それが例え悪戯でも(前)


プレサンスが今いるのは、確かにハロウィンのいつもとはちょっと違う雰囲気に包まれたミアレシティで、そして街は煌びやかだったのだ――つい、先ほどまでは。色とりどりのルチャブルの被り物をしている若者の集団がいたかと思えば、レパルダスのフェイスペイントをした親に連れられた子供たちはチョロネコのフェイスペイントを施されていて、思い思いの仮装は見ているだけでも楽しかった。そして人の間から見え隠れするのは、オレンジと黒と紫、時々金色。ズバットやバケッチャをかたどった風船だのネオンだのがそこかしこに飾られていて、いっそう気分を盛り上げてくれていた。

ただ、この光景は10分ほど前までのこと。

「サナ、セレナーっ!どこー!?……だめかあ。どうしよう、こんなことになっちゃって」

もう何度、一緒に来た友達の名前を呼んだことか。プレサンスはすっかり枯れかけてしまっている喉に鞭打ってもう一度叫んだ。けれどやはりこの広い街の騒がしさの中では届くはずもない。頼みの綱のホロキャスターも、自分が迷子になった原因であるあの人出のせいで電波が通じにくいのか、液晶画面は何度確認してもずっと無情に「圏外」の文字を表示したままなのだ。とどめとばかりに、先ほど電気系統に何かトラブルでも発生したのか街灯りもほとんど消えてしまった。遠くに見えるプリズムタワーの灯程度のわずかな灯りしか点いていなくて、薄暗いこの状況では今自分がどの地点にいるのかさえもおぼつかない。

ミアレシティに来る度必ず迷ってしまうというのに、落ち合えるあてもないままどこまで来てしまったのだろう。プレサンスだって、こんな時はその場を動かないものだ、といつか教わったことはある。でも不安のせいですっかり頭から吹き飛んでしまっていたのだ。2人とはぐれた心細さを紛らわしたかったから――だがもう1つ、何だか遠くから誰かに見られているような気がしたからでもある。先ほどから自分だけを見つめる、まとわりつくよな嫌な視線をどこからともなく感じていたのだ。それから逃げたくてとにかく足を動かしたが、それが良くなかった。

プレサンスはくたくたで踏んだり蹴ったり、歩き回って足は棒。広い夜の街のどこか落ち着かない暗さに心細さは募るばかりだ。万事休す、という言葉以外思い浮かばない。せめて出ていたはずの月の明かりでもあればと思うけれど、雲に隠れたらしくそれも見えてこない。プレサンスは立ち止まって空を仰ぎため息をついた。せっかくハロウィンの夜のミアレシティ名物だという仮装パレードを初めて見物に来たというのに。完全にはぐれちゃった、こうなった時の待ち合わせ場所決めておくんだった……そう思いながら二度目のため息をついた、その時だった。

「きゃっ!」プレサンスは悲鳴を上げた。誰かの気配が近づいてきた、と思った次の瞬間には、足音も無く近づいてきたその誰かは腕を肩にスッと回してきたのだ。しかもその手は途端に力を強め、更なる暗がりへと彼女を引きずり込もうとするではないか。ハロウィンだからってまさか本物の幽霊?ううんそんな、だって実体があるのだからそれはない。パニックのあまりあさっての方向へ飛びかけた思考を元に戻そうとしながらプレサンスはもがく。

「だ、誰?離してっ」

抗議の声を上げ訊ねるけれど答えは返って来ない。恐らくこの力からして相手は男性だろう。そして暗闇の中、一人でいる女性に近づいて力づくで攫おうとするなど邪な目的を持っているに違いない。驚いた一瞬の隙の間にガッチリと力を込められてしまって、プレサンスはもうとても逃れられそうにない。謎の人物はそのまま暗がりの中へと歩を早めていき、自然にそれに引っ張られていく形になっている。『このままじゃまずい』彼女の直感がそう告げ、冷や汗が流れる。この暗さでは人に助けを求める前に気付かれないままかもしれない、暗がりの奥へ連れ込まれる前に何とかしなくては。

「離してください!人を呼びますよっ」

助けを呼ぶため大声を上げようと深く息を吸い込んだ――刹那、それは聞き覚えのある声に遮られた。

「しーっ、ボクだよプレサンス!」

悪戯っぽいテノールは、どこか喜んでいるようにも聞こえるけれど……やだ。この声、まさか。耳にしたプレサンスの顔は途端に曇っていく。顔は見えなくとも声で正体が掴めてしまったが、一番会いたくない相手がなぜここにいるのだろう。

「……プラターヌ、博士」
「やー大正解だよ!危うくジュンサーさんのご厄介になるところだったなあ。そんなことよりプレサンスは今日も一段と素敵だねー、テールナーの仮装かい?」
「びっくりしたあ脅かさないでくださいよ、本当に怖かったんですから!というかどうしていらっしゃるんですか」

肩を抱いてきたのは誰あろう、プレサンスにポケモン図鑑を与えたプラターヌだった。男女を問わず頬へのキスがごく一般的な挨拶であるカロス地方育ちだけあり、肩を抱く程度のスキンシップくらい何の抵抗も無くできてしまうのだろう。しかし彼のナンパなところが大嫌いなプレサンスはたまらず抗議の声を上げた。ひとまず見知った相手だったことに安心はした。けれど、いきなり密着されたときの恐怖とがない交ぜになり最後の方は震え声になってしまった。だが、相手はどこ吹く風といった様子で。

「住んでる街の一大イベントを楽しまない義理はないよ。あとここにいるのはさっきキミの姿が見えたから後を追ってきたからっていうわけだけど丁度良かったな」
「人を驚かせておいて何が丁度いいっていうんですか! 大体後をつけるなんて」

プレサンスが口をとがらせたところにかぶせて「だって」と彼は続けた。

「好きな子とは二人きりで静かに語らいたいものだしねー?」
「っ……」

プレサンスは彼の邪な熱のこもった腕の中、ひどく憂鬱な気分だった。

プラターヌはプレサンスに図鑑を渡して間もないころから、彼女に交際を迫っていた。図鑑の状況について報告をする度に、好きだ、愛していると口説き文句を囁いてきたり。ホロキャスターには週に一度必ずデートの誘いのメールを送ってきたり。あるときなど、どうしても来てほしいと言うので研究所へ赴いたら会うなり頬にキスされてしまったこともあった。そのすぐ後に唇も危うく奪われそうになったけれど、何とかその場は「好きな人以外に唇許したりなんてしません!」と、横っ面を思い切り張って逃げたのだ。

だが、プラターヌのこうした過剰なくらいの愛情表現をいくら受けてもプレサンスは全くその気になれなかった。むしろ迷惑極まりないとさえ思っていた。彼のことは好き嫌いを抜きにしても、自分にポケモン図鑑を与えた博士としてしか見られない。それにプレサンスの真面目な性格もあって、週が変わるごとに付き合う女性を変えては歯の浮くよな言葉を贈る彼に良い印象なんて到底抱けない。なのに一方的な好意を突き付けられて戸惑うしかなかったのだ。

第一、色男と噂されるからには女性に不自由していないだろうに、自分のような10代の子供のどこを気に入ったのか。たまには年下もつまんでみようということか。知り合ったばかりのころこそ、プレサンスもプラターヌの情熱的な言葉に心をゆさぶられもした。だが、答えに詰まったり顔を赤くしたりする反応を目にする度、彼が嬉しそうな顔をすることにそのうち気が付いたのだ。

そうだ、こういう反応するからプラターヌ博士は面白がってからかってきてるんだ。プレサンスはそう結論付けて、彼からのアプローチは本気にせずに全部受け流すことに決めた。プラターヌが触れてくるのを避けるため、図鑑の状況報告は対面ではなく全て通信で済ませることにした。口説き文句を口にし始めた瞬間に「用事を思い出したので」と言って容赦なく終了。誘いのホロメールを受信してもすぐさま削除して返信しなかった。彼に唯一感謝できることと言えばとても興味 深い旅に出るきっかけをくれたことぐらいか。とても楽しかったし、世界が広がる毎日は刺激的だった。それに比べたら恋愛沙汰などに使う時間はもったいないとすら思っていた。だがそんな態度は彼を逆に燃え上がらせてしまったようだ。今日はつくづくタイミングが悪い、こうして捕まってしまうなんて。



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