咲き誇れるは輝く蕾


打ち合わせが終わり車へ乗りこんだ時、空はもう一面ミッドナイトブルーに染まっていた。ところどころに星々が瞬き――とはいってもミアレの街の灯の眩しさには及ばないのだが――明日の足音がそろそろ聞こえてくるころだ。

フラダリは自家用車のリアシートに掛け、今日一日の運びと明日の計画を思い描いて満足していた。ホロキャスターの技術関係の折衝は長引いてこの時間帯になりこそしたものの上々の結果となった。明日はセキタイの秘密基地の拡張に本格的に入る予定だから、今後の研究もより捗ることだろう。新たなる世界の夜明けは遠くない、と口角を上げながら思う。

やがて、ミアレ近郊の屋敷に帰り着いた。長いアプローチを抜けた車が止まれば、玄関で待機していた執事がすぐさま車のドアを開け出迎えた。

「お帰りなさいませ、フラダリ様」
「ああ。留守中ご苦労だった」

フラダリは手を伸ばしてきた執事にアタッシュケースを預けながら労いの言葉を掛ける。長年の経験に負う無駄の無い動きは、主人の動きを熟知しているからこそ為せるものだ。

そして、そのまま2つ3つ言葉を交わしつつサロンへ歩みを進め、何か変わりは無かったか、と訊ねようとしたときだった。

「お嬢様?どちらへ」
「お父さまがお帰りになったでしょ?車が見えたの」
「ですがもうお休みのお時間は過ぎました、どうぞお部屋にお戻りを」
「いや!おわたしするのっ」

2階へ続く階段の上から声が聞こえてきた。まず、若い女性の困っているような声。あれは確かプレサンスの世話係ではなかったか。フラダリが声がした方を見上げて記憶を辿りはじめたのと同時に、幼い少女の鈴を転がしたよな声が嫌だと答えて。夜の静けさに包まれた屋敷に2人の声はぶつかり合い、にわかに音をもたらしつつこちらへ近づいて来ている。当然足音も2人分になるわけだが、小さい方のそれは急にスピードを上げてきたかと思うと。

「お父様っ!」

ピンクのワンピース風のパジャマに、ミミロルの顔を模したスリッパを履いた少女――フラダリの義理の娘であるプレサンスが、階段の上に姿を現した。何やらラッピングが施されている花を両手でしっかりと持って階段を駆け下りた彼女は、その勢いのままフラダリのもとに走り寄って来る。

「も、申し訳ございません!私の監督が行き届かず……」

プレサンスを止めようと後を追ってきた世話係は、雇い主に気が付き真面目そうな顔に困惑を浮かべながら言った。仕事を全うしていないところを見られてしまった、と大きく顔に描いてある。

謝る世話係にひとまず頷いてみせてから、フラダリはプレサンスに向き直った。

「プレサンス、出迎えは嬉しく思うよ。だが、レディがはしたなく階段を走ってきた上に言いつけを聞かずに夜遅くまで起きているとは……感心しないな」
「ごめんなさい……でも、でも、お父さまがお帰りになるんだって思ったらうれしくて」

義理の娘は、愛くるしい顔にしゅんとした表情を浮かべて謝りながらも、その一方で小さな手は花を――赤い薔薇を一輪包んだセロファンをそわそわと小刻みに撫でている。それを差し出すタイミングを今かまだかと測っているかのようだ。

そこでフラダリは気が付いた。そうか、今日は……彼はプレサンスが携えた花の意味を察して、人払いのために執事に今日はもう休むようにという意味を込めて目配せした。すると、さすが長年仕えているだけあり無言でも主人の言わんとするところを汲んだ彼は、傍らで成り行きを見ていた世話係にも小声で促して一礼する。そして、覚悟していた叱責を逃れることになり、安心しながらも面食らっている様子の彼女を伴い部屋を出て行った。

使用人たちが去った後、フラダリはサロンのソファへ掛けるようプレサンスに言って、自身もその横へ座った。いつもであればベッドに入っている時間をとうに過ぎているから眠いのだろうが、少し目を擦ってからプレサンスは。

「あっ、あの、お父さまにさしあげたいものがあります」

その言葉とともにおずおずと、握っていたそれをフラダリの方へ差し出した。

「お父さま、わたしを引き取ってくださってありがとうございます。これまでずうっと父の日当日にさしあげられなかったから、どうしても……お約束をやぶって、ごめんなさい」

声はどんどん細くなって、最後の方はようやっと聞き取れるほどだった。恐る恐る様子を伺うようにフラダリの方へ向けられたアーモンド形の眼は、潤んで涙目だ。10時には寝るように言い聞かせ世話係にもそう躾けさせているから、その言い付けを破ったことを怒られるのを恐れているようだ。

だが、今夜だけは目を瞑るとしよう。何故なら。

「……そう、か。プレサンスが私の娘になってからもう3年も経つとは。早いものだ」
「これまではお父さまがおいそがしくてお帰りにならないから、父の日をすぎてしまって……あっごめんなさい、お父さまをせめているわけではないです!」
「勿論解っているよ、ありがたく受け取らせてもらおう。プレサンス……私の大切な、自慢の子」

差し出された父の日のプレゼントを手に取ってから、フラダリは反対側の手で娘の髪を梳いて褒めてやる。自分とよく似た色のそれを。途端に、プレサンスの大きな瞳にぱあっと光が満ちていく。世界中の金銀宝石の煌めき全てを残らず集めてきたとして、彼女の輝きに勝れるだろうか。いや適うはずもない。

「いつも忙しくて寂しい思いをさせてしまっているな。申し訳なく思うよ」
「いいえ!今はもう、さびしくないんです。たしかにお父さまはおいそがしいけど、ちゃんと帰ってきてくださるから……あの場所にいた時みたいに、さびしくありません」

「あの場所」と口にした時、娘は顔には笑みを浮かべていてもふっと翳りが差すのがはっきりと見えた。

だが、プレサンスはそこまで言ってから、眠気に加えて目的を果たしたことで安心したせいか目が急にトロンとし始める。フラダリはそっとプレサンスを自分の方へ寄り掛からせてやりながら、彼女と血の繋がらない親子になるまでのいきさつを振り返っていた。



あれは、慈善事業の一環で支援している児童養護施設を視察に訪れた時だった。初めてプレサンスの姿を目にしたとき、他の子供たちとは違う輝きはフラダリに強烈な印象を残したのだ。

プレサンスは、父親という存在を知らなかった。聞けば彼女は私生児で、そして実母は次々と交際相手を変える中で娘が邪魔になりこの施設に預けたとかで、以来面会に1度も来ていないのだという。だがそれでもプレサンスは母の帰りを待ち続けているのだ、と職員は言っていた。

フラダリは憤った。そして同時に彼女の輝きの理由が解った。やはり、親と別れることになったという悲しみを背負って生きる子供たちの顔には暗いものがある。しかしプレサンスが違ったのは、かすかであっても希望を抱いているからこそ来るものだ。もう心のどこかで希望は叶わないことをかすかに感じてはいるのだろうが、それでもわずかなそれにすがって、ずっと。

プレサンスのその姿に、フラダリは自分の姿を重ねた。この世に失望を覚えるまで理想と希望のために邁進していた、以前の自分の姿を。自分と似た髪の色も相まってなおさらだった。自分をこのような境遇に強いた、汚らわしい世界をまだ美しいものと信じているだろう少女の心の内が、まるで自分のそれであるかのように解った。自身は既にこの世に失望した身だけれど、彼女までそのようになってほしくはなかった。やがて希望を糧として華開くであろう美しさを枯らすようなことがあってはならない、だがこのような環境にいては早晩枯れてしまう、自分が守りこの手で散華を防がねばとフラダリは思った。

だから、今まで支援している子を引き取りたいと思ったことはなかったのに「プレサンスを私の娘とする」と、迷うことなくその場で言ったのだ。

それから先の行動は、自分でも驚くほど速かった。

まず時間を掛けながらプレサンスを説得した(「私は君のお父さんになりたいんだ」と初めて顔を合わせて伝えたら、彼女が「おとうさんってなあに?」と無邪気に、しかし心底不思議そうに訊ねたことは今でも覚えている)。

一方その裏では、伝手を辿って代理人をプレサンスの母親に接触させ「あの子を引き取りたい、ただし手切れ金として幾ばくかを渡す代わりに今後一切接触しない」という条件を示した。プレサンスを醜い世界から早く切り離したかったのだ。すると、娘を捨てた母は目先に降ってわいた願ってもいない話と金額に目がくらんだのだろう、一も二も無くそれに乗った。当時は代理人からそんな様子について報告を受ける度、フラダリは手続きを進めながらも汚らわしい心にこみあげてやまない嫌悪を感じずにはいられなかった。

そんな紆余曲折を経たものの、最終的に足しげく顔を見せに通ったこともあってか次第にプレサンスが信頼を寄せてくるようになり、法律面での手続きも終わって養子縁組は無事成立。そして父親を知らない彼女がフラダリの娘としてこの屋敷にやって来た日は、奇しくも3年前の今日――つまり、3年前の父の日だったのだ。



回想の間に、プレサンスは半分夢の中に落ちてうとうとしていた。普段なら眠いのであれば部屋へ戻るように、と言うところだろう。だが、自分の帰りを待っていたのを起こすのも何やらしのびなくて、フラダリはそっと娘の寝顔を覗き込む。

月日が流れるのと同じように、子供の成長もまた早いものだ。屋敷に来た時にはショートカットだった髪や低かった背も随分と伸びた。髪の色も相まって、まるで砂塵の荒野のごときこの世界に咲く赤薔薇のようだ。

それに、賢さも兼ね備えた子になりつつあることも楽しみだ。屋敷へ連れて来てから間もないころは、今までとはまるで違う環境に緊張していたようだ。それにも徐々に慣れ、学校からの報告では成績も良好になったという。「お父様が恥ずかしい思いをしないように、って言って頑張り始めたんですよ」と担任教師から聞いた。

加えて、邸ではマナーや楽器のレッスンも受けさせているが、家庭教師たちは「少し頑固な面もあるものの覚えがとても早い」と口を揃えて言っていた。さりとて望めばほとんどのものが手に入るこの環境にいながら、当然のようにあれも欲しいこれも欲しいと言う浅ましさなど無く、謙虚に感謝する心の美しさよ。きっと将来は内面から光り輝くような女性に成長することだろう。

そう思いながらフラダリはそっとプレサンスの頭を撫でてやった。と、掌の感触に夢の世界から帰って来たらしい彼女は、目をこすりながら父を見上げてくる。

「ふぁあ……お父しゃま?どうなさったのですか」
「いや、何でもない。それより来週は仕事がそろそろ一段落付く予定だから、1日プレサンスと過ごせる日があるだろう。どこか行きたい所はあるかね?」
「でしたら、ミアレ美じゅつ館の特別てんを見に行きたいです。今ジョウト地方のコレクションが来ていて、とってもきれいなんですって」

いいぞ、と内心で満足する。美しいものに惹かれる内面も磨かれつつあることに満足しながらフラダリは答えた。

「いいだろう、そこに行こう……さあ、そろそろ寝なさい。レディが夜更かしをするものではない」
「はい」

促すと娘は素直にこくりと頷いて、マナーのレッスンで身に付けたのだろう静かな動きでそっとソファから降りる。

そして、2、3歩進んだところで振り返り、顔を綻ばせてこう言った。

「おやすみなさい、お父さま」
「ああ。おやすみ」

フラダリもいつもは険しい口元を緩めて、丸い声で愛娘の挨拶に応えながら心の中で誓う。

そうだ、私は自分だけではなく、プレサンスのためにもこの世界をより良く、そして美しいものたらしめなければならないのだ。あどけない瞳に暗く曇った景色が映ることがあってはならないのだ。残された時間は少ない。これ以上奪い合いがはびこり、荒廃を極めた世が来てしまう前に、帯びた使命を果たすことを急がねばならない。そしてプレサンスが美しき世界でより美しく育つよう、カロスの未来よ輝かしくあれ。

自室へ戻っていく娘の背中を見送ったあと、フラダリも花を花瓶に挿そうとソファから立ちあがった。いつもであればこういったことを任せる使用人が既に休んでいるからではない、自ずから生けなくては意味が無いからだ。

きっとこの赤い薔薇は、今まで邸に飾った花の中で一番麗しく部屋を彩ることだろう。



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