはい、【ゴールデンボール】のキノココマフィン。前に食べたいって話してたでしょ」
「やーこれはありがとう!早速お茶淹れて…って!」
「わっ」
袋を渡そうとした手が触れた途端、プラターヌはたちまち驚きの表情を浮かべてプレサンスを見下ろしてきた。一瞬驚いたが原因はすぐに思い至った。指先が冷たいせいだ。いくら屋外にいる時より温まったとはいえ、さすがにまだ冷え切った指先にまで体温が戻りきっていないせいだろう。
「手がすごく冷たいじゃないか、どうしたんだい?この天気だし冷えちゃったのかな」
「ごめんなさい、びっくりさせちゃった。実は手袋忘れちゃったっていうか付けてこなかったから」
「なるほど。でもどうしてまた?」
「だって早く博士に会いたかったの。家出てすぐに気が付いたけど、取りに帰って会える時間が遅くなったらヤだから…」
「そうなんだねー」
経緯を説明すれば、プラターヌが不思議顔から納得顔、そしてすぐに笑顔になるのに時間は要らなかった。そして同時に、これほどにまで一途に、寒がりだというのに寒い思いをしてでも会いに来てくれるプレサンス。本当に可愛い子だ。緩んだ口元も目元も、口があったら嬉しいと言っているに違いないと思った。だからそれはもちろん嬉しい、嬉しいのだが――少しばかり、言いたいことがあるとすれば。
「プレサンスすごく寒がりなのに…早く会いたかったからなんて、本当にボクのうっかりやさんは可愛いんだからなあもう…うーん、でも」
「?」
「嬉しいけどちょっとフクザツ。何だか北風に嫉けてきちゃったよー」
「え、なんで」
独りごつように呟いて、今度は笑顔から少し渋い顔になった彼にプレサンスは視線を向けて問いかけた。ひょっとしてキノココマフィンじゃなくて人気ナンバー2のタマゲタケクッキーの方が良かったですか、と言う前に口を開いたので、お菓子に不満があるわけではないみたいだけれど…北風に嫉妬って言った?どういう意味なんだろう、とキョトンとしていると。
「なんでって?」
問いかけたプレサンスの手を取るや、少し強めに握って。そして整った顔の、正確には頬のあたりへ持ち上げてそこへ当てるようにしながらまた口を開いた。プレサンスはぼうっとその仕草に見とれてされるがままになっていた。顔をちょっと顰めて、でも目はちゃんと笑っている彼。何しても、かっこいいなあ――そう思いながら、形のいい唇が次の言葉を紡ぐのを待つと。
「だってさ、ここまでくる間プレサンスの手にキスをし放題だったってことじゃないか。ボクだって最近してないのにと思うとすごく悔しいんだよねー」
「えへへ…」
なるほど、そういうことだったんだ。手の温もりも、そう言ってもらえたことがくすぐったくてこそばゆくてでも愛されているのが感じられたことも嬉しくて、プレサンスははにかむよな微笑をこぼす。プラターはその様子を愛おしげに見下ろして、さあそろそろゆったりと過ごそうかと誘うことにした。
「だからね、北風にされた冷たいキスよりもっとたくさん、とびきりあったかいキスをしてあげる。それじゃあお姫様、こちらへどうぞ」
「はーい」
茶目っ気たっぷりにウインクしたプラターヌに笑い返して、彼の手の優しい暖かさが冷えていた自分の手も柔らかく溶かしていくのを感じる。それが嬉しくて手をそっと握り返しながら、プレサンスは案内されるままリビングルームへと足を進めて行った。



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