それが例え悪戯でも(後)


プラターヌに連れられていく間に喧騒はずいぶんと遠くなった。彼はそのままどんどん暗がりの中へと向かっていく。灯りもほとんどないのにミアレの街をすいすい行き来できるのは土地勘があるからだろうか。迷子になりさえしなければ今ごろサナやセレナとハロウィン一色のミアレの街を楽しんでいるはずだったのに、面倒なことになってしまった。
「あの、そんなにお菓子がほしいなら全部あげますから!だから離して」
「ボクはお菓子よりプレサンスが欲しいんだよー」
肩に回る手の感触が嫌で解放してほしいと懇願しても、さっきからずっとこのやり取りが続くばかりだ。ハロウィンにかこつけてお菓子を差し出して離してもらおうとしても拒絶されてしまう。言葉でだめならとばかりにどうにか肩に回された腕を外そうとしたが何回試してもかなわない。手足の長さの差もあってすぐに元通りの状態にされ、込められる力がどんどん強くなってしまいもう少女の力では抗うことはできなかった。
その間に微かな光が差し込んできた。先ほどまで雲に隠れていた月が出て来たらしい。停電で他の灯りもほとんどない分、先ほどまでよく見えなかった彼の姿がそれに照らされてはっきりと分かるようになって――…少し、かっこいい。これであのナンパなところさえなければ。プレサンスは状況を忘れて思わず一時だけ見惚れた。このハロウィンの夜を楽しまない義理はないと言っていた通り、プラターヌはいつもの白衣姿ではなく中世の紳士の仮装をしていた。襟を立てた黒いクラシカルな型のジャケットに同じ色のスラックス、中に合わせたシャツは色こそ普段と変わらないが同じ色のシャボとその真ん中にはクロバットのシルエットを象ったブローチを付けている。口の端に彼には生えていなかったはず のキバのよな歯――しかも先が赤い――があるのを見て一瞬驚いたが、よくよく見るとそれは付け犬歯とでもいうのか仮装に使うものらしかった。今夜の彼は怪奇小説に登場する吸血鬼といったところか。周りとの調和という意味ではこの近代的なミアレの街よりもたとえばショボンヌ城のような昔の建物のほうが似合いそうないでたちではある。だが、その整った顔立ちと相まって少なくとも彼自身には本当に良く似合っていた。研究に没頭して不摂生をするせいでくたびれた顔をしていることも少なくないから忘れがちだが、元来プラターヌは甘いマスクの持ち主なのだ。

「さて、と。路地裏まで来たしここでいいかな」
「痛っ」
そんなことを考えていると、不意に背中に固く冷たい感触がして現実に引き戻された。プラターヌが壁にプレサンスの体を押し付けたのだ。しかも壁に押し付けるだけでは飽き足らず、彼女の細い両手首をも石壁に食い込まんばかりに頭の上で押さえ付ける手に力を込めているではないか。大人と子供、そして男と女の力の差の前ではどれだけもがいてもビクともしない。背中に当たるのは冷たい煉瓦、目の前にあるのは彼の姿。体を捩ろうにも逃れるすべは、ない。顔が青くなる。見惚れたりなんてするんじゃなかった、どうしようと思っても後の祭りだ。助けを求めたくてもこんなところでは人がいるかどうか、このままでは何をされるか分からないのに。
「騒ぐとキスしちゃうよー?」
思わず助けを求めようと左右を見回すけれどプラターヌがニヤニヤしながら至極嬉しそうにそう言うのでプレサンスは思わず怖気をふるった。嫌、こんな一方的に追いかけてくる人とキスなんてしたくない。仕方なく助けを呼ぼうと開きかけた口を閉じ、彼に隙ができるのを窺うことに集中しようと決めた。
「何するん、ですか」
形のいい目を震えながらもキッと吊り上げて睨んだ。男性にこんな至近距離まで寄られたことなぞないからひどく緊張したせいで、精一杯の強がりさえも声がかすれてうまく出ないけれど――そんな態度さえもプラターヌを燃え上がらせることをつゆほども知らずに。全く、こういうところがいいって言うのにさ。プラターヌは緩く口元を上げ、耳の奥をくすぐるように言葉を紡ぎ始めた。
「ヴァンパイアになってみたはいいけどカッコだけじゃあもったいないしねー、それらしいことをしてみようかなって。お菓子はもらえなくたっていいからイタズラさせてよ、ね?」
「嫌、です」
きっとロクなことじゃない、と即座に断る。けれどそれで退くような彼ではない。
「つれないなあ。ところで…プレサンスは前に『好きな人以外に唇奪われるなんて嫌』って言ったよね?」
「…言いました、けど。それがどうしたんですか」
この状況にすくんでしまう足をなんとか支えながら答える。いつだったか、カロスの挨拶だと言って頬だけでなく唇にまでキスをされかけた時のことか。あの時の嫌悪感がまた蘇ってプレサンスは顔を顰めながら答えたが、プラターヌは先ほどの笑みのまま頷きまた口を開いた。
「そう。キミは唇にキスをされるのが嫌だし、ボクのことも好いてはいない」
今度は脈絡のない論法を展開する彼をプレサンスはいぶかしげに見つめた。いったい何が言いたいの、この人は。そう思っている間にも話は続く。
「でもボクはキミが好きだ、だから嫌がることはしたくない。だからってキミに触れたい欲求を抑えられるかって訊かれたらとても無理なんだ。だからね」
「きゃ!やだ何して」
悲鳴を上げたのも無理はなかった。プラターヌはプレサンスの耳元に寄せていた口を――もっと言うと顔を彼女の首元に埋めたのだ。そう、仮装のモデルになった人物がしたように、あたかも今から乙女の生き血を堪能しようとするかのように。首筋に当たる息と髪の感触に思わず総毛立つ感覚がして今まで以上に死に物狂いでもがいたけれど、こんなに密着されてはもう身動きは取れそうにない。今までどれだけ追いかけてもすり抜けていくだけだったプレサンスが、自分の腕の中で怯えている。この状況はプラターヌの嗜虐心を煽るには十分すぎるほどだった。意中の相手をとうとう捉えた喜びに口元がニンマリとしてくる。白い滑らかそうな首筋はもう目の前となれば興奮は止まらない。ああ、早く痕を刻んでしまいたい。悪戯をするのに気が咎めはしない。だってプレサンスにこうして触れられるのなら、その手段が悪戯でも何でもいいじゃないかーー。
「唇にされるのがヤなら首筋にしちゃおっかなーって。キミも傷つかないしボクもキスできるし、それにヴァンパイアのイタズラらしくていいでしょ?」
「そんなの屁理屈ですよっ嫌っ」
「大丈夫!ホントに血を吸っちゃうわけじゃないんだからさー、そんなに怖がらないでちょっと大人しくしておいでね?」
狂ってる、この人ーープレサンスはゾッとした。なんで?どうしてそこまで私にこだわるの?
「なんで、なんで私にここまで構うんですか」
「プレサンスに本気になっちゃったんだよね、ボク」
「な…」
「最初はちょっとからかってみようかって軽い気持ちだったんだよ。ボクも自慢じゃないけど女の子に人気だからねー、キミみたいな子供1人くらいどうってことなくオトせるって思ってたんだ…でもさ、通信を遮断されたりホロメールに返信を貰えなかったりで、あんな風に相手にされなかったのなんて初めてでね。しかも何度口説いても気持ちが靡くそぶりもなくて芯が強い。そこがかえって新鮮で火が点いちゃったってわけ」
「やだ…やだ何それ!!気持ち悪い離して、うぐ」
最早プレサンスはパニック状態だった。早く、早く離れたい。だが口はもう片方の手で塞がれてしまってーーそして彼がひどく楽しそうに告げる言葉をただ聞かされて。
「さて…それじゃ、せっかくだし楽しませてもらおうかな。大人しくしておいでね?」

プレサンスの悲鳴は妖しい夜にただ溶けて消えていった――まさしくヴァンパイアの求めてやまない血のよに赤い痕の残る、狂おしさをまとう口づけを首に受けながら。



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