誘惑魅惑の……


ザクロの自宅は、ショウヨウシティの小高い所に位置している。窓の外を見下ろせば、少し遠くに見えるビーチは今日も大いに賑わっていた。豊かな海と山の自然を目当てにした観光客が一年中絶えないこの街だが、今はなんといってもバカンスの季節だから普段以上に多い。ホテル・ショウヨウを始め、どこのホテルも数か月前には満室になっているほどなのだ。

しかし、この街に元から住んでいるのであればそんな混雑とはほぼ関係が無いといっていい。ザクロはこの時期ほど、地元の有難味を感じる時はなかった。

そもそも、カロス地方の海水浴場にはほとんど更衣室が設置されていない。家や車の中、あるいは海岸でそのまま着替えるものだし、それはショウヨウシティでも同じだ。車の中という狭いスペース、あるいは海岸で他人の視線を受けながら着替えるのはそれなりのストレスになるかもしれない。だが、家で済ませればそのようなこともない。それに、荷物も必要最低限の手回りの物さえ持って行けばいいし、行くまでにかかる時間だって10分とない。到着して軽く体をほぐしたら、後は波間に直行するだけだ。

行こうと思えば、今のようなピークの時期を避けて空いた頃にいつでも行ける。でもやはり、照り付ける日差しの下で泳ぐのもまた醍醐味というもの。夏真っ盛りの海は今年も気持ちいいだろう――付き合い出して初めて迎えるこの季節、最愛の人と一緒に行くならなおのこと。早く行って満喫したいものだが、それにはもう少しばかり時間がかかりそうだった。

「ごめんねザクロ、今サンオイル塗れるとこだけ塗ってるけどもうあとちょっとで終わるからー!手届かなかったとこ後で塗ってー」
「わかりました。急ぎませんのでごゆっくりどうぞ、プレサンスさん」

着替えのためにと貸した部屋のドアの向こうから、プレサンスがよく通る声で謝ってきた。ザクロは心臓を高鳴らせながら返事をする。そこは彼もやはり健全な男性だから、恋人がどんな水着姿を見せてくれるのかは気になるもの。他の誰でもなく彼女のそれともなれば言うまでもない。着替えるのにかかる時間も、期待を十分に膨らませるには必要なのです。ザクロは外の景色をまた見ながらそう思いつつ、準備が整って出てくるのを待っていた――と。

「お待たせっ!」

背後でガチャリとドアが開く音がした。プレサンスの着替えが終わったようだ。これでようやく、とザクロは思ったが。

「あー、やっぱりそれにしても……」
「?」

振り向けばプレサンスと目が合った。それはいい。だが、彼女はザクロをまじまじと見つめながら、少しずつ距離を詰めてきつつあるではないか。形の良い眼は次第に爛々と輝きだしているし、更には赤い舌がちらりと覗いて舌なめずりまでしている。

つまるところ、大いに興奮しているようだ。恋人を表現する言葉として実に相応しくないことは承知で言えば……怖い。水着姿を拝むどころではない気迫に押され、ザクロが固まりかけた時だった。

「たまんないっ!ちょっとほっぺすりすりさせてっ!!」
「っ!?」

プレサンスは矢も楯もたまらない、といった風にザクロにひしっと抱きついてきたのだ。これが普通の男性ならいきなりのことによろめきもするだろう。

しかし、トップアスリートであり一般的な男性よりはるかに体幹が鍛えられているザクロは、そういったこともなくしっかり受け止めて――だから、プレサンスが柔らかな頬を擦り付けて、文字通り「ほっぺすりすり」を彼の厚い胸板に連続でお見舞いするのに何ら障害は無かった。

とはいえ、飛びつかれたらアスリートであるかどうかはさておき誰でも驚くものだが、プレサンスはザクロの様子なぞどこ吹く風といった感じだ。擦り寄せる頬や褒めちぎる言葉を紡ぐ唇の動きを止めることなく、彼の肉体美をうっとりした口調で、しかし矢継ぎ早に褒め称え続けている。

「この6つに割れた腹筋!惚れ惚れするくらいのギャクサン体型!極めつけにこの筋肉のしなやかさっ!やっぱり最高ねいつかテレビで言われてたけどもうザクロは世界一の細マッチョイケメンよ、あのハルナとかいうレポーターの人解ってるわー男でも女でもどっちにも見える顔してるのに筋肉しっかりあるんだからたまんない!直に触れるなんてホント幸せ私ザクロの彼女で良かったーっ!」
「は、はあ」

ほとんど息を継いだり言葉を区切ったりもせず、プレサンスは一気に言い切ってのけた。ザクロはドギマギしながら思う。自分より年上ということや活発な性格もあるのだろうが、彼女の勢いにはこうして押されているばかりだ……と。

それはそれで満更でもない。それに、例えば大好物のスイーツを我慢するだとか、そんな徹底した節制やトレーニングを重ねて鍛え上げた体は努力の結晶。ボルダリングを教えている縁で知り合ったからかプレサンスもそこに惹かれるらしく、自分の体を魅力的だと言われればもちろん嬉しい。

しかしこう何というかこう、してやられているばかりというのも男として言えばそう面白くはない。かといって意趣返しなぞザクロは思いつかないし、嫌われるよりはよほどいい。結局は、いつもそうやって無理矢理に近い形で結論付けて終わらせるのだ。

そう振り返っている間にも、プレサンスはまだトロンとした恍惚の表情を浮かべながら「ほっぺすりすり」を止めずにザクロの筋肉を堪能し続けていた。彼がもしもチゴラスだったなら、とうに「ひんし」の状態になっているはずだ。

「もうほんと何度見ても惚れ惚れするわ〜、独り占めしたい!他のコに見られんのもヤだなあ……そうだ、海に行くのいっそやめちゃわない?」
「そ、それはありがとうございます。ですが折角水着に着替えたのに行かなくてよろしいのですか」
「まあそうだけどー」

……とは、言ったものの。今日の予定を変えないかとまで言い出したプレサンスを宥めはしたが、ザクロは喉をゴクリと鳴らしていた。このスタイル、そして感触に先ほどから鼓動は高鳴り続けるばかりだ。今まで素肌を晒し合ったことも一度や二度ではないから、照れて直視もできないというわけではない。

でも、明るいところで見るプレサンスは「その時」とはまた違う色香をまとっていることに気が付いたのだ。白いシンプルなデザインのビキニが映えている、小麦色の肌。たわわなふくらみが形作る魅惑の谷間。細くくびれてほどよく引き締まりつつも、女性的な丸みもある腰とそこから下の部分。とても細いというわけではないが、バランスの取れた体は何度見ても美しいとしか言い様がなかった。ビーチに行けば周りの視線を、もっといえば邪なそれを大いに集めるに違いない。恋人の贔屓目だと笑われようときっとそうなるに違いない。

もし、家で着替えずに海岸で着替えていたらと思うと……そして、これほど魅力的なプレサンスさんを、他の男性の前に晒したいかと訊かれれば……そう考えたザクロも、彼女をこのまま海に行かずに独り占めしたいという思いを段々と抱くようになっていた。

その上「ほっぺすりすり」などとは言ったが、プレサンスは頬だけでは飽き足らなかったのか全身をザクロに擦り付けていた。だからもちろん、その魅惑の柔らかな部分も余すことなく彼に堪能させてくれて――しかも今身に着けているのは水着だけだから、よりダイレクトに感触が伝わったこともあって――、何かが昂ぶり始めたからでもあった。繰り返すが、彼もまた健全な男性なのだから。

しかし、海に行かないのかとザクロは自分で訊ねてしまった以上、反故にすることもできないだろう。反射的にそう言ってしまったことを少しばかり後悔した後、彼はその何かにどうにか蓋をするように言った。

「そ、それはそうと準備をしませんか。サンオイルを塗るのでしたよね?」
「そうだった。背中にムラができないように塗りたいんだけど一人じゃ難しいし。ボトル部屋に置きっぱなしにしちゃってたからちょっと待ってて」

プレサンスは小走りで元いた部屋に向かい、すぐに戻って来て「よろしくっ」とボトルを手渡してきた。蓋を開け掌に広げてこれでよし、ザクロはそっとプレサンスの背中に手を伸ばす。そうしている間に、彼女が綺麗に肩甲骨の浮いた背中を向けて――リボン結びにしていた水着のトップスの紐を、スルリと解いてから外して手に持つのが見え、ザクロはその仕草にまた心臓を騒がせながら声をかけた。

「では、塗りますね」
「うん……んひゃっ!」
「!」 

だが。掌でなくほんの指先で触れただけなのにプレサンスが途端に悩ましい声を上げるものだから、ザクロはいっそうドキリとした。どうしたのかと驚いて指の動きを止め訊ねる。

「どうされたのですか、背中が弱いわけではありませんでしたよね?」
「そうだけど!なんか、くすぐったくてっ」
「それでしたら止めておいた方が……」
「でも背中だけ中途半端に焼けたらヤなの!大丈夫だからやって!」

平静を装ってはいるが、プレサンスの声は少し裏返りかけている。半ば照れ隠しのようにムキになって答える姿が可愛いらしくて、ザクロは少し微笑った。背中に触れてもいつもなら特に何の反応も無いのに。もしかしたら、今はサンオイルで滑る分感触がいつもと違うのかもしれません。彼はそう自分なりに分析してから、また恋人の背中に手を伸ばした。

「では……続けますよ」
「ん、あっ!」

また、だ。少し手が滑るだけで、プレサンスの肩がビクンと跳ねる。しかも今度ははあ、と切なげな吐息まで漏れた。

その様子は、さながら――。自分の指先の動きに悶える後姿は、いやが上にも情欲をそそってやまない。プレサンスは今上半身に一糸もまとっていないのだと思うと、余計に。ザクロが少し前に蓋をした自分の中の何かが、また少しずつ自分の中で滾り始めていて。そして、それを抑えて無視するのは最早難しくなってきていた。

そこでザクロは閃いた。プレサンスさんは先ほど、自分の筋肉を他の女性に見られたくない、独り占めしたいから海に行くのをやめないかとまで言っていました。あの時の口ぶりやサンオイルを塗ってほしいと頼んできたからには冗談めいたものだったのでしょうが……いっそ、この調子で興奮させて本当に「その気」にさせてしまいましょうか。それに意外な弱点を見つけて、少し意地悪をしたくなったということもある。

いつも振り回してくれるあなたを、こうして少しばかり翻弄し返すのもまた悪くないものですよね?――そう心の中で呟いて、ザクロは。

「なんかヘンなの!だめっ」
「『だめ』はいけませんよ、プレサンスさん?」

くすぐったさから逃れたいのか、プレサンスは体を捩りかける。けれどザクロはそっと腰に片腕を回して阻んだ。しっかりと鍛えられた体は抵抗などものともせず彼女を逃がさない。少し口の端を上げながら背中全体に触れて、「イイトコロ」を探す。

「や、そこ、んっ!」

そして探し当てた、触れるとプレサンスが一際高い声を上げて反応するところを集中的に攻めて、攻めて。



やがて――。

「も……だめ……」

プレサンスを軽く拘束して戯れて、どれ位が経っただろう。くたりと力の抜けた体で、彼女がザクロの方へ倒れ込んだ。いっそうの艶っぽさを纏って。呼吸はゆっくりだが息は上がっているし、顔は見えないがきっと赤いのだろう。手に持っていたはずの水着のトップスは、いつの間にか床に落ちている。

そして、プレサンスの色っぽい姿を引き出したザクロも、そろそろ理性の限界を迎えつつあった。もう、誘ってしまおう。いつも自分を翻弄するマーメイドは手の中だ。唇をもっと弓なりにして、そっと追い詰めるために言の葉の矢を放つ。

「……そういえば」
「え?」
「人でいっぱいのビーチではなくて、私たち以外誰もいないプライベートビーチがあったのを思い出したのです。今日はそちらへ行きませんか?こんなに素敵なプレサンスさんを、他の方に見せるなどとんでもないことです」
「え?そんなとこ、あるんだ」

プレサンスの艶を含むかすれた声が答えたところで、ザクロは耳元に頬を寄せ――。

「ええ。お互いを独り占めできる真っ白なシーツの浜辺なら、ドアを開けたらすぐそこに。いかがです?」

プレサンスさんが断りませんように……いいえ、きっと断らないでしょう。ザクロは根拠なぞないけれど確信しながら、恋人の腰に回した腕に力をそっと込めて誘惑した。



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