寂涼(前)


「浴衣一枚じゃ涼しいの通り越して寒いわよ、何か羽織っていきなさい」って、母さんのあのアドバイスに従っておくんだった。荷物を減らしたかったとはいえ、吹いてきた風に肌を撫ぜられて思わずぶるっと震えながら振り返る。だからって今から取りに帰るのも億劫だし。

カレンダーは終わりかけとはいえまだ一応8月。だけど、毎年のことながら短いシンオウ地方の夏はもうとっくにサヨナラしちゃった気がしてしょうがない。人やポケモンに例えるなら、きっとさっと来てさっと帰るせっかちな性格なんだろうな。でも正直こんなに気温が下がるなんて予想してなかった。天気予報のうそつき、今日の夕方蒸し暑くなるって言ったじゃない。それに彼だって……指先に少しイライラを込めてポケッチの時計アプリを呼び出してみれば、表示されてる時間は待ち合わせの予定を14分、ううんたった今15分過ぎたところだった。

いつまでこの気温の中で待たせる気なんだか、これだからカロス人は時間にルーズだって言われるんでしょ、反論できるならしてみなさいよ――そんなことを思う私とは反対に、マサゴ公園の空気はスピーカーから流れてくるお囃子ののんびりした音色でお祭色一色だった。



テレビ中継も入るほどのコトブキシティのお祭りとは比べ物にならない規模だけど、このマサゴタウンの小ぢんまりした納涼祭の雰囲気だって良いものだと思う。張られた布が色あせてたり、景品に少なくとも10年前に流行ってたおもちゃを置いてたりする出店とか。500発くらい打ち上がったら終わっちゃう花火大会、って呼ぶのも微妙だけどとりあえずみんなそう呼んでる小さな花火大会とか。なんだか妙に懐かしくて、そして来る度に胸がきゅうっと締め付けられるような切ない気分になる、生まれてこの方ずっとこの町で育ってきた私にとっては、夏の終わりのシンボルそのもののイベントだった。

で、それはさておき待ち合わせ相手はいつ来るんだろう。周りを見回してもそれらしい姿は全く見えやしない。最初の予定では、研究所の助手みんなで繰り出すはずだった。けど急な用事で実家に帰ることになったとか、食中毒で入院しちゃったとかの理由で2人だけで行くことになったの。「カロスに帰る前にシンオウ最後の夏を楽しみたいんだよー、1人じゃ寂しいから一緒に行こうよ!お願い!」って頼んできたのに負けて……。まあ確かに彼、こっち来て初めての夏はシンオウの気候に慣れなくて体調崩して行けなかったのを残念がってたし。それに、去年の夏は学会が会場の事情で予定より前倒しになったから、研究所総出で準備にかかりっきりでお祭りどころの話じゃなかった。だから「その気持ちはまあ解るし、そこまで言うなら……」って言ったけど、我ながらあれはタテマエってやつだと思う。彼と2人きりになりたいっていう思いも、あったから。

それにしてもどれだけ待ちぼうけ食らわせれば済むわけ?彼が今まで時間通りに来たことがないのはもう知ってはいるけど……丁度今待ち合わせ時間から20分を過ぎて、ポケッチの液晶画面をほとんど睨むように見た時だった。

「やーごめんプレサンス!自分でユカタ着てたら苦戦しちゃってさー」

そこに声がして、ヤミカラスの濡れ羽色の髪を夜風になびかせたプラターヌがようやく到着。いつも通りにへっとした笑顔を浮かべてて、絶対悪いって思ってなさそうだけど。すぐそこの電灯の光に照らされて浮かび上がった姿に胸が高鳴る。グレーの無地の浴衣が似合ってて素敵。帯との色の取り合わせだって綺麗。かっこいい、って一瞬思った。待たされたことも忘れさせるような……イケメン無罪ってこういうこと?でも次の瞬間には勝手に口が動き始めてて。

「もう遅いでしょ!いつまで待たせ、くしゅっ」

あ、また言っちゃった……心の中で後悔する。何で私こうツンツンした物言いしかできないんだろ。昔からの性格がまたこんなところで顔を出しちゃってょっと落ち込んだ。それに、文句の一つでも言ってやろうとしたら、その代わりに出たのは大きなくしゃみ。やっぱり体が冷えたのかな、というかこれじゃ決まらないっていうか恥ずかしい。

でも、プラターヌはっていうと。

「冷えちゃうよー、これ羽織って」
「べっ別に良いし」
「そう言わないで。寒い思いさせちゃってごめんよ……うん、美しいね」

さっきまでの笑顔を途端に引っ込めて、不意に済まなそうに長いまつ毛を伏せた。かと思えば、今度は――あっという間の出来事だった。私がその表情の動きに見とれてる間に、彼はショルダーバッグから取り出したものを肩にフワッとかけてくれて。何だろうって見てみれば、好きみたいでよく着てるシャツの色と同じ綺麗な青色をした大判のスカーフ。しかも結び目まで手早く綺麗に整えてくれてた。好きな人が使っているものを使わせてもらってるんだと思うと、冷えてた体全体が、特に顔が急に火照ってきたのが分かる。何がすごいって一瞬でやってのけちゃうってこと。咄嗟にこういうことができるんだからすごい、モテるわけだわ……。

「あり、がと。ちょっとはマシかも」
「どういたしまして。じゃあ行こっか!」
「でっでも遅刻は反省しなさいよね!いつか大事な約束に遅れてナナカマド博士にこっぴどく怒られてたじゃない、懲りてないの?」
「うん次は気を付けるよー」

いつもこうなんだから。笑ってそう答える限り、多分言葉通りちゃんと反省することも無いんだろうけど……気遣いに免じて、ってことで。モゴモゴお礼を言ってから、プラターヌと私は出店が集中してる公園の真ん中あたりへ足を踏み入れて行った。



出店は道路を挟んで左右にたくさんある。目に入ってきた途端、プラターヌは灰色の大きな瞳にぱあっと光を浮かべ始めた。「ねえプレサンス、あのお店面白そうだよ」「ズアのみアメっていうのも美味しそうだなあ」――キョロキョロあちこちを見回しながら、心底楽しそうに話しかけてくるそんな声を聞きながら胸を高鳴らせる。

私は昔から勉強ばっかりで、男の子と付き合うなんて考えたことも無かった。むしろ恋愛なんて、って軽蔑っていうかとにかくよく思ってなかった。僻み入ってるのは認める。そしてナナカマド博士の助手になって今度は研究三昧、やっぱりカレシなんてできっこなくて、でもだからって全く気にしないまんま時は流れて。そこにカロス地方から留学してきたプラターヌと出会ったのが、3年前のことだった。

顔は彫りが深くてかっこいいし、あっちのトップレベルの研究機関から送られてきた分頭も良い。何よりよく「カロス人は恋愛のために生きてる」とか言われるっていうけど、そのせいか女の子の扱いが上手い……そんなプラターヌがモテないわけなくて、おまけにマサゴタウンは小さな町だから、あっという間に評判が広がって。勝手なカンだけど、この町に住んでる女の子の8割くらいは彼に惚れた経験があるんじゃないかと思う。

今だってほら、一緒に歩いてると四方八方から彼目がけて熱い視線が飛んで来てる。ただ、その逸れた視線は、一緒に歩いてる私に当たった途端メチャクチャ刺々しくなるけど。視線が痛いってきっとこのこと。でもご愁傷様ね、と呟いてやる。だって……。

でもプラターヌは慣れっこみたいで、そんな視線も気にせずに出店を冷やかし続けてる。さっきはお面屋さんでミミロルのお面を買って早速被ってた。かと思えば、ズアのみアメの屋台で、きっと初対面のはずの屋台の売り子のおばさんに「お兄さんハンサムねー!おまけしちゃうわ」なんて言われてもう1本もらって。そしたら。

「ありがとうマダム。愛してますよ」

そんなウインク付きで褒めるから、おばさんは一瞬で顔を真っ赤にしてた。

で、口を開けばああだこうだ言ってる私だって、プラターヌを好きになるのにそんなに時間はかからなかった。物言いがキツいから、助手仲間に「愛想の種族値ゼロ」とかまで言われたことのある私にだって優しいし、女の子扱いしてくれた。それが嬉しくて、生まれて初めて恋ってものをして、シンオウ地方のことをいろいろ教えてあげるのを口実にして近づこうって頑張った。友達にカレシができる度に恋愛事なんか、って心の中でバカにしてたけど、バカにされるべきなのは私だった。さっきくじ引きで残念賞を引き当てたら、引いた私以上にプラターヌがガッカリしてたけど、景品に貰った光るプラスチックの腕輪をジーッと見てくる。あんまりにも興味津々っていう感じで覗き込むからあげれば、ずっと眺めながら歩いてる。ちょっと注意を引きたくて、何でもないふりしながら話しかけてみた。

「前ちゃんと見ながら歩かないと危ないでしょ。そういえばその浴衣どうしたの?買ったの?」
「いや、ナナカマド博士がもう着ないからって譲ってくれたのを仕立て直したんだ。それにしても楽しいなあ、いい思い出になるよー。もちろんプレサンスの美しいユカタ姿を見られたこともね」
「! っば、もう、何言ってっ」
「あはは照れてるの?でもホントのことだよー、そうそうズアのみアメどうぞ。美味しいよねこれ、忘れられない味になりそうだなあ」

おまけされたアメを笑いかけながら差し出しされて、しかも彼以外からは家族と仲の良い友達に冗談で言われる程度の、つまりほとんど縁の無い褒め言葉を言われて、またドキッとした。嬉しいけど、でもアメを受け取りながら同時に切なさがこみ上げる。

もう……これ以上、期待させないでよ。あなたの恋人じゃないのにそう言われたら、私……。

ねっとりした水飴に気持ちを押しやって無理矢理溶かすように舐めながら、プラターヌの横に付いてまた歩いた。



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